囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

悲しくてやりきれない・・・

2020-09-15 19:39:49 | 囲碁きちのつぶやき
菅義偉新内閣が発足しました。自民党の新しい党役員、新閣僚名簿を見ても、新鮮さは感じられません。
アベ政権の負の遺産は「解決済み」と切り捨て、憲法改悪や沖縄の米軍基地建設、原発政策などを継承する と胸を張る菅内閣に期待するものは 何もありません。アベノママノ政治にこれからも対峙してゆきたいと思います。

ザ・フォーク・クルセダーズが、「リムジン河」が発売禁止になったとき作ったと言われる「悲しくてやりきれない」の曲を無性に聞きたくなりました。
こんな歌です。聞いてみてください。
でも、悲しんでばかりはいられません。憲法9条を守る草の根の運動をこれからも続けてゆきます。

悲しくてやりきれない/北山 修
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の絵手紙・・・

2020-09-15 16:47:30 | 日記
私の作品ではありません。連れ合いの作品です。
呼吸器の難病になって以来、コーラスも、ハイキングも出来なくなり、今は、唯一の参加できる趣味です。
公民館の絵手紙サークルに参加していて、今日が例会でした。



今日は先生から筆でなく、絵も字も割りばしを使って描くよう言われたそうです。
先日行った長野・佐久穂自然園で見たマツムシ草ソウを描きました。

昔は、四阿山・八ヶ岳山麓・車山などアチコチのハイキングでアキノキリンソウやマツムシソウを見ていましたが、今では有料の自然園で見るのがやっとです。その頃を思い出しながら描いていたのでしょう。

でも、上手に描けていると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見てほしいテレビ「時代に翻弄された歌 イムジン河」

2020-09-14 15:54:11 | 囲碁きちのつぶやき
昨夜、録画しておいたNHKのアナザーストーシリーズ、「時代に翻弄された歌 イムジン河」を見ました。
昔、ザ・フォーク・クルセダーズの曲として、とても良い曲だと思っていました。ところが、突然、レコードが発売禁止になりました。そして歌うこと自体が封じ込められました。
映画「バッチギ」を見て、曲の一端を知りました。

改めて、「時代に翻弄された歌 イムジン河」を見て、その背景をよく理解することができました。
分断された朝鮮半島、南北、どちらが悪いなどのことはみなさんいろいろのお考えがあると思います。
でも、先ずは、テレビを見て、歌のもたらす重みと分断された民族の悲劇のことを、もう一度考えてみてほしいと思います。
再放送は、下記のとおりです。

2020年 9月 17日(木)
午前 8:00から午前9:00
NHKBSプレミアムテレビ



イムジン河 ザ・フォーク・クルセダーズ 2002
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛い別れ・・・

2020-09-13 15:48:15 | 囲碁きちのつぶやき
今日は、年金者組合のお仲間のTさんの「お別れの会」に参列しました。

Tさんは、私と同じく郵便局に働いていました。働いた局所が違うため、現役時代それほど交流はありませんでした。ふたりとも少数派組合で苦楽を共にした仲間でした。定年後、再雇用で働き、それも終わった後、年金者組合にお誘いしたところ気持ちよく加入してくれました。



お別れの会は、大きな団地の「ふれあいホール」で行われました。
ご家族のお礼状によりますと、「3月22日に救急車で病院に運ばれ、4月8日に家族に見送られることもなく、逝ってしまわれた」とのことです。コロナ禍の早い時季の犠牲者でした。



大きな団地の管理組合の役員をされていたようで、地域の住民の方が「お別れの会」を企画し、半年遅れで実現しました。
入退場に消毒、体温の申告など、コロナ対策を万全にしての会でした。

参列者が蜜になることを避けて、30分刻みで 4グループに分かれて進められました。



献花も距離を開け、ご遺族への声掛けも禁止でした。
献花の後、故人の生前の様子を記録した「お別れムービー」を見ました。

家族や海外旅行、職場の仲間の記録、管理組合での活動などが映し出されていました。



Tさんは囲碁が趣味で、私より強かったようです。一局打ちましたが、私が負けた記憶があります。年金者組合の埼玉県の囲碁大会で無差別級で優勝していました。
今日、初めて知ったのですが、Tさんは新潟県魚沼の出身で、日本酒が好きだったそうです。
リタイアー後は団地の川柳の会にも入ったようです。

古希前に 酒席の縁で ジジ川柳

いくつか紹介された川柳の一つです。「ジジ」は 爺 と 時事 とをかけていたのかも知れません。
でも、地元の団地に根を下ろし、地域の方々の為にも尽力したTさんには頭が下がりました。私には出来ない事です。

私よりひとまわり以上若いTさん。もっと囲碁を打ち、日本酒を飲みかわしたいと思いました。
最後にTさんも愛飲していた新潟県の銘酒「緑川」を試飲してお別れしました。

Tさんのご冥福を心よりお祈りします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

繰り返すまい、「真珠湾攻撃」

2020-09-12 15:18:35 | 憲法9条、大好き!
退陣を表明している安倍首相が、「安保政策を転換し、敵基地攻撃能力を持てるようにすべきだ」との談話を発表しました。次期、首相に結論を年内に出すよう促しています。

私は、日本が敵基地攻撃能力を持つことは、憲法9条からも、専守防衛にも反することで許されないことだと思います。ましてや、仮想敵国に先制攻撃をするとなれば明確な国際法の違反にもなります。
1937年生まれの私は、1941年12月の日本軍のアメリカのハワイの・真珠湾攻撃のことは知りません。でも、「敵基地攻撃」は、真珠湾攻撃と同じことを日本がまたやろうとしているとしか思えません。再び、日本を戦争する国にすることに、私は、戦争体験者のひとりとして、反対し続けます。

東京新聞の「敵基地攻撃」の想定図です。



真珠湾攻撃について、埼玉・毛呂山町のHPにこんな記事が載っていました。併せて読んでみてください。

 真珠湾攻撃と太平洋戦争
1941年 (昭和16年)、日本海軍の戦闘機や爆撃機をつんだ航空母艦や戦艦などからなる優れた技術を持った部隊が現在の北方領土の択捉島から出発し、ハワイの真珠湾に向けて出発した。石油の輸入を止められた日本はぎりぎりで、なんとかアメリカ合衆国と話し合いで解決できないかと交渉したが、しかし、交渉が決裂すると、12月7日の朝にハワイにあるアメリカ軍基地を奇襲し、太平洋戦争が始まった。軍の中にもアメリカとは国力に差があることから長期に戦うことは不可能として反対したものもいたが、真珠湾攻撃等により短期間に大きな被害をアメリカに与えることで戦意を失わせ、講和を有利にすすめたいというのが日本の考えであった。奇襲攻撃による大きな成果をあげたと評価した日本であったが、本来の標的であった航空母艦を攻撃することができず、また、燃料タンクなどは攻撃しなかったことが、アメリカにとっては不幸中の幸いであった。奇襲により大きな被害が出たアメリカでは「リメンバー・パールハーバー (真珠湾を忘れるな)」が合い言葉となり、逆にアメリカ国民が結束する結果となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする