「敗戦真相記 予告されていた平成日本の没落」
永野護著
バジリコ刊 1000円+税
歴史的な名著「失敗の本質」が、ふたたび脚光を浴びています。
そして、今、スポットライトを浴びているもう一冊・・・敗戦真相記。
昭和20年9月に永野護氏により行われた講演をベースとした本書は、日本人論としての教訓、示唆をあたえてくれます。
永野護氏は、1890年生。
実業家であり政治家。
東京帝大法科を卒業後、明治の大実業家渋沢栄一の秘書となり、会社社長を歴任後、戦前・戦後で衆議院議員、参議院議員をつとめます。
新日本製鐵会長、五洋建設会長、日本航空会長、参議院議員、IHI副会長の5名の実弟がいるとのことです。
永野氏は、同著の中で日本の敗戦の理由を大きく3つ指摘しています。
1.日本の指導者がドイツの物まねをした。
3.軍部が己を知らず敵を知らなかった。
3.世論本位の政治を行わなかった。
日米戦争の開戦時、鉄鋼だけの物資だけ見ても米国は20倍。
しかも、その鉄でさえ、陸軍と海軍が奪い合うという国家最適な活用がなされていなかったとのことです。
さらに、近代兵器の差異、ラジオロケーター(レーダー)、原子爆弾といった科学兵器の差が決定的な敗因となったと指摘します。
永野氏は、これらの敗戦の主因を受けて、
「このような科学兵器の差というものは目に見えるから納得するが、目に見えないで、もっと戦局に影響を及ぼしたものはマネージメントの差です。残念ながら、我が方には、いわゆるサイエンティフィックマネジメントというものが、ほとんどゼロに等しかった。」
「この経営能力が、科学的兵器の差よりひどい立ち遅れであって、この代表的なものが日本の官僚のやり方でしょう。」
と指摘します。
また、永野氏は米国のニュース映画のタイトルを引用します。
東京大空襲(米軍により民間人を中心に10万人以上を殺戮)の映画のタイトルが日本であれば「日本空襲何々隊」というところを「科学無き者の最後」としていると。
精神論、根性論だけでは通用しないことを指摘します。
ここでいう科学とは、自然科学だけではなく、社会科学、人文科学を含んだものだと思います。
「科学無き者の最後」という言葉。
深く胸にしみるキーワードです。
なぜ、アジアの新興国のメーカーに負けるのか?
なぜ、デフレ経済がこれほど続くのか?
なぜ、領土問題がこれほどこじれるのか?
なぜ、少子高齢化に歯止めがかからないのか?・・・
すべては、永野氏の指摘した日本人としての教訓、示唆が活かされていないと思います。
当時昭和20年9月は、日本全体が焦土となり、7000万人の日本人のうち1000万人が餓死するといわれた食糧問題、各国への賠償問題、生産設備も原材料もほとんどが失われた産業経済問題、インフレ問題、失業問題・・・。
かなり絶望的な状況にあった日本。
その中で、永野氏は敗戦の主因を分析するとともに、日本の将来について語ります。
なるほど、われわれは武力を失った。
武力を持たぬ限り、従来の意味の大国として立ち上がることは不可能でしょう。
しかし私は、この第二次世界大戦が終わった後もなお死に物狂いで原子爆弾の研究か何かを続けなければならない、いわゆる大国というものが、それほど幸福であるかどうか、疑うものです。
これは決して負け惜しみでもなんでもない。
われわれは、戦いには敗れたけれども、そして戦いの不幸なる贈り物であったけれども、国民としては人間の威厳を取り戻した民主主義的な生活を創造することができるし、国家としては日本本来の平和国に邁進する道が開かれたといえるでしょう。
(中略)こう考えてくると、私は戦争の廃墟の上に再建さるべき新しい日本の前途に洋々たる希望を持ちうるのであります。
科学と道義の裏付け無き独善的民族観が今日の悲運を招いた戒めとしたのであって、
われわれが万世のために泰平ほ開くの御聖旨を泰戴して、
新しい平和国家の方向に立ち上がるならば、
必ずや、御民、我れ生けるしるしあり、の日を迎えることを確信することはいま、この書を読み終わった読者諸君と同様であります。
経済的にも、政治的にも厳しい厳しい局面に立たされている日本。
敗戦直後に永野氏が語った日本再出発に向けての提言を活かさない手はないと思います。
日本人として、今こそ読まなければならない一冊だと思います。