僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(4/5)タマ危篤の知らせ。

2007年04月05日 22時39分40秒 | ネコ
今、
ネコの病院の先生から電話があった。
この時刻の
電話は不吉である。

タマがよくない。
先生は今も傍についている。
よだれが出て鳴いているという。
明日
どうするかを話し合いに行く。

最期をどこで看取るかということ。
このまま治療を続けても
おそらくは回復できない。

マミが亡くなったときは
病院だった。
駆けつけたときは亡くなった後だった。

ロッシは
先生と話して
私は家で看取ろうと思い
連れて帰ってきた
その1分後亡くなった。
思い出の場所の道をカゴから見せながら
家に入ったとたん
カゴから出そうとした時に
亡くなった。

タマも連れて帰りたい。
明日連れて帰ってくる。
タマの実家にも知らせておかねばならない。

覚悟している。
そう自分に言い聞かせている。
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(4/5)うちの物壊れていく。

2007年04月05日 21時53分54秒 | Weblog
コンバンワ。
4月はついていない、と
書いたのですが

次々と
うちのもの
壊れていっています。

給湯器

そしてお湯が使えないので
久しぶりに
食洗機を使ってみたら
途中でピーーと鳴って止まった。
中を見ると
洗浄してすすぎの段階で止まっていた。
下に汚水がたまったまま。

冷蔵庫

冷凍されないし
野菜庫もぬるい


まず大口のものはこれら。

どれも古いから
寿命が来てあたりまえの時期。

すぐに換えられない懐事情。

というわけで
原始的な生活に戻ります。

昔の人は
冷蔵庫もなかったんですよね。
給湯器や
食洗機なんか
ぜいたく品ですよね。

とは言っても
2階の冷蔵庫はもっと古いのに
今でも現役です。
だからこっちに持っていきます。

洗うのはまだ水が冷たいので
お湯を鍋に沸かして
洗います。

何とかなります。

そういえば、さっき
ドーンと地響きしたのですが
食洗機が壊れた音かと思ったら
地震だった。
前触れなしに
下から突き上げてきました。
久々の地震。
ネコもびっくり。

優先されるべきは
タマの入院費。
一体幾ら請求されるのかと
ビクビクものです。
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(4/5)ネコの行方②

2007年04月05日 12時34分50秒 | Weblog
(続き)

私は黙って聞いていた。
彼女のつらい気持ちは
これまで揺れ動いてきたのを
見てきたから
わかっていたが、
それでも腑に落ちなかった。
これまでの言動は
ネコ3匹と死ぬまで
穏やかに暮らせるような
生活を望みたい
というのがベースだった。
それが
2匹を手放すと言う。

私の意見を言った。
手厳しい発言かもしれなかったが
これまで手助けという形で
来たが
感想を含めて言った。

1つ。
ハルはもともとうちのネコだから
返す
というのは道理に適っているようで
残酷なことである。
ハルはもうそちらのネコであるという
認識を持ってほしい。
ハルは確かにそちらに遊びに行くことで
居心地が良くて居ついてしまったかもしれない。

(話の途中で、奥さんは、もともとハルはノラだったから
 その辺に放しても生きていけるようなことを言ったので
 びっくりした。ノラ出身でうちに来たネコである。
 よってうちのネコだった、というのが正しい。)

私がこれまでハルがあちらに出かけていたとき
何回も迎えに行った。
すると奥さんは
「ハルちゃん、おとなしくてカワイイから
 うちのネコになってもいいんだ。」
とそのたびに言っていた。
彼女自身手放したくなかったようだった。
曖昧なまま
もうハルはあちらのネコ化してしまった。
私が行ってもハルはそそくさと
姿を隠した。
その寂しさがあった。複雑だった。
かと言って奥さんと険悪になるのもいやだった。
うちのネコだから返してくれと言うのは
よくないと思ってきた。
それだけのんびりとした空気はあった。
お互いにハルの良いようにさせてあげようと
いう暗黙の了解があったと思っていた。

複雑な気持ちというのはなぜかと
いうと
うちに
タマとマゴタマがいるのだが
このネコたちは
うちの2軒先のネコだった。
可愛がっているうちにうちに居ついてしまった。
その時の向こうの飼い主の気持ちが
わかるようだった。
自分の家がいやで近所の家に居つくと
いうのは寂しいし複雑だ。
しかし
その飼い主は日中留守にしたり
出張が多く
ネコは1つの部屋をあてがわれて
ずっと1人でいる。
そのストレスは凄かったらしい。
多忙な飼い主がようやく帰ってきても
ネコの相手もできず
ネコ自身、たまに外に放たれたときに
解放された気持ちになって
うちの庭に遊びに来ていた。
そして連れ戻したときに物凄い声で
抵抗され
これはうちに来たほうがネコのために
いいと思って
2匹をよろしくと依頼された。
まだ細かいいきさつはあるのだが
そういう体験を私自身している。
そして今は私は
タマもマゴタマもうちのネコとしての
認識で育てている。
うちで最期を看取ろうと思っている。
仮に引っ越すことになっても
うちのネコとして連れていくつもりである。
そちらのネコだから返します、とは
言えるわけがない。
もう彼らもネコがいなくなって
仕事に専念できる生活を10年以上しているから
今更返す、と言われたら
話が違う、となるだろう。

そのぐらいの覚悟で飼わなくてはだめだと
いうことである。



そして今回の件。

まあ苦肉の策として
ハルを返すということなのだろう。
しかし
その認識の軽さに
私は驚いた。
「お宅のネコだから返す。」
という言葉の響きに
ハルがかわいそうになってしまった。
その辺に置いていかれては
ますます可哀相だ。
その軽さ、
人の気持ち一つで置いていかれる
という存在の軽さ

私は心の中では
ハルを引き取ろうと考えていた。
しかしどうなのだろう。
こんなに勝手に
軽々しく扱われるものなのだろうか。
いや
よくある話だ。
世間ではそういう話は尽きない。
もっとひどい状況もあるようだ。
私がショックだったのは
この奥さんがそういう気持ちを
抱いてしまった、ということに
驚いたんだ。

私は口にした。

「奥さんが、以前飼っていたネコ2匹(もう亡くなっている。よく泣いて話を
 してくれた)を
 遠い(東北の最北端)所からこちらの街まで
 高速道路を何万円もかけて
 タクシーで連れてきたという話を聞いたとき
 この人は本物だ、と思ったんですよ。
 よく、引っ越す時に捨てていく人が多いでしょ。」
と。
 
ところがどうしたことだろう。
あれだけ悩んで3匹を連れて穏やかに
暮らせる所を探そうとしていたのに
最悪の選択をしたような気がする。

ハルのほかの2匹のネコは、奥さんが
へその緒をつけたまま捨てられているのを
保護したりした
いわば命の恩人であり、それだけ
可愛がって育てられてきたネコである。

そのうちの1匹を選択し
他は誰かに飼ってもらうことに
決めたということである。

それもまたある意味
捨てられるよりはいいのかもしれないが
そういう問題ではないような気がする。

私は言った。

「近所の奥さんがどんなに○○を可愛がってくれても
 いざ、飼ってほしいと頼まれれば構えるはずですよ。
 可愛がるのと飼うのとでは気持ちの持ち方が違いますからね。
 病気もすれば、食餌代など経済的な負担をかけるし、精神的な
 負担もかける、そういうところをどうお願いするかですよね。
 家族の同意も必要ですし。でもだめもとで頼んでみては。」

「ハルをうちに戻すということを簡単に言うけれど、
 それは大変なことなんですよ。ネコ同士は少しでも離れて
 生活をすると、たとい親子でも、喧嘩をしたりいがみあったり
 ストレスになったりするんですよ。
 それでなくてもハルは3年ぐらいうちに寄り付いていないし、
 その間に、ハルの知らないネコ(シンノスケやシマトラ、タヌ
 ダイジロー、トモ)がうちに来ている。彼らと合わないのが
 目に見えている。小さいトモを受け入れる時だって、彼らは
 ストレスになって下痢が続いたし食欲もなくなって病院に
 かかったんですよ。成猫同士の難しさがあるんですよ。引き取る
 ことによって奥さんは助かるかもしれないが、今度は引き取る側の
 日々のストレスが待っていることを認識してほしい。」

そこまで詳細に説明しなかったがそういう含みで言ったつもりである。
うちに何匹もいるから、2匹ぐらい増えてもいいだろうという
認識の甘さに、忸怩たる思いがある。
物理的にうちでも引き取るとなれば
キャパシティの問題がある。
相性の合う合わないで、一度も合わせていないネコ同士のもいる。
1階と2階でも2つずつ分けている。
どこもネコがいる部屋である。
しかも室内飼いが鉄則だからストレスがないように
どのグループにも2つ以上の部屋を開放している。
そこにハル(またはもう1匹)が来たとしても
彼らを引き受ける部屋がないのである。
ましてや
彼らのネコの飼い方は
外と家の中を自由に出入りさせ
排泄も外でさせていた。
その習慣のついているネコを引き取るということは
室内飼いをしている者にはまた大変なのである。



さてもう1つの私の感想を。

彼らの経済力はわからない。
中古物件を買うと決めたときに
もうローンは組めない年齢だから
現金でしか買えませんよ、と言った。
すると安い物件なら何とか買えると
言うので、それならなお安心ですねとも
言った。
彼らに子供はいない。
実家も遠い。
こちらには親戚もいない。
だから
ここで思い切って自分達の余生を
安心して暮らせるためにも
使ってもいい決断だったようだ。
お金が無ければ、それはしかたないことだ
そこから出発思考すればいい。

しかし
躊躇の一因は
果たして今買っても、何年生きるかわからないから
無駄ではないかという気持ちだった。
これも
道理に適った迷いの言葉である。
なるほどそうとも取れるかもしれない。
そして、具体的に自分たちは今何歳だから
あと生きられるのは10年ないかもしれない
または5年かもしれない、などと
老い先の短いことを口にする。
その上で計算している。
例えば1千万の物件を買ったら
もし10年生きたらとか5年生きたらとか
そんな計算をする。

私はでは借家であてはめたらどうか、と尋ねた。
10年とか5年とか
人間が幾つまで生きるかは
誰も本当はわからないことを
漠然と平均的な寿命で計算することの空しさ。

同じ計算を
売家と
借家であてはめてみる。

(本当は馬鹿馬鹿しいかもしれないが論理的に
 問いただしたかった)

借家にして10年生きたとしても
遺産として現金が残る。
それを誰が引き継ぐか。
結局今付き合いのない親類が
出てくるのである。
自分達は愛するネコたちと
離れ離れになって
しかもその借家に10年住める保障はない。
今回のようにいつ立ち退くかわからない
所に住んで亡くなっていく。
自分たちの使うべきお金を使わずして
他者に渡っていく。

もし売家にして10年生きたとして
土地が残る。
その土地の処遇はわからない。
親類が処分するだろう。
しかし
彼らは10年安心して
ネコたちと夫婦で
住まいのことや、柱のつめとぎのことも
気にせずに、穏やかに暮らせる。
自分達の余生のためにお金を費やしたことになる。

その考え方、受け止め方の違い
もっと言えば
どう余生を精神的に安楽に暮らすか
の選択の違いである。

それを強要しようとは思わない。
私は意見を求められれば
自分の考えを言った。
それだけのことだ。

今回の立ち退きの件で
精神的に参ったと言う奥さん。
ならば
あとの余生をお金があるなら
その安定を買うべきだと
思ったが
もう私は言わなかった。
言えば
惑わすだけである。
彼らの選択を私が阻止する権利は
全くない。

昨日
別なことであちらに
訪れた。
そして
だんなさんもいたので
尋ねた。

彼の言ったことは

「人間を取るか
 ネコを取るかと考えたら
 人間を取るのが当たり前でしょう。
 トモロッシさんはそれが不満の
 ようですが。」

とのことだった。

ごもっともだと思った。
この
「人間を取る」という
言葉がまるで
何も言わせまいとして
響き
ああ、こういう時に使う言葉なのか
と思って
私は
わかりました、と退出した。

人間を取るか
ネコを取るか
という
究極の選択に迫られたとは
とても思えない顛末だった。

両方取る選択もあったはずだ。
人間を取ったことで
ネコが犠牲になり
そのネコを受け入れる人々が
今度は苦労を負担していく。

そういう考え方の人は
幾らでもいるというのは
よくわかっていると何度も
書いてきた。

その反対側にいる彼らだと思って
つい10日前までは
そういう彼らだと思っていたのが
豹変したことに
私は衝撃だったということだ。

ハルが外にいた。

「ハルー!」と呼びかけた。
ハルたちは
何も知らない。
今起こっていることを。

不憫でならなかった。
でも
ハル、私がいるよ。
そして
もう1匹のネコ。
選別されて
別れて暮らすことになるネコ。

何とも
後味の悪い顛末だった。

もう何も語るまい。
彼らの生き方なのだから。
そして
私は
うちにいるネコたちに声を
かけた。
たといこれから
何があっても
最期まであなたたちを
面倒みるよ、
その覚悟で拾ったんだよ、と。

また
人生の1つの経験をした。








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(4/5)ネコの行方①

2007年04月05日 10時30分22秒 | Weblog
さて。
夜中の続きである。
2つ目の心の重くなった点である。

ここで昨年秋ごろから
登場する近所の老夫婦の立ち退き問題のこと。
それを私もいっしょに
解決する方法を考えてきたことを
時折書いてきた。

つい10日ほど前には
非常にいい状態で
解決できそうだと書いた。

借家として入っている
今の家が
今度取り壊され土地を売ることに
なったので
その老夫婦は5月まで
そこを出なくてはならない。
昨年の10月ごろだったか
奥さんが私の所に
どうしょう、どうしょうと
相談に来た。

彼らとは
ネコのことでよく行き来していた
仲だった。
うちのネコ
ハルがあちらに居ついてしまい
彼らも可愛がって
自分の家のネコにしてしまった。

そういうことがあり
ネコを3匹飼っている彼らが
これから住む場所を探さなければならず
私もできるだけ協力しようと
言ってきた。

私にはいつも
こういう問題を相談できる
不動産会社を経営している知人がいたので
「ネコを3匹飼えるところを探してほしい。」
と打診してみた。
そして
その知人が
「じゃ、うちのマンションの1階の部屋が
ちょうど空いているので、庭もあるし
使っていいですよ。」と
簡単に引き受けてくれた。
そして奥さんとともに見に行ったのである。
6畳2つ。台所6畳。4畳半洋室。
老夫婦2人が住むにはちょうどいいし、
何よりも3匹のネコを無条件に飼ってもいい
と言われ、庭も工夫して放すことが
できるし、他の居住者も動物を飼っているので
苦情もほとんど出ないだろう。
買い物も歩いて3分の所に
大型スーパーがある。
バス停目の前。
何よりも管理人が知人であるから
安心であった。

・・・のはずが
老夫婦は、足踏みしてしまった。
もちろん
当時はまだ期間があったために
他の物件も探してみようとなったわけだが。
今考えると
本当にそこに決めなかったことが
惜しまれる。
その後の苦労を考えると。

私の他にも
老夫婦の友人に
不動産の紹介を頼んでいて
そこでも探してくれるということだった。

私はネットを駆使して
ネコの飼えるところの物件を
探し、コピーして
その都度持っていった。

それを元に
その物件を見に行っていたが
坂を上るのが大変だとかで
気乗りしないようだった。

一番の問題は
ネコを飼えるかどうかであった。
それが彼らの願いであったはずだった。

なかなか決まらないと
気がふさぎこんでいた奥さん。

そして
年が明けて
奥さんが耳打ちをする。

「中古を買う方向で
 調べてほしい。」と。
まだ
夫には言わないようだ。

「わかった。それだったら
 かなり範囲も広がるね。」
と私は言って
中古物件を買う方向で
ネット検索をした。

そのくだりは
ここにも書いてきた。
脱線して
自分も田舎暮らしを
したらどんな物件がいいかなどと
調べたりしていた。

そして調べたものをコピーして
奥さんのところに持っていった。

でも肝心なのは
奥さん1人で、買う方向で
進めていっても解決には
ならないから
だんなさんと向き合って話したほうが
いいよ、と伝える。

そして夫婦2人で話し合い
買う方向で進めていこうとなり
それを聞いて
一番いい解決方法だね、と
私も気持ちが明るくなっていった。
それが
3月27日の日記に書いてある。

ネコのために
自分達はどんなに古くても
いい、ネコが伸び伸びと
暮らせて
柱やふすまなどを引っかいても
文句言われないような
暮らしをしたい
自分はネコがいたから
こうして生きていられる

そういう言葉を何回も
聞いてきた。

不動産取得の手続きが
非常に面倒なようで
それに躊躇していたが
それは
不動産の人や司法書士などが
やってくれるから
心配しないで
何か書類などを取りに行くのに
役所で手間取るのがいやなら
私も付いていくから

と励ましてきた。

そして
あのブログの後
数日して
また新しい物件のコピーを
10枚ほど持っていったときに

「決まったのよ、急に。」
と言う。

え?と思った。
借りる方向になった、と。
他の知人の紹介で
今住んでいるところから
20分ぐらいの距離の
貸家が見つかったということだった。
それはそれで
良かったのだが・・・・

「ところが
 ネコ1匹だけなんだ。」

今までそれで
あきらめてきたことを口にした。
今まで
見た所は
動物可で調べて
ネコ複数はダメダということで
断念してきたのに
だから中古物件を買おうと
夫婦2人してその決意が
あったと思ったのに

なぜ
1匹だけ可の
所を選んだのか。

私はキョトンとしてしまった。
よく理解できなかった。

説明されたが
頭によく入らなかった。
それで
他の2匹をどうするんだ、と
聞く気にもならなかった。

「そうですか、わかりました。
 一応中古物件のは置いていきますね。」
と挨拶をして
帰ってきた。

その2日後
つまりは
一昨日である。

夕方
奥さんが来た。

「トモロッシ(私の本名で)さんに
 お願いがあって来たんだ。」

私は
お願いの中身は
言われなくてもわかった。

つまりは
2匹引き取ってほしい、と
いうことだ。

「ハルはもともとそっちのネコだし
 返せばいいかな、と思って。」

まずその言葉にも反論したくなったが
まずは聞き続けた。
もう1匹もできればお願いしたい、とのこと。
もしダメだったら
うちの裏で○○(ネコの名前)を可愛がって
くれていたからお願いしてみるけれど
まず、トモロッシさんに頼んでみようと
思って、とのこと。

私は彼女の話を聞いて
不可解だった点を聞いてみた。

なぜ
中古物件を買うと夫婦2人して
決めたはずなのに
何日も経たないうちに
借家に決めたのか。
しかも3匹可の物件なら
まだ理解できたが
1匹のみ可の物件を
性急に決めた心の変化が
理解できていなかった。

その答が知りたかった。

「もうそこしかないもの。
 そこを手放したらもうないもの。
 こことあまり離れていないし、
 いろいろとわかっているし、
 キレイだし、
 家賃も今と変わらないし、
 去年から調べてほとほと
 疲れてしまったんだ。」

これは答になっているだろうか。
気持ちはわかるが
ネコをどうするかの答になっていない。

中古を買うことはやはり躊躇する
私たちはあとどれだけ生きていけるか
わからない、それで買ってもその後の
処理を考えると・・。

とのことだった。


(次のページに続く)
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(4/5)4月は不運な私。

2007年04月05日 08時57分09秒 | Weblog
おはよう。
今日は朝から陽射しのある
さわやかな空。
しかし空気は冷たそう。
花冷えである。
昨日は関東などを中心に
荒れ模様だったと
ニュースを見て
初めて知った。
こちらは
そういう気配もなく
少し暗雲があったくらいで
荒れ模様というのは
なかった。
それが
夜のニュースで
トップになるような天候だったとは。
東京は4月の雪だったとのこと。
このあいだはどこかで暑かったと
いう気温だったが
どうも気象の異常は続いているようだ。

今洗濯をしている。
4月に入って
いやなことが連続している。
私の4月は
いつもこうだ。

昨年も一昨年も
この時期に
不快なことが連続した。
これは自分の誕生日に
書こうと思ったのだが

昨年の4月9日
日曜日
うちの庭で
車が暴走し
隣との境界の塀を破壊した
日だった。
80歳過ぎたおじいさんの車である。
危うく
家に激突するところを
それを避けるように急カーブして
塀に激突である。
自転車は破壊された。
停めてあった車の後部も歪み
修理に出した。

激しいドーンという音で
昼寝をしていた私は
何事かと起きたのを
覚えている。

このおじいさんに駐車場として
貸していたのだが
1ヶ月に1回ぐらいしか
動かさないために
いつも危なっかしい
運転にハラハラしていた。
それがとうとうこういう形で
廃車にすることになったおじいさん。

何がいやだというと
その後のあれこれの
交渉である。
おじいさんもあわてているせいか
要領を得ないのである。
同じことを何回も繰り返して
話が進まなかった。
どこにどう電話をしたらいいのか
わからず
私と隣のおじさんとともに
保険会社への交渉である。
こういう場合
慰謝料というのはなく
壊れた所の現状回復だけの
審査であった。
まだ薄寒い時期に
もし家が中途半端に壊れていたら
と思うとぞっとした。
そして塀の破壊は
隣の家との絡みもあって
そういうことで
散々話してきた前年があり
またも
交渉しなければならず
もつれることを避けなければ
ならなかった。
あの時の気持ちを
考えると
どうも
自分の誕生日って
いいことない、と振り返ってしまった。
4月は次々と
災難がふりかかるし
心も不安定になる。

今朝はとうとう給湯器が壊れた。
1階の風呂と連動しているのだが
以前応急処置をしてもらったが
業者は、もう換え時だと言っていた。
それを騙し騙し使っていた。
今朝、とうとう壊れた。
まだ水だけで食器を洗うのは
冷たすぎる。

昨日一昨日の問題も
整理できていないうちに
次々と難問題が襲ってくる。
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(4/5)タマの病気。

2007年04月05日 00時52分58秒 | ネコ
夜中のブログです。
今日(日付は変わったが)、
いやな気持ちになったことが
2点あった。
その気持ちの処理等で
なかなか落ち着ける時間が
なかった。

まず1点は
タマのことである。

今日午前中に
病院に電話をして
様子を聞き
もしかしたら
退院できるかもと思い
そのつもりでいた。

しかし
電話の中身は
芳しくなかった。
治療後の検査の結果が
あまり良くなかったのだ。
数値が60を越えたら
覚悟をしておいたほうがいいと
先日言われたが
治療後でも数値は下がるどころか
上がって、60を越えていた。

食欲はあり、
おしっこの出も良くはなっていると
言っているが。
あと2日ほど治療をして
土曜日にまた様子を見にいくことになった。

ある程度
覚悟はできているつもりだ。
年と言えば年である。
老ネコの致命的な病気
腎不全になれば
完全治癒というわけにいかない。
むしろ
苦しさを何とか軽減してやることの
治療とでも言うべきか。

病院に行く前日まで
元気だったので
そのような実感がまだ
迫ってきていないのだが
毎年
冬を越してほしい
来年も元気であってほしい
20年生きてほしいと
願ってきた。
タマなら
それを果たせるような気がしていた。
が、
いよいよ
現実的に考えなければならない。

まだ入院してから
タマの顔を見ていないので
何とも言えず。
うちに帰ってきて
また食欲も出て
おしっこもきちんとできて
外で散歩したり
いっしょにかくれんぼをしたり
いつもの姿に戻ることを
祈っている。

これまで私は
数匹のネコの最期を看取った。
それらの悲しみを乗り越えてきた。
悲しくて悲しくて
何ヶ月も、穴が開いた気持ちが
続いたこともあった。
でも
生きている側の自分への
慰めとして
一生懸命手を尽くしたのだから
最期は幸せなネコだった、と
思うようにしてきた。

命があるものは
人間初め
いつか朽ちる。
朽ちるまでどれだけ
頑張れたか
手助けできたか
しか
生きている側のやるべきことは
ないのだ。
朽ちたら再生することは
できない。
有限のものである命。
それを心して
やってきたつもりだ。
今まで育ててきたネコたち
からの
学習もした。
食餌の問題、
家の中での飼いかた
ストレス解消の仕方
抜歯のこと
愛情の掛け方
病院への掛かり方
他のネコとの関係等
失敗や後悔から
学ぶものがあった。
その学習を
今いるネコたちに
施している。

タマはうちに来たときは
成猫だったが
若いときの病気も克服してきた。
あとは
家で静かに穏やかに
朽ちることができたらいい
と思ってきた。

でもまだそういう
段階ではないので
これから
まだ頑張るつもりです。



もう1点は。
これはカテゴリーを
変えて次に書きます。
おそらく
長くなるので
朝以降に書きます。
もう1時近いので
ひとまず閉じます。
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