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たまねぎの収穫の後の風景。青いシートで覆っている。
自然の中の青の色が強烈だ。
これがあちこちに広い畑に点在していて、それさえも
北国の風物に思える。
北海道の空は広い。
広いから
雲の様相が面白い。
天候は
それほど良くはなかったが
雨にならず
半袖で過ごすことができた。
滞在した4日間は
裸足でサンダルでも十分過ごせた。
寧ろこちらに帰ってきたときのほうが
寒く感じて
靴下をはいて過ごしている。
今回の旅の目的は
両親の付き添いで、母方の墓参である。
私が付き添っていかなくてもいいんじゃないか、
仕事が一番忙しいときになんで私が行かなくてはならないのか、
しかも一番私が行きたいところの苫小牧をはずされているし、
などなど
小さな不満もあったのだが
行って正解だった、と思った。
母はこの通り脳梗塞の後遺症で
言語の障害あり。
普通に暮らす分には難儀しないが
こうして家をいったん出ると
彼女の行動に不安がたくさんあったと気づかされた。
具体的に言えば
トイレの問題である。
緊張してトイレに行きたい、となるが
トイレに入っても
どれがレバー(あるいはボタン)かわからない。
わからないとパニックになって
私を呼ぶ。
だから先に、私がレバーなどの確認をして
用を済ませたらこれを押せばいいんだよ、とあらかじめ
見せてやらなければならない。
親類の家にても
何回か入っているにもかかわらず
ふと忘れてしまって
トイレから呼び出されることがあった。
おみやげを買いたくても
お金の計算ができない
レジがわからないなど
細かいことでプチパニックになる。
はあ、そうかあ、母はこんな感じになるんだ、などと
心で再認識しつつ
母の手を握って歩いた。
父は父で
杖をつきながらの歩きである。
段々
荷物が重くなっていき
私は3人分の荷物を背中に手に持つ羽目になった。
とてもとても
両親だけで北海道に行くことはできなかったと思った。
身体が不自由でありながら、頭は正常な父でさえも
ホテルにて
前夜、入ったにも拘らず
翌朝再び温泉に入ろうとしたら
「トモロッシ、温泉て何階だっけ。」と聞く。
「1階でしょ、お父さん。」
1階にしかない風呂。
6階だったか、8階だったかのことじゃない。
1階である。
父よ、おまえもか、と健忘症に不安を感じた私だ。
そんな両親のフォローをしつつ
私は
従兄弟たちに会えたことに喜んだ。
そして
母の最大の目的の1つ
母の弟(今では唯一残っている兄弟である)との再会に
母も
叔父も手放しに喜んでいた。
その姿を見て
本当に来てよかった、と思った。
母の頭がまだ多少正常なうちに
自分の弟を認識できるうちに
この旅行を逃したら・・・というのが両親の思いだった。
二人の肩を組んだり
手を取り合ったり
満面の笑顔の写真をたくさん撮った。
これが一番印象的だなあ。
叔父は
ワンマンで、粗暴で、せっかちで、気配り命令で、
周りを翻弄する性格である。
その父親がこんなに笑って、皆と過ごせるなんて、と
従兄弟は驚いていた。
よほど嬉しかったのだろう、と従兄弟も喜んでいた。
私は
叔父のそれらの行動が全部ギャグに見えて
笑いすぎだ。
叔父のやせ細った背中や肩を揉んであげる。
私より体重が軽い。
私の生みの母親(叔父とは姉弟)の生き方に痛烈な批判をしていた人だ。
「もっと食べて、長生きしてね。」と言うと
「トモロッシ、だんなと別れて、うちの息子(私の従弟ね)といっしょになれや。」
とつぶやく。
それもギャグとして私は受け止めて
「うちのだんなが可哀相でしょ。」と笑う。
従弟はバツ2。
どんな人生だったのでしょう。
3人の子育てをしている。
父が持ってきた
カラオケセットをテレビにつないで
年寄りたちのカラオケ大会が始まった。
どうりで、父の旅行バッグがズシリと重かったわけだ。
そのカラオケに乗りまくって
叔父も母も、親類のおじさんも歌いまくっていた。
叔父がテレもせず、歌いまくっているのを
家族が驚きの表情で見守っていた。
よかったね、お母さん、叔父さん。
二人がこんなに楽しんで再会できたことを
私も
叔父の家族も感激しています。
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北国の空、どこを撮っても美しい雲。
曇り空さえ美しい。
旅の話はまだ続きます。
自然の中の青の色が強烈だ。
これがあちこちに広い畑に点在していて、それさえも
北国の風物に思える。
北海道の空は広い。
広いから
雲の様相が面白い。
天候は
それほど良くはなかったが
雨にならず
半袖で過ごすことができた。
滞在した4日間は
裸足でサンダルでも十分過ごせた。
寧ろこちらに帰ってきたときのほうが
寒く感じて
靴下をはいて過ごしている。
今回の旅の目的は
両親の付き添いで、母方の墓参である。
私が付き添っていかなくてもいいんじゃないか、
仕事が一番忙しいときになんで私が行かなくてはならないのか、
しかも一番私が行きたいところの苫小牧をはずされているし、
などなど
小さな不満もあったのだが
行って正解だった、と思った。
母はこの通り脳梗塞の後遺症で
言語の障害あり。
普通に暮らす分には難儀しないが
こうして家をいったん出ると
彼女の行動に不安がたくさんあったと気づかされた。
具体的に言えば
トイレの問題である。
緊張してトイレに行きたい、となるが
トイレに入っても
どれがレバー(あるいはボタン)かわからない。
わからないとパニックになって
私を呼ぶ。
だから先に、私がレバーなどの確認をして
用を済ませたらこれを押せばいいんだよ、とあらかじめ
見せてやらなければならない。
親類の家にても
何回か入っているにもかかわらず
ふと忘れてしまって
トイレから呼び出されることがあった。
おみやげを買いたくても
お金の計算ができない
レジがわからないなど
細かいことでプチパニックになる。
はあ、そうかあ、母はこんな感じになるんだ、などと
心で再認識しつつ
母の手を握って歩いた。
父は父で
杖をつきながらの歩きである。
段々
荷物が重くなっていき
私は3人分の荷物を背中に手に持つ羽目になった。
とてもとても
両親だけで北海道に行くことはできなかったと思った。
身体が不自由でありながら、頭は正常な父でさえも
ホテルにて
前夜、入ったにも拘らず
翌朝再び温泉に入ろうとしたら
「トモロッシ、温泉て何階だっけ。」と聞く。
「1階でしょ、お父さん。」
1階にしかない風呂。
6階だったか、8階だったかのことじゃない。
1階である。
父よ、おまえもか、と健忘症に不安を感じた私だ。
そんな両親のフォローをしつつ
私は
従兄弟たちに会えたことに喜んだ。
そして
母の最大の目的の1つ
母の弟(今では唯一残っている兄弟である)との再会に
母も
叔父も手放しに喜んでいた。
その姿を見て
本当に来てよかった、と思った。
母の頭がまだ多少正常なうちに
自分の弟を認識できるうちに
この旅行を逃したら・・・というのが両親の思いだった。
二人の肩を組んだり
手を取り合ったり
満面の笑顔の写真をたくさん撮った。
これが一番印象的だなあ。
叔父は
ワンマンで、粗暴で、せっかちで、気配り命令で、
周りを翻弄する性格である。
その父親がこんなに笑って、皆と過ごせるなんて、と
従兄弟は驚いていた。
よほど嬉しかったのだろう、と従兄弟も喜んでいた。
私は
叔父のそれらの行動が全部ギャグに見えて
笑いすぎだ。
叔父のやせ細った背中や肩を揉んであげる。
私より体重が軽い。
私の生みの母親(叔父とは姉弟)の生き方に痛烈な批判をしていた人だ。
「もっと食べて、長生きしてね。」と言うと
「トモロッシ、だんなと別れて、うちの息子(私の従弟ね)といっしょになれや。」
とつぶやく。
それもギャグとして私は受け止めて
「うちのだんなが可哀相でしょ。」と笑う。
従弟はバツ2。
どんな人生だったのでしょう。
3人の子育てをしている。
父が持ってきた
カラオケセットをテレビにつないで
年寄りたちのカラオケ大会が始まった。
どうりで、父の旅行バッグがズシリと重かったわけだ。
そのカラオケに乗りまくって
叔父も母も、親類のおじさんも歌いまくっていた。
叔父がテレもせず、歌いまくっているのを
家族が驚きの表情で見守っていた。
よかったね、お母さん、叔父さん。
二人がこんなに楽しんで再会できたことを
私も
叔父の家族も感激しています。
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北国の空、どこを撮っても美しい雲。
曇り空さえ美しい。
旅の話はまだ続きます。
トモロッシさんが一緒に行ってくれてどんなに助かったでしょう。
それにすごくいい旅だったようで、読んでいて楽しいです
年をとることについては私も時々考えますが、
元気なうちに行きたい所は行っておくのがいいようですね。
後押しの言葉の激励で、行ってきましたよ。
心配していたことがウソのように
楽しい旅行でした。
おかげさまで、本当に親孝行ができた旅行になりました。
同じ市内にいながら、母の病気を認識していながら、非意思疎通の親子でして
今回、母がどんな状態なのか具体的に手に取るようにわかりました。
頼られてよかった、と思っています。
また
ボチボチと書いていきますので
読んでくださいませ。