人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

河村尚子のピアノ・リサイタルを聴く~オール・プロコフィエフ・プログラム

2012年03月08日 06時56分30秒 | 日記

8日(木)。昨日の朝日朝刊の案内広告欄に「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅥ”蝶々夫人”公演中止のお知らせ」が載っていました 当初この公演は、小澤征爾が正規のオペラ公演として3月に全国4会場で振る予定だったのですが、”本人の体調が思わしくない”という理由で、「演奏会形式」に変更して上演すると2月中旬に発表されていたのです。それが、今度は”小澤征爾の体調が指揮をするまでには回復しないため”中止になったということです

中には、チケットを買い直した熱心な小澤ファンもいたことでしょう。そういう人は2回キャンセルをすることになります 実にお気の毒です。私は熱烈な小澤ファンでもないし、こういうリスキーな公演のチケットは最初から買わないことにしています。ある程度先の予測はできたわけですから 私が1年前に経験した大震災と東電福島原発事故に伴う一連のコンサート中止と払い戻し作業に比べれば大したことはありません と言ったところで何の慰めにもなりませんが・・・・・・

 

  閑話休題  

 

昨夕、トッパンホールで、河村尚子のピアノ・リサイタルを聴きました オール・プロコフィエフ・プログラムで①「ロメオとジュリエット」から”10の小品”より抜粋、②ピアノ・ソナタ第2番、③「つかの間の幻影」より抜粋、④ピアノ・ソナタ第6番”戦争ソナタ”の4曲です。リサイタルのタイトルに「師クライネフへのオマージュ」とあります ウラディミール・クライネフ(1944年~2011年)は、あのブーニンの父ネイガウス門下のロシア人ピアニストで、1970年のチャイコフスキー・コンクールで優勝した人です 河村は13年間クライネフに師事したとのことです。その師は常に言っていたそうです。「頭はクールに、耳はクリーンに、ハートはホットに、指はインディペンデントに(独立して、自由に)」。

この日の予習がまったく出来ていなかったので、当方の準備不足です。初めて聴く曲や滅多に聴くことのない曲を聴くときは、1週間前ぐらいからCDで予習しているのですが、今回は余裕が全くありませんでした。ぶっつけ本番で聴きました 席はG列1番です。

プログラムの構成は、前半、後半ともに、1曲目にバラエティに富んだカラフルな曲を持ってきて、2曲目に聴かせどころのたっぷりある大曲を持ってくるという作りになっています

上がベージュ系、下が黒の衣裳で颯爽と現れた長髪の彼女は、1曲目の「ロメオとジュリエット」~10の小品から4曲演奏しました こちらの準備不足のせいか、曲自体がそういう作りなのか、よく分からないのですが、何となく音楽がスムーズに流れていないように感じました。もっとも「モンタギュー家とキャピュレット家」のようなお馴染みのメロディーには直接的に反応することができました

聴いていてすごく気になったのは「ドーン、ドーン」という音です まるで上の階で机か椅子を動かしているような音です。しかし、よく聴いてみるとピアノの演奏に連動して音が出ていることが分かります。そう、それはぺダリングの音だったのです トッパンホールは音響効果のいいホールとして有名ですが、音響が良すぎてぺダリングの音もしっかり拾ってしまうところは困ったものです 小ホールの宿命でしょうか

2曲目のピアノ・ソナタ第2番は4楽章形式による曲で、プロコフィエフ特有のリズム感を持った曲です。この曲で初めて河村尚子はこういう演奏をするのか、とある程度理解したように思います。リズム感は抜群です

休憩後の1曲目「つかの間の幻影」はほんの30秒から2分程度の小曲を20曲集めた作品で、そのうち8曲を演奏しました。1曲1曲が趣の異なるキラ星のような曲で、短いだけに演奏者の個性が問われる曲だと思いました。河村は抒情的、バーバリズム、煌めき、といった趣を見事に弾き分けていました

さて、最後はピアノ・ソナタ第6番イ長調です。第二次世界大戦が始まった1939年、ピアノ・ソナタが3曲同時に書きはじめられ、40年に第6番、42年に第7番、44年に第8番が完成し、3曲まとめて「戦争ソナタ」と呼ばれています

河村は第1楽章「アレグロ・モデラート」からエンジン全開で、ぐんぐん押していきます 圧巻は第4楽章「ヴィバーチェ」です。ストラヴィンスキーのバーバリズム真っ青の、ハイ・テンポで野性的なリズムを刻んでいきます。これが河村尚子の真骨頂でしょうか

会場一杯の拍手に応えてアンコールを2曲演奏しましたが、誰のどういう曲か分かりませんでした。アンコール曲の掲示が出る前に会場を出てしまったので オール・プロコフィエフ・プログラムだったことから、プロコフィエフの小品だったのかも知れません。1曲目は曲想としてショパンのような感じがしましたが、違うでしょうね

プロコフィエフ以外の曲も聴かないと、本当のところ、彼女の演奏スタイルは分からない、と感じて帰ってきました

 

         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする