人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

神尾真由子のコルンゴルト「ヴァイオリン協奏曲」を聴く~東京交響楽団定期演奏会

2012年03月11日 00時36分50秒 | 日記

11日(日)。昨日午後11時からNHKテレビで「3月11日のマーラー」という番組が放映されました。これは昨年3月11日の大震災当日、英国の指揮者ダニエル・ハーディングが新日本フィルを指揮してマーラーの「交響曲第5番」を演奏したときの模様をドキュメンタリータッチで構成したものです

1年前の3月11日午後、ハーディングは有楽町のホテルを後にしてタクシーですみだトりフォニーホールに向かっている最中でした。信号待ちしている時に、生まれて初めて大地震に遭遇したのです やっとの思いで会場に着き、ゲネプロ(通しの練習)に臨んだわけですが、コンサートマスターの西江辰郎によれば「ハーディングは何の動揺もなく、いつもと変わらぬ様子でリハーサルに臨んだ」といいます 楽員の中には、テレビで観た津波の映像を思い浮かべ、こんな状況の中で音楽をやる意味とは何かと疑問に思った者もいたといいます。そして本番を迎えます

当日は93人の楽員に対し、観客は105人だったとのことです。トランペットのソロにより第5番が始まります ソリストは「この公演が成功するかどうかが自分の出だしの音にかかっている」と、かなり緊張したことをインタビューで語っていました。番組では楽員のほか観客にもインタビューしているのですが、当日会場に行って聴けたのは地元の”近所の人たち”だったようです 中には交通機関が動かないため歩いて会場まで駈け付けて途中から聴いた年金生活のおばあさんもいました いずれにしても”奇跡の演奏”を聴けた105人の人たちは幸せだと思います 私はその翌日の3月12日(土)の公演に行く予定でしたが、中止になってしまいました。代替公演は約1か月後に挙行されましたが、素晴らしい演奏でした

今日は、それぞれの3.11を振り返る一日になるでしょう

 

  閑話休題  

 

昨夕、サントリホールで東京交響楽団の第598回定期演奏会を聴きました プログラムは①ストラヴィンスキー「交響詩:うぐいすの歌」、②コルンゴルト「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」、③スクリャービン「交響曲第4番”法悦の詩”」の3曲。指揮は東響桂冠指揮者・秋山和慶、ヴァイオリン独奏は神尾真由子です

ストラヴィンスキーの「うぐいすの歌」は初めて聴きました。ストラヴィンスキーは、アンデルセンの童話に基づいた3幕からなるオペラ「うぐいす」を作曲しましたが、後に交響詩「うぐいすの歌」として再構成しました

物語は「中国皇帝の宮殿で、ウグイスが歌うと病気の皇帝が快復し、ウグイスが去って、日本の皇帝から届いた機械仕掛けのウグイスが鳴くが、そのうちこのウグイスは歌わなくなり、皇帝の病気は悪化する。再び本物のウグイスがもどってきて歌い始めると皇帝の病気は快復する」というものです。フルートやヴァイオリンで鳥の声を再現するわけですが、とにかく賑やかな曲です。3大バレエ曲に似通ったメロディーも現れてカラフルな曲想が展開します

次は待望のコルンゴルトの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」です。コルンゴルトとの出会いについては昨年4月25日のブログに書きましたが、思い出深い曲です コンサートではなかなか取り上げられないので、貴重な機会です。ソリストの神尾真由子が濃紺のドレス(左肩から右胸にかけて白色の小さな花模様をたくさん配したもの)を身に着けて登場します。チラシで見る彼女とはイメージが違います。髪を後ろで束ね上げているせいでしょう

エーリッヒ・ウォルフガング・コルンゴルトは1897年にオーストリアで生まれました。両親は、ウォルフガング・アマデウス・モーツアルトから、名前の一部を借りて名付けました。その名の通り、彼は音楽界で神童と呼ばれました 1920年代にオペラ作曲家として名声を確立したコルンゴルトは、ウィーンを後にしてアメリカのハリウッドに渡りました。そして、ワーナー・ブラザーズやパラマウント映画社から映画音楽の作曲を依頼され次々と作曲していきました。1936年には「風雲児アドヴァース」でアカデミー賞の音楽賞を受賞しています

そんな彼が作曲したヴァイオリン協奏曲ニ長調は、最後のロマン派とも言われるコルンゴルトらしいロマンチックな(ここではロマン的なという意味)曲想に溢れた名曲です

神尾はポルタメントをたっぷりかけて朗々と第1楽章「モデラート・ノービレ」を奏でていきます。堂々たる演奏です 第2楽章「ロマンス、アンダンテ」では、美しいテーマを感情を込めて歌い上げます。そして第3楽章「アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ」では一気にフィナーレを駆け抜けていきます。

ヴァイオリンとオーケストラの最強音で締めくくると、会場割れんばかりの拍手が待っていました。オーケストラの団員からも惜しみない拍手が寄せられていました。その様子を見る限り、単なる社交辞令ではなく心からの賞賛の拍手に見えました 特筆すべきは秋山和慶のサポートです。いつも思うのですが、彼が指揮をしてコンチェルトを演奏するときは、ソリストが非常にやり易いように見えます。実際やり易いのでしょう そして、楽員が全幅の信頼を寄せていることが分かります。神尾は何度も舞台に呼び戻されましたが、アンコールはやりませんでした。それが”見識”というものでしょう。あれ程の演奏をした後にアンコールをやって欲しいとは思いません

休憩後はスクリャービン「交響曲第4番”法悦の詩”」です。彼は1905年にブラヴァツキー夫人の著書を読み、神智学に傾倒し、その思想を音楽にも反映しようとしました。「法悦の詩」もその一つです。彼は「法悦の詩」という詩を書いていて、そこには「現実的な自己を超えて、宇宙とその創造者に一体化することによって、忘我的な状態に至る」と書かれています。その詩を音楽化したのが、この曲だと言っても過言ではないでしょう 曲は全体が切れ目なく演奏される単一楽章です。メロディーが目まぐるしく変遷するのでついていくのが大変です 演奏は秋山和慶の指揮のもと、すきのない見事なパフォーマンスを見せてくれました。もう少し予習しておけばよかったと反省しました

 

             

コメント
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