人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

最高に面白い~中村紘子「チャイコフスキー・コンクール」を読む

2012年03月14日 06時48分27秒 | 日記

14日(水)。3.11も無事に過ぎて、今日はもう3.14・・・・・・ん?何かあったような・・・・・そうだ!円周率だ 「半径×半径×3.14」は円の面積で、「4πr(パイアール)2乗」は「心配ある事情」だったかな 違うぞ・・・・球の表面積ではないか 今日は朝からハードルを上げて数学で迫ってみました。たまにはいいでしょ、こういうのも

 

  閑話休題  

 

ピアニスト中村紘子著「チャイコフスキー・コンクール」(新潮文庫)を読み終わりました 彼女が「チャイコフスキー・コンクール~ピアニストが聴く現代~」を「中央公論」誌上で連載したのは1986年(昭和61年)のこと。それが「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞し話題になりました。私は20年以上前に確か中公文庫で一度この作品を読んでいます その時にも”素晴らしく面白い”と思ったのですが、今回改めて新潮文庫で読んで”滅茶苦茶面白い”と思いましたクラシック音楽愛好家、とくにピアノ音楽愛好家にとってこれ程面白い本はありません

中村紘子はジュリアード音楽院で日本人初の全額奨学金を獲得しロジーナ・レヴィン女子に師事しました。そして第7回ショパン・コンクールで日本人初の入賞と最年少賞を受賞しましたその後ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクールの審査員を何度か務めています。この本は中村が1986年の第8回チャイコフスキー・コンクールで審査員を務めたときのことを中心に、審査の内幕や、演奏論を展開したものです

彼女は、コンクールの審査はあくまでも”相対的なものである”ことを語っています。

「例外はあるだろうが、いったいにコンクールというものは、原則として1位を出すことになっている。そしてその1位は、ホロヴィッツやミケランジェリに比較しつつ、つまり絶対的な基準によって選ぶべきものではなく、たまたまそのコンクールに参加したコンテスタントたちの顔ぶれからいわば相対的基準によって選ぶ。そして場合によっては、ソ連の審査員の一人であるドレンスキー教授(例のブーニンの先生)がいみじくも私に語ったように、”その1位が、これから先、超一流の芸術家に育ってくれるのかどうかまで、選んだ自分たちには責任がない”のである」

ピアノを弾く人にとって興味深いと思われるのは、日本独特の「ハイ・フィンガー奏法」について語っている部分です。「ハイ・フィンガー奏法」とは”手首を比較的低めに固く保ち、指先を丸く曲げて爪先を鍵盤にほとんど直角に近いような角度で、しかも鍵盤から高く上げて弾き下ろす奏法”とのことで、何を隠そう中村紘子はこの奏法を井口愛子先生から叩き込まれたということです 昭和30から40年代にはこの奏法が主流だったといいます。“出てくる音の表情は多彩ではないのに、弾いている姿はひどく熱演ぽく、歯を食いしばっているような感じになる” ”奏法が単一なら出てくる響きも単一であり、多少の個人差はあっても本質的には同じような性格の音質となる”。その後、この奏法は影をひそめたようですが、いまでもその頃のイメージが残っており、コンクールの審査において、「日本人の演奏は一つのミスもなく平然と演奏するが、機械のように無表情である」「きちんと弾くが、個性に乏しい」という先入観によって評価が左右されがちになっているということです

この本の内容をより詳しく紹介しようと思い、”この部分を紹介しよう”というページの”耳”を折っていったのですが、あまりにも多すぎて途中で断念せざるを得ませんでした とにかく中村紘子という人は文章がうまい 大宅壮一ノンフィクション賞受賞は納得できます

この本にはオリジナルの文庫には収録されていなかった、1990年の第9回チャイコフスキー・コンクールの模様が収録されています この時にヴァイオリン部門で優勝したのは諏訪内晶子でしたが、コンクールでバックを務めたピアノ部門とヴァイオリン部門の各オーケストラと、同じ名前の指揮者を巡る内幕話はとても面白く、コンテスタント本人がいくら頑張っても、オーケストラに足を引っ張られては手も足も出ないという事実を教えられました 取り上げているピアニストが若干古いという点はありますが、とにかくとてつもなく面白い本で、あっという間に読み終わってしまいます。お薦めします

 

              

コメント
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