人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ヘンゼルト「ピアノ協奏曲」を聴く~長尾洋史+大阪交響楽団=東京公演

2012年03月19日 06時30分59秒 | 日記

19日(月)。昨日、コンサートを聴きに錦糸町に出かけました そこかしこで、袴をはいた女学生の姿を見かけました。大学の卒業式シーズンですね。神田川の土手には梅の花が咲いていました。少しずつ春が近づいていることを感じます

 

  閑話休題  

 

すみだトリフォニーホールで大阪交響楽団の第15回東京公演を聴きました これは毎年トりフォニーホールが企画している「地方都市オーケストラ・フェスティバル」の一環として開かれたコンサートです。会場に入ると「演奏曲目変更のお知らせ」が掲示されています 掲示には次のように書かれていました。

音楽監督・首席指揮者 児玉宏が体調不良のため、指揮者および演奏曲目を一部変更させていただくことになりました。〈指揮者〉児玉宏→寺岡清高(常任指揮者) 〈曲目〉グラズノフ「抒情的な詩」、ヘンゼルト「ピアノ協奏曲ヘ短調」、プフィッツナー「交響曲第2番」→ヘンゼルト「ピアノ協奏曲へ短調」、フランツ・シュミット「交響曲第4番ハ長調」。

当方としてはヘンゼルトのピアノ協奏曲を聴くのが目的なので「いいんじゃないの、別に」と余裕です。クロークにコートを預けていると「ただ今から指揮者・寺岡清高によるプレ・トークがあります」というアナウンスが流れました。自席1階8列12番に急ぎました 指揮者の寺岡清高は2000年にミトロプーロス国際指揮者コンクール優勝者で、大阪交響楽団とは2004年1月の正指揮者就任以来、緊密な関係を続けています。プレ・トークで彼は語ります。

「指揮者変更に当たって、自分から曲目の変更を申し出た。ヘンゼルトは、音楽史を点でなく線で捉えるという児玉監督の想いから選曲されたものなので、変更することはしない。しかし、後半の曲については自分自身の明確な想いがありシュミットの交響曲に変えることにした シュミットの第4交響曲は、お産の後すぐに亡くなった彼の娘に対するレクイエム(鎮魂歌)である さらに言えば”死者との交流”の曲である。東日本大震災から1周年の機会にこれ程相応しい曲はない。この曲は私と大阪交響楽団にとって特別な曲である

舞台上には多くの収録マイクが林立しています。プログラムを見ると、「CD発売予告」広告が出ていて、収録曲にヘンゼルト「ピアノ協奏曲ヘ短調」(ピアノ:長尾洋史)も含まれていました。この日の演奏もライブ録音するようです

指揮者・寺岡とともに長身のピアニスト・長尾洋史が登場します。寺岡のタクトが振り下ろされ1曲目、ヘンゼルトの「ピアノ協奏曲ヘ短調」が始まります この曲はポンティによるCDで予習してきたので全体像を把握済みです

 

                  

         ヘンゼルトのピアノ協奏曲(ピアノ=ポンティ)が収録されている20枚組CD

 

アドルフ・フォン・ヘンゼルト(1814~1889年)は、ショパンやシューマン、リスト、ヴェルディ、ワーグナーなどとほぼ同世代を生きた音楽家です 今では音楽界から忘れ去られてしまい、ヘンゼルト・グレーテルの物語でしか名前が残っていません。なんて嘘です この曲はシューマン夫人、クララ・シューマンの独奏で初演されました 曲想はショパンやリストのようなロマンチック(ロマン的)そのものです。当時は「ドイツのショパン」とまで呼ばれたと言われています 彼はロシアに渡って大成功を収め、その後はロシアに留まって、貴族になり、ロシアにおけるピアノ奏法に多大な影響を及ぼしたと言われています。彼がいなかったら、ラフマニノフのピアノ協奏曲は作曲されなかったと言われているほどです

曲は超絶技巧を求められる極めて演奏困難なものです。長尾は譜面をピアノの上に置いてはいるものの、まったく見ません。プレ・トークで寺岡が語っていたように「この曲のピアノ・パートの楽譜は、音符だらけでほとんど真っ黒な状態」だといいます。演奏途中で譜面をめくる余裕があろうはずがありません。長尾は完ぺきなテクニックで困難なパッセージを次から次へと弾き切ります

こんなロマン的な曲がすっかり忘れ去られてしまうなんてとても信じられない思いです 一つは、後世にこの曲が演奏できるピアニストがいなかったからではないか、と思います。当時はクララ・シューマンがいたし、リストもいました。その後はどうだったでしょうか。2日前に大阪の定期公演で演奏したのが日本初演とのことですので、今回の公演は東京初演ということになります こんな素晴らしい曲を2回演奏しただけで終わるなんてもったいないと思います。どこのオーケストラでもいいから長尾洋史をソリストにしてヘンゼルトの協奏曲を演奏してくれないでしょうか。一人でも多くの人にこの曲の素晴らしさを体験して欲しいのです

休憩後はフランツ・シュミットの「交響曲第4番」です。シュミットは楽友協会音楽院卒業後、ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のチェリストを務め芸術監督グスタフ・マーラーのもとで演奏活動をしました

指揮者・寺岡によるプレ・トークがすごく分かりやすかったので、4つの楽章が休みなく演奏されても、いまどこを演奏しているのか検討がつきました この曲はトランペットの独奏で始まり、トランペットの独奏で終わります。実の娘を亡くした”慟哭の叫び”が全体を通じて通奏低音のように響きます。作曲者自身がオーケストラのチェロ奏者だったことからチェロが美しいメロディーを奏でるパートも用意されています。とてもいい曲だと思いました

最後にちょっと気が付いたことを書いてみます プログラムによると、大阪交響楽団は1980年に創立されましたが、1988年に設立された支援組織・大阪シンフォニカー協会は、平成20年12月に一般財団法人大阪シンフォニカー協会になったとのことです。どのオーケストラも経営が厳しい中、広く助成金や寄付金を募り易くするため、あるいは税制上の優遇措置を受けるため、多くの楽団が「公益財団法人」を選択しています。その中で、「一般財団法人」を選択したのにはそれなりの理由があったのでしょう。 ”所轄官庁の言いなりにはなりたくない”という反権力的な意識から、そういう結論になったとすれば”大阪らしいな”と微笑ましく思いますが、  ”経営的には厳しいだろうな”と思います

 

                  

コメント
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