人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

河村尚子、堤剛、佐藤俊介でピアノ・トリオを聴く~ドヴォルザーク、チャイコフスキー

2012年03月13日 06時49分02秒 | 日記

13日(火)。昨日の日経夕刊に指揮者・秋山和慶が「たたき込まれた基本の”たたき”~恩師・斉藤秀雄の著書”指揮法教程”」というエッセーを書いています

小澤征爾に憧れて1956年に桐朋学園高校に入学したが、その年に師の斉藤秀雄先生が著したのが指揮のための教本「指揮法教程」だった 空中の1点を打つ”たたき”や”しゃくい”など7つの基本動作がある。最初の3か月はひたすら”たたき”をやらされた 力を抜いて腕を打ち下ろし、瞬時に持ち上げる・・・・・・・基礎をみっちりたたき込まれたおかげで、変拍子の複雑な曲も指揮できる力がついた

74年、先生が癌で亡くなる直前に、病床で「改訂版を作ってくれ」と頼まれた。忙しくなかなか取りかかれなかったが、89年から桐朋学園の仲間たちと集まって作業を始め、400回ほど会合を重ねて手を入れた。・・・完成したのは2009年。いま第3刷まで版を重ねている。少しは恩返しができただろうか

個人的には日本人の指揮者の中では秋山和慶が一番好きですが、彼の指揮法は1956年に恩師が著した”教科書”に基づいたものだったですね

 

  閑話休題  

 

昨夕、紀尾井ホールで「4大ピアノ・トリオを聴く」第2夜を聴きました プログラムは①ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第4番”ドゥムキ―”」、②チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲”ある偉大な芸術家の思い出に」の2曲です

演奏はヴァイオリン=佐藤俊介、チェロ=堤剛、ピアノ=河村尚子です。佐藤俊介は2月27日の第1夜の公演で聴きました。堤剛は日本音楽界の大御所で、ご存知の通りサントリーホール館長です。河村尚子は先週水曜日(7日)にオール・プロコフィエフ・プログラムによるリサイタルを聴いて以来です。今回はプロコフィエフ以外の曲を聴くいい機会です

前回の第1夜がピリオド楽器(作曲家が活躍していた時代の楽器)による公演だったのに対して、今回はモダン楽器による演奏です 会場は2階席も含めてほぼ満席。自席は1階19列1番です。

河村は情熱の赤のドレス、堤はトレードマークの蝶ネクタイ、佐藤は黒のスーツで袖口から赤色が覗いています

1曲目のドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第4番」は「ドゥムキー」の副題がついていますが、これはウクライナ地方の哀愁的な歌謡「ドゥムカ」の複数形です。ドヴォルザークがアメリカに渡る直前の1890年~91年に作曲されました この曲は6つの楽章から成りますが民族色豊かな音楽です。3人の奏者は誰が突出するということもなく哀愁漂うメロディーを奏でていきます

2曲目のチャイコフスキー「ある偉大な芸術家の思い出に」の”ある芸術家”とは1881年に腸結核で死去したニコライ・ルビンシテインのことです。彼は初代モスクワ音楽院院長であり優れたピアニストでもありました 一般的に、この手の曲は3楽章、あるいは4楽章からなるケースが多いのですが、この曲は2楽章形式です。演奏を聴いていて気が付くのはヴァイオリンとチェロが同時に同じ旋律を弾くケースが多いということです つまり、”ピアノ対弦楽器”という図式が成り立っていると言えます

第1楽章前半で、河村が挑発すると堤と佐藤が応戦するといった”聴きどころ”がありましたこれは第2楽章の後半部でも見られましたが、かといって、河村は自分だけ主張するというのではなく、バランスを取りながら主張すべきところは主張するといった姿勢が表れていました 先日聴いたソロによるプロコフィエフの演奏ももちろん良かったのですが、今回のように他者と楽器で対話しながら演奏するアンサンプルの方が、彼女の個性が生かされるのではないか、と思います 最後近く、第1楽章冒頭の”悲歌的な主題”が再度登場するところは”協奏”というより、むしろ”競奏”というべき手に汗握る迫真の演奏を展開しました

今回の2曲は普段滅多に聴く機会がないのですが、CDで聴くのと違って生演奏で聴くとその良さが分かります

アンコールに、ドヴォルザークの第4番の第5楽章をもう一度演奏しましたが、初めて聴いたような錯覚に陥りました

 

           

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