人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

METライブビューイングでヴェルディ「エルナー二」を観る

2012年03月21日 06時25分23秒 | 日記

21日(水)。昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ヴェルディ「エルナー二」を観ました これは、今年2月25日に米メトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ映像です。

キャストはエルナー二にマルチェッロ・ジョルダー二(テノール)、ドンナ・エルヴィーラにアンジェラ・ミード(ソプラノ)、国王ドン・カルロにディミトリ・ホヴォロストフスキー(バリトン)、スペイン大公シルヴァにフェルッチオ・フルラネット(バス)ほかです。指揮はマルコ・アルミリアート、演出はピエール・ルイジ・サマリターニです

これはフランスの作家ビクトル・ユーゴーの戯曲に基づきヴェルディが手掛けたオペラです 舞台は16世紀スペイン。貴族出身の山賊の首領エルナー二は、スペイン大公シルヴァの許嫁ドンナ・エルヴィーラ(シルヴァの姪)と愛し合っていた。一方、スペイン国王カルロもエルビーラを想っていた。エルナー二とエルヴィーラの結婚は国王に認められるが、これに傷ついたシルヴァ大公は復讐を企てる・・・・・というストーリーです

このオペラはソロ、二重唱、三重唱と、アリアに次ぐアリアの連続で、息つく暇がありませんヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」もそうですが、世界で通用する歌手を少なくとも4人は揃えなければなりません 今回は大ベテランの実力者フルラネットをはじめ、METを代表するテノールのジョルダー二とバリトンのホヴォロストフスキーに加え、2007年のMETオーディションに合格し08年にオペラ・デビューした新人ミードが大輪の花を咲かせています

第1幕終了後、ミードがMETのオーディションに合格した時の映像を流していました。彼女は、マリア・カラスが命を吹き込んだベッリーニ「ノルマ」のアリア「清らかな女神よ」を、のびやかで美しい歌声で歌い上げていました それは息を飲むような美しい声です インタビューで彼女は「ノルマは自分にぴったり合っていると感じる」と答えていました  いつかMETでノルマを歌ってほしいと切に願います

休憩時間には、カメラが幕の内側に入り、まさに「内幕」を撮影していました。第1幕の大きな岩場のセットを片付け、第2幕の宮廷の室内を再現するまでの舞台転換の工程を様々なアングルから映し出していました 何人もの大道具、小道具の係りの人が”現場監督”のもとで働いていました。オペラの進行に合わせて「バック・ステージ・ツアー」に参加しているような感覚でした こういうところはMETライブビューイングならではです

ソリストの中で最も好きなのは、バリトンのホヴォロストフスキー(ロシア)です。昨年のMET来日公演の「ドン・カルロ」でロドリーゴを歌ったのを生で観て聴きましたが、銀髪でとにかくカッコいいのですね、これが歌も抜群にうまいし、女性にモテルと思います。男から見てもすごい魅力を感じます

ミードは恵まれた体格で無理のない美声を聴かせてくれました 合唱も負けてはいません。人種混合の合唱団は、いつものように力強いコーラスを聴かせてくれました

午前10時から始まった上映は午後1時24分に終わりました。外に出ると「春分の日」に相応しい暖かい日差しが指していました 次回は5月5日~11日にマスネ「マノン」が上映されます。マノンを歌うのは、昨年のMET来日公演「ラ・ボエーム」のミミを歌う予定が急きょキャンセルになり、聴きそこなったソプラノ、アンナ・ネトレプコです。映画でキャンセルはあり得ないので楽しみに待ちたいと思います

 

            

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ビールは水と同じ~ドイツの新聞社での思い出

2012年03月20日 07時28分38秒 | 日記

20日(火・春分の日)。昨夕は月曜日にもかかわらず、「明日は休みだし、一杯どう?」という酒席指揮者・E部長の呼びかけでT君を交えて地下のRで飲みました 例によって1時間の約束が2時間に。ビールのほか、日本酒を3種類飲んだせいか短時間にもかかわらず酔いの回るのが速かったようです

  閑話休題  

春分の日を迎え、これからはますますビールが旨い季節になります。ビールというと思い出すことがあります。

今から21年前の平成3年(1991年)1月のことです。元の職場にいた時、ヨーロッパ諸国の新聞社の労務事情を視察しようということになり、新聞社の人事・労務責任者とともにドイツ、フランス、イギリスの新聞社を訪問しました

見学先の一つに南ドイツ新聞社があり、ミュンヘン空港近くにある同社の印刷工場を見学した時のことです。誰かが、「あれは何だろう」と、ベランダの端に設置されていた「自動販売機」のようなものを指しました。案内役の南ドイツ新聞のB労務部長に尋ねると「あー、それはね、ビールのベンディング・マシーンですよ」との答え。「えっ、まさか仕事中にビールを飲むわけではないですよね?」と尋ねると「休憩時間に飲めるようになっています。それが何か?」という反応です。これには視察団一同びっくり 「日本で印刷工場にビールの自動販売機を置いておいて、仕事中に怪我でもしたら、労災問題になりかねないよね」、「さすがは、水代わりにビールを飲んでいる国民性が成せるワザだね」という驚きの声があちこちであがりました。見学後に2種類のビール   が振る舞われましたが、白っぽいビール(名前を忘れた)の方が味が濃く、美味しかったのを覚えています

ドイツのボンではベートーヴェンの生家「ベートーヴェン・ハウス」を訪ねました。ちょうど雨上がりの時で、雲間から射す日光がすごく眩しかったことを懐かしく思い出します

視察団はその後、ドイツ、フランス、イギリス各地の新聞社を訪問し、2週間の日程を終えて帰国しました ロンドン滞在中、イラクがクエ―トに侵攻したことを発端に「湾岸戦争」が勃発したため、中東行きの航空便は足止めを食らっていましたが、われわれを乗せたJALは無事にヒースロー空港を飛び立ちました

ビールのジョッキを上げるときに想うのは、21年後の現在でも、あのビールのベンディング・マシーンは健在なのだろうか?ということです

 

               

           〔イギリスのデーリー・ミラー本社で、同社幹部と〕

 

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ヘンゼルト「ピアノ協奏曲」を聴く~長尾洋史+大阪交響楽団=東京公演

2012年03月19日 06時30分59秒 | 日記

19日(月)。昨日、コンサートを聴きに錦糸町に出かけました そこかしこで、袴をはいた女学生の姿を見かけました。大学の卒業式シーズンですね。神田川の土手には梅の花が咲いていました。少しずつ春が近づいていることを感じます

 

  閑話休題  

 

すみだトリフォニーホールで大阪交響楽団の第15回東京公演を聴きました これは毎年トりフォニーホールが企画している「地方都市オーケストラ・フェスティバル」の一環として開かれたコンサートです。会場に入ると「演奏曲目変更のお知らせ」が掲示されています 掲示には次のように書かれていました。

音楽監督・首席指揮者 児玉宏が体調不良のため、指揮者および演奏曲目を一部変更させていただくことになりました。〈指揮者〉児玉宏→寺岡清高(常任指揮者) 〈曲目〉グラズノフ「抒情的な詩」、ヘンゼルト「ピアノ協奏曲ヘ短調」、プフィッツナー「交響曲第2番」→ヘンゼルト「ピアノ協奏曲へ短調」、フランツ・シュミット「交響曲第4番ハ長調」。

当方としてはヘンゼルトのピアノ協奏曲を聴くのが目的なので「いいんじゃないの、別に」と余裕です。クロークにコートを預けていると「ただ今から指揮者・寺岡清高によるプレ・トークがあります」というアナウンスが流れました。自席1階8列12番に急ぎました 指揮者の寺岡清高は2000年にミトロプーロス国際指揮者コンクール優勝者で、大阪交響楽団とは2004年1月の正指揮者就任以来、緊密な関係を続けています。プレ・トークで彼は語ります。

「指揮者変更に当たって、自分から曲目の変更を申し出た。ヘンゼルトは、音楽史を点でなく線で捉えるという児玉監督の想いから選曲されたものなので、変更することはしない。しかし、後半の曲については自分自身の明確な想いがありシュミットの交響曲に変えることにした シュミットの第4交響曲は、お産の後すぐに亡くなった彼の娘に対するレクイエム(鎮魂歌)である さらに言えば”死者との交流”の曲である。東日本大震災から1周年の機会にこれ程相応しい曲はない。この曲は私と大阪交響楽団にとって特別な曲である

舞台上には多くの収録マイクが林立しています。プログラムを見ると、「CD発売予告」広告が出ていて、収録曲にヘンゼルト「ピアノ協奏曲ヘ短調」(ピアノ:長尾洋史)も含まれていました。この日の演奏もライブ録音するようです

指揮者・寺岡とともに長身のピアニスト・長尾洋史が登場します。寺岡のタクトが振り下ろされ1曲目、ヘンゼルトの「ピアノ協奏曲ヘ短調」が始まります この曲はポンティによるCDで予習してきたので全体像を把握済みです

 

                  

         ヘンゼルトのピアノ協奏曲(ピアノ=ポンティ)が収録されている20枚組CD

 

アドルフ・フォン・ヘンゼルト(1814~1889年)は、ショパンやシューマン、リスト、ヴェルディ、ワーグナーなどとほぼ同世代を生きた音楽家です 今では音楽界から忘れ去られてしまい、ヘンゼルト・グレーテルの物語でしか名前が残っていません。なんて嘘です この曲はシューマン夫人、クララ・シューマンの独奏で初演されました 曲想はショパンやリストのようなロマンチック(ロマン的)そのものです。当時は「ドイツのショパン」とまで呼ばれたと言われています 彼はロシアに渡って大成功を収め、その後はロシアに留まって、貴族になり、ロシアにおけるピアノ奏法に多大な影響を及ぼしたと言われています。彼がいなかったら、ラフマニノフのピアノ協奏曲は作曲されなかったと言われているほどです

曲は超絶技巧を求められる極めて演奏困難なものです。長尾は譜面をピアノの上に置いてはいるものの、まったく見ません。プレ・トークで寺岡が語っていたように「この曲のピアノ・パートの楽譜は、音符だらけでほとんど真っ黒な状態」だといいます。演奏途中で譜面をめくる余裕があろうはずがありません。長尾は完ぺきなテクニックで困難なパッセージを次から次へと弾き切ります

こんなロマン的な曲がすっかり忘れ去られてしまうなんてとても信じられない思いです 一つは、後世にこの曲が演奏できるピアニストがいなかったからではないか、と思います。当時はクララ・シューマンがいたし、リストもいました。その後はどうだったでしょうか。2日前に大阪の定期公演で演奏したのが日本初演とのことですので、今回の公演は東京初演ということになります こんな素晴らしい曲を2回演奏しただけで終わるなんてもったいないと思います。どこのオーケストラでもいいから長尾洋史をソリストにしてヘンゼルトの協奏曲を演奏してくれないでしょうか。一人でも多くの人にこの曲の素晴らしさを体験して欲しいのです

休憩後はフランツ・シュミットの「交響曲第4番」です。シュミットは楽友協会音楽院卒業後、ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のチェリストを務め芸術監督グスタフ・マーラーのもとで演奏活動をしました

指揮者・寺岡によるプレ・トークがすごく分かりやすかったので、4つの楽章が休みなく演奏されても、いまどこを演奏しているのか検討がつきました この曲はトランペットの独奏で始まり、トランペットの独奏で終わります。実の娘を亡くした”慟哭の叫び”が全体を通じて通奏低音のように響きます。作曲者自身がオーケストラのチェロ奏者だったことからチェロが美しいメロディーを奏でるパートも用意されています。とてもいい曲だと思いました

最後にちょっと気が付いたことを書いてみます プログラムによると、大阪交響楽団は1980年に創立されましたが、1988年に設立された支援組織・大阪シンフォニカー協会は、平成20年12月に一般財団法人大阪シンフォニカー協会になったとのことです。どのオーケストラも経営が厳しい中、広く助成金や寄付金を募り易くするため、あるいは税制上の優遇措置を受けるため、多くの楽団が「公益財団法人」を選択しています。その中で、「一般財団法人」を選択したのにはそれなりの理由があったのでしょう。 ”所轄官庁の言いなりにはなりたくない”という反権力的な意識から、そういう結論になったとすれば”大阪らしいな”と微笑ましく思いますが、  ”経営的には厳しいだろうな”と思います

 

                  

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ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会」を聴く~漆原啓子&練木繁夫

2012年03月18日 09時16分10秒 | 日記

18日(日)。昨日、あいにくの雨でしたが、東京文化会館小ホールに行き、漆原啓子(ヴァイオリン)、練木繁夫(ピアノ)によるベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会」を聴きました1日で全10曲を演奏しようとする無謀な、もとい、精力的な試みです 2部構成で、第1部は午後2時から第1番~第5番「春」が、第2部は午後6時から第6番~第10番が演奏されます。2回通し券を買うと記念CDがもらえるというので9,000円を投資し通し券を入手しました

 

                

 

第1部の客の入りは9割程度でしょうか。会場のあちこちにヴァイオリンを背負った学生らしき姿がちらほら見えます 近くに東京芸大、東京音大があるからかもしれません。自席はL列33番。会場右サイドやや後方です。

「ヴァイオリン・ソナタ」は、モーツアルトの時代には「ヴァイオリンの助奏付きピアノ・ソナタ」で、あくまでもピアノが主役でした。ベートーヴェンの時代になって初めてヴァイオリンとピアノが対等の立場で音楽を作っていくようになりました

ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調、第2番イ長調、第3番変ホ長調の3曲は1797年から98年にかけて作曲され、あの「アマデウス」で有名なアントニオ・サリエリに捧げられました。ちなみにサリエリはモーツアルトを暗殺していません。あしからず この中で一番最初に作曲されたのは第2番だったようです。この曲は、何年か前に、すみだトりフォニーホールで豊嶋泰嗣のヴァイオリン、園田高弘のピアノで聴いてすっかりお気に入りの曲になっています

練木繁夫とともに漆原啓子が鮮やかなブルー(水色と青の中間)のドレスで登場です。番号順に第1番から演奏を始めます 演奏曲目は、アルチュール・グリュミオーのヴァイオリン、クララ・ハスキルのピアノによるCDで予習しておいたので、メロディーは頭に入っています 第1番は第1楽章から”ベートーヴェンらしさ”が溢れた魅力的なメロディーです 漆原のヴァイオリンは最初から冴えを見せます。それに練木のピアノがぴったりと寄り添います この人のピアノは安定感というか安心感があります。それは第2番でも第3番でも変わりありません

休憩時間にチケットを提示して記念CDをもらいました。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第1番と第2番が収録されています。2009年~2010年に集録された未発表録音とのことです。家で聴くのが楽しみです

 

                 

                    〔セット券用記念CD〕

 

休憩後に第4番イ短調と第5番ヘ長調”春”が演奏されました。第4番はヴァイオリン・ソナタで初めての短調の曲です。2人の演奏は短調特有の感情表現が見事です そして、第5番”スプリング・ソナタ”です。”春”の愛称は作曲者の死後につけられたものですが、この曲の性格をよく表していると思います。漆原はさわやかな春風が通り抜けていくような心地よい演奏を繰り広げます

鳴り止まない拍手にアンコールを演奏しました。ベートーヴェンの弦楽三重奏「セレナード」から「アレグロ」と「メヌエット」という曲です。これも楽しく聴くことができました 終演は4時20分だったので第1部は2時間20分かかったことになります

 

                             

     予習で聴いたCD(Vn:アルチュール・グリュミオー、P:クララ・ハスキル)

 

第2部まで時間があるので、上野の山を下りて、蕎麦で腹ごしらえをして、再び東京文化会館小ホールに向かいました。早めに並んで会場に入ることにしました。小ホールにはクロークがないのです その代わりコイン・ロッカー(あとで、入れた100円が戻る)があるので、コートや荷物はその中に置けるので、早く良い位置のロッカーを確保するためです。幸い、一番取り出し易い位置のロッカーを確保できたので、コートと折りたたみ傘を入れました 第2部の開演は午後6時です。

会場の入りは第1部よりも増えています。第1部だけ来た人よりも第2部だけ来た人の方が多かったことになります。ちなみに両隣の席の人は第1部と同じ人でした

漆原は衣裳を変えて、鮮やかなグリーンのドレスで登場しました。美人は何を着ても似合いますね さて、第6番は目立たない曲ですが、じっくりと耳を傾けるとすごく良い曲であることが分かります。漆原と練木のコンビはその魅力を十分引き出していきます 第7番はハ短調の曲です。第5交響曲”運命”やピアノ・ソナタ第8番”悲愴”と同じ調整です。彼の激しい気質がこの曲に現われているようです 第8番は一転、明るさに満ちた曲です。2人の演奏は、前の曲との弾き分けが見事です

休憩後は、いよいよこの日の白眉、第9番「クロイツェル・ソナタ」です。この曲はもともとは、イギリスのヴァイオリニスト、ジョージ・ブリッジタワーのために作曲されましたが、なぜか、別のヴァイオリニスト、ロドルフ・クロイツェルに献呈されています。しかし、クロイツェルはこの曲を1度も演奏しなかったと言われています どんな理由があったのでしょうか。漆原と練木のコンビは雄大なスケールの曲を堂々と歌い上げます

さて、いよいよ最後の演奏曲目第10番です。前作クロイツェルの作曲から9年後の1812年に作曲されました。彼の生徒であり、友人であり、パトロンであったルドルフ大公に献呈されています。穏やかな曲で、ヴァイオリンとピアノの対話で始まります。その掛け合いが絶妙です

全10曲を演奏し終わって、笑顔の二人は強い握手。漆原が「(全曲演奏会を)できるかどうか不安でしたが、何とかやり遂げることができました」とあいさつ。会場の拍手に応えてアンコールを演奏しましたが、第1部のアンコールと同じ「セレナード」から「アレグロ」「メヌエット」の2曲でした 第2部の終演は午後8時55分。2時間55分かかったわけです。

第1部と第2部の終わりには2人はCDを買った人へのサービスでサイン会を開いていましたが、こうしたことを含めて大変な1日だったのではないかと思います。私には何も出来ませんがせめてを贈りたいと思います。素晴らしい演奏をありがとうございました

ベートーヴェンの交響曲が”不滅の9曲”だとすれば、彼のヴァイオリン・ソナタも”不滅の10曲”と言えるでしょう この日の演奏会では、これまで親しんできた第5番「スプリング・ソナタ」、第7番ハ短調、第9番「クロイツェル・ソナタ」はもちろんのこと、普段あまり馴染みのない偶数番号の曲=2番、4番、6番、8番、10番の良さを再認識しました。これも漆原啓子と練木繁夫の旺盛なチャレンジ精神のおかげです。次はモーツアルトのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会をお願いしたいと思います

 

                 

 

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神田昌典著「2022-これから10年、活躍できる人の条件」を読む

2012年03月17日 07時09分53秒 | 日記

17日(土)。昨夕、仕事の打ち合わせでE部長、T君、K君と久しぶりに地下の炭火焼鳥Oで飲みました いつものように「1時間ね」という合意のもとに飲み始めましたが、結局いつの間にか9時。近くの席でS建設のFさんが飲んでいましたが、この人がこちら側に加わっていたら多分10時は軽くオーバーしていたでしょう くわばらくわばら

 

  閑話休題  

 

神田昌典著「2022-これから10年、活躍できる人の条件」(PHPビジネス新書)を読み終わりました 神田昌典氏は外務省官僚出身の経営コンサルタントです。「経営」「マーケティング」の分野では知らない人はいないほどの有名人です

神田氏は大震災前の2011年1月2日のメールマガジンで次のように書いています。

「おそらく歴史的に見ても、2011年は記憶に深く刻まれる年になるでしょう。・・・・・こうした時代の境目では、突然、予想もできないことが勃発するでしょう。・・・・・このタイミングでは、どんなに悲観の淵に立たされたとしても、それは必然があってのこと。重要なことは、そこから希望のシナリオを描くことです。そしてそのシナリオに基づいて、それを実行することです」

これを基に「3.11の大震災をいい当てた」とも受け取れますが、彼がなぜそのような予想を立てたのかを考えることが重要だと言います その理由は「歴史は70年周期で巡っている」という事実だといいます。約70年前と現在と比較するとどうなるか。1931年には満州事変が勃発、70年後の2001年には9.11アメリカ同時多発テロが勃発、1940年には大政翼賛会が成立、70年後の2009年には民主党に政権交代、1941年には太平洋戦争が勃発、その70年後の2011年には東日本大震災が発生。このようにほぼ70年周期で大事件が起こっていることを指摘します

さらに彼は主張します。

「日本はいま、70年間続いてきた、ひとつの歴史サイクルが終わろうとしている。あと3年足らずという限られた時間で、1945年からの総決算を、世代を超えて行わなければならない 国際社会における日本の役割は何かと考え、手放す価値観と、次世代まで持ち込む価値観を見極めなければ、日本は沈没、いや、日本文明が崩壊する

さらに「2024年、会社はなくなる」の章では「iPhoneの未来を予測する」という興味深い試みを展開しています

「すべてのものには、寿命がある。そして、寿命を、意外なほど簡単に予想できる方法がある。だから、この方法を使うと、”会社という概念”自体の寿命が、そろそろ尽きかけていることがわかる」 「世の中に存在するものはすべて、導入・成長・成熟という3ステージを通る。これを成長カーブと呼ぶ。導入期は、立ち上がりなのでまだ成長はゆっくり。それが真ん中の成長期になると、グンと伸び率が上がり、一気に成長・発展。ひと通り成長した後は成熟期に入る。伸びは再び鈍化し、サイクルの終盤となる」

こうしたサイクルを掴んでおけば、いつ新製品を投入すべきかなどの判断が下せると言います。会社もこの「導入・成長・成熟」のサイクルで動くと言います。そして、いつか会社はなくなると また、これまでは「金をもうけることが最重要という価値観だったが、これからは、そういう人は戦犯になる。今後は人のためになることが最重要という価値感が尊ばれる」と指摘しています

このほか、「イン・フォメーションからエクス・フォメーションへ」「40代が、時代のはざまに架ける橋」など、興味深い提言を発信しています かなり刺激的な提言に満ちた本であることに違いありません

 

            

 

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ダンス経験のない若者が特訓のすえ踊る~ピナ・バウシュ「夢の教室」を観る

2012年03月16日 06時53分24秒 | 日記

16日(金)。昨夕、テレビのニュースを観ていたら、韓国の世界的な指揮者チョン・ミュンフンが、手兵フランス国立フィルハーモニーのメンバーと北朝鮮のオーケストラのメンバーによる合同オーケストラを指揮して、ブラームスの「交響曲第1番」を振った映像を流していました これは、チョン・ミュンフンの夢だったはず 音楽は国境を超える 北朝鮮のオーケストラメンバーが韓国の指揮者にしたがって演奏するなどあり得ないことですが、解説によると、キム・ジョンウンが地位固めのためイメージアップを図っていることの現れではないかと言っていました まあ、そうなのかも知れません。いずれにしても、音楽が南北の雪解けに少しでも役立つといいと思います

 

  閑話休題  

 

5月3,4,5日に東京国際フォーラムを中心に開かれるラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(LFJ)のチケットを買いました 表向きには「一般発売開始は3月31日(土)午前10時から」とされていますが、LFJフレンズ会員先行発売というのがあり、すでに発売されているのです 「フレンズ会員」と謳っていても、チケットぴあで誰でも買うことができます。ぴあでは今買いに来る人はフレンズ会員だとみなして売っているのです 「ぴあクラシック」などで聴きたい公演をピックアップして「チケット申込書」に書いて出せばOKです 3月31日まで待っていたら、残っている席は5012人収容のAホール、1502人収容のCホール、あるいは「よみうりホール」かで、後ろか端の席くらいでしょう。聴きに行く人は1日でも早く手を打った方が良いです

毎年LFJ音楽祭は3日間で15公演前後聴いていますが、今回は16公演聴くことになります一番聴きたかったのはクレール=マリ・ルゲのピアノだったのですが、150~220席しかない会場で演奏するので、会員先行抽選の段階で販売終了になってしまいました。無念です アンヌ・ケフェレックのピアノが聴けるからいいか、と自分を納得させています

出来るだけ普段、生で聴く機会がない曲を中心にコンサートを選びました 3日では、ショスタコーヴィチ「ピアノ五重奏曲ト短調」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第4番」、プロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第2番」など。4日では、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」、ショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」など。5日では、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」、ラフマニノフ「晩祷」「鐘」などです また、コンサートのハシゴの季節がやってきます

 

                    

 

  2回目の閑話休題  

 

ヒューマントラストシネマ有楽町で映画「ピナ・バウシュ”夢の教室”」を観ました2月26日に新宿バルト9で「Pina」を観てハマってしまいました。翌27日のブログにも書きましたが、ピナ・バウシュはドイツのヴッパタール舞踏団を率いた、今は亡き舞踏家・振付師です

この映画は、ダンスの経験のない40人の10代の若者たちを10か月特訓してピナの名作「コンタクトホーフ」を観客の前で踊れるようにする過程をドキュメンタリーとして撮ったものです 演劇好きの少年、ロマ(ジプシー)の子供、父親を亡くした少女、ヒップホップしか踊ったことがない少年・・・・・・・・性格も家庭環境も異なる様々なティーンエイジャーが集まり、厳しい踊りのレッスンを受けます

レッスンを付けるのはヴッパタール舞踏団で活躍したベネディクト・ビリエとジョセフィン=アン・エンディコット(通称ジョー)という2人の中年女性です。毎週土曜日のレッスンで、「できない」という彼らを慰め、説得し、一緒に走り、踊ります ピナ・バウシュも極力顔を出して彼らのレッスンを観てアドバイスをします。紫煙をくゆらせながらメガネ越しに若者たちを見守るピナの厳しくもやさしい目が印象的です

厳しいレッスンのうえ、最後に会場一杯の観客を前に40人の若者が「コンタクトホーフ」を披露しますが、スタンディング・オベーションを受ける彼らの自信に満ちた顔を見て、心の中で拍手を送りました。ドイツ語で89分の映画です

 

       

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ブラームス、メンデルスゾーンの室内楽を聴く~新日本フィル室内楽シリーズ

2012年03月15日 06時51分42秒 | 日記

15日(木)。昨夕、すみだトリフォニーホール(小)で新日本フィル室内楽シリーズ「音楽家たちの饗宴2011-2012 第6回」を聴きました 曲目は①メンデルスゾーン「弦楽四重奏曲第2番イ短調」、②ブラームス「弦楽六重奏曲第2番ト長調」の2曲です

1曲目のメンデルスゾーンの「弦楽四重奏曲第2番」は、実際には第1番の2年前、作曲者が18歳の時に作曲されたとのことです

第1楽章はアダージョーアレグロ・ヴィヴァーチェです。ゆったりとした導入部がしばし続き、急にアレグロに転換します 第1Vn山田容子、第2Vn宗田勇司、ヴォオラ間瀬容子、チェロ貝原正三というメンバーですが、どうも第1楽章はしっくりといきません 聴く側にとってもなじみの薄い曲ということもありますが、気持ちが乗り切れないのです。第1楽章終わりと、第2楽章終わりの切れ目にはチューニングをしていました。それなりの理由があったのでしょう 第3楽章と第4楽章は続けて演奏しました。第4楽章の山田の独奏は美しかったです。曲想としては、若々しい歌心に満ちた曲です。演奏は全体的には日光の手前(イマイチ)でした。

2曲目のブラームス「弦楽六重奏曲第2番」は、むさい男ばかり6人で演奏しました 第1Vn西江辰郎、第2Vn竹中勇人、第1Va高橋正人、第2Va原孝明、第1Vc武澤秀平、第2Vc多田麗王というメンバーです。

曲が始まる前に、私のすぐ前に座っている中高年女性2人がひそひそ話をしています。その前の席に背の高い男性が座っており、その頭が邪魔で、女性の席からイケメンのコンマス西江辰郎の顔が見えないようなのです。「この人邪魔よねえ」「そうよねえ。背が高いんじゃなくて、座高が高いだけなのよ。どうせ胴長短足よ」とでも話しているらしいのです。気持ちはよーく分かりますが、こういう場合は不運として諦めて次回から厚めの座布団を持参するしかないですね・・・・・・そうすると今度は私が犠牲に・・・・・・やっぱり取り下げます

さて、演奏ですが、第1楽章の冒頭から「これはイケる」と感じました。すごく流れがいいのです。もちろん曲自体の魅力もあるでしょうが、6人の調子を揃えるのは並大抵のことではないでしょう。核となっているのは第1Vnの西江、第1Vcの武澤、第1Vaの高橋ですが、さすがはコンサートマスターの西江がぐんぐん他のメンバーを引っ張っていきます。何よりも良いのは個々の演奏者が楽しんで演奏しており、それが聴く側にも伝わってくることです 音楽ってこういうのが大切なような気がします

弦楽器だけのアンサンブルでしたが、その妙味を感じ取ることができました

 

     

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最高に面白い~中村紘子「チャイコフスキー・コンクール」を読む

2012年03月14日 06時48分27秒 | 日記

14日(水)。3.11も無事に過ぎて、今日はもう3.14・・・・・・ん?何かあったような・・・・・そうだ!円周率だ 「半径×半径×3.14」は円の面積で、「4πr(パイアール)2乗」は「心配ある事情」だったかな 違うぞ・・・・球の表面積ではないか 今日は朝からハードルを上げて数学で迫ってみました。たまにはいいでしょ、こういうのも

 

  閑話休題  

 

ピアニスト中村紘子著「チャイコフスキー・コンクール」(新潮文庫)を読み終わりました 彼女が「チャイコフスキー・コンクール~ピアニストが聴く現代~」を「中央公論」誌上で連載したのは1986年(昭和61年)のこと。それが「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞し話題になりました。私は20年以上前に確か中公文庫で一度この作品を読んでいます その時にも”素晴らしく面白い”と思ったのですが、今回改めて新潮文庫で読んで”滅茶苦茶面白い”と思いましたクラシック音楽愛好家、とくにピアノ音楽愛好家にとってこれ程面白い本はありません

中村紘子はジュリアード音楽院で日本人初の全額奨学金を獲得しロジーナ・レヴィン女子に師事しました。そして第7回ショパン・コンクールで日本人初の入賞と最年少賞を受賞しましたその後ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクールの審査員を何度か務めています。この本は中村が1986年の第8回チャイコフスキー・コンクールで審査員を務めたときのことを中心に、審査の内幕や、演奏論を展開したものです

彼女は、コンクールの審査はあくまでも”相対的なものである”ことを語っています。

「例外はあるだろうが、いったいにコンクールというものは、原則として1位を出すことになっている。そしてその1位は、ホロヴィッツやミケランジェリに比較しつつ、つまり絶対的な基準によって選ぶべきものではなく、たまたまそのコンクールに参加したコンテスタントたちの顔ぶれからいわば相対的基準によって選ぶ。そして場合によっては、ソ連の審査員の一人であるドレンスキー教授(例のブーニンの先生)がいみじくも私に語ったように、”その1位が、これから先、超一流の芸術家に育ってくれるのかどうかまで、選んだ自分たちには責任がない”のである」

ピアノを弾く人にとって興味深いと思われるのは、日本独特の「ハイ・フィンガー奏法」について語っている部分です。「ハイ・フィンガー奏法」とは”手首を比較的低めに固く保ち、指先を丸く曲げて爪先を鍵盤にほとんど直角に近いような角度で、しかも鍵盤から高く上げて弾き下ろす奏法”とのことで、何を隠そう中村紘子はこの奏法を井口愛子先生から叩き込まれたということです 昭和30から40年代にはこの奏法が主流だったといいます。“出てくる音の表情は多彩ではないのに、弾いている姿はひどく熱演ぽく、歯を食いしばっているような感じになる” ”奏法が単一なら出てくる響きも単一であり、多少の個人差はあっても本質的には同じような性格の音質となる”。その後、この奏法は影をひそめたようですが、いまでもその頃のイメージが残っており、コンクールの審査において、「日本人の演奏は一つのミスもなく平然と演奏するが、機械のように無表情である」「きちんと弾くが、個性に乏しい」という先入観によって評価が左右されがちになっているということです

この本の内容をより詳しく紹介しようと思い、”この部分を紹介しよう”というページの”耳”を折っていったのですが、あまりにも多すぎて途中で断念せざるを得ませんでした とにかく中村紘子という人は文章がうまい 大宅壮一ノンフィクション賞受賞は納得できます

この本にはオリジナルの文庫には収録されていなかった、1990年の第9回チャイコフスキー・コンクールの模様が収録されています この時にヴァイオリン部門で優勝したのは諏訪内晶子でしたが、コンクールでバックを務めたピアノ部門とヴァイオリン部門の各オーケストラと、同じ名前の指揮者を巡る内幕話はとても面白く、コンテスタント本人がいくら頑張っても、オーケストラに足を引っ張られては手も足も出ないという事実を教えられました 取り上げているピアニストが若干古いという点はありますが、とにかくとてつもなく面白い本で、あっという間に読み終わってしまいます。お薦めします

 

              

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河村尚子、堤剛、佐藤俊介でピアノ・トリオを聴く~ドヴォルザーク、チャイコフスキー

2012年03月13日 06時49分02秒 | 日記

13日(火)。昨日の日経夕刊に指揮者・秋山和慶が「たたき込まれた基本の”たたき”~恩師・斉藤秀雄の著書”指揮法教程”」というエッセーを書いています

小澤征爾に憧れて1956年に桐朋学園高校に入学したが、その年に師の斉藤秀雄先生が著したのが指揮のための教本「指揮法教程」だった 空中の1点を打つ”たたき”や”しゃくい”など7つの基本動作がある。最初の3か月はひたすら”たたき”をやらされた 力を抜いて腕を打ち下ろし、瞬時に持ち上げる・・・・・・・基礎をみっちりたたき込まれたおかげで、変拍子の複雑な曲も指揮できる力がついた

74年、先生が癌で亡くなる直前に、病床で「改訂版を作ってくれ」と頼まれた。忙しくなかなか取りかかれなかったが、89年から桐朋学園の仲間たちと集まって作業を始め、400回ほど会合を重ねて手を入れた。・・・完成したのは2009年。いま第3刷まで版を重ねている。少しは恩返しができただろうか

個人的には日本人の指揮者の中では秋山和慶が一番好きですが、彼の指揮法は1956年に恩師が著した”教科書”に基づいたものだったですね

 

  閑話休題  

 

昨夕、紀尾井ホールで「4大ピアノ・トリオを聴く」第2夜を聴きました プログラムは①ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第4番”ドゥムキ―”」、②チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲”ある偉大な芸術家の思い出に」の2曲です

演奏はヴァイオリン=佐藤俊介、チェロ=堤剛、ピアノ=河村尚子です。佐藤俊介は2月27日の第1夜の公演で聴きました。堤剛は日本音楽界の大御所で、ご存知の通りサントリーホール館長です。河村尚子は先週水曜日(7日)にオール・プロコフィエフ・プログラムによるリサイタルを聴いて以来です。今回はプロコフィエフ以外の曲を聴くいい機会です

前回の第1夜がピリオド楽器(作曲家が活躍していた時代の楽器)による公演だったのに対して、今回はモダン楽器による演奏です 会場は2階席も含めてほぼ満席。自席は1階19列1番です。

河村は情熱の赤のドレス、堤はトレードマークの蝶ネクタイ、佐藤は黒のスーツで袖口から赤色が覗いています

1曲目のドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第4番」は「ドゥムキー」の副題がついていますが、これはウクライナ地方の哀愁的な歌謡「ドゥムカ」の複数形です。ドヴォルザークがアメリカに渡る直前の1890年~91年に作曲されました この曲は6つの楽章から成りますが民族色豊かな音楽です。3人の奏者は誰が突出するということもなく哀愁漂うメロディーを奏でていきます

2曲目のチャイコフスキー「ある偉大な芸術家の思い出に」の”ある芸術家”とは1881年に腸結核で死去したニコライ・ルビンシテインのことです。彼は初代モスクワ音楽院院長であり優れたピアニストでもありました 一般的に、この手の曲は3楽章、あるいは4楽章からなるケースが多いのですが、この曲は2楽章形式です。演奏を聴いていて気が付くのはヴァイオリンとチェロが同時に同じ旋律を弾くケースが多いということです つまり、”ピアノ対弦楽器”という図式が成り立っていると言えます

第1楽章前半で、河村が挑発すると堤と佐藤が応戦するといった”聴きどころ”がありましたこれは第2楽章の後半部でも見られましたが、かといって、河村は自分だけ主張するというのではなく、バランスを取りながら主張すべきところは主張するといった姿勢が表れていました 先日聴いたソロによるプロコフィエフの演奏ももちろん良かったのですが、今回のように他者と楽器で対話しながら演奏するアンサンプルの方が、彼女の個性が生かされるのではないか、と思います 最後近く、第1楽章冒頭の”悲歌的な主題”が再度登場するところは”協奏”というより、むしろ”競奏”というべき手に汗握る迫真の演奏を展開しました

今回の2曲は普段滅多に聴く機会がないのですが、CDで聴くのと違って生演奏で聴くとその良さが分かります

アンコールに、ドヴォルザークの第4番の第5楽章をもう一度演奏しましたが、初めて聴いたような錯覚に陥りました

 

           

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ドイツ・オペラ界総出演の映画「魔弾の射手」を観る

2012年03月12日 06時12分15秒 | 日記

12日(月)。昨日、イトシアプラザ4階の「ヒューマントラストシネマ有楽町」でオペラ映画「魔弾の射手」を観ました カール・マリア・フォン・ウェーバー作曲によるドイツ・ロマン派最初のオペラを映画化したものです オペラの舞台を映画化するのではなく、最初から”映画”を意識して屋外にも出て撮影したもので、歌手は役者となり、迫真の演技を披露します

マックスとカスパールの2人の猟師は共にアガーテを愛していますが、マックスがアガーテと相思相愛の間柄にあります マックスは彼女と結婚するためには射撃大会で優勝しなければなりませんが、自信がありません 悪魔に魂を売ったカスパールは彼に魔弾を使えとそそのかします 誘惑に負けたマックスは魔弾を手に入れますが、6発目までは自分の思い通りにいくが、7発目は悪魔の意のままになるということを知りません 大会当日、領主からあの白い鳩を打てと命じられ、マックスは(7発目の)魔弾を込めて狙いを定めます。そこにアガーテが現れ「その鳩は私です。撃たないで」と叫びます。しかし、引き金が引かれ魔弾は発射されます。さてアガーテは・・・・、マックスは・・・・・

歌手はいずれもドイツを代表するアーティストたちです。主役級のマックスをミヒャエル・ケーニヒ(テノール)が、アガーテをユリアーネ・ヴァンゼ(ソプラノ)が、エンヒェンをレグラ・ミューレマン(ソプラノ)が歌い演じます ほかにルネ・パーペ、オラフ・ベーアといったドイツを代表する歌手が出演しています

この映画では、最初に歌を録音しておき、後でその歌に合わせて演技をしたということです歌のほかに映画のためのセリフもあります。歌いながら演技をする制約から逃れられるため、迫真の演技が可能になったようです どの出演者も、とてもただのオペラ歌手とは思えない”役者ぶり”を見せています なお、音楽を演奏しているのはダニエル・ハーディング指揮ロンドン交響楽団、バイエルン放送合唱団です。ドイツ語によるスイス映画で142分。歌手、オーケストラともども生き生きとした「魔弾の射手」の世界を表出しています 

「魔弾の射手」を生で観たのは数年前に新国立劇場が上演した時でした。映像を使った立体的な演出だったと記憶しています。オペラは生が一番ですが、今回のような映画なら別のオペラも観てみたいと思いました

 

     

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