人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「ドビュッシーとの散歩」「ガソリン生活」「ごはんぐるり」「ドンナビアンカ」「笑うハーレキン」を買う

2016年03月11日 07時39分50秒 | 日記

11日(金)。3.11から5年が経ちました。あの日、テレビに映し出された 津波が田畑をなめつけていく様子が忘れられません。まるでCGを見ているようでした それから1年くらい続いた公共広告機構の「エーシー」というメロディー。日本全国を”自粛”の風が吹きまくりました。原発事故により5年も経ったのに まだ仮設住宅暮らしを強いられている人たちが数多くいらっしゃることを考えると やるせないものがあります 一日も早い完全復興を願うばかりです

さて、最近 夜 モコタロがゲージから出てくるのが遅く 深夜になってしまうので、朝 娘が放し飼いにして出勤するようになりました 私が朝起きてリビングに行くと、モコタロが床に座ってこちらを見ている光景が日常化しています

 

          

 

要するに遊んでほしいのです。仕方ないので、朝食を取ってから、白ウサちゃんを振り回して追いかけさせたりして遊んであげます

 

          

 

いつまでも遊んでいるわけにはいかないので、リビングのドアを開けてやると、一旦廊下に出るのですが また戻ってきます それを何回か繰り返してやっと子供部屋の中のゲージに戻ります

 

          

 

というわけで、わが家に来てから530日目を迎え、受けないシャレを言うモコタロです

 

          

          飲みかけのボトルがあるぞ 誰のかな? ご主人は飲まないし

 

          

          いつも出しっぱなし 呆れて気が抜けちゃうよ サイダーだから

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に初めて「鶏のから揚げ」を作りました 以前から娘が「栗原はるみさんのレシピによる”鶏のから揚げ”を作って!」と言っていたので、重い腰を上げて作りました 娘が作ったそのから揚げが美味しかったので挑戦してみようと思ったのです まず最初にネットでNHK「今日の料理」→「鶏肉料理」→「から揚げ」と検索して栗原さんのレシピに到達し、画面を印刷するところから始めました 味の決め手は「うまみじょうゆ」にあるらしかったので、さっそく「醤油+にんにく+ショウガ+削り節」で作成して器に入れて一旦冷蔵庫で保管しておきました

 

          

 

栗原さんのから揚げの特徴(?)は ころもに片栗粉を使うところです。私の場合、一度に多く作る傾向があり、今回は1,100gの鶏肉をから揚げにしました。それがこれです

 

          

 

子どもたちからは「すごく美味しい」という評価をもらいました。初めてにしては成功だったかな、と思います 食べながら、娘から「油の温度を180度に保った?」と訊かれましたが、まったく温度は無視して揚げていたので 答えようがありませんでした  どうやらわが家のガスレンジは温度センサーが付いているようで、温度設定ができることが後から分かりました。次回の参考にしたいと思います

          

  も一度、閑話休題  

 

本を5冊買いました。1冊目は青柳いづみこ著「ドビュッシーとの散歩」(中公文庫)です ピアニスト青柳いづみこさんの本は、このブログで「六本指のゴルトベルク」をご紹介しました。ドビュッシーの第一人者である著者がドビュッシーのピアノ作品40曲について語るエッセイです

 

          

 

2冊目は伊坂幸太郎著「ガソリン生活」(朝日文庫)です 伊坂幸太郎の作品は、つい先日「残り全部バケーション」をご紹介したばかりですね。「ガソリン生活」は朝日新聞に掲載された連載小説です

 

          

 

3冊目は西加奈子著「ごはんぐるり」(文春文庫)です 西加奈子の作品は、このブログでも「漁港の肉子ちゃん」「ふくわらい」「ダイオウイカは知らないでしょう(共著)」などをご紹介してきましたね。テヘラン生まれの大阪弁が何とも言えない魅力です

 

          

 

4冊目は誉田哲也著「ドンナ ビアンカ」(新潮文庫)です 誉田哲也の作品はつい先日「あなたが愛した記憶」をご紹介したばかりです。期待するところ大です

 

          

 

5冊目は道尾秀介著「笑うハーレキン」(中公文庫)です 道尾秀介の本を買うのは本当に久しぶりです。いつも最後のどんでん返しが楽しみです

 

          

 

いずれも内容・感想は当ブログでご紹介していきます

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パトリシオ・グスマン監督「真珠のボタン」を観る~光のノスタルジアに次ぐ叙事詩

2016年03月10日 07時59分19秒 | 日記

10日(木)。息子の通う大学から速達で 正式な大学院合格通知が届きました すでに内定していたのですが、やはり正式な文書が届かないと落ち着きません。これで二安心です しかし、それと同時に初年度納付金(入学金と授業料等)の請求書が同封されていました 請求額を見て初めて 年間授業料が大学時の約半額であることが分かりました。これは助かります さっそく指定銀行に振り込み手続きをしておきました ということで、わが家に来てから529日目を迎え、ゲージから出ないでオヤツをもらおうと横着するモコタロです

 

          

           ねえ オヤツちょうだいよ ここから出なくてもいいでしょ

 

          

            ねえ いいじゃん わざわざリビングに行かなくてもさ

 

          

             ちょうだいってば 何でもするから おねがい!

 

  閑話休題  

 

昨日は、あまりにも寒かったので「海鮮+野菜鍋」にしました 食材は、牡蠣、タラ、エビ、ホタテ、つみれ、白菜、シイタケ、エノキダケ、豆腐、くずきりです   まあ、それは良いのですが、家族そろって鍋を囲むという目論見だったのですが、年度末で有給休暇を取って遊びに出た娘から 9時に帰るというメールが入ったのに、後から 遅くなりそうなので外食するという連絡があり、息子は息子で大学から帰ってきたのが10時半でした。そんな訳で、結局 揃って食べることが出来ませんでした

まあ、人生いろいろあるさ、ということで日本酒をお燗して 独りで飲みかつ食べました。(財津一郎風に)サビシ~

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、神楽坂のギンレイホールで映画「真珠のボタン」を観ました 2015年、フランス・チリ・スペイン合作映画ですが、先日観た「光のノスタルジア」に次ぐパトリシオ・グスマン監督による連作叙事詩第2弾です

 

          

 

南米チリ南部の西パタゴニア地域には遊動民(ノマド)やインディオなどの先住民がいた。ある時海底でボタンが発見された。前兆4300キロにも及ぶチリの長い海岸線を舞台として、かつて祖国と自由を奪われた先住民やピノチェト独裁政権下で海の中にレールの重しとともに沈められた人々の悲劇の歴史を紐解く

いま生きているチリのインディオは20人足らずになっているとのことですが、インディオの言葉で何と言うかというインタビューがあり、「警察官」に該当する言葉はないという事実が分かります 要するにインディオの世界には警察官は必要なかったということです。また、「神」に対応する言葉はないということも明らかになりました。つまりインディオは神の存在を認めていないということです

グスマン監督は、「光のノスタルジア」ではアタカマ砂漠に埋められた政治犯たちの悲劇を、「真珠のボタン」では海に沈められた政治犯たちの悲劇を描くことによって、ピノチェト独裁政権下の極悪犯罪を告発しています タイトルにある「ボタン」は、海の中にレールとともに沈められた人が身に付けていた衣服のボタンが、錆びた鉄道レールにこびりついていたことに因んでいます。この映画では「水」に光が当てられており、水滴、川、海などの映像が美しいだけに、過去の悲惨な歴史が心に沁みわたります

 

          

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誉田哲也著「あなたが愛した記憶」を読む~ホラーサスペンスの傑作

2016年03月09日 07時44分33秒 | 日記

9日(水)。わが家に来てから528日目を迎え、誰かがリビングのドアを開けてくれるのを待っているモコタロです

 

          

            自分の部屋に戻りたいんだよ おねげえだ 開けてくだされ!

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「揚げない!皮パリ♪ チキン南蛮」「生野菜のサラダ」「エノキダケの味噌汁」を作りました 今回の「揚げない~」は初めてクックパッドのレシピを参考にしましたが、焦がしてしまいました 強火か中火か弱火か書かれていなかったので、中火で焼いたのですが焦げました そのことを娘に言うと、「クックパッドは確かにメニューの数は多いけれど、所詮 素人の投稿なので不備な面が多い。その点、NHKの『今日の料理』はプロが作っているので安心だよ」というアドヴァイスがありました。今後の参考にしたいと思います。ちなみに今回のチキン南蛮は「美味しかった」という評価を得ました

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

誉田哲也著「あなたが愛した記憶」(集英社文庫)を読み終わりました 著者は1969年東京都生まれ。2002年に「妖の華」で第2回ムー伝奇ノベル大賞優秀賞を受賞してデビューしました その後、警察小説「ジウ・シリーズ」「ストロベリーナイト」など問題作を次々と発表、話題を巻き起こしました

 

          

 

興信所を営む48歳の曾根崎栄治の前に、女子高生の民代が現れる。彼女は、19年前に突然姿を消した恋人・真弓が生んだ英治との娘だと主張する 彼女は英治に、二人の男を探してほしいと依頼する。二人のうちのどちらかが、世間を騒がせている残虐な連続監禁殺人事件の犯人だと言う なぜ彼女はそんなことを知っているのか?疑問を持ちながら調査を進めるうちに、かつての恋人・真弓も、その娘・民代も特殊な血筋を持った”人種”であることが分かってくる そして二人の男も繋がりがあることが。さて、それはどんな血筋なのか?連続殺人犯はだれなのか・・・・

これは一種のホラーサスペンスです 誉田哲也の本を読んで驚くのは、そのカバー範囲の広さです 「ストロベリーナイト」の姫川玲子シリーズ、ジウシリーズがあるかと思えば、「武士道シリーズ」あり、そして今回のホラーサスペンスと、この人はどこまで貪欲に広範囲に小説を書いていくのか、畏敬の念を抱きます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ナイトクローラー」「アメリカンドリーマー」を観る~早稲田松竹

2016年03月08日 07時35分31秒 | 日記

8日(火)。わが家に来てから527日目を迎え、ゲージのある子供部屋を出てリビングに向かおうとするモコタロです

 

          

              ぼくがリビングに行くのは 散歩の時とオヤツの時だよ

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「豚肉のアスパラ巻き焼き」「生野菜とワカメのサラダ」「ジャガイモの味噌汁」を作りました 「豚肉~」のお皿に乗っている黄色の物体は、戴いたゆずです。そう、あの「栄光の架橋」の・・・・ちゃうってば

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日の朝日朝刊に「アーノンクールさん死去 86歳 指揮者 古楽演奏の先駆者」という見出しの記事が載りました。超訳すると

「モーツアルトやバッハの作品への斬新な解釈で知られるニコラウス・アーノンクールが5日、死去した 86歳だった。昨年12月、今後の演奏活動から退く意向を明らかにしていた。ベルリン生まれ。ウィーン国立音楽大学でチェロを学び、チェリストとしてウィーン交響楽団に入団 53年、アリス夫人とともに古楽演奏集団『ウィーン・コンツェルトゥス・ムジクス』を創設。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは2度指揮した

アーノンクール指揮ウィーン・コンツェルト・ムジクスによる演奏は、今から10年くらい前に NHK音楽祭でモーツアルトの「ヴェスペレK.339」他を演奏したのを聴いたことがあります。曲の合間に祈祷文を読み上げるという独特の解釈による演奏でした

最近のCDで印象に残るのは、2014年にリリースされたモーツアルトの後期交響曲集(第39番、40番、41番)の演奏です 2枚組のアルバムですが、1枚目に「第39番K543」と「第40番K550」が、2枚目に「第41番K551”ジュピター”」が収録されています とくに1枚目の演奏が印象に残ります

 

          

 

第39番、第40番はアーノンクール特有のテンポの速い演奏です。私は3曲の中では第39番が一番好きなのですが、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルの演奏がスタンダートになっている私から見ればアーノンクールのこの演奏は、モーツアルトに対する冒涜以外の何ものでもありません ”速い”に”超”が付く、取りつく島のない忙しない演奏です このCDでは第39番K543の最終楽章が終わるや否や第40番の第1楽章が開始されます 初めて聴いたときは「えっ なに?」と驚きました まさか1枚のCDに2曲を収めるために間を置かずに続けて演奏したのではあるまいな、と しかし、CDジャケット裏の解説を読むと次のように書かれていました

「Nikolaus Harnoncourt has spent over sixty years exploring Mozart's last three symphonies. He considers this album a recording not of three independent works but rather of a single work in three sections - an"Instrumentarl Oratorium".

つまり、アーノンクールはモーツアルトの最後の3つの交響曲を60年以上にわたり研究してきたが、その結果、3つの交響曲をそれぞれ別個の作品としてではなく、3つのセクションから成る一つの「管弦楽のためのオラトリオ」と考えるようになった、ということです オラトリオは通常 声楽が伴いますが、彼は声楽を伴わない”管弦楽のための”オラトリオと捉えています 各交響曲は 一つの大きな作品の中の一部分という解釈なので、第39番と第40番が続けて演奏されることになります        

アーノンクールは、いつもそうでした。他の演奏家が考えもしない解釈で演奏し、クラシック界に新風を吹き込んで 納得させてきました 私は彼の演奏スタイルを100%支持するものではありませんが、常にクラシック界の異端児であるとともに パイオニア的存在であり続けたアーノンクールさんの冥福をお祈りします

 

  最後の、閑話休題  

 

昨日、早稲田松竹で「ナイトクローラー」と「アメリカンドリーマー」の2本立てを観ました

「ナイトクローラー」は2014年、ダン・ギルロイ監督・脚本によるアメリカ映画です

 

          

 

学歴もなければコネもなく、したがって仕事もないルー(ジェイク・ギレンホール)は、ある日、事故現場を通りかかり、テレビ局に事故の悲惨な映像を売るカメラマン達に遭遇し、その仕事で身をたてようと決心する さっそくスポーツ自転車を売る代りにビデオカメラと警察無線の盗聴装置を手に入れる そして、事件・事故を追う「ナイトクローラー」となって夜のロサンゼルスの街を車で駆け巡る。テレビで放映するには悲惨過ぎるような場面も平気で撮るルーの過激な映像はテレビ局に高く売れ、高視聴率を狙うテレビ局からの要求はエスカレートしていく ある日、警察よりも早く事件現場に到着したルーは、逃走する犯人の顔や車のナンバーを映したにも関わらず警察には通報せず、自ら犯人を突き止め、犯人一味がレストランに入ったところで警察に通報し、逮捕の瞬間をスクープすることを狙う。果たして彼の目論見は成功するのか

 

          

 

事件や事故など”人の不幸”を撮影してテレビ局に映像を売る、いわゆる”パパラッチ”の暗躍を描いた作品ですが、監督は「そこまでやるか」という冷酷なナイトクローラー像を描いています 映像のためなら”絵になるように”死体を動かして構図を決めるシーンなど、言ってみれば撮影者による「やらせ」ですが、アメリカだったらあり得ないことではない、と思ってしまう怖いところがあります

これ程冷酷な主人公は最後には天罰が下るのではないか、と思って見ていると、まったく違う結末を迎えます。これもまたアメリカらしいと思います

2本目の「アメリカンドリーマー」は2014年、J.C.チャンダー監督・脚本によるアメリカ映画です

 

          

 

舞台は1981年のニューヨーク。犯罪と暴力が氾濫するオイル業界にあって、クリーンなビジネスを信条として一大オイル会社を築き上げた移民のアベルとその妻アナ アベルは事業拡大のための土地購入代金として全財産を投入したが、その直後に彼の成功を阻止しようとする何者かによる陰謀によって、オイルを積んだトラックの強奪、脱税嫌疑、家族に対する脅迫が次々と襲い掛かる こうしたことから悪いうわさが一気に広まり、銀行からの融資がストップされる 思い当たる筋に借金の申し込みをするアベルだが、おいそれと何十万ドルもの金は貸してくれない そうした中、妻のアナが自分たちの銀行預金通帳に多額の預金があることを知らせる どういう種類の金か、と問い詰めるアベルに対し、アナは 自分たちが事業で稼いだ金の一部を隠してきたのだと答える つまり、彼女は二重帳簿を付けて税金逃れをしてきたのだった。クリーンを信条とするアベルはそれを使うことを拒否するが、最後に追い詰められて使うことを決断する

 

          

 

つまり、アベルはクリーンを信条に会社経営に携わり、そのために同業者からも一目を置かれる存在になっていた訳ですが、彼の預かり知らないところで、妻のアナが言わば”不正に”会社の金を蓄財してきたということです アベルはこの金を使って新しい土地を購入し、事業の拡大に向けて前進することが出来た反面、何か大きなものを失ったはず しかし、厳しいビジネス界で生きるか死ぬかの選択において、アメリカンドリーマーとしては生きる道を選択するしかなかったでしょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新国立オペラでリヒャルト・シュトラウスの歌劇「サロメ」を観る~圧巻!カミッラ・ニールントのサロメ

2016年03月07日 07時31分41秒 | 日記

7日(月)。マンションの駐輪場の植え込みにある沈丁花の香りが漂っています この匂いを嗅ぐと「ああ、春が来たんだなぁ」と思います。今朝は、今年初めて窓ガラスに結露が付いていませんでした。外気と室内との温度差がなくなっている証拠です。これにも春を感じます ということで、わが家に来てから今日で526日目を迎え、リビングで 月曜日の再来を嘆いている サラリーマン的感覚のモコタロです

 

          

           あっという間に1週間が過ぎて また月曜日になっちゃたよ

 

  閑話休題  

 

昨日、初台の新国立劇場でリヒャルト・シュトラウスの歌劇「サロメ」を観ました キャストは、サロメにカミッラ・ニールント、ヘロデにクリスティアン・フランツ、ヘロディアスにハンナ・シュヴァルツ、ヨハナーンにグリア・グリムスレイ、ナラボートに望月哲也、ヘロディアスの小姓に加納悦子ほかです。バックを務めるのはダン・エッティンガー指揮東京交響楽団、演出はアウグスト・エファーディングです

 

          

 

物語は紀元30年頃、領主ヘロデの宮殿。ヘロデの寵愛を一身に受ける義理の娘サロメは、庭の古井戸に幽閉されている預言者ヨハナーンに関心を抱き、衛兵隊長ナラポートに外に連れ出すよう命令する ヨハナーンは、サロメにキスを求められるが、これを拒否し古井戸に戻る。ヘロデから、踊ってくれるなら何でも望むものを与える と言われたサロメは、7つのヴェールを裸身にまとい、妖艶な踊りを披露する 舞い終わったサロメはヘロデに、褒美として国土でも宝石でもなく ヨハナーンの首を要求する ヘロデはやむを得ず首切り役人にヨハナーンの首を切るように命ずる。サロメは銀の皿にのせられたヨハナーンの生首にキスをする。それを見たヘロデは「その女を殺せ」と命令する

 

          

 

人気の演目である「サロメ」の初日公演ということもあってか、会場はほぼ満席です 会場の照明がすべて消され、闇の中 幕が開きます。そして指揮者のダン・エッティンガーがタクトを振ります つまり、指揮者は前もってオーケストラ・ピットに入ってスタンバイしていた訳です このオペラは1幕もの(4場)なので、それから休憩なしで100分のオペラが開幕です

ステージ中央には大きな円形の古井戸が設置されています。この中にヨハナーンが幽閉されています ドイツ出身のアウグスト・エファーディングによるこの演出は、新国立オペラでは これまで2000年、2002年、2004年、2008年、2011年と5回上演されており、今回が6回目となります。私は多分5回目かも知れません

最初にサロメ役のフィンランド出身のニールントが登場した時は、何か物足りないというか、あまりサロメらしくないというか、上品過ぎるような感じがしました その反面、ヨハナーン役のアメリカ出身のグリムスレイが登場して ヘロディアスの姦淫の罪を責め立てるシーンでは、彼は本当に長い間 古井戸に幽閉されていたのだろうか、と思うほど元気はつらつでビックリするほどでした それはそれで良いのですが。それにしてもイエス・キリストみたいな顔付きをしていました。適役だったのかも

ヘロデを歌ったクリスティアン・フランツはミュンヘン出身のテノールですが、新国立オペラではワーグナー「ジークフリート」「神々の黄昏」「パルジファル」に出演しているワーグナー歌いです。リヒャルト・シュトラウスのこのオペラでも ほぼ出ずっぱりで見事なテノールを聴かせてくれました

歌の出番が少ないのにも関わらず存在感があったのは、先日の「イェヌーファ」でブリヤ家の女主人を歌ったメゾソプラノのハンナ・シュヴァルツです

さて、最初に物足りなさを感じていたサロメ役のニールントは、「7つのヴェールの踊り」を踊って以降 俄然 存在感を増しました ヨハナーンの生首を抱きながら「あなたは全然振り向いてくれなかった。私をきちんと見たならば、あなたも私を愛したはず」と長いものローグを歌うニールントは、まさに正気を失ったサロメその人に成りきっていました

終演後は2階、3階席の”大向こう”から多くのブラボーがかかりましたが、それは歌手陣へのブラボーであると同時に、彼らを支えたダン・エッティンガー+東京交響楽団へのブラボーでもあったと思います 単なる歌の伴奏ではなく、オーケストラ自らがリヒャルト・シュトラウスの妖艶な音楽を色彩感豊かに奏でていました

ところで「ダン・エッティンガーと言えば東響ではなく東京フィルではないか?」と思い、一瞬プログラムのミスプリかと思いましたが、あらためて彼のプロフィールを見ると、2010年から東京フィルの第8代常任指揮者、15年から同団桂冠指揮者となっていました。つまり”常任”が外れたので”フリー”に近い存在になったのでしょう

話はまったく別になりますが、開演直後から自席の前列右側の小学生(高学年の女子)がずーっと咳をして30分くらい止まらなかったのです 親子3人で来ていたようですが、親は成すすべを知らないようでした。普通、小学生を ヴェールの踊りや生首が出てくるオペラに連れてきますかねえ?? 第一 ストーリーが理解できないでしょうし、楽しめないでしょう 彼女が今回の経験でオペラ嫌いにならないように祈るばかりです 「高校生のためのオペラ教室」があるくらいですから、オペラ(とくに今回の「サロメ」等)はせめて高校生くらいになってから観せても決して遅くはないと思うのですが、皆さんはどう思われますか

 

          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コバケン+神尾真由子+東京フィルでチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」他を聴く

2016年03月06日 08時10分24秒 | 日記

6日(日)。わが家に来てから525日目を迎え、公序良俗に反するという罪で逮捕直前のモコタロです

 

          

          カメラアングルで 怪しく見えるだけだよ お代官さま 勘弁して下せえ

 

  閑話休題  

 

昨日、文京シビックホールで「響きの森クラシック・シリーズ」公演を聴きました プログラムは①チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」、②同「交響曲第4番ヘ短調」で、①のヴァイオリン独奏は2007年 第13回チャイコフスキー国際コンクール優勝者・神尾真由子、指揮は”炎のコバケン”こと小林研一郎、オケは東京フィルです

 

          

 

このシリーズはコストパフォーマンスが高いせいか、定期会員を中心にいつも満席です

オーケストラのメンバーが席に着きますが、コンマスは初めて見る人です プログラムで確かめると近藤薫とありました。これで東京フィルのコンマスは三浦章宏、依田真宣と近藤薫の男性3人態勢になります

黒を基調としたシックな衣装に身を包まれた神尾真由子が指揮者・小林研一郎とともにステージに登場します

1曲目のチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」はラロのスペイン交響曲(実質的なヴァイオリン協奏曲)に感化され、1か月の短期間に集中的に作曲されました

コバケンのタクトにより第1楽章が序奏から始まります。そして神尾真由子の独奏ヴァイオリンが登場しますが、これを聴いて「ああ、カンタービレ」と思わず心の中で叫んでしまいました。何と歌心に溢れた演奏だろうか これぞチャイコフスキー と感じ入りました。第2楽章のアンダンテはまさにロシアのロマンティシズムとでも言いたくなるような甘美な楽想です。クラリネット、オーボエ、フルート、ファゴットといった木管楽器が素晴らしいフォローを見せました

そして第3楽章フィナーレは躍動感あふれる楽想です。チャイコフスキーが初演を依頼したレオポルド・アウアーに「演奏不能」と言わしめた難曲ですが、神尾は 難曲と意識させないほど軽々と演奏しました 最後の終結に向けて、コバケンはオケを奮い立たせ テンポをどんどん上げていき、フィナーレはコバケン+東京フィル対神尾真由子による「競争曲」を繰り広げ、聴衆を興奮の渦に巻き込みました

5回ほどカーテンコールがありましたが、神尾はチャイコフスキーで全力を使い切ったのでしょう。アンコールはありませんでした

 

          

 

休憩後はチャイコフスキー「交響曲第4番ヘ短調」です。この曲は1878年1月に静養先のイタリア・サンレモで完成しました このころ、鉄道王の未亡人フォン・メック夫人からの年金が約束されています。チャイコフスキーはメック夫人に宛てた手紙の中で、この曲について「自分自身の人生の苦悩を反映し『運命との闘いと勝利』を描いた音楽」だと書いています

第1楽章冒頭は、ホルンとファゴットにより「運命の主題」がファンファーレのように演奏されます。抗しがたい運命を表している楽章です 第2楽章は、まだ立ち直れない憂鬱な気分を表しているかのようです

第3楽章は一転、暗闇から脱出したかのような明るく力強い楽想です 弦楽器のピッツィカートによって始まり、次いで管楽器が加わりますが、管楽器と弦楽器とのアンサンブルが見事です この楽章までは、いつものようなテンポを大きく揺らすコバケンの特徴は見られません

しかし、最後の第4楽章に入ると、さすがにダイナミックな音楽づくりに徹し、フィナーレに向けて徐々にテンポアップして圧倒的なクライマックスを築き上げます。拍手とブラボーの嵐です

コバケンは前回公演での約束通りアンコールに応え、ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」を、「これ以上やりようがないだろう」と思うほどテンポを大きく動かして自由自在に演奏し、会場の温度を上昇させました 何しろ、コバケンは第1回ブタペスト国際指揮者コンクール第1位、ハンガリー国立交響楽団音楽監督を歴任、ハンガリー政府からリスト記念勲章、ハンガリー文化勲章を受章と、ハンガリーにまつわる音楽ならどんと来い状態でしょうから 自信に満ち満ちています

 

          

 

終演後、近くの喫茶店Vで待ち合わせていた当ブログの読者ゆえさんに会って、先日Nさんからお預かりした3月17日の読響定期公演のチケットをお渡ししました 彼女も昨日サントリーホールで広上淳一指揮日本フィルによるコンサートを聴いて来たばかりだったので、お互いにコンサートの感想を述べ合いました ゆえさんは作曲家ではドヴォルザーク・ファンで、指揮者では”飛んだり跳ねたりで面白い”広上淳一氏のファンだそうです 日本の指揮界の草分けに山田一雄という情熱的な指揮者がいましたが、指揮に夢中になって指揮台から転げ落ちたエピソードは有名です さしあたって広上氏は山田一雄系列に属する種族なのでしょうか 昨日はシューベルト「未完成交響曲」とベートーヴェン「運命交響曲」を指揮して、やっぱり跳ねてたそうです 

ゆえさんが「10月にウィーン・フィルが来ますよね、メータと。あれ聴きに行こうかと思っているんです」と言うので「ウィーン・フィルは毎年来てるね。今年は何を演奏するのかな?」と訊くと、すぐにスマホで検索して「7日がブラームスのピアノ協奏曲第1番(ピアノ:ブッフビンダー)、ドビュッシーの海、ラヴェルのラ・ヴァルス、10日がモーツアルトのリンツ、ブルックナーの第7番、12日がモーツアルトのリンツ、ベートーヴェンの第9ですね」とのことでした 「お薦めはブルックナーか第9だろうね」とお伝えしました。すると、「実は、3万円が出て来たんですよ」と言うので「ええっ!?」と驚いて訊き返すと「自分でも良く覚えていないんですけど、封筒からパラッと出て来たんですよね。これでウィーン・フィル聴きに行けるかな、と思って」とおっしゃいます

わが家にもないかな、3万円どこかに・・・・・・ないよな

ところで、彼女もクラシック・コンサートを聴く回数が増えてきたようで、「今月だけでサントリーホールに4回行きます」と報告していました。「クラシック道」を着実に歩んでいるようです お気の毒ですが、もう後戻りできません。まだ とても若いのに・・・可哀そうに

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊坂幸太郎著「残り全部バケーション」を読む~ハズレのない伊坂作品

2016年03月05日 07時37分14秒 | 日記

5日(土)。わが家に来てから524日目を迎え、前のコードをかじろうか、後ろのコードをかじろうか、迷っているモコタロです

 

          

            さてどっちにしようかな? コードな判断が必要だ

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「豚肉のネギ塩焼き」と「生野菜とワカメのサラダ」を作りました 「ネギ塩焼き」はちょっと塩気が強かったような気がします それを証拠に娘が残してましたから。ネギ嫌いだし

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

当ブログ読者Nさんから戴いた「ブロワ珈琲焙煎所」のコーヒー 2袋目を開けました コスタリカ産の「カトゥーラ」という品種です。開封すると珈琲独特のいい香りが漂ってきます

 

          

 

          

 

美味しくいただきながら、こんなに美味しいコーヒーを焙煎している「ブロワ珈琲焙煎所」ってどんな所にあるのだろうか、とホームページ(www.blowercoffee.com)で検索してみました 千葉県館山市宮城という土地にありますが、写真を見る限り 大自然に囲まれた静かな環境のようです こういう所なら空気も水もきれいだろうな、と思いました Nさんの話では同焙煎所代表のN氏はMトラストという大手不動産ディベロッパーに勤めていたエリート・サラリーマンだったのですが、脱サラして今の焙煎所を立ち上げたそうです 一芸に秀でた者は何とか と言いますが、まさにその様な人なのだと思います。飲んでみれば分かりますが、「スタバが何だ」と言いたくなるような極上の味です あらためて二人のNさんに感謝です

 

  最後の、閑話休題  

 

伊坂幸太郎著「残り全部バケーション」(集英社文庫)を読み終わりました 著者は1971年千葉県生まれ、東北大学法学部卒。2000年に「オーデュボンの祈り」で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞してデビューし、その後、数々の話題作を発表し吉川英治文学新人賞をはじめ多くの賞を受賞しています

 

          

 

岡田と溝口は、当たり屋やゆすりなど悪ドイ仕事で生計を立てている ある日、岡田が先輩の溝口に「この家業から足を洗いたい」と申し出たところ、「適当な電話番号にかけて、その相手と友だちになることを条件に認める」と言われる。岡田がでたらめな電話番号をかけると、繋がった相手は離婚寸前の男だった その男は、夫婦と娘の3人家族だったが、これから3人バラバラに生活するところだという。岡田はこの3人と一緒にドライブすることになる

第1章「残り全部バケーション」、第2章「タキオン作戦」、第3章「検問」、第4章「小さな兵隊」、第5章「飛べても8分」の5章から成る連作短編集です

『解説』を名作「身の上話」で有名な佐藤正午が書いていますが、これが伊坂幸太郎の小説に鋭い突っ込みを入れた素晴らしい解説なのです 残念ながら、それは読まなければその良さが分からないのです。ただし、伊坂幸太郎にハズレはありません 『解説』を含めて一気読み必至の小説としてお薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

METライブビューイングでプッチーニ「トゥーランドット」を観る~ゼフィレッリの華麗な演出

2016年03月04日 07時25分09秒 | 日記

4日(金)。わが家に来てから523日目を迎え、テレビに夢中になっているモコタロです

 

          

              あの二人 これからどうなっちゃうんだろうな?

 

          

            えっ ナニ? いいところなんだから声かけないでよ!

 

          

                          チェッ 見逃しちゃったじゃないか 新聞に投書しちゃうから

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「鶏手羽肉スープ」と「生野菜と生ハムのサラダ」を作りました 「鶏手羽~」の材料は手羽先と手羽元、ダイコン、ニンジン、ジャガイモ、ホウレン草です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、プッチーニ「トゥーランドット」を観ました  これは今年1月30日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です

キャストはトゥーランドットにニーナ・ステンメ(ソプラノ)、カラフにマルコ・ベルティ(テノール)、リューにアニータ・ハーティッグ(ソプラノ)、ティムールにアレクサンダー・ツィムバリュク(バスバリトン)で、指揮はパオロ・カリニャーニ、演出はフランコ・ゼフィレッリです

プッチーニのオペラというと、人はよく「お涙ちょうだいオペラだ」と皮肉ります 確かに彼の代表作を見渡すと「ラ・ボエーム」にしても「トスカ」にしても「マダム・バタフライ」にしても 、最後はヒロインが死んでしまう悲劇の典型みたいなオペラが多いのは事実です しかし、この「トゥーランドット」に関しては、カラフとトゥーランドット姫との結び付きはリューの自己犠牲の上に成り立っているとはいえ、一種のサクセスストーリーです プッチーニのオペラで一つだけ選べと言われたら、私は躊躇なく「トゥーランドット」を挙げます

さて、METの「トゥーランドット」といえばマリア・グレギーナのヒロイン像が強く目に焼き付いています これをステンメがどこまで払しょくできるかというのが今回の公演の関心の的です

 

          

 

ゼフィレッリの演出は1987年に初めてMETで登場して以来30年近くも続いているものですが、『絢爛豪華』という言葉がピッタリの舞台づくり・演出です 第1幕はどちらかといえば地味な舞台ですが、第2幕などは幕が上がると客席から拍手が起こるほど華麗な舞台が現れます ヒロインのトゥーランドット姫は第1幕では舞台奧で顔だけ見せて 歌は歌いませんが、顔の表情だけで”冷酷な姫”を演じなければなりません この点、ステンメはグレギーナと比べるとやや物足りなさを感じます。グレギーナの演じたトゥーランドット姫は”こんなに美しい姫がどれほど冷酷な女なのか”と思わせるに十分な迫力がありました

ただ、第2幕に入ってトゥーランドット姫が、なぜ自分が異国の王子を処刑するのかを語りカラフに3つの謎を出すシーンでは、さすがに「ワーグナー歌い」としてならしたステンメだけあって、ド迫力の声で歌い上げ 会場を圧倒します

カラフを歌ったイタリア生まれのマルコ・ベルティは申し分のないテノールです まったく無理のない発声で、第3幕のアリア「誰も寝てはならぬ」を歌い切りました

新メンバーによるこの公演で嬉しかったのは、3大臣のピン・ポン・パンを歌った3人の歌手たちです。顔つきから、前回の「トゥーランドット」にも出演していた3人だと思いますが、歌も演技も素晴らしいものがありました

さて、この公演で「グレギーナのトゥーランドット」を超える存在だと思ったのはリューを歌ったアニータ・ハーディッグです ルーマニア生まれのソプラノですが、2006年に「ラ・ボエーム」のミミでオペラ・デビュー、14年には同役でMETデビューを飾っています この人は抒情的な歌も素晴らしいけれど、演技力も素晴らしいと思います むしろ歌で演技が出来る人と言った方が良いかもしれません

 

          

 

最後に、この公演で一番の魅力は 何といっても30年近くも採用され続けてきたゼフィレッリの演出・舞台です  この演出がプッチーニのオペラをより一層感動的なものにしています 「夢は何か?」と問われれば、「ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でゼフィレッリの演出による『トゥーランドット』を観ることだ」と答えます

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「光のノスタルジア」「セバスチャン・サルガド」を観る~ギンレイホール

2016年03月03日 07時36分54秒 | 日記

3日(木)。わが家に来てから522日目を迎え、二本足立ちでオヤツをねだるモコタロです

 

          

            ねえ オヤツちょうだいよ お願い!  多くは望まないからさぁ

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「ハンバーグ」と「生野菜とシラスのサラダ」を作りました  ジャガイモとニンジンはいつものように皮付きのままです

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨夕、当ブログの読者Nさんと池袋で軽く飲みました 事の発端は、Nさんからメールが届き「今月17日の読響定期公演に行けなくなったので 誰かにチケットを譲りたいのですが 心当たりがありますか?」という内容だったのです そこで、同じく当ブログの読者ゆえさんにメールして都合を訊いたところ「その日は特に予定がないので是非!」という返事だったので、チケットを私が受け取り、後日ゆえさんに渡すことにしたのです

7時に池袋駅東口直結のNという店で待ち合わせをしました 私も昨年10月末まで不動産管理会社に勤めていたこともあり、また Nさんの実家も賃貸物件を管理していることもあって、昨今の不動産業界にまつわる話を中心に、もちろんクラシック音楽の話も楽しく語り合いました ”当店自慢”の東日本地方の何種類かの生ビールを飲みながら 良い気分で話しているうちに 2時間があっと言う間に過ぎてしまいました 最近、人と話をする機会がめっきり減ってしまったので、貴重な時間でした

 

  最後の、閑話休題  

 

昨日、神楽坂のギンレイホールで映画「光のノスタルジア」と「セバスチャン・サルガド」の2本立てを観ました

「光のノスタルジア」は、パトリシオ・グスマン監督・脚本・編集による2010年公開の映画です 舞台は南米チリのアタカマ砂漠。標高が高く空気が乾燥していることから天文観測拠点として世界中の天文学者たちが集まる その一方で、過去に ピノチェト政権下で政治犯として捕らわれ処刑された人々の遺体が埋まっている場所でもある 天文学者たちは遠い過去から地球に届く光を観測することで生命の起源を追求しようとする その一方で、女性たちは行方不明になった肉親の遺骨を捜して砂漠を掘り返す

 

          

 

銀河系宇宙を映す映像は美しく、タイトル通り「光のノスタルジア」ですが、肉親の遺骨を捜し求める女性たちの姿は痛ましく、チリの汚点を浮き彫りにします 

天文学者の「われわれが観ているのは、過去からの光で、地球に届いたときにはすでに過去になっている。月からの光は1分、太陽からの光は8分かかる。こうして話しているそばから、すでに過去の出来事になっている」と言う言葉が印象的です 同時に、砂漠を掘り返して肉親の遺骨を捜す老いた女性の「軍は遺骨を海に捨てたと言っているが信じられない。身体が続く限り探し続けます」という言葉が心に突き刺さります

 

          

 

2本目の「セバスチャン・サルガド」は、ヴィム・ヴェンダースとジュリアーノ・リベイロ・サルガドの監督による2014年公開の映画です この映画は、ブラジルに生まれ、ユージン・スミス賞をはじめ多くの賞を受賞している世界的な報道写真家であり、大自然の保全や復元に尽力する環境活動家としても知られているセバスチャン・サルガドの活動を追った迫真のドキュメントです

 

          

 

サルガドは、「死」「破壊」「腐敗」といったテーマを扱って世界中を駆け巡り、モノクロを基調とした写真を撮ってきたが、ルワンダ内戦のあまりにも悲惨な光景を前に深く傷つき、心を病んでしまう 彼の撮った盲目の女性の写真などは直視できないほどの衝撃を与える

2004年から始めたプロジェクト「GENESIS(ジェネシス)」では、今も地球に残る未開の地域・・・ガラパゴス、アラスカ、サハラ砂漠、アマゾン熱帯雨林など、ありのままの地球の姿をカメラに収めている

彼の写真を見て一番素晴らしいと感じるのは、『構図』です その秘密の一端が現れたシーンがあります。息子のジュリアーノを伴ってアラスカの海岸を訪れた時のことです。彼らは小屋の中でカメラを構えているのですが、大きなシロクマが近づいてきます 息子が「シロクマが来るよ。撮らないの?」と声を掛けるとセバスチャンは「いま迷っているんだ (シロクマを)もっと近くまで引き付けてから撮れば迫真の写真が撮れるかもしれない。しかし、背景が何もない。撮ってもただの動物写真にしかならない」と言います。

この言葉は、彼が写真を撮るときに、ただ被写体を撮るのではなく、背景と一体のものとして撮ることにこだわっていることが分かります それが優れた『構図』を生んでいるのだと思います

また、トドの群れを撮る時は、匍匐前進のように姿勢を低くして、彼らを驚かさないよう細心の注意を払って自然の姿を撮っています。あくまでも被写体に寄り添って撮影する姿勢が印象に残ります

 

          

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上春樹著「雑文集」を読む~音楽論もふんだんに収録されています

2016年03月02日 07時50分12秒 | 日記

2日(火)。わが家に来てから今日で521日目を迎え、オヤツが遅いので、白ウサちゃんにかじりついている野蛮なモコタロです

 

          

          この写真 ちょっと ソフトフォーカスっぽくね? ボケてるだけか!

 

  閑話休題  

 

昨日は息子の大学の卒業決定者が掲示されるというので、自分の目で確かめたくて 葛飾キャンパスに行ってきました またしても何を勘違いしたか常磐線/日比谷線の金町駅に行くべきところを町屋駅で降りてしまい、駅員さんに「〇〇大学の葛飾キャンパスはどっちの出口でしょうか?」と尋ね、「本当に町屋ですか?」と逆に尋ねられてしまいました 慌ててスマホで大学のアクセス情報を検索して金町の間違いであることが判明しました 我ながら「どーしてこうなんだろう 町屋でいいのか ちょっと待ちや!となぜ自問しなかったのか」と呆れました。さすがに金町駅から大学までの道順は2度目なので覚えていましたが

研究棟の9階の廊下に卒業決定者の学籍番号一覧表が掲示されており、息子の番号もあったので一安心しました 大学院への進学は内定しているので、あとはそれが正式に決定すれば二安心です

 

          

 

それにしても、1月には青砥の「かつしかシンフォニーヒルズ」に行くべきところを亀有(これも常磐線/日比谷線!)の「リリオホール」に行ってしまったり、どうも常磐線沿線には縁が薄いみたいです

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日の夕食は、「サバの塩焼き」「生野菜とワカメとシャケのサラダ」「ホウレン草のお浸し」「アサリの味噌汁」を作りました あとは「マグロの剥き身」です サバは5切れで400円弱でしたが、脂がのってて超美味しかったです

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

村上春樹著「雑文集」(新潮文庫)を読み終わりました 村上春樹のことは解説しなくてもいいですね。要するに芥川賞も直木賞も受賞していないけれど世界中で作品が翻訳されているノーベル文学賞候補者です

 

          

 

この本は、デビュー小説「風の歌を聴け」新人賞受賞の言葉から、人物論、小説論、音楽の話、人生論など、多岐にわたる「文章」をかき集めた文字通り「雑文集」です

最初から「自己とはなにか(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」なんていう文章が出てきて、「いったい何のこっちゃ?」と面喰います これは、読者から「就職試験を受けたら『自分自身について説明しなさい』という作文の問題が出されたが、どう書いたらよいか?」という質問に対して、村上春樹が「自分は牡蠣フライが好きなので、牡蠣フライについて書くことで、牡蠣フライとの間の相関関係や距離感が、自動的に表現される。それはすなわち、突き詰めていけば、自分自身について書くことでもある」と答えているものです これを彼は「牡蠣フライ理論」と称しています

ここからは音楽に関する文章を中心にご紹介します

『ステレオサウンド』という雑誌に寄せた「余白のある音楽は聴き飽きない」というタイトルの文章では、

「オーディオ雑誌でこんなことを言うのもなんだけど、若いころは機械のことよりも音楽のことを第一に考えた方がいいと、僕は思うんです 立派なオーディオ措置はある程度お金ができたら揃えればいいだろう、と。若いときは音楽も、そして本もそうだけど、多少条件が悪くたって、どんどん勝手に沁み込んでくるじゃないですか いくらでも心に音楽を貯め込んでいけるんです。そしてそういう貯金が 歳を取ってから大きな価値を発揮してくることになります

と書いています。これは身に染みて同感しますね

クラシック・コンサートについては次のように語っています

「ヨーロッパに住んでいたころ、クラシックのコンサートによく通いました。それでよかったなと思うのは、やっぱりレコードなどでは分からないことってありますよね。たとえばロリン・マゼールをローマで聴いて、『マゼールってこんなにいい指揮者だったっけ?』って本当にびっくりしました ジョルジュ・プレートルがベートーヴェンを振ったコンサートも見事だった レコードで聴くプレートルの印象ってなんかちょっと薄いめで、とくになんていうこともない指揮者だなあ、と思っていたんですけど、実演だとまるで違うんです 音楽が隅々まで生きて動いていて、それが目に見えます。そういうのって、コンサートじゃないと分からないですよね

LPやCDで聴くと良いのに、生で聴くと大したことのない指揮者の方が多いような気がします まさにマゼールがそうでした。80年代だったと思いますが、東京文化会館で彼がクリーヴランド管弦楽団を指揮してブラームスの交響曲(何番か忘れた)を演奏したのですが、ちょちょいのちょい といった感じで指揮したので、何の感慨もありませんでした

また、CD録音でクラシック音楽を聴くことについては次のように語っています

「大編成のオーケストラもの、マーラーのシンフォニーなんかの最新録音を、CDで聴くとしますよね。そういうのって、本来うちのシステム向きではないはずなんだけど、不思議にひとつの世界に収まった音がするんです 本来はこんな音で聴く音楽じゃないんだろなと思いつつも、『それはそれ、これはこれ』という枠内で、ある程度納得して聴けちゃうんです

確かにそういう側面はあると思います 意味は少し違いますが、私が独身時代に、自室でマーラーの交響曲をフル・ボリュームで聴いていた時は、ガラス戸がビリビリと震えていました 一戸建てだからできたことで、今住んでいるマンションで同じように鳴らしたら、途端に上下左右からのクレームの嵐に見舞われることでしょう

また、「音楽における空白」についてこんなことを語っています

「何て言うのかな、ビーチボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンのつくった音楽には空白みたいなものがあるんです 空白や余白のある音楽って、聴けば聴くほど面白くなる ベートーヴェンで言えば、みっちり書き込まれた中期の音楽より、後期の音楽のほうが より多く余白があって、そういうところが 歳を取るとよりクリアに見えてきて、聴いていてのめり込んでしまう 余白が生きて、自由なイマジネーションを喚起していくんです。晩年の弦楽四重奏曲とか『ハンマークラヴィア・ソナタ』とかね

これを読んで、いま思ったのですが、村上春樹の作品にはヤナーチェクやベートーヴェンやバッハやシューベルトは出てくるけれど、モーツアルトは出てこないような気がするなぁ これはどういうことだろう? 村上春樹は強いてモーツアルトの音楽を避けているのか それとも私が知らないだけのことだろうか

音楽+文学論ということでは次のように語っています

「音楽にせよ小説にせよ、一番基礎にあるのはリズムだ。自然で心地よい、そして確実なリズムがそこになければ、人は文章を読み進んではくれないだろう 僕はリズムというものの大切さを音楽から(主にジャズから)学んだ それからそのリズムに合わせたメロディー、つまり的確な言葉の配列がやってくる それが滑らかで美しいものであれば、もちろん言うことはない そしてハーモニー、それらの言葉を支える内的な心の響き。その次に僕のもっとも好きな部分がやってくるー即興演奏だ

これを読んで、なぜ村上春樹の作品に惹かれるのかという理由が分かったような気がします 要は文章のリズムです 彼の文章には独特のリズムがあります

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする