人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

東京春祭「石上真由子と仲間たち」でメシアン「世の終わりのための四重奏曲」他を聴く ~ チェロ=上村文乃、クラリネット=アレッサンドロ・ベヴェラリ、ピアノ=山中惇史

2022年04月10日 07時14分59秒 | 日記

10日(日)。わが家に来てから今日で2647日目を迎え、ロシア安全保障会議副議長のメドベージェフ前大統領は8日、ウクライナ侵攻を理由にした欧米などの対ロ制裁は「侵略行為と見做すことができる」と批判した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     侵略行為というのは あんたの後任のプーチンがやっているウクライナへの侵攻だよ

 

         

 

昨日、4日ぶりに上野に行きましたが、駅前の「国立西洋美術館」がこの日リニューアルオープンしていました

 

     

     

 

というわけで、昨日 上野の旧東京音楽学校奏楽堂で東京・春・音楽祭「石上真由子と仲間たち」公演を聴きました プログラムは①シューマン「森の情景 作品82」より「予言の鳥」、②サン=サーンス:オラトリオ「ノアの洪水 作品45」より「前奏曲」、③J.S.バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004」より「シャコンヌ」、④ブロッホ「ヴァイオリン・ソナタ第1番」、⑤メシアン「世の終わりのための四重奏曲」です 演奏はヴァイオリン=石上真由子、チェロ=上村文乃、クラリネット=アレッサンドロ・ベヴェラリ(東フィル)、ピアノ=山中惇史です

石上真由子は第7回ルーマニア国際コンクール弦楽部門第1位をはじめ多くの受賞歴があり、他のヴァイオリニストと大きく異なるのは京都府立医科大学卒の「医師の免許を持つヴァイオリニスト」であることです

 

     

 

自席は「え7番」、センターブロック4列目左通路側です    

最初の曲はシューマン「森の情景 作品82」より「予言の鳥」です この曲はロベルト・シューマン(1810-1856)が1848年末から翌49年初めにかけて作曲した9曲から成るピアノ小品集の7番目の作品です 「ゆっくりと、とてもやさしく」という表示があります

山中惇史とともに、石上真由子が黒のシックな衣装で登場、演奏に入ります   初めて聴く曲ですが、とてもチャーミングな曲です 石上は優しくソフトに演奏しました

続けて2曲目のサン=サーンス:オラトリオ「ノアの洪水 作品45」より「前奏曲」の演奏に入ります この曲はカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)が「旧約聖書」創世記の「ノアの箱舟」伝説を題材に1874年に作曲、1876年にパリで初演されセンセーションを巻き起こしました 石上は自然なヴィブラートで美しい音楽を奏でました

3曲目はJ.S.バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004」より「シャコンヌ」です この曲はヨハン・セバスティアン・バッハ(1685ー1750)が1720年に作曲した「6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」の4番目の作品の終楽章です

石上は冒頭、若干弾きにくそうな感じに見えましたが、曲が進むにつれて慣れてきたのかシンプルで美しい演奏を繰り広げました

3曲目はブロッホ「ヴァイオリン・ソナタ第1番」です この曲はエルネスト・ブロッホ(1880-1959)が第一次世界大戦後にアメリカに渡り、クリーブランド音楽学校の校長をしていた頃の1920年に作曲しました 第1楽章「アジタート」、第2楽章「モルト・クヮイエット」、第3楽章「モデラート」の3楽章から成ります

この曲も初めて聴く曲ですが、何の予備知識もないまま第1楽章を聴いたら、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました 攻撃的と言えばよいのか、ロシア的と言えばよいのか、まるで誰かに怒っているかのような激しい音楽が展開します 第2楽章は一転、極めて静かな曲想で推移します 第3楽章は再び活発な音楽が展開します。ブロッホって感情の振幅が大きい人だったのかな、と思ったりしました

 

     

 

プログラム後半はメシアン「世の終わりのための四重奏曲」です この曲はオリヴィエ・メシアン(1908-1992)が第2次世界大戦でドイツ軍の捕虜になり、ゲルリッツの捕虜収容所内で「ヨハネの黙示録」第10章の「もはや時がない。第7の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する」という箇所から啓示を受けて1940年に作曲した作品です 第1曲「静澄な典礼」、第2曲「世の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ」、第3曲「鳥たちの深淵」、第4曲「間奏曲」、第5曲「イエスの永遠性への賛歌」、第6曲「7つのトランペットのための狂熱の踊り」、第7曲「世の終わりを告げる天使のための錯綜」、第8曲「イエスの不滅性への賛歌」の8曲から成ります これは「天地創造の7日間の後に永遠の平安が訪れる」という意図に基づいています また、収容所にいる限られた楽器奏者を想定して作曲したため、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ピアノという珍しい編成になっています

山中、上村、ベヴェラリとともに、石上がブルー系のエレガントな衣装に”お色直し”して登場します おねいさんったらお洒落なんだから~

第1曲「静澄な典礼」の演奏に入ります ヴァイオリンとクラリネットによる演奏はメシアン得意の「鳥の囀り」です 鳥にこだわっているから捕虜になって「籠の鳥」になってしまったのではないか、と余計なことを考えてしまいました 第3曲「鳥たちの深淵」ではクラリネットによる息の長い演奏が展開しますが、アレッサンドロ・ベヴェラリはクラリネットの最高音から再低音まで幅広い表現領域を存分に生かした演奏を展開、聴衆を黙らせました 第7曲「世の終わりを告げる天使のための錯綜」では、ピアノの伴奏に乗ってチェロが息の長いメロディーを奏でますが、上村のチェロは美しいヴィブラートで会場に響き渡りました 第8曲「イエスの不滅性への賛歌」では、石上の独奏ヴァイオリンが祈りを込めた天国的な音楽を奏で、聴衆の雑念を浄化しました 目力の強い石上の演奏姿を見ていたら、まるで歌舞伎役者がヴァイオリンを弾いているように感じました

演奏を聴き終わって思ったのは、当時のドイツのゲルリッツ(現ザクセン州、一部は現在ポーランド領)収容所は音楽家には寛大だったんだな、ということです Wikipediaによると、「収容所は劣悪な環境ではあったが、娯楽には比較的寛容で、収容所内には図書館が設置され、コンサートやジャズ・バンドも存在していた メシアンが有名な音楽家であることが知られると捕虜の義務は免除され、作曲に集中できるよう別の棟に移された」とのことです。流石は芸術には理解があるヒトラー政権下にある収容所だと思いました

さらに思ったのは、当時5000人いたと言われる捕虜たちはメシアンたちの演奏を聴いてどう感じたのだろうか、ということです 「こんな難しい曲、一生かかっても理解できないよ あと10年はここから出られないかもね」と思ったか、「囚われの身でも こんなに素晴らしい音楽を聴くことができて救われた 生きていて良かった」と思ったか・・・もし、この日の演奏を捕虜たちが聴いたら、後者のように思ったと確信します

 

     

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「エリーナ・ガランチャ リサイタル2022」 & マケラ ✕ 都響によるショスタコーヴィチ「交響曲第7番」他のチケットを取る / ロシアのウクライナ侵略問題で国連UNHCRに寄付

2022年04月09日 07時05分52秒 | 日記

9日(土)。昨日は「エリーナ・ガランチャ  リサイタル2022」の抽選予約販売の抽選日でしたが、午後当選メールが届きました これは元々一昨年の2020年に開催される予定だったもので、新型コロナ禍の影響で1年延び、さらにまた1年延びた公演です 当選したのは6月28日(火)すみだトリフォニーホールでの公演です 当選したのは良いのですが、チケットを発券するまで座席がどこか分からないのと、彼女が何を歌うのか分からないところが困ったものです しかし、座席がどこであろうが、どんなプログラムであろうが、どうしてもガランチャを生で聴きたいので大した問題ではありません 彼女はメゾ・ソプラノなので、METで歌った「カルメン」とか「サムソンとデリラ」などから得意のアリアを選んで歌うのでしょう

 

     

 

ということでわが家に来てから今日で2646日目を迎え、ロシアのぺスコフ大統領報道官は7日、ロシア軍が2月に侵攻したウクライナで「甚大な損失」を被っていると英スカイニュースに明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ロシアが仕掛けた戦争で 自業自得だ  これから孤立無援の甚大な損害が待っている

 

         

 

昨日、夕食に「チキンステーキ」を作りました。サラダを別皿にせず ワンプレートにしました 今回は目玉焼きを乗せませんでしたが、これはこれで美味しかったです

 

     

 

         

 

6月26日(日)午後2時からサントリーホールで開催される「都響プロムナードコンサート第397回」のチケットを取りました    プログラムは①サウリ・ジノヴィエフ「バッテリア(2016)」(日本初演)、②ショスタコーヴィチ「交響曲第7番ハ長調作品60”レニングラード”」です 指揮は初めて聴くクラウス・マケラです これはショスタコーヴィチ狙いです

 

     

 

         

 

ロシアのウクライナ侵略については、ロシア軍による非人道的な攻撃が毎日のように報道されています 何の罪もない民間人が不条理に殺されていくことに怒りを感じ、「核」を背景にやりたい放題のロシアに対し国連や世界の国々が直接手を出せないことにもどかしさを感じています そうした中、少なくとも1300万人が国内外で人道支援を必要としており、420万人以上のウクライナの人々が近隣諸国や日本を含む国外へと避難を強いられています 私も個人として何かできないものかと逡巡していましたが、4月7日付日経に掲載されていた国連UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の公共広告に接しました 広告文面には「ウクライナ緊急事態 家を追われたウクライナの人々への緊急支援が急務」とあり、寄付を募っていました。国連UNHCRの訴えはツイッターにはかなり早くから登場していましたが、私はずっと迷っていました 今回新聞に掲載されたことで迷いが吹っ切れ、寄付を決断しました

 

     

 

国連UNHCRのホームページを開いて支援内容を確認してみました それによると、「今回だけ寄付」として①11,000円、②24,000円、③58,000円、④その他(任意の金額)の4つから選択するようになっていました ①11,000円は「例えば極寒の中で避難を強いられるウクライナの人々を守るフリース製の毛布15人分」、②24,000円は「例えばウクライナから逃れる避難民のための法的カウンセリング8人分」とありました 私は年金生活者なので 身分相応にということで①を寄付することにしました 些細な支援ですが、思っているだけでなく 行動することでウクライナの人々と繋がっていたいと思います

 

     

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片山杜秀氏の東京春祭「ローエングリン」の公演評(朝日新聞)を巡って思うこと / 中山七里著「人面瘡探偵」を読む ~ 山林王の相続をめぐる骨肉の争い:どんでん返し3連発

2022年04月08日 07時13分22秒 | 日記

8日(金)。昨日の朝日夕刊「音楽評」欄に、音楽評論家の片山杜秀氏が3月30日に東京文化会館で開かれた東京春祭「ローエングリン」の批評を寄せていました 私もこの日の公演を観たので興味深く読みました 片山氏はマレク・ヤノフスキの指揮を「ステージを埋め尽くす大管弦楽と大合唱を完璧に統率し、終始一貫、コワモテな音楽を奏でる ワーグナー特有の蠱惑的な情緒や感傷を生む音の襞を、徹底的に消してしまう」として、「酷薄なアプローチ」と捉えています そういう面が確かにあったと思う一方で、私が興味を持ったのは歌手陣に対する評価です。片山氏は次のように書いています

「歌手陣は脇役がよい。オルトルートのアンナ・マリア・キウリに魔女らしさが、テルラムントのエギルス・シリンスに劇を回す前のめりの情が、ハインリヒ王のタレク・ナズミに誠実さが、漲っていた

上記の通り、片山氏は主役ローエングリンを歌ったヴィンセント・ヴォルフシュタイナーについては全く触れていないのです それはなぜか? 私は31日付のブログで彼のことを「恵まれた体型を生かして歌う輝くテノール」と書きました 「歌は決して悪くはなかった」という評価ですが、あえて「恵まれた体型」と書いたのは、決してイケメンではないし、腹が出ていてとてもヒーローのローエングリンに見えなかったので、スマートでないことを遠回しに表現したのです これについては他の人が書いたツイッターを見ても「目をつぶって聴く分には良い」「ラジオ向き」といった評価が散見されました 歌手を見ながら聴くと「イメージ狂っちゃう」というわけです。つまり、オペラの場合、とくにヒーローやヒロインの場合は「歌が上手ければ良い」ということでは現代の聴衆は満足せず、見た目も重要な要素として加わるということを意味します それは 今回のような演出のない「演奏会形式」であっても同様だということです。新国立オペラで10年くらい前に上演された「ローエングリン」に出演したクラウス・フロリアン・フォークトのようなイケメンで歌唱力抜群なテノールこそローエングリンに相応しいと思います 片山氏がどういう理由でヴォルフシュタイナーについてコメントしなかったのかは本人にしか分かりませんが、私は上記のように思いました

ということで、わが家に来てから今日で2645日目を迎え、国連総会は米東部時間7日午前10時から緊急特別会合を開き、国連人権理事会におけるロシアの理事国資格を停止するための決議案を採決した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     人権意識皆無のプーチン・ロシアが 国連人権理事会にいること自体が シュールだ

 

         

 

昨日、夕食に娘が職場の同僚から仕入れてきた馬肉を使って「ユッケ」を作りました。あとは「生野菜サラダ」と「人参の中華スープ」です 前回、「馬刺し」の時は肉を薄く切れず嚙み砕くのが大変だったので、細切りにしてユッケにしました コチジャンなどで上手に味付けが出来て とても美味しかったです

 

     

 

         

 

中山七里著「人面瘡探偵」(小学館文庫)を読み終わりました   中山七里は1961年岐阜県生まれ。2009年に「さよならドビュッシー」で第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー 映画化された「護られなかった者たちへ」ほか著書多数あり。「中山七里は七人いる」と言われるほどの多作ベストセラー作家です

 

     

 

相続鑑定士の三津木六兵の右肩には人面瘡(人の顔をした切傷)が寄生している それは六兵が5歳の時に崖から転落してできた傷口で、ある日突然しゃべり始めたというもの 六兵は頭脳明晰で博識な彼を”ジンさん”と呼び、何かと頼りにしている ある日、六兵は勤務先の「古畑相続鑑定」の蟻野所長から、信州の山林王、本城家の財産分割協議に係る鑑定のために派遣される。相続人は尊大な長男・武一郎、享楽主義者の次男・孝次、真面目な三男・悦三、離婚して息子・崇裕と共に戻ってきた沙夜子の4人だった 本城家には料理人の沢崎と家政婦の鈴原久瑠実が仕えており、鑑定の依頼人である本城家の顧問弁護士の柊実規(ひいらぎみのり)がいた 家父長制・男尊女卑の古いしきたりの残る本城家での協議は思うように進まない 山林は二束三文の価値しかないものと思われていたが、調査の結果、莫大な地下資源が眠っている可能性があることが判明し、相続人たちが急に色めき立つ そんなある晩、蔵が火事に遭い武一郎夫妻が死体で見つかる さらに翌日、孝次が水車小屋で不可解な死を遂げる そして、その2日後、悦三が滝つぼで死体として発見される 残された相続人は沙夜子一人となり、当然警察は彼女に疑いをかける しかし、彼女も何者かによって毒を盛られ九死に一生を得る 果たして3人の相続人を殺した犯人は誰か

一連の事件は「五ひきのわるダヌキ」という絵本に描かれているストーリーの通りに進行していきます 「最初のタヌキは焼け死んで、2番目のタヌキは首を吊り、3番目のタヌキは川に流されて、4番目のタヌキは毒を盛られる」と しかし、この絵本には「5番目のタヌキ」が登場して、「仲間が1匹もいなくなったので、よその山へ逃げていきました」と書かれています さて「5番目のタヌキ」とは一体誰なのか。そしてどこへ消えてしまったのか・・・沙夜子と息子・崇裕にまつわる秘密を中心に展開するミステリーには、いつも通り どんでん返しが待っていますが、今回は3連発です    ラストで鈴原久瑠実が語る六兵と人面瘡にまつわる真相には思わずニヤリとします 相変わらず読む手が止まらない面白さ    お薦めします

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飯守泰次郎 ✕ 新交響楽団「第257回演奏会」のチケットを取る / MET来日公演中止 / 小泉悠「現代ロシアの軍事戦略」、千葉雅也「現代思想入門」、中山七里「死にゆくのもの祈り」他を買う

2022年04月07日 07時12分05秒 | 日記

7日(木)。米メトロポリタン歌劇場(MET)管弦楽団の東京公演は、当初6月28日、29日、30日にサントリーホールで開催される予定でしたが、新型コロナ禍のため中止となりました ヤニック・ネゼ=セガンの指揮で、Aプロ=ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」から第1幕(ソプラノ=クリスティーン・ガーキー他)ほか、Bプロ=ベルリオーズ:歌劇「トロイアの人々」よりアリア抜粋(メゾソプラノ=ジョイス・ディドナート)&「幻想交響曲」となっていました

私は2001年のMET来日公演=①サン=サーンス「サムソンとデリラ」(レヴァイン指揮。ドミンゴ、ボロディナ他)、②ヴェルディ「リゴレット」(レヴァイン指揮。ヴァルカス、スウェンソン他)、③R.シュトラウス「ばらの騎士」(ディヴィス指揮。フレミング、グラハム他)と、2011年の来日公演=①プッチーニ「ラ・ボエーム」(ルイジ指揮。クヴィエチェン、フリットリ他)、②ドニゼッティ「ルチア」(ノセダ指揮。ダムラウ、ルチッチ他)、③ヴェルディ「ドン・カルロ」(ルイジ指揮。ホロストフスキー、ポプラフスカヤ他)を観たので、今回もチケットを手配しようかどうか迷ったのですが、本格的なオペラ公演でないこと、その割にはチケット代が高いこと(Aプロ=18,000円~38,000円、Bプロ=14,000円~34,000円)、コロナ禍の影響で代役の恐れがあること・・・等の理由でチケットを購入しませんでした 結果的には中止となってしまったので同じことでした

コロナ禍が終息し、本格的なオペラ演目によって来日することになったら、聴きに行くことを検討しようと思います

 

     

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2644日目を迎え、虫歯の治療で使われる銀歯の材料に含まれるパラジウムの生産量はロシアが約4割を占めるが、ロシアのウクライナ侵攻による経済制裁などよって供給が滞ることへの不安から価格が高騰している というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチン政権の暴挙を許さないためにも 皆さん虫歯にならないように気を付けよう

 

         

 

昨日、夕食に「真鯛の塩焼き」「マグロの山掛け」「生野菜サラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました 魚を定期的に食べないといけないと思っています

 

     

 

         

 

4月29日(金・祝)午後2時から東京芸術劇場コンサートホールで開かれる新交響楽団第257回演奏会のチケットを取りました プログラムは①ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲、②リヒャルト・シュトラウス:交響詩「死と変容」、③ブラームス「交響曲第4番」です 指揮は飯守泰次郎です

 

     

 

         

 

手元の本が残り少なくなってきたので、いつものようにジュンク堂書店池袋本店に行って8冊購入しました

1冊目は小泉悠著「現代ロシアの軍事戦略」(ちくま新書)です 最近、テレビのニュース番組への出演が目立つ著者のロシアのハイブリッド戦争の実態を描いた新書です 今こそ読むべき本です

 

     

 

2冊目は千葉雅也著「現代思想入門」(講談社現代新書)です 哲学・表象文化論が専門の著者の「人生が変わる哲学」入門書です

 

     

 

3冊目は中山七里著「死にゆくのもの祈り」(新潮文庫)です 「中山七里は七人いる」と言われる多作ベストセラー作家の文庫本最新作です

 

     

 

4冊目は長田弘著「私の好きな孤独」(潮文庫)です 詩人・永田弘の孤独を巡るエッセイ集のようです

 

     

 

5冊目は深緑野分著「ベルリンは晴れているか」(ちくま文庫)です 新聞各紙の書評欄で取り上げられていた歴史ミステリーです

 

     

 

6冊目は西村賢太著「苦役列車」(新潮文庫)です 最近亡くなった著者の作品で、新聞各紙の文化欄で取り上げられていました

 

     

 

7冊目は西村賢太著「小銭をかぞえる」(文春文庫)です 町田康氏によると「激烈におもしろい」そうです

 

     

 

8冊目は伊集院静著「女と男の微妙な話。」(文春文庫)です 週刊文春に連載した人生相談コーナー「悩むが花」をまとめたものです

 

     

 

いずれも読み終わり次第toraブログでご紹介していきます

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東京春祭ミュージアム・コンサート「N響メンバーによる室内楽」を聴く~モーツアルト「クラリネット五重奏曲」、ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第2番」他

2022年04月06日 07時11分35秒 | 日記

6日(水)。わが家に来てから今日で2643日目を迎え、ロシアのプーチン大統領は4日、一部の「非友好国」の国民への入国ビザの発給を制限する大統領令に署名した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     強気な態度だけど 世界中から「非友好国」と指定されるのは時間の問題だと思うな

 

  諸般の事情により昨日の夕食作りはお休みしました  

 

         

 

昨夜、上野の「国立博物館地球館2階常設展示室」で東京春祭ミュージアム・コンサート「N響メンバーによる室内楽」を聴きました プログラムは①モーツアルト「クラリネット五重奏曲 変ロ長調 K.Anh.91(516c)(断片)、②同「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」、③ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68」です 演奏はヴァイオリン=大林修子(元第2ヴァイオリン首席)、大宮臨太郎(第2ヴァイオリン首席)、ヴィオラ=坂口弦太郎(次席代行)、チェロ=山内俊輔(次席)、クラリネット=伊藤圭(首席)です

この会場で聴くのは初めてですが、まさに機械の部品が展示されている「展示室」で、こんな感じです 左側のガラス室の中にも部品が展示されています 自席はこのガラス室の3列手前の席です

 

     

 

1曲目はモーツアルト「クラリネット五重奏曲 変ロ長調 K.Anh.91(516c)(断片)です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)が1787年に作曲したと言われている第1楽章「アレグロ」のみの断片です

N響を卒業された大林修子さんが第1ヴァイオリンを務めます 断片の音楽ですが、愉悦感に満ちた曲想、伸びやかに歌うクラリネットはモーツアルトそのものです

2曲目は「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」です この曲はモーツアルトが1789年にクラリネットの名手アントン・シュタードラーのために作曲した作品です 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「ラルゲット」、第3楽章「メヌエット」、第4楽章「アレグレット・コン・ヴァリアツィオー二」の4楽章から成ります

第1楽章冒頭の優しく柔らかい音を聴いた瞬間から「ああ、モーツアルトだ」と思いました 伊藤のクラリネットと弦楽四重奏とのソフトなアンサンブルが素晴らしい 第2楽章ではクラリネットの弱音による寂寥感が何とも言えないいい味を出していました とくに、大林のヴァイオリンと伊藤のクラリネットの掛け合いが気品に満ちていました 第3楽章では、弦楽だけのアンサンブルも、クラリネットを加えた五重奏も美しく響きました 第4楽章ではクラリネットと弦楽四重奏による華やかな変奏が繰り広げられました

大きな拍手に5人は、アンコールにシューマン「夕べの歌」をロマン豊かに演奏し、再び大きな拍手を浴びました

演奏を聴いてつくづく思うのは、室内楽は個々人の演奏能力が優れていることが大前提である、ということです 主役のクラリネット・伊藤圭はもちろんですが、リードする第1ヴァイオリンの大林修子をはじめ、第2ヴァイオリンの大宮臨太郎、ヴィオラの坂口弦太郎、チェロの山内俊輔の一人ひとりがソリストとしてやっていける実力を備えています オーケストラのメンバーが臨時に集まって室内楽を演奏する場合は、時として実力不足を感じるケースもありますが、それはアンサンブル以前の、個々人の演奏能力に帰結する問題だと思います オーケストラの楽団員が室内楽を演奏すると、図らずも個々人の演奏能力が判ってしまいます その意味では室内楽は怖いと思います

なお、コンサートを聴くにあたり下のCDで予習しました クラリネットはアントニー・ペイです

 

     

 

プログラム後半はショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68」です この曲はドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が1944年に作曲、同年レニングラードで初演されました 第1楽章「前奏曲:モデラート・コン・モト」、第2楽章「レチタティーヴ & ロマンス:アダージョ」、第3楽章「ヴァルツ:アレグロ」、第4楽章「テーマ & ヴァリエーション」の4楽章から成ります

この曲では大宮臨太郎が第1ヴァイオリンを務めます 第1楽章では、冒頭の大宮とチェロの山内による浮遊感に満ちた演奏が素晴らしかった その後は、大宮の尖がった演奏が際立っていました 第2楽章ではミステリアスな曲想に対する大宮の独奏が印象的でした 第3楽章は実質スケルツォですが、ワルツはワルツでも極めて慌ただしいワルツで、いかにもショスタコーヴィチらしい曲想です 第4楽章では、序盤における坂口のヴィオラの抒情的な演奏、山内のチェロの重低音の魅力を発揮した演奏が素晴らしい そして、ヴァイオリンの大宮と大林の渾身の演奏が冴えわたります

大きな拍手に4人は、アンコールにヴィオラとヴァイオリンが活躍するボロディン「スペイン風セレナーデ」を鮮やかに演奏、再び大きな拍手の中コンサートを締めくくりました

なお、予習に下のCDを聴きました 演奏は「サントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデン」の第1回「ベートーヴェン・サイクル」に出演したパシフィカ・クァルテットです

 

     

 

帰りがけに国立科学博物館の招待券をいただきました ミュージアム・コンサートはこういう”付録”があるからいいですね 有効に活用しようと思います

 

     

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中川右介著「国歌と音楽家」を読む ~ ヒトラー 対 フルトヴェングラー、ムッソリーニ 対 トスカニーニ、スターリン 対 ショスタコーヴィチほか

2022年04月05日 07時13分37秒 | 日記

5日(火)。わが家に来てから今日で2642日目を迎え、ロシア軍によるウクライナ侵攻をめぐり、ロシア軍から解放された首都キーウ近郊で、一般市民とみられる多数の遺体が見つかり、ロシア側の戦争犯罪を問う声が国内外で急速に高まっているが、ロシア側は関与を否定している  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     CNNの映像を見れば 一般市民虐殺は明らかだ 人殺しプーチンの暴走を止めないと

 

         

 

昨日、夕食に娘が職場の同僚を通じて仕入れてきた「サーロインステーキ」を焼き、「卵スープ」と一緒にいただきました 特大ステーキは柔らかくてとても美味しかったです

 

     

 

         

 

中川右介著「国歌と音楽家」(集英社文庫)を読み終わりました 中川右介は1960年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務を経て、アルファベータを設立し、代表取締役社長として雑誌「クラシックジャーナル」などを出版 著書多数。toraブログでは「現代の名演奏家50~クラシック音楽の天才・奇才・異才」(幻冬舎新書)、「20世紀の10大ピアニスト」(同)、「怖いクラシック」(NHK出版新書)をご紹介しました

 

     

 

本書は「週刊金曜日」の2011年4月29日号から2013年4月5日号まで隔週掲載された論考を、2013年10月に「七つの森書館」から刊行した単行本に大幅な加筆・修正を施して2022年2月に新書版として刊行したものです

著者は「はじめに」で本書の内容について次のように述べています

「この本は、音楽史に刻まれている大音楽家たちが、20世紀という戦争と革命の時代に国家とどう対峙したかを描く、歴史読み物である 国家と音楽家・・本来ならば対峙するものではない。だが、20世紀という『戦争と革命の世紀』は多くの音楽家を国家と対峙せざるを得ない局面に追い込んだ ある者は妥協した。ある者は屈服した。ある者は対立を避けて国外へ出た。闘い抜いた人もいるし、死の一歩手前にあった人もいれば、故国喪失者となった者もいる 『音楽に国境はない』と言われるが、そんな能天気なことは平和な時代だから言える。少なくとも、音楽家には国境がある

本書は次の9章から構成されています

第1章「独裁者に愛された音楽」:ドイツのヒトラー政権とフルトヴェングラー、エーリヒ・クライバー、ワルター、ベーム、クレンペラー、クナッパーツブッシュ、カラヤンとの関係

第2章「ファシズムと闘った指揮者」:イタリアのムッソリーニとアルトゥーロ・トスカニーニ

第3章「沈黙したチェロ奏者」:スペインのフランコ政権とパブロ・カザルス

第4章「占領下の音楽家たち」:ナチス占領下のフランスにおけるアルフレッド・コルトー、シャルル・ミュンシュ

第5章「大粛清をくぐり抜けた作曲家と指揮者」:スターリン政権とショスタコーヴィチ、ムラヴィンスキー

第6章「亡命ピアニストの系譜」:ポーランドのショパン、パデレフスキ、ルービンシュタイン

第7章「プラハの春」:チェコのスメタナ、ターリヒ、アンチェル、クーベリック、ノイマン

第8章「アメリカ大統領が最も恐れた男」:J.F.ケネディとレナード・バーンスタイン

終 章「禁じられた音楽」:イスラエルにおけるワーグナーの音楽、バレンボイムの挑戦

本書を読み終わって、「よくもこれだけの歴史的事実を調べ上げられたものだ」と感嘆せざるを得ませんでした 本書は巻末に収録されている「参考文献」に掲げられた数多くの著作物に裏付けられています 初めて本書を読んで、自分のあまりの無知さ加減を思い知らされました

第1章ではヒトラーのナチス政権と音楽家との対峙が書かれていますが、ユダヤ人であることから国外に亡命した音楽家もいれば、国内に留まって指揮活動を続けた音楽家もいます

著者はこの第1章の扉で次のように問いかけています

「史上最も芸術に理解があり芸術を保護し支援した政治家は、おそらくアドルフ・ヒトラーである 彼の政権ほど、クラシック音楽とオペラを優遇した政権はない。それゆえに音楽家たちは、戦後、ナチス協力者として批判された はたして、音楽家たちに罪はあったのかなかったのか

その上でナチス政権下における音楽家たちの動向を紹介しています 要約すると次の通りです

「ドレスデンのザクセン州立歌劇場音楽総監督フリッツ・ブッシュはユダヤ系ではないが、弟で世界的なヴァイオリニストであるアドルフ・ブッシュがナチスへの嫌悪感を表明したことから、指揮する予定だったオペラが中止となり、やがてドイツを離れることになる 同歌劇場の後任には”ナチスを礼賛していた”カール・ベームが就任した ベームはゲッペルスのよき相談相手となる。ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団はブルーノ・ワルターの指揮で演奏会を予定していたが、彼はユダヤ系だったため中止の命令が出された ワルターは当時ナチスの支配下になかったオーストリアに亡命した。ワルターの代役として指揮をしたのはリヒャルト・シュトラウスだった。ベルリン州立歌劇場の指揮者オットー・クレンペラーはユダヤ系だったため、歌劇場を解雇される前に自ら辞め、ドイツを出てスイスへ亡命した ベルリン州立歌劇場音楽監督エーリヒ・クライバー(カルロスの父親)はユダヤ系ではなかったが、ナチス政権が上演作品について口を出してきたので嫌気がさして歌劇場を辞任しドイツを去った

 

     

 

しかし、著者はこの記述だけでは終わらせません 次のように続けます

「このようにさまざまな理由で、多くの音楽家たちがドイツを出て行った ブッシュ、ワルター、クレンペラー、クライバーらは著名だったので、亡命しても仕事があり、最も恵まれた部類に入る 収容所に送られ殺された音楽家もいれば、失業した者もいる。ユダヤ人であれば、確実に悲劇が待っていた

そして、国内に留まってナチス政権に抵抗しながら指揮活動を続けたフルトヴェングラーの活動を紹介しています ひと言で言えば、彼はヒトラーに政治的に利用されながらも、ゲッペルスとタッグを組んで何とか指揮者として生き延びたと言えます

 

     

 

また、クナッパーツブッシュについては「過激な国粋主義者で、ナチスが政権を取る前からその思想に共鳴していた。彼はナチスに入党はしなかったが、ナチスから同志と見做された しかし、バイエルン州立歌劇場を解任されてしまう。失脚の理由は戦後になって、『クナッパーツブッシュは極右思想だったが、一方で規律が嫌いで皮肉屋でもあり、客演先でうっかりヒトラーをからかう発言をし、それがヒトラーの耳に入ったからだ』と伝えられたが、実情は違った ヒトラーの逆鱗に触れたのは事実だが、それは、クナッパーツブッシュの音楽があまりにもひどかったからだ 当時の演奏の録音が遺っていないので、クナッパーツブッシュのどこがどう悪いのかの検証はできないが、とにかくヒトラーはその音楽を嫌ったのだ。失脚の理由は政治的発言ではなく、芸術上の欠点だった クナッパーツブッシュやベームは、ナチスの党員ではなかったが、ナチス政権に忠実に尽くした。それなのに彼らが日本でそれほど批判されることなく、名声を得ていたのは他にもっと『悪い奴』がいたからだった それはヘルベルト・フォン・カラヤンである。実際に党員だったのだから、言い訳はできない」と説明しています

 

     

     

カール・ベームやハンス・クナッパーツブッシュについては著者の指摘の通り、日本では”悪いイメージ”がありません カラヤンについても同様です。これは、レコード会社の”売らんかな”の商業主義と無関係ではないと思います LP時代とCD時代初期のクラシック業界を振り返ると、音楽評論家たちはカラヤンやベームの新譜が出るたびに こぞって絶賛し、多くのクラシックファンに影響を与えていました 一方、クナッパーツブッシュについては音楽評論家・宇野功芳氏が「分かる人には分かる」というスタンスで絶賛していました

 

     

 

第2章「ファシズムと闘った指揮者」ではムッソリーニ政権に対峙したアルトゥーロ・トスカニーニの気骨ある行動が紹介されています トスカニーニに対しては、これまで「楽団員をブタ呼ばわりする独裁的指揮者」というイメージしか持っていませんでしたが、本書を読んで、徹底的に権力と対峙し自己の信念を貫いた偉大な人物として再認識しました

 

     

     

第3章以下の章も、私の知らない歴史的事実のオンパレードでした 400ページを超える力作ですが、初めて読む人にもクラシック通にも参考になると確信します 広くお薦めします

 

     

 

本日、toraブログのトータル訪問者数が210万 I P を超えました( 2,100,571 IP 。トータル閲覧数は 6,887,706 PV )。これもひとえに普段からご覧いただいている読者の皆さまのお陰と感謝しております    これからも毎日休むことなく根性で書き続けて参りますので、モコタロともどもよろしくお願いいたします

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新国立オペラ、リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」初日公演を観る ~ アンネッテ・ダッシュ、小林由佳、妻屋秀和、安井陽子、宮里直樹にブラボー!

2022年04月04日 07時09分13秒 | 日記

4日(月)。わが家に来てから今日で2641日目を迎え、ローマ教皇庁(バチカン)によると、ローマ教皇フランシスコは2日、ウクライナの首都キーウ訪問を”検討中”だと明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ロシアのプーチンと会ってウイル・スミスのように平手打ちを食らわせてください

 

         

 

昨日、新国立劇場「オペラパレス」でリヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」初日公演を観ました 出演は元帥夫人=アンネッテ・ダッシュ、オックス男爵=妻屋秀和(クリスティン・ジクムントソンの代役)、オクタヴィアン=小林由佳(マリア・カターエワの代役)、警部=大塚博章(妻屋秀和の代役)、ファー二ナル=与那城敬、ゾフィー=安井陽子、マリアンネ=森谷真理、ヴァルツァッキ=内山信吾、アンニーナ=加納悦子、警部=大塚博章、テノール歌手=宮里直樹、帽子屋=佐藤路子ほか。合唱=新国立劇場合唱団、児童合唱=多摩ファミリーシンガーズ、管弦楽=東京フィル、指揮=サッシャ・ゲッツェル、演出=ジョナサン・ミラーです

私が新国立オペラ「ばらの騎士」を観るのは2007年、2011年、2015年、2017年に次いで5度目で、いずれもジョナサン・ミラーの演出です

 

     

 

オペラ「ばらの騎士」はリヒャルト・シュトラウス(1864‐1949)が1909年から翌10年にかけて作曲、1911年にドレスデンで初演されました

フーゴ・フォン・ホフマンスタールの台本では舞台は18世紀のウィーンとなっていますが、ジョナサン・ミラーの演出は本作が初演された1年後の1912年に設定しています

元帥夫人は夫の留守中に若き愛人の伯爵オクタヴィアンと愛し合っている。オクタヴィアンは、夫人の従兄弟で好色なオックス男爵の婚約者で 新興貴族ファー二ナルの娘ゾフィーに結納品として銀のばらを届けるが、若い二人は恋に落ちてしまう オックスとオクタヴィアンは決闘になるがオックスは軽い負傷で大騒ぎする さらに女装してマリアンデルとなったオクタヴィアンからの偽の恋文で騙され、ゾフィーとの婚約は破棄となる 元帥夫人も若い二人の男女の恋を見抜いて祝福しながらその場を去る

 

     

 

人気プログラムということでか、会場はほぼ満席です

指揮を執るサッシャ・ゲッツェルはウィーン生まれ。現在ソフィア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客員指揮者。今年9月からフランス国立ロワール管弦楽団音楽監督に就任予定です

幕が下りた状態で、ゲッツェル指揮東京フィルが官能的な導入曲を演奏します    正直言って私はリヒャルト・シュトラウスはあまり好きではありませんが、この「ばらの騎士」だけは全てのオペラの中でベスト5に入るほど素晴らしい作品だと思います 特に、この導入曲のように、元帥夫人とオクタヴィアンの愛の一夜を管弦楽だけで表現する才能は並大抵ではないと思います

元帥夫人を歌ったアンネッテ・ダッシュは1976年ドイツ生まれのソプラノで、世界各地の歌劇場や音楽祭で活躍しています 新国立劇場へは2003年「ホフマン物語」アントニアを歌っています 独特の声質で、元帥夫人に相応しい気品のある佇まいと美しい歌唱で存在感を示しました 第3幕ラストでのオクタヴィアン、ゾフィーとの三重唱の後、愛するオクタヴィアンに別れを告げ一人去っていく後ろ姿は、「片目に涙をため、片目で笑って」というウィーンの貴婦人のモットーを体現していました

マリア・カターエワの代役でオクタヴィアンを歌った小林由佳は国立音楽大学・大学院修了。文化庁派遣芸術家在外研修員としてイタリアに留学。二期会で活躍。新国立劇場では「魔笛」「ルチア」「椿姫」などに出演しています オクタヴィアンとマリアンデルの役柄の切り替えが見事で、第3幕での三重唱をはじめ歌唱力・演技力ともに素晴らしく、見事にカターエワの代役を務め上げました

クリスティン・ジクムントソンの代役でオックス男爵を歌った妻屋秀和は、今や新国立オペラになくてはならない存在となっています 今回も貴族の血が流れているものの”不良中年”のオックスを見事に歌い、演じました

ファー二ナルを歌った与那城敬は桐朋学園大学卒。文化庁派遣芸術家在外研修員としてミラノに留学。新国立劇場では「愛の妙薬」「沈黙」「道化師」などに出演しています どちらかというと、ファー二ナルを演じるには少し若すぎるきらいがありますが、お金の力で貴族の称号を得ようとする田舎の名士を力一杯歌い、演じました

ゾフィーを歌った安井陽子は「夜の女王」のイメージが強いソプラノですが、第3幕の三重唱をはじめとして、美しく伸びのある高音で強靭な歌唱力を発揮しました

それにつけても、素晴らしいと思うのは第3幕ラストの三重唱です この第3幕だけでもリヒャルト・シュトラウスの名前は後世に残ると思うほどです

テノール歌手を歌った宮里直樹は東京藝大大学院修了、第48回日伊声楽コンコルソ第1位はじめ受賞多数の実力者です 今回が新国立劇場初登場ですが、破壊力のある歌唱で聴衆を圧倒しました 若手のテノールで私の一押しです

サッシャ・ゲッツェル指揮東京フィルは歌手に寄り添いつつ、木管、金管を中心に官能的な、時に抒情的な演奏を展開しました

 

     

 

演出でいつも気になるのは、第1幕のラストシーンです 元帥夫人がオクタヴィアンに「いつかあなたも私を捨てて若い恋人のもとへ去っていく」と諭すと、オクタヴィアンが憮然として去っていきます この後、元帥夫人は火を点けた煙草を片手に窓を伝う雨を眺め、幕が下ります 私が気になるのは、「煙草は健康に有害です」という時代に煙草を吸うシーンを入れるのはいかがなものか、ということです ジョナサン・ミラーは「若いツバメはいつかは若い恋人と出会い、夢中になって中年の自分から去っていく」という一抹の寂しさを表す道具として煙草を登場させたのだと思います 確かに、一時代前には、物思いに沈むシーンや考え事をするシーンでは煙草を吸うのが”サマになる”こともあったように思いますが、時代はどんどん変化していきます。いつまでも煙草で煙に巻かないで、他の道具を考えてはどうかと思います

ついでに言えば、リヒャルト・シュトラウスは元帥夫人は32歳まで、オクタヴィアンは17歳2か月という設定をしています 現代のオペラシーンから見ると、ずいぶん若い年齢設定だと思います 現代に置き換えると、それぞれ1.5倍くらいの年齢設定でも不自然ではないような気がします 元帥夫人が48歳、オクタヴィアンが25歳です。どんなものでしょうか

第3幕のラストは、オクタヴィアンとゾフィーが去り、誰もいなくなった舞台に、元帥夫人のお小姓がゾフィーの落としたハンカチを取りにやってきて、慌ただしく幕が下りるーというのが通常の演出ですが、ジョナサン・ミラーのは、ゾフィーはハンカチを落とさず、お小姓が部屋にやって来て、テーブルの上に置いてあったお菓子をいくつか掴んで去っていき 幕が下りるという演出になっています 清少納言流に言えば「春はあけぼののおかき いとお菓子」という演出です

過去4回の公演では見られなかった演出として、誰かが座っていた椅子やソファーに別の人物が座るシーンでは、歌手でない役者が椅子やソファーを布で拭く場面がいくつかありました これは新型コロナ感染防止のための行為ですが、いかにも劇のストーリーに最初から組み込まれていたかのように溶け込んでいました これはコロナ禍ならではの演出でした

終演後にカーテンコールが繰り返されましたが、聴衆からの拍手はもちろんのこと、オーケストラピットの楽員からもゲッツェルと歌手陣に大きな拍手が送られていたのがとても印象的でした かくして「ばらの騎士」初日公演は成功裏に終わったと言っても過言ではないでしょう

 

     

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ロシアのウクライナ侵攻の影響で窮地に立つソプラノ歌手アンナ・ネトレプコ ~ METへの復帰が先か、プーチン政権の崩壊が先か ?

2022年04月03日 07時25分17秒 | 日記

3日(日)。わが家に来てから2640日目を迎え、米ニューヨーク市にあるアマゾンの拠点で労働組合の結成案が賛成多数で可決された  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「一人はみんなのために  みんなは一人のために」 これが労働組合の基本精神だね

 

         

 

「月刊音楽祭」はロシアのソプラノ歌手アンナ・ネトレプコの近況について相次いでツイートしています 1本目は「ネトレプコがロシアのウクライナ侵略に反対、プーチン大統領との関係を否定する声明」という見出しの記事です   記事は以下の通りです

「休養宣言を出していたスター・ソプラノ歌手アンナ・ネトレプコがロシアのウクライナ侵略に反対し、プーチンと手を結んだことはないと断言する新たな声明を発表した 声明の中でネトレプコは『私はウクライナに対する戦争を明確に非難し、この戦争の犠牲者とその家族に思いを馳せます。私の立場は明確です。私はいかなる政党のメンバーでもなく、ロシアのいかなる指導者とも手を結んでいません。私の過去の行動や発言が誤解される可能性があったことは認め、反省しています』と語っている また、ウクライナ侵略を始めたプーチン大統領との関係については『大統領とは芸術賞の受賞やオリンピックの開会式などでお会いしたことがありますが、人生で数えるほどしかありません。それ以外には、ロシア政府からいかなる金銭的支援も受けたことはなく、オーストリアに居住し、納税者でもあります』と述べている 声明では、5月から演奏活動を再開させることも表明、声明を『私は祖国ロシアを愛し、芸術を通じて平和と団結を求めているだけです』と結んでいる ネトレプコは2014年にロシアがクリミア半島を侵略した際、ロシアが支援する分離主義者に対する支持を表明。そのこともあり、ロシアのウクライナ侵略後は、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場をはじめとして、出演をキャンセルされ、休養宣言を出していた

2本目は「ネトレプコのロシアでの公演中止へ、戦争批判声明への”報復”か?」という見出しの記事です    記事は以下の通りです

「ロシア・ノボシビルスクにある国立オペラ・バレエ劇場は、6月2日に予定されていたスター・ソプラノ歌手アンナ・ネトレプコのコンサートを『ロシアの行動を非難した』ことを理由に中止すると発表した ネトレプコは3月30日、Facebookへの投稿を通じて、ロシアのウクライナ侵略によって生じた戦争を非難、また、プーチン大統領との関係についても否定する声明を発表している 劇場の決定はこの声明に対するプーチン政権の”報復”とみられ、声明で『昨日、アーティストが我が国の行動を非難する声明を発表した。ヨーロッパに住むこと、ヨーロッパの会場で演奏する機会が、彼女にとって祖国の運命よりも重要であることが判明した』と厳しく非難している また、声明は『故郷を棄てる文化人がいることを恐れてはいけません。私たちの国は才能に富んでおり、昨日の偶像は明確な市民的立場を持つ他の偶像に取って代われれるだろう』と指摘。劇場は次の公演に、チューリッヒ歌劇場の『マクベス』の公演でネトレプコの代役に立ったヴェロニカ・ディジョーエヴァを起用する演奏会を入れ込んだ 3日の声明については出された直後、彼女の降板を決断した米国のメトロポリタン歌劇場のピーター・ゲルブ総裁が『ニューヨーク・タイムズ』紙に対して、『私たちは、自分たちの立場を変える用意はない。もし、アンナが長期的にプーチンと本当に完全に縁を切ったことを示すなら、会話をする用意はある』と述べるに留まっている 一方、プーチン政権は政権を批判する行動を厳罰に処すための法律の制定などに乗り出しており、3日の声明以降、ネトレプコのロシア版SNSが閉鎖され、ネトレプコは当面、出演の場が限られるという厳しい状況が続きそうだ

この記事で「3日の声明」という記述が2度出てきますが、いずれも「30日の声明」の誤りだと思われます いずれにしても、このままでは、ネトレプコは祖国ロシアでも、海外でもまったく歌えない状況が続くことになります     ネトレプコのメトロポリタン歌劇場への復帰が先か、プーチン政権の崩壊が先か、世界中のオペラ愛好家が見守っています

 

     

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東京春祭「ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会」(塩貝みつる & 江尻南美)を聴く ~ 旧東京音楽学校奏楽堂 / 東京春祭「フランソワ・ルルーの世界 Ⅰ・Ⅱ」公演中止

2022年04月02日 07時20分12秒 | 日記

2日(土)。「東京・春・音楽祭2022」からの配信メールによると、4月6日と8日に開催予定の「フランソワ・ルルーの世界Ⅰ・Ⅱ」は、ルルー氏から「3月中旬にコロナ感染後、未だ体調回復が万全でなく、長時間のフライトには耐えられる状況ではないため、今回の来日を中止せざるを得なくなった」旨の連絡が入ったことから、両公演を中止することになった、としています 私は6日(水)のモーツアルト「オーボエ協奏曲」や「魔笛」「ドン・ジョバンニ」のアリアのオーボエ ✕ 管弦楽版を聴くのを楽しみにしていましたが、仕方ありません    私にとってはチョン・ミョンフン指揮東京フィルによる1月度定期公演(マーラー「第3番」)に次いで今年2回目の公演中止となります 払い戻しは4月2日から30日までとのことです

ということで、わが家に来てから今日で2639日目を迎え、ロシアの独立系世論調査機関レバダ・センターは31日、ウクライナへの侵攻開始後に実施したプーチン大統領の支持率に関する調査結果を公表したが、それによると支持率は83パーセントで前回よりも12ポイント上昇した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     徹底的な情報統制の結果と言わざるを得ない 真実を知らないロシア国民は不幸だね

 

         

 

昨日、夕食に「トンテキ」「生野菜とアボカドのサラダ」「もやしの味噌汁」を作りました トンテキは若干小さめでしたが、十分です

 

     

 

         

 

昨夜、上野の旧東京音楽学校奏楽堂で東京・春・音楽祭参加公演「ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会」を聴きました

旧東京音楽学校奏楽堂で聴くのは2年ぶりです 一昨年の2020年、3月に入って新型コロナ感染拡大を受け 相次いでコンサートが中止になる中、19,20,21日の東京春祭「ベートーヴェン『ピアノ三重奏曲全曲演奏会』(白井圭、門脇大樹、津田裕也)」は奇跡的に実施されました 当時の手帳を見ると、3月に聴く予定だった他の21公演が中止となり払い戻しになっていました 当時はまだマスク着用が”義務”ではなかったので、マスクなしで出かけましたが、ほとんどの人がマスクをしていたのを思い出しました あれから2年以上も新型コロナ禍の閉塞的な状況が続くとは思ってもみませんでした

 

     

 

さて、この日のプログラムはブラームス①ヴァイオリン・ソナタ『F.A.E』ト長調より「スケルツォ ハ短調」、②ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 作品78 ”雨の歌”、③同第2番 イ長調 作品100,④同第3番 ニ短調 作品108です    演奏はヴァイオリン=塩貝みつる、ピアノ=江尻南美です

塩貝みつるは桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース修了。2004年よりハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団、およびハンブルク国立歌劇場の第1ヴァイオリンアソシエイト・コンサートミストレスを12年間歴任 彼女の演奏は「ハンブルク・トリオ」の一員として来日した2015年(ブラームス「ピアノ三重奏曲」全曲演奏会)と2018年(フェリックス&ファニー・メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲」全曲演奏会)のコンサートを聴いて以来です

江尻南美は桐朋学園大学とフランクフルト音楽大学を卒業。ドイツ在住。第10回園田高弘賞ピアノ・コンクール第1位、第13回ショパン国際ピアノコンクール最優秀演奏者賞など数多くの賞を受賞しています

自席は「か19番」、右ブロック6列目左通路側です 座席が「あいうえお」順になっているのは、あまたあるコンサートホールの中でもここだけでしょう ホール内は昭和を通り越して明治・大正時代を思わせるシックな造りになっています 座席は全310席で、建物は重要文化財に指定されています

 

     

 

1曲目は「ヴァイオリン・ソナタ『F.A.E』ト長調」より「スケルツォ ハ短調」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833ー1897)が1853年に作曲した作品です これはシューマンが名ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムに贈ろうと、第1楽章を弟子のアルベルト・ディートリヒに、第3楽章をブラームスに作曲を依頼し、第2、4楽章をシューマン自身が作曲した作品です 『F.A.E』はヨアヒムのモットーとした「自由だが孤独」の略です

塩谷と江尻が登場し演奏に入ります 激しい曲想は、まさにブラームスの「スケルツォ」です ピアノの音が若干大きすぎるきらいがありましたが、慣れてきました

2曲目は「ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 作品78 ”雨の歌”」です この曲は1878年から翌79年にかけてオーストリア南部の避暑地ペルチャハで作曲、1879年にウィーンで初演されました 第3楽章冒頭に歌曲「雨の歌」の旋律を用いたため、「雨の歌」という愛称で呼ばれています 第1楽章「ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「アレグロ・モルト・モデラート」の3楽章から成ります

演奏を聴いていて、なぜか桜咲く今の季節にピッタリの曲だと思いました 親しみやすい旋律で、ブラームスの優しさが伝わってきます

 

     

 

休憩後の1曲目は「ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 作品100」です この曲は1886年にスイスのインターラーケン湖畔で作曲、同年ウィーンで初演されました 第1楽章「アレグロ・アマービレ」、第2楽章「アンダンテ・トランクィロ ~ ヴィヴァーチェ」、第3楽章「アレグレット・グラツィオーソ・クアジ・アンダンテ」の3楽章から成ります

この曲は推進力に満ちた曲想で、とくに第3楽章はドラマティックで喜びに満ち溢れています

最後の曲は「ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 作品108」です この曲は1886年から88年にかけてトゥーン湖畔で作曲、1888年にブダペストで初演され、ハンス・フォン・ビューローに献呈されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「ウン・ポコ・プレスト・エ・コン・センチメント」、第4楽章「プレスト・アジタート」の4楽章から成ります

この曲は円熟したブラームスの内面を反映した抒情性を感じます 溢れる情感を抑えきれないブラームスを見るようです

2人はアンコールに、ブラームス「5つの歌  作品105」から第1曲「調べのように私を通り抜ける」を鮮やかに演奏、大きな拍手でコンサートを締めくくりました

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石原慎太郎 ✕ 曽野綾子「死という最後の未来」を読む ~ 考え方が真逆な2人による「死」や「老い」に関する対談

2022年04月01日 07時12分27秒 | 日記

4月1日(金)。今日から4月、学校や会社は新年度の始まりですね 私には無縁ですが、新生活を送る人たちにエールを送ります

ということで、わが家に来てから今日で2638日目を迎え、米ホワイトハウスのべディングフィールド広報部長は30日、ロシアのプーチン大統領はウクライナでの戦況について間違った情報を伝えられており、その理由は「プーチンが怖くて本当のことが言えないからだ」とする見解を示した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     怖くて真実が言えないほど 恐れられる存在になったプーチンの 自業自得といえる

 

         

 

いつもは隔週金曜日に「鶏の唐揚げ」を作るのですが、コンサートの関係で昨日作りました 久しぶりにビールを飲んで唐揚げを食べましたが、最高の組み合わせですね

 

     

 

         

 

石原慎太郎 ✕ 曽野綾子「死という最後の未来」(幻冬舎文庫)を読み終わりました 石原慎太郎は1932年神戸市生まれ。一橋大学卒。1955年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」で第1回文學会新人賞を、翌年芥川賞を受賞 石原裕次郎のことを書いた「弟」、「天才」「老いてこそ生き甲斐」「あるヤクザの生涯 安藤昇伝」など著書多数。1968年から国会議員を、1996年から2012年まで東京都知事を務めた。2022年2月1日死去

曽野綾子は1931年東京都生まれ。聖心女子大卒。作家。著書多数 1979年ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章。2003年に文化功労者、1995年から2005年まで日本財団会長を務めた 1972年にNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」を始め、2012年代表を退任

 

     

 

本書は2020年6月に幻冬舎から刊行された単行本を文庫化したもので、キリスト教信者の曽野綾子90歳と法華経を哲学とする石原慎太郎89歳が、「死」や「老い」について語り合った対談集です

本書は大きく次の3つの章から構成されています

第1章「他人の死と自分の死」

第2章「『死』をどう捉えるか」

第3章「『老い』に希望はあるのか」

2人の対談を読んでいて分かるのは、死生観がまったく逆だということです これは宗教の教義と関係があるのかも知れません。曽野は「人は神から生かされている。すべては神様の思し召しの通り。運命のままに生きて静かに死を受け入れる」という考えのもとに生きているのに対し、石原は「死にたくない。最後までがむしゃらに生きていきたい」というアグレッシブな考えのもとに生きています 2人の対談で考え方の違いが明確に表れている箇所がいくつかあります

第1章の中で、石原氏は2013年に脳梗塞に見舞われ、2020年には初期の膵臓癌が見つかったことから、身近に「死」を感じるようになったと語っています 一方、曽野さんはシェーグレン症候群という一種の膠原病のような持病があり、時々だるくなり微熱が続くが致命的ではないと告白しています。それをもとにしたのが次の対話です

石原:今はもう、すぐそこにある”死”というもの、そのものを直に感じるようになった。毎日ね、絶えず自分の死を考えています

曽野:困ります?

石原:えっ?

曽野:死んだら。何か困ります?

石原:いや、死ぬのはつまらんでしょう。死にたくはないですね 死というものが何だかわからないから、死んでも死にきれないんです。むろん、命に限りがあることはわかっている。しかし、死の実態というものはわからないでしょう

曽野:知ったらどうなりなす?

石原:知れば、納得がいくでしょう。少なくとも、未知のものではなくなる。僕は無性に知りたいんだな。しかし誰も知らないし、教えてくれる人はいません。死んで帰った人もいませんしね

曽野:帰ってきたという人に、会ったことはまだありませんね

私は男だからというわけでもないのですが、石原氏の言いたいことが良く分かります 長く生きてきた割には知らないことが多すぎる、もっと多くのことを知りたい、といつも思っています とても曽野さんのように達観できません

第3章では「ありがとう」という言葉について語り合っています 曽野さんは夫の三浦朱門さんが末期治療を受けていた時のことを次のように語っています

「意識はありまして、数日はショートステイと同じように、看護師さんたちと冗談を言っていたくらいでした 『ありがとう』を何度か言っているうちに、『ありが十』『ありが二十』『ありが三十』『ありが四十』などと言って、笑ってもらえるのが嬉しかったようです 夫なりの周りの人たちへの感謝の心が込められていました

これを受けて石原氏は「僕も、それは決めているんです。自分が逝く時には、『みんな、これまでありがとう』と言おうと」と語ります

曽野:それはいいですね。世の男性たちも、そのように口にすればいいんですよ 会社の社長さんだって、社員にもっと『ありがとう』と言えばいいんです。子供の頃から感謝を口にするように、母親が教えればいいんですよ。感謝する心を表現することは本当に大切です 年老いた時、利己的で不機嫌なお爺さん、お婆さんでいたなら、施設や病院だって対応に困りますよ。明るくして周囲にも気が配れる老人ならば、大変な現場であっても、周りも楽しく過ごせますし、何より人として互いに尊重し合えるじゃないですか

石原:「ありがとう」というのは、本当に感じのいい日本語だと思いますね

母親が生前、「アリが十ならミミズは二十歳(はたち)」と言って自分で笑っていたのを思い出しました いずれにしても、感謝の心を「言葉として伝える」ことは大切ですね

同じ第3章の中で、「老いて人の役に立つ幸福」について対談しています

曽野:人は、特に中年になったら、社会に奉仕貢献をすることが大切だと私は思っています 年老いて、誰しも外見がどんどん衰えていきますよね。その人を輝かせるのは『徳』だけなんです。社会に対して関心がなくて、ほんの少しの奉仕をもしようと思わないひとは、『徳』がない人たちですよ

石原:奉仕は、生き甲斐のひとつにはなる

曽野:「受けるよりは与える方が幸いである」という言葉がありますが、その通りで、人は他人から与えられる時も嬉しいけれど、人に与えた時も嬉しいんです これは、人間の尊厳と密接に絡んでいるものです。もっとも最近は、受けることは権利だ、与えたら損になるという考えの人たちが増えているようで、困ったものですね

この曽野さんの考え方は、最近よく共感できるようになりました ひと言でいえば「自分や自分の家族のことだけを考えて生きていて良いのか?」というテーマです これは、以前このtoraブログでもご紹介した  みうらじゅん&リリー・フランキーの対談集「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」を読んだときに初めて考えさせられたテーマです 要約すれば、「人はいつかは必ず死ぬ。お金や財産など、死んだら何の役にも立たない どうせなら、生きているうちに少しでも世の中のためになることに役立てる方がいい 『あの人はケチだったね』と言われて死んでいくよりも『あの人は親切でいい人だったね』と言われながら死んでいく方が幸せではないか」という考えです これは親がかりの子どもがいるとか、介護が必要な親を抱えているとかで、自分の生活で精一杯というケースは無理ですが、子どもが経済的に独立して以前ほどは経費が掛からなくなったケースは、少しでも社会のためになる行動をした方がよいということです ボランティアでも、何らかの経済的援助でも、出来る範囲のことで良いのです 私は最近、世界の飢餓と貧困の撲滅を目指して活動している「国際連合世界食糧計画WFP」の活動に協力し、毎月わずかながら寄付を始めました また、オーケストラを支援するということで、新日本フィルの「維持会員」として少額ながら寄付をしています 本当は身体を使ったボランティア活動ができればよいのですが、腰痛の身なので、反って迷惑をかけてはいけないと思い 控えています

曽野さんは第3章で「毎日、あえて自分に義務を課す」という話をしています

「朝、起きて何もすることがないという人がいるようですが、不幸なことですよ 私は老いた人間に必要なことは、今日やることがある、ということだと思います 大きい、小さいではなくて、今日はあれとこれをやる、明日はこれとこれ、といった具合に決める。疲れているとか、ここが痛いとか言って動かさないと、人間は逆に具合が悪くなるし、気力も削がれていきます

これには耳の痛い人が少なくないかも知れませんね 私が現役時代からずっと続けてきたことは、毎朝7時に起きることと、毎日ブログを書くことです 日曜だからといって10時過ぎまで寝ていたことはありません 現役時代は仕事で飲む機会が少なくありませんでしたが、どんなに遅く帰ってもブログを書いて翌朝7時過ぎにアップし、月~金は遅刻することなく出勤しました 現在も、今日やるべきこと、明日の予定ははっきりしています

まったく生き方の違う人生の大先輩2人の言葉には深く共感できるものがあります 世界保険紀行(WHO are you)によると、人間の死亡率は100%です 老いも若きも、いずれ迎える「死」を考えるうえで示唆に富む本です。お薦めしときます

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