ノーベル平和賞の劉暁波さん死去

2017年08月02日 11時32分57秒 | 社会・文化・政治・経済
投獄中に7月13日、61歳で死去。
中国がかたくなに基本的人権をいう普遍的な価値観の受け入れを拒否していることへの憤りが劉さんの死を機に噴き出た。
劉さんが何を訴えよとしたのか。
これを伝えるのもメディアの責務だ。
劉さんは中国文学を専攻し、若くして大学で教職につくなど中国を代表する知性の一人だった。
米国の大学に訪問学者として留学中、天安門広場で起きた民主化運動に呼応して帰国した。
軍の弾圧前に広場でハンストを決行し、「四君子」の一人に数えられた。
その後、当局の監視下に置かれ、労働教養所に送られるなど迫害を受けたが、非暴力の姿勢を貫き、中国に残って言論活動を続ける道を選んだ。
2008年の世界人権宣言60年に合せ、劉さんが起草し、参画そた「08憲章」が発表された。
一党独裁の廃止や司法の独立、農村と都市の平等、言論、宗教の自由を求めていた。
劉さんは共産党政権の転覆を扇動したとして「国家政権転覆扇動罪」に問われ、懲役11年の判決を受けたが、西側では常識的な考えを列挙したにすぎない。
劉さんは若い頃には舌鋒鋭く相手を批判することもあったが、抑圧下で活動を続けるうち、温和になり、他人の意見に耳を傾けるようになったといわれる。
その寛容さんが示されたのが最終陳述だ。
一部の活動からは「独裁政権は敵だ」などの批判もあったが、劉さんは「憎しみは人の知恵と良知を不敗させる」と書いた。
劉さんが言うように「どのような力も自由にあこがれる人間の欲求を阻止することはできない」のだ。
中国の指導者もいずれは、人権抑圧を続けていれば反発が強まるだけだという現実に気づくだろう。
いっそうの発展には権利の拡大が必要だと考えるリーダーの登場はいつだろうか。
毎日新聞 論説室専門編集委員・坂東賢治さん


青春をどう生きるか?
できれば青春は喜びでありたい。
青春は未来を信じ、開き、何かを創るための歩みであり、希望に満ちた躍動である。
青春には苦悩や失敗もあるが、それに屈せず、再び挑戦すればいい。
人は出会いの中で新しい自分を発見し、磨かれる。
善き出会いは、より善く生きるための相互作用だ。
自分の小さな殻を破り、他者と共に、他者のために―このダイナミックな交流の中でこそ成長できる。
境涯も高められる。

「誰のため」「何のため」それが問われている。
例えば、経済活動は何のためなのか?
環境問題は誰のためなのか?
災害の大きさに、家庭の経済状況が深く関わっている。
温暖化などの機構変動は、人類にとって避けることのできない喫緊の課題になっている。

寛容の精神と多様な価値観から人間力を考える。

自らの使命を深く自覚するならば、今、地道に磨いている英知は、全て未来へ羽ばたく翼となる。
進まなければ、後退である。
何があっても前へ。

同じ生きるなら、羅針盤となる哲学、思想、宗教が不可欠。

本物の一人の真摯な想いと理念が人々の心を変え、社会・地域を変える。

肝腎な事は鏡をみがく事―ロダン

数多くの災害の復興過程で、なかなか復興や生活再建ができなかった最も弱い箇所は、個人・コミュニティーの領域。
公的資金や市場の財源では、個人の領域をカバーできない。
通常の経済的合理性とは異なる道徳、規範、連帯、絆を動機とする経済行為―私はそれをモラルエコノミーと呼んでいます。
諸団体の活動が新たな相互作用として動くとき、被災地の連帯経済が形成されると私は考えます。
東京大学名誉教授・似田貝香門さん

戦後日本を突き動かしてきた推進力が、経済成長を是とする<成長教>にあった。
日本は1960~70年代にかけて大きく発展した。
いわゆる高度経済成長期です。
この時期に<ミーイズム>という言葉に象徴される<自己中心的>な傾向が強くなりました。
アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズが提唱した<二度生まれ>という表現があります。
<健全な心>で生きる<一度生まれ>よりも<病める心>で二度目の生を生き直す<二度生まれ>の人生の方が尊い。
悩みを突き抜けた先に、今までとは違う人生の価値をつかむことができる―という考え方です。
私の尊敬する作家・夏目漱石は、人間の成長に必要なのは<悲劇>だとしています。
順風満帆だった人生に突然<悲劇>が訪れた時、人はその意味を考えます。
そして、<今までと違うもの>に目覚めるのです。
<悲劇は喜劇より偉大である>―著作「虞美人草」につづられた一節は、彼の人生観をよく表しています。
現代社会は、分かりやすいものが受け入れられる風潮が強い。
だからこそそこに<何のため>という肝心の目的観を見いだすことも必要です。
今こそ「人文知」―宗教、哲学、文化などの教養が必要だと痛感します。
東京大学名誉教授・姜尚中さん