<知識主義経済>

2017年08月08日 10時57分07秒 | 社会・文化・政治・経済


「指導者の使命は、<国民に変化を受け入れるよう説得する>ことです。しかし、その前に、<まず自分が変わる>ことが先決です。しかし、日本のリーダーは、自分は変わりたくないと思っている。変化はトップからやるべきです。政策は、それからです」
かつては<資源>が富を生み出してきたが、1990年代からは<知識>が富の源泉となった。
アメリカの経済学者サロー博士はそれを<知識主義経済>と呼び、蒸気機関を動力源とした<第一次産業革命>、電気・通信にちる<第二次産業革命>に続く、<第三次産業革命>と位置付けた。
しかし、そうした日進月歩の技術革新にも関わらず、誰も<どこにたどり着くのか>目標点を見いだせない。
<我々は今、革命の中にいる>それがサロー博士の時代認識である。
1980年に博士は「ゼロ・サム社会」を出版した。
<利益>と<損失>を合せれば<ゼロ>になる。勝者の陰には必ず敗者がいることを訴え<敗者のいない社会>を建設するために、社会的合意を形成し、政策を行うべきだと主張した。
その理論はアメリカの経済政策に大きな影響を与えた。
「どんな学問の成果も、一般市民に理解されなければ、真の価値がない」と言う。
「ゼロ・サム社会」を執筆した当時、アメリカ国内はオイルショックによる急激なインフレで、<沈没する船>に乗っているかのような失望感が広がっていた。
サロー博士はそれでも<なぜ、船が沈んでいるのか>という理由さえ分かれば、大した問題ではないのです>と指摘した。
そして<危機が来る前に、それを阻止するよう、変革を実行するが真のリーダーなのです>と強調した。
先行きの不透明な未来だからこそ<挑戦の勇気><目標となるビジョン>が不可欠となる。
<冒険心><探究心>
<努力>しなければ<自分がどこでいけるのか>分かりません。
<冒険心>なくして、自己の限界を知ることはできません。
かつての産業革命を成し遂げた原動力も、強気<探究心>であり、挑戦の魂であった。
いかなる厳しい逆境も、一人立つ挑戦がある限り、未来はおのずと開かれていくにに違いない。















ノンキリング(不殺生)の世界

2017年08月08日 10時53分53秒 | 社会・文化・政治・経済
「幸福は、自身の胸中にある」
「今ここで勝つ」という主体的な一念こそ、自身の可能性を開き、新たな価値創造の波動を起こす源泉である。
「人間の強さとは、自己に打ち勝つ力にほかならない」

議員は日常的に地域を回り、まちの現状や地域住民の実生活に接し、理念でなく現実に根ざした政策をつくることだ。
あくまでも地域に根ざした議員であるべきだ。
弱者や少数者の声をきちんと拾うことだ。
地域貢献に取り組む姿勢が期待される。

GDPでは測れない、暮らしの安心なども度合い、豊かさ生み出す教育、健康、自然の価値を<見える化>する。
包括的な成長、包括的な豊かさをどう評価するかである。
自分たちの地域の強みや課題を見つけ、伸ばす。
<住みやすさ>のランキング。
従来の指標では表せなかった価値を測るという<新国富>の考え方。
包括的豊かさが<新国富>の新たな経済指標である。

20世紀は、「人類の、最も殺意にあふれた時代」と表現したアメリカの平和学者・グレン・ペイジ博士。
かつては<戦争を終わらせるた広島の原爆投下>と肯定していたが、大学を休学して挑戦戦争に従軍。
さらに<ヒロシマ>の惨状を知った。
葛藤の末、「いかなる理由があろうと、人は人を殺してはならない」と気付く。
<暴力容認の政治学>から<非暴力政治学>を探究し始めた。
「ノンキリング(不殺生)の世界は可能ですか?」と、各国の識者に質問を重ね、その根拠を尋ねて回った。
そうして非暴力のネットワークを広げてきた。
「仏教の非暴力とは、口先だけの理論ではない。観念的また逃避的敗北主義とも異なる。自他共の<人間尊厳>を勝ち取るための積極的<行動>を前提としている」
「暴力に暴力で抗するのはたやすい。しかし、それでは悪の連鎖は止まらない。また暴力に泣き寝入りしても悪を助長する。そのどちらでもなく、<人間の尊厳>を侵す、あらゆりる暴力に対して、非暴力の強靭な信念で、妥協なく戦い抜いていく―そこに仏教の実践がある」
「真の非殺人社会を実現するためには、各人の生命に刻まれた<殺>の宿業をも解決しなけれならない。ここに、宿業転換、<業>の打開を説いた仏法の意義があると思う」