20世紀は、「人類の、最も殺意にあふれた時代」

2017年08月15日 11時32分34秒 | 社会・文化・政治・経済
GDPでは測れない、暮らしの安心なども度合い、豊かさ生み出す教育、健康、自然の価値を<見える化>する。
包括的な成長、包括的な豊かさをどう評価するかである。
自分たちの地域の強みや課題を見つけ、伸ばす。
<住みやすさ>のランキング。
従来の指標では表せなかった価値を測るという<新国富>の考え方。
包括的豊かさが<新国富>の新たな経済指標である。

20世紀は、「人類の、最も殺意にあふれた時代」と表現したアメリカの平和学者・グレン・ペイジ博士。
かつては<戦争を終わらせるた広島の原爆投下>と肯定していたが、大学を休学して挑戦戦争に従軍。
さらに<ヒロシマ>の惨状を知った。
葛藤の末、「いかなる理由があろうと、人は人を殺してはならない」と気付く。
<暴力容認の政治学>から<非暴力政治学>を探究し始めた。
「ノンキリング(不殺生)の世界は可能ですか?」と、各国の識者に質問を重ね、その根拠を尋ねて回った。
そうして非暴力のネットワークを広げてきた。
「仏教の非暴力とは、口先だけの理論ではない。観念的また逃避的敗北主義とも異なる。自他共の<人間尊厳>を勝ち取るための積極的<行動>を前提としている」
「暴力に暴力で抗するのはたやすい。しかし、それでは悪の連鎖は止まらない。また暴力に泣き寝入りしても悪を助長する。そのどちらでもなく、<人間の尊厳>を侵す、あらゆりる暴力に対して、非暴力の強靭な信念で、妥協なく戦い抜いていく―そこに仏教の実践がある」
「真の非殺人社会を実現するためには、各人の生命に刻まれた<殺>の宿業をも解決しなけれならない。ここに、宿業転換、<業>の打開を説いた仏法の意義があると思う」

裏目に泣く

2017年08月15日 11時27分16秒 | 未来予測研究会の掲示板
裏目千両の形容もある。
軸が確かなレースを選んで、宮野虎之助は勝負をしてきた。
昭和40年頃から、取手も田畑が宅地に造成され初めていた。
住宅公団による井野団地の建設を契機に道路も整備された。
宮野は先祖代々の田畑を切り売りして、取手競輪で勝負をするようになった。
小・中学生の同級生たちの中には、競輪選手になった者もいた。
宮野は中学を卒業すると東京・上野の印刷工場に就職した。
中学の先輩の倉持勝太郎の誘いであった。
初めは取手の自宅から通勤していたが、
倉持の提案で2人は根津の木造アパートに住んだ。
4畳半の部屋に倉持が、3畳の部屋に宮野が暮らす。
その倉持が休みの日に宮野を後楽園競輪に誘った。
根津から歩いても後楽園に行けたが、2人はタクシーに乗って行く。
顔見知りとなった運転手は、かなりの競輪通であり、2人に色々と教えてくれた。
競輪の草創期からの競輪ファンであったのだ。
2人は自動車免許を取得したことから、タクシー運転手を目指すようになる。
東京から、川崎、千葉、松戸、取手方面まで競輪客を乗せて行くこともあった。
ついでに宮野は、競輪場へ入り一勝負。
そして、客を乗せて帰る。
競輪で儲けた客が破格のチップを弾んでくれたり、居酒屋に誘ってくれる。
宮野はタクシー運転手を辞めて、取手の実家へ戻る。
実家の田畑に目を付けたのである。
父が戦死して、母親が受け継いだ農業に宮野は一度も目も向けなかったのに、高騰した地価が宮野の気持ちを動かした。
そして、母親に相談もせずに、畑の一部を切り売りした。
500万円を手にして、気持ちが舞い上がる。
まず、100万円を5レースに投じたのだ。
愚かに1点勝負である。
はじめに20万円を失う。
思惑が外れ宮野は頭に血が上る。
青ざめた顔が見る見る鬼の形相で赤らむ。
6レースは負けを取り戻そうと40万円を投じた。
再び裏目で敗れる。
「宮ちゃん、裏も返しなよ」と染谷次郎がアドバイスしたのに、1-5を買って5-1を押さえなかったのだ。
元々本命党の宮野は思い込みも強かった。
結局、7レースに残りの40万円を投じて負ける。
金儲けなどできるほど、競輪は甘くなかったのだ。
展開のアヤ、タイミング、さらにブロックもありの走る格闘技の競輪。
落車などのアクシデント、失格もありで絶対はない。
皮肉なもので、残りの400万円は1週間も持たなかったのだ。
「裏目に泣いた宮ちゃん」
全財産を失い結局、貸家住まいにまで堕ち込んだ彼の姿は、競輪仲間たちに教訓の一つを残した。

チャップリン

2017年08月15日 10時59分33秒 | 未来予測研究会の掲示板
チャップリンはなかなかのお洒落である。
帽子、靴、ブレザー、チョッキなどは、競輪ファンの中でも伊達な姿と言おうか異彩であり衆目を集める存在だ。
古い市で買い求めたも少なくないと言っていた。
競輪で儲けた時に、銀座の店で仕立てたスーツは英国製の生地などであった。
若い頃は芸能界に身を置いたこともあったが、芽が出なかったのである。
その後、テレビ界に身を置いてこともあったが、薬物に手を出したことから、ドロップアウトした。
その彼に興味を抱いて利根輪太郎は、遠慮気味に声をかけたのが、東京・新橋の競輪の場外車券売り場であった。
「時々、取手競輪場で、姿を見かけますが・・・」
「そうだね。あんたのことも見かけるよ」
彼は変わった男で、5レースと最終レースだけを買っている。
喫茶店で過ごしたり、レストランで過ごしたりしてから、新橋から取手競輪場へ向かうこともある。
「松戸かい。行かないな。昔のからの顔見知りに会いたくなくてな」と笑顔となる。
わけありのようだ。
「どこから、きているのですか」と聞いたら川口-新橋間の定期券をポケットから取り出して見せる。
「大宮競輪は行かないんですか?」
「あまり、行かんな」と帽子を被り直した。
やはりわけありの人物のように想われた。