作家・高橋源一郎さん

2017年08月19日 10時34分44秒 | 医科・歯科・介護

キルケゴールのよく知られた明言、「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、それでも。君はやはり後悔するだろう」に、誰もがうなずいてしまうのは、人生に正解がないことを、これほど鮮やかに言い当てた言葉がないからだと思います。
それでも、わたしたちは、選択しなければなりません。
では、どんな基準で選択すればいいのか。
わたしは、「人生の終わりに臨んで振り返ったとき、後悔しない選択はなにか」と考えるようにしています。

私は30歳のとき、作家になろう、それが仮に不可能としても、と考えました。
おそらく失敗するだろう。
けれども、失敗を恐れて何もしなかったら、死ぬとき、死より恐ろしい後悔にさいなまれるだろう、と思ったのです。

何十年間の後に、後悔しないと思える選択は何ですか?
それに答えられるのは、実は相談者だけなのです。
毎日新聞「人生相談」
作家・高橋源一郎さん


精神の向上は、絶え間ない努力によって実現する-ガンジー

自分らしく真摯に生きるのです。
自分の能力に確信を持つもです。
真理をもって目標に達するのです。
自分の正義を信じて恐れなく進むのです。
インド教育の母・ムカジー博士

どんな試練の挑戦にも、たくましく、また朗らかに応戦しながら、不撓不屈の創造的知性を錬磨していたがきたい-
人に不可欠なのはたくましさである。
たくましくない人は挫折のままであるし、自殺もするかもしれない。
沼田利根は、たくまし児童生徒を育成する教育こそ不可欠と考えている。
いじめは問題である。
自殺してしまうことが更に大きな問題だ。
その視点がなければ、自殺者対策にはならないだろう。
時には開き直りもあり。

一人ももれなくダイヤモンドの生命がある。
英傑とは心が偉大な人-ロマン・ロラン

世間話より深い会話をする人ほど幸福度が高い-アメリカの研究

死に至る病は絶望ではない。
絶望することこそ死に至る病になるのではないか-。

勝つことよりも、負けない人生。
余命半年と言われようと、それは医師の見解。
自分の生命は自分の生命力が決める。
スキルス性胃がんと診断されたご婦人は2011年(平成23年)、胃と脾臓を全摘出した。
4年後の2015年、がんが腹膜の移転。
今まで勝ってきたんだから、次も断じて勝ちます―と励まされる。
逆転勝利の人生哲学。
今年7月、ご婦人(59歳)はがん発覚から7年を迎えた。

答えの出ない事態に絶える力。
障害は治ることはない。
でも幸せにはなれる。
一見、障害者は不幸と思われるが、そんの事態の中からこそ、新たに得られる喜びがある。

1)生命の平等を知る<智慧>の人
2)差異を尊重できる<勇気の人>
3)人々と同苦できる<慈悲の人>

人生の真実の勝利とは?

<決意即行動>

友人関係の親しみは消えた

2017年08月19日 10時32分49秒 | 未来予測研究会の掲示板

「失礼じゃないか」と相手は怒りをあらわにした。
相手は誠実の件で抗議したのだ。
「申しわけありまでんでした」と詫びるほかなかった。
友人と友人の知人の面子もをつぶしたのだ。
「これで、友人関係の親しみは消えたな」と思うほかなかった。
友情こそ人生の宝なのだが、その一つを失ったのである。
礼儀と誠実、真心の配慮-常識豊かな、人間性あふれる振る舞いに欠けていたと深く反省している。
チャップリンは言っていた「安い店には出入りしないことにしている。喧嘩になるからな」
その安い店・食堂で出会った人たち。
彼らは酒を飲み運転して帰る人たちであり、悪い予感がしていたのに、町内会のカラオケ大会の話をした。
「そうかい、飛び入りでも歌えるんだな。行こう」と言いだす。
そして彼らの車に乗ってしまう。
警官の姿を避けるように、農道を車が走る。
「こんな道を行けるんだ」と呆れて言う。
だが、自宅へ寄ると車を変えて再び脇道を行く。
昼から数時間も飲んでいるのに、相手平気である。
4人が乗った車は、ミスターマックスの駐車場へ停まる。
当方はまず、ミスターマックスのトイレに寄る。
カラオケ大会は午後6時からと想っていたが7時からだった。
1時間以上ある。
まず、新道会館によって、カラオケの飛び入り参加はOKであるかを確認した。
NOであった。
知り合った知人にそのことを告げて詫びるが、相手は怒る。
こちらも喧嘩腰となってしまう。
「勝手に着いてきたんだろう」言葉には出さないが、「しつこい奴らだ」と身がまえる。
声が段々大きくなる。
「バカ野郎。だましたな」と相手2人は捨て台詞で車に乗り込む。
そして、火の見櫓の跡地のコンクリートに座っている友人にも「カラオケの飛び入りはダメでした」と伝えた。
「今まで、さんざ待たして、何処に行っていたんだ」と友人も怒りをあらわにする。
「ですから、交渉しに行ったのですが、カラオケんの飛び入りはダメでした」
「俺の知り合いは、ずっと駐車場で待っているぞ。どうしてくれるんだ」
「ともかく、謝ります。申しわけなかったです」
「そんなんで、すむのか」
「謝ります。このとおりです」と頭を下げる。
「それではすまないよ」
「謝ります」と段々大声になる。
新道町内会の役員が「子どもたちが居るんだから、大声で怒鳴るのは止めてください」と注意をする。
カラオケ会場の阿夫利神社に子ども御神輿を担いだ子どもたちが多数居て、再度、御神輿を担ぐ用意をしていた。
カラオケ大会に出る子どもたちも待機していた。
憤慨した知人に対しても「しっこい奴だ」と怒りが込み上げてきた。
同時に「カラオケ大会」のことなどを食堂で話した自分の愚かしさにも腹が立っていた。
「駅前のカラオケ大会、白山の金毘羅のカラオケ大会も出るんです。
昨年は戸頭会館のカラオケ大会も出たです」などと余計なことまでしゃべったのだ。
相手はカラオケ好きで「行ってみるか」とその気にさせたのだ。
ところが、戸頭では、タバコを吸った家人の知人を怒鳴りつけてしまったのだ。
「酔って、人を怒鳴りつけるなんて、もう帰りなさい」と家人に店の外に連れ出されたのだ。
「もう2度とくるか」と店の外で怒鳴り、その店との関係も切れていまった。
家人の友人がママをしている店であったのだ。
受動喫煙問題に過剰に反応し、他の店でも他人を怒鳴りつけてしまったのだ。
客が酒を飲んで帰るのを見過ごしてきる店である。
当然、店内でのタバコもありなのだ。
隣の席から流れる青い煙に酒がだんだんまずくなって怒りを爆発させてしまった。
チャップリンが安酒場で喧嘩になる要因も何となく分かる気がした。