「ポピュリズムとは何にか」

2017年08月13日 15時59分49秒 | 社会・文化・政治・経済




言葉では何でも表現できる。
だが、仕事ができる内閣、閣僚とは、何であるのか?
国民が期待し、信頼できる大臣たちが本当に選ばれたのかと問いたい。
<議員の力>とは何か?
それは<現場力。である。
とにかく、何かが起きれば、現場へ出向き、課題をつかみ、政策や予算にし、行政に働きかけることが求められる。
例えば災害の被災地に立ち「現場で何が求められているのかを瞬時につかみ、具体的に手を打つ」

「ポピュリズムとは何にか」
ヤン=ヴェルナー・ミュラー著
大阪市立大学教授(ヨーロッパ政治史)野田昌吾さん評

ポピュリズムは民主主義を傷つける存在だと、著者は指摘する。
なぜならポピュリズムは、社会の多元性という自由民主主義の出発点を承認しないからである。
社会はさまざまな個人から成り立っており、その考えや利害もさまざまだが、ポピュリストはそうした考えには立たない。
「真の人民の意志」というものが存在し、自分たちだけがそれを知っているというポピュリストに共通するロジックなのである。
それを受け入れるかどうかだけが問題であり、多元的な政治社会に不可欠ながずの議論や妥協の入り込む余地がそこにはない。


よく指摘されるように、ポピュリストには、友と敵あるいは善と悪しかないのである。

今回の茨城県知事選は、与野党対決の構図ではなく、大きな政治潮流を見る選挙とは言えないないだろう。
しかし知事の権力、さらに為政者のあり方について、改めて考えさせる貴重な材料を提供している。
まず挙がる争点は7選を目指す橋本昌知事の多選の是非だ。
知事の権力、さらに為政者一人一人に政治観を問う選挙になる。
毎日新聞・山下知恵記者

当方は、今回は大井川和彦さんを支援する立場からポスター貼りなどをした。
友人に支援を断れたこともあり、ポスターを貼れない場所もあった。
思うに、アメリカの大統領選のように2選までにすれば解決する問題。
誰にもチャンスを与える政治観が期待される。沼田利根





今昨夜夜(8月12日)は、第64回とりで利根川大花火。
午後7時~8時15分。
昨年は約10万人もの観客が会場を訪れた。
熟練した腕前を持つ三つの煙火店の花火師たちがこの日のためにプログラムを組み、取手の夏の夜空に見事な大輪の花を咲かせてくれる。
約7000発。
最大の花火の大きさは、直径30㎝ほどの「尺玉」だ。
高さ330㍍まで一筋の光が夜空を駆け上がり、直径300mほどの花が咲き「ドン」という重い音が体に響く。
音楽に合せて華麗に咲く夜空の花たちは、観客たちの目をくぎ付けにする。
残念ながらスポンサーも減少して、花火の時間も花火数も縮小された。
今年の花火の見どころは「ワイドスターマイン」「大ナイアガラの滝」「フィナーレ―音楽花火」だ。
大ナイアガラの滝は横幅300㍍。高さ20㍍から注ぎ、ダイナミックなその黄金の滝に、思わず息をのむことだろう。
フリーアナウンサーが花火の模様を実況する。
また、8月26日は、第42回とりで灯ろう流しが行われる。
600~700個の灯ろうがゆったりと利根川を流れる光景は幻想的だ。
この時間と取手駅前のカラオケ大会が重なる。





































「たった一人でも、味方になってくれたら、どんなにうれしいか」
「自分はあなたの見方だ!」と伝えてくれる人がいれば、闇の中に<光>が差す。
さまざまな悩みを一人で抱えている人がいる。
そんな人に一言でも声を掛け、少しでも共感できたなら、家庭も地域社会も、もっと明るくなるはずだ。

次の世代はどうなるのかであなた方の評価が定まる-哲学者・フィヒテ

<魂の力>は原子爆弾よりも強い-ガンジー

「人間のもつ、無限の<生命力>の開拓が、<戦争の世紀>を<平和の世紀>へと転じてゆく。

<原爆の実態>これほど残酷なものはない。
問題なのは<核兵器を容認する思想>
不可欠なのは、人間の意識の変革。