山口 ミルコさん
東京都生まれ。
専修大学文学部英米文学科卒業後、外資系企業を経て、角川書店雑誌編集部へ。
1994年2月1日から2009年3月末まで幻冬舎。
プロデューサー、編集者として、文芸から芸能まで幅広いジャンルの書籍を ...
角川書店、幻冬舎の編集長時代は都心に住み高級外車に乗ってGI値の高い食事を好みハイブランドのスーツを着ていたとか~。
山口さんは函館にも縁のある作家・谷村志穂さんから、後に幻冬舎社長となる見城徹氏を紹介されて角川書店に入社、5年後に見城氏が独立すると同時に幻冬舎に移り、トータル20年にわたり編集者として第一線で活躍。
五木寛之氏の「大河の一滴」など数々のベストセラーを手掛けた。
2009年会社を辞めて間もなく乳癌の告知を受け突然の闘病生活に。
「バブル世代」と呼ばれる自分の、会社人生そのものが「バブル」だったと思えた。
~山口ミルコさんがたどり着いた場所~
山口ミルコさんは、夢を大事にしている。
将来の夢ではない。
眠るときに見る夢である。
たくさん見るようにしている。
平成がはじまる頃、社会に出た。
会社と一体化していたが、正気に戻る。
会社にいた20年が異常事態であり、いっときの熱狂であり、会社人生を終了したいまの状態、こっちの本来の人生なのではないかと。
いったん失ってみると、会社はぶんと遠のいた。
そのぶん会社が見えてくる。
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2009年、すでに体調が悪かったこともあり、大好きだった会社を辞めることになります。
退社と同時に乳がんであることが発覚、闘病生活に入ります。
手術・抗がん剤・放射線と乳がん治療のフルセットを行い、3週間で髪の毛もすべて抜けてしまいます。
しかし3週間で抜けたものは、また3週間で生えてくる、そして体の方が「何とかしなくてはいけない!」と危機を感じ、前よりも強い毛が生えてきたといいます(病気のことは闘病記『毛のない生活』(ミシマ社2012年)に詳しい)。
会社を辞め、治療も終わると東京にいる必要がなくなり、千葉の実家に戻ります。
父親が大阪外国語大学(現在は大阪大学)でロシア語を勉強され、旧ソ連から木材を輸入する商社マンだったため、実家にはロシアやシベリアに関する本があふれていました。
そして「ミルコ」という本名も、ロシア語の“мир=世界・平和”から名付けられたこともあり、父親のロシア土産に囲まれて育った子ども時代を思い出します。
「そうだ、私はロシアだった!」。
そこから山口さんのロシアへの旅が始まります。
ロシア関連の書物に高級毛皮となる小動物・クロテンが多出していることを知り、抗がん剤で自らが毛を失った経験からも強い興味を持ちます。
走るダイヤモンド、やわらかい金とも称され、莫大な富をもたらすクロテンを求め、帝政ロシアは東へ東と進出し、そのためにシベリアまで領土を広げたと言われています。
山口さんはシベリアに追われ、絶滅の危機に瀕しているクロテンに会うため、日本人がほとんど訪れることのないハバロフスク地方の町・ビキンへ旅をし、それまでの様子をノンフィクション『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館2014年)にまとめます。
病気発覚から8年経った最近、ようやく「がん克服」と言えるようになったそうで、その後もバイカル湖のオリホン島を取材するなど、現在も精力的に執筆活動をするほか、大学の非常勤講師として「編集の現場」の講義を担当しているそうです。
病気を克服し、様々な興味を広げ、パワーあふれる活動をしている山口さんの姿は、多くの人々に勇気を与えることでしょう。
講演会の主催
函館校は、極東国立総合大学の分校として1994年に開校し、2014年に20周年を迎えました。
ロシア語はもちろんロシアの歴史・文化・政治・経済などロシアのスペシャリストの育成を目標に教育を行っています。
東京都生まれ。
専修大学文学部英米文学科卒業後、外資系企業を経て、角川書店雑誌編集部へ。
1994年2月1日から2009年3月末まで幻冬舎。
プロデューサー、編集者として、文芸から芸能まで幅広いジャンルの書籍を ...
角川書店、幻冬舎の編集長時代は都心に住み高級外車に乗ってGI値の高い食事を好みハイブランドのスーツを着ていたとか~。
山口さんは函館にも縁のある作家・谷村志穂さんから、後に幻冬舎社長となる見城徹氏を紹介されて角川書店に入社、5年後に見城氏が独立すると同時に幻冬舎に移り、トータル20年にわたり編集者として第一線で活躍。
五木寛之氏の「大河の一滴」など数々のベストセラーを手掛けた。
2009年会社を辞めて間もなく乳癌の告知を受け突然の闘病生活に。
「バブル世代」と呼ばれる自分の、会社人生そのものが「バブル」だったと思えた。
~山口ミルコさんがたどり着いた場所~
山口ミルコさんは、夢を大事にしている。
将来の夢ではない。
眠るときに見る夢である。
たくさん見るようにしている。
平成がはじまる頃、社会に出た。
会社と一体化していたが、正気に戻る。
会社にいた20年が異常事態であり、いっときの熱狂であり、会社人生を終了したいまの状態、こっちの本来の人生なのではないかと。
いったん失ってみると、会社はぶんと遠のいた。
そのぶん会社が見えてくる。
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2009年、すでに体調が悪かったこともあり、大好きだった会社を辞めることになります。
退社と同時に乳がんであることが発覚、闘病生活に入ります。
手術・抗がん剤・放射線と乳がん治療のフルセットを行い、3週間で髪の毛もすべて抜けてしまいます。
しかし3週間で抜けたものは、また3週間で生えてくる、そして体の方が「何とかしなくてはいけない!」と危機を感じ、前よりも強い毛が生えてきたといいます(病気のことは闘病記『毛のない生活』(ミシマ社2012年)に詳しい)。
会社を辞め、治療も終わると東京にいる必要がなくなり、千葉の実家に戻ります。
父親が大阪外国語大学(現在は大阪大学)でロシア語を勉強され、旧ソ連から木材を輸入する商社マンだったため、実家にはロシアやシベリアに関する本があふれていました。
そして「ミルコ」という本名も、ロシア語の“мир=世界・平和”から名付けられたこともあり、父親のロシア土産に囲まれて育った子ども時代を思い出します。
「そうだ、私はロシアだった!」。
そこから山口さんのロシアへの旅が始まります。
ロシア関連の書物に高級毛皮となる小動物・クロテンが多出していることを知り、抗がん剤で自らが毛を失った経験からも強い興味を持ちます。
走るダイヤモンド、やわらかい金とも称され、莫大な富をもたらすクロテンを求め、帝政ロシアは東へ東と進出し、そのためにシベリアまで領土を広げたと言われています。
山口さんはシベリアに追われ、絶滅の危機に瀕しているクロテンに会うため、日本人がほとんど訪れることのないハバロフスク地方の町・ビキンへ旅をし、それまでの様子をノンフィクション『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館2014年)にまとめます。
病気発覚から8年経った最近、ようやく「がん克服」と言えるようになったそうで、その後もバイカル湖のオリホン島を取材するなど、現在も精力的に執筆活動をするほか、大学の非常勤講師として「編集の現場」の講義を担当しているそうです。
病気を克服し、様々な興味を広げ、パワーあふれる活動をしている山口さんの姿は、多くの人々に勇気を与えることでしょう。
講演会の主催
函館校は、極東国立総合大学の分校として1994年に開校し、2014年に20周年を迎えました。
ロシア語はもちろんロシアの歴史・文化・政治・経済などロシアのスペシャリストの育成を目標に教育を行っています。