真実の人間の偉大さとは何か?

2018年09月24日 11時49分33秒 | 社会・文化・政治・経済
新しい歴史の扉は、青年によって開かれる。
幕末から、明治維新へ。
若い逸材が陸続と育ち、いかんなく力を発揮してこそ、国も、社会も、団体も、永続的な発展がある。
現代にあって、青年の役割は?

「真実の人間の偉大さとは何か?」
それは、行動によって決まる。
人間を基軸とした、社会の発展、平和の実現。

私設図書館

2018年09月24日 11時31分06秒 | 社会・文化・政治・経済
人間の強さとは、肉体的な能力によるものではなく、不屈の精神力によるものである。
ガンジー
大いなる理想のために、書き続ける不屈の魂。
インド・ガンジー研究評議会のN・ラダクリシュナン議長

一番重要な人とは今この瞬間に目の前にいる人-トルストイ

今、頑張っていること、挑戦していることは?

私設図書館
京都の静かすぎる図書館としてNHKドキュメント72時間密着にとりあげられるのは私設 図書館。
場所は白川にあるカフェ風自習室。
民間経営の自由な雰囲気で京大生にも愛されている。
私設図書館:深夜午前0時の閉館まで明かり。
哲学の道の方向に進むと「私設図書館」という看板を掲げた古い白壁の建物がある。
どこか洋館の趣を感じさせる建物は、読書にふける人、試験勉強に励む学生らに愛される知る人ぞ知る図書館で、40年以上続いているらしい。

「日本の体育の父」 嘉納治五郎

2018年09月24日 10時29分06秒 | 医科・歯科・介護
教育なくして人間は人間たりえない。
嘉納治五郎

嘉納治五郎とは、柔道の創始者――というのは多くの日本人に知られた話です。
基本は人を殺すための武術であった柔術を競技としての柔道に仕上げ、「 講道館」という道場を設立したことでも知られます。
講道館柔道の創始者であり柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた。
「柔道の父」と呼ばれ、また「日本の体育の父」とも呼ばれる。
嘉納は教育者としても尽力し、1882年(明治15年)1月から学習院教頭、1893年(明治26年)より通算25年間ほど東京高等師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学なお、筑波大学キャンパス内にも立像が建っているの校長ならびに東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)校長を務めた。
1882年には英語学校「弘文館」を南神保町に創立し、また1896年には清国からの中国人留学生の受け入れにも努め、留学生のために1899年に牛込に弘文学院(校長・松本亀次郎)を開いた。
のちに文学革命の旗手となる魯迅もここで学び、治五郎に師事した。
日本のスポーツの道を開き、1909年(明治42年)には東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となる。
1911年(明治44年)に大日本体育協会(現・日本体育協会)を設立してその会長となる。1912年(大正元年)、日本が初参加したストックホルムオリンピックでは団長として参加した。
1938年(昭和13年)のカイロ(エジプト)でのIOC総会からの帰国途上の5月4日(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により死去(遺体は氷詰にして持ち帰られた)。77歳没。

正規労働者が60%、非正規労働者が40%

2018年09月24日 10時03分33秒 | 社会・文化・政治・経済
労働者の80%が正規雇用で、非正規が20%しかなかった1990年代。
今日は、正規労働者が60%、非正規労働者が40%。
不安定で低収入の非正規・パートタイム労働者。
この状況は、先進国に共通している。
安部晋三政権は、特に女性と60~70歳代の労働者数を急増させた。
非正規労働者を安定させ、正規労働者を納得するような対策対策がなんとしても必要だ。
ビル・エモット 英誌「エコノミスト」元編集長

眠れない患者たち

2018年09月24日 06時27分00秒 | 創作欄
末期の患者の心は揺れる。
「死にたい」は、「さびしい」や「怖い」と同じ意味かもしれない。
患者の一人は、「自殺したい」と言っていた。
その人の病室を覗くと声を荒げてイライラした気持ちを看護師にぶつけていた。
面会に来た奥さんはおろおろしている。
「あなた、看護師さんに良くしてもらっているのよ」
「お前は黙っていろ、俺のことなんだ。何度も何度も呼んでいたんだぞ。なぜ、すぐに来ないんだ。痛くて、痛くて、苦しいんだ」
「ごめんなさいね。悪かったね。先生が直ぐに来ますからね」看護師2年目のその看護師は私の担当看護師でもあった
塗装業をしていたというその人は、取手の我が家の近くにも仕事に来たと言っていた。
消灯は午後9時、眠れない患者たちは、ナースステーション前の談話室に集まって来た。
私は皆さんの聞き役に徹していた。
聞いてもらうことで、気持ちがホットするのだろう。
「あなたは、元気そうで良いわね」という70代後半と思われる女性が言う。
がんで3度目の入院と言っていた。
「娘が気遣って一人部屋にしてくれたけど、前のように4部屋がいい。さびしいの」
「私は、6人部屋ですが、深夜なのに看護師が15分起きに来るので、眠れません。一人部屋が羨ましいです」
相手に笑みが浮かんだ。
今でも、談話室で多くの入院患者と言葉を交わしたことが思い出される。