正力 松太郎 CIAの協力者としての活動

2018年09月04日 12時52分12秒 | 社会・文化・政治・経済
正力 松太郎(1885年(明治18年)4月11日 – 1969年(昭和44年)10月9日)は、日本の内務官僚、実業家、政治家。
元読売新聞社社主。

警視庁官房主事として1923年(大正12年)6月の日本共産党に対する大規模な一斉取締り(第1次)や、特別高等警察などにも関わり、同年9月に発生した関東大震災の際、社会主義者の扇動による暴動に備えるための警戒・取締りを指揮した。
直後、警務部長となるが、摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)の責任を問われ、懲戒免官となる。恩赦により懲戒処分を取り消されたものの、官界への復帰は志さなかった。
新聞経営
1924年(大正13年)、番町会グループである郷誠之助、藤原銀次郎ら財界人の斡旋と、帝都復興院総裁だった後藤新平の資金援助により、経営不振であった読売新聞社(現・読売新聞東京本社)の経営権を買収し、社長に就任した。
正力は、自社主催のイベントや、ラジオ面、地域版の創設や、日曜日の夕刊発行などにより部数を伸ばした。
戦前は報知新聞社の販売局長だった務臺光雄を正力が誘って読売へ移籍させ、大阪資本の東京朝日新聞・東京日日新聞などと販売競争で競い合った。

CIAの協力者としての活動[編集]早稲田大学教授の有馬哲夫が、週刊新潮2006年2月16日号で、正力が戦犯不起訴で巣鴨プリズン出獄後に中央情報局(CIA)の非公然の工作に協力していたことをアメリカ国立公文書記録管理局によって公開された外交文書(メリーランド州の同局新館に保管されている)を基に明らかにし、反響を呼んだ。
有馬は日テレとCIAの関連年表も作成しており、その中でアメリカ対日協議会の面々を登場させ、日テレとの密接な関係を抉り出している。

米国中央情報局は、旧ソ連との冷戦体制のなか、日本に原子力を輸出するために‘KMCASHIR’という作戦名の心理戦を繰り広げ、日本国民の原子力に対する恐怖心を取り除くよう、読売新聞率いる正力のメディア力を利用した。
アメリカ政府はCIA諜報部員ダニエル・スタンレー・ワトソン(Daniel Stanley Watson, のちに服部智恵子の娘・繁子と結婚し、東南アジア、メキシコでスパイ任務にあたった)を日本へ派遣し、米国のプロパガンダ「平和のための原子力」を大衆に浸透させるため、正力と親しい柴田秀利と接触した[18]。

日本へのテレビ放送の導入と原子力発電の導入について、正力はCIAと利害が一致していたので協力し合うことになった、その結果、正力の個人コードネームとして「podam」(英:我、通報す)及び「pojacpot-1」が与えられ、組織としての読売新聞社、そして日本テレビ放送網を示すコードネームは「podalton」と付けられ、この二者を通じて日本政界に介入する計画が「Operation Podalton」と呼ばれた。
これらの件に関する大量のファイルがアメリカ国立第二公文書館に残ることになったen:Psychological_Strategy_Board(アメリカ国立公文書 Records Relating to the Psychological Strategy Board Working Files 1951-53)。
正力と共に日本のテレビ放送導入に関わった柴田秀利は「pohalt」というコードネームを与えられた。

CIAに正力を推薦したのは、上院議員カール・ムントであるとベンジャミン・フルフォードは主張している[31]。

トランスジェンダー女性に門戸 お茶の水女子大学

2018年09月04日 12時18分06秒 | 医科・歯科・介護
多様性尊重社会へ一歩

本質を知らない人は、しばしば自分の考えの中だけで判断する。
しっかり勉強すれば、偏見に基づく発言をすることはなくなるのではないか。
課題に対して賛成か反対か、白か黒かで決めたがる雰囲気が強まっているように感じる。
世の中は、簡単に割り切れるものではない。
さまざまな考え方があり、その中で方向性が固まり、もし方向性が間違っていれば見直していく寛容さが、だんだん失われているようだ。
自分とは異なる価値観の人を「敵視」するような空気の広がりを感じる。
他者とまったく同じ人はいないはずなのに、性、人種、国籍、年齢、信条などによってギグシャクしがちな世の中。
室伏きみ子学長


「性には多様性がある」

お茶の水女子大学(東京都文京区)は7月10日、室伏きみ子学長らが会見し、「多様性を包摂する」として2020年度の学部・大学院の入学者から「トランスジェンダー」の学生を受け入れることを発表した。編入は2022年度から。