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「他責」強まり大量殺人か 専門家「拡大自殺」指摘―大阪ビル放火

2022年02月06日 22時57分50秒 | 新聞を読もう

2021年12月31日07時08分 時事通信

 大阪市北区のクリニックで25人が死亡したビル放火殺人事件。大阪府警天満署捜査本部は、谷本盛雄容疑者(61)=死亡=が自ら炎の中に突き進み、多数の人を巻き込んだとみて調べている。専門家は、自分以外の人に責任があるという他責的な傾向が強まり引き起こした「拡大自殺」の可能性を指摘。孤独感などが事件の背景にあったとの見方を示している。
診療継続へ広がる支援 患者受け入れで協力―大阪ビル放火

 府警によると、谷本容疑者はクリニックの出入り口付近で火を付けた後も逃げるそぶりは一切なく、院内中央付近のドア手前で倒れているのが見つかった。ドアを挟んで院内奥のスペースでは26人が見つかり、うち重篤の1人を除く25人が死亡。府警は同容疑者が閉じ込めたとみているが、クリニックとのトラブルなどは確認されていない。
 「拡大自殺」に関する著書がある精神科医の片田珠美さんは事件について、「自殺願望を抱いた人が、他人を道連れにしようと大量殺人を引き起こした拡大自殺だ」と指摘する。
 片田さんによると、自殺願望のある人は自責的傾向が強まることが多い。ただ、「人生がうまくいかないのは他人や社会のせいだ」と他責的傾向が強まるケースもあり、復讐(ふくしゅう)心から大量殺人につながる恐れがあるという。
 谷本容疑者は2011年、25歳だった長男に対する殺人未遂罪で実刑判決を受けた。
判決では、離婚後の寂しさに耐えかね、自殺の踏ん切りをつけるため別居中の長男らを道連れにしようとしたと認定された。
 片田さんは今回の事件でも、谷本容疑者が出所後に経済的困窮や孤独に陥ったと推測。他責的傾向が強まり、患者として接点のあったクリニックの院長や患者らを巻き添えにしたのではないかと分析した。


なぜ他人を道連れに…「拡大自殺」から浮かぶ他責的傾向 北新地ビル放火

2022年02月06日 22時53分45秒 | 新聞を読もう

2021/12/29 19:08 産経新聞

大阪市北区曽根崎新地のビル4階のクリニックが放火され25人が死亡した事件では、防犯カメラ映像などから、患者の谷本盛雄容疑者(61)が周到な準備を重ねて放火し、自らも炎の中へと向かった疑いが明らかになった。専門家の間では、強い自殺願望とともに他人を道連れにする「拡大自殺」との見方が浮上している。他人を巻き込む心理について、精神科医ら専門家に聞いた。

「典型的な無差別大量殺人であり、他人を巻き込みたい『拡大自殺』だ」

今回の事件についてこう指摘するのは、精神科医の片田珠美さん。自殺願望をもつ人のほとんどは一人で自殺するが、ごく一部に、一人で死ねず他人を道連れにしようとする人がいるという。

片田さんによると、一人で自殺する人と拡大自殺を図る人の〝分岐点〟は「本人の性格や考え方が、自責的傾向と他責的傾向のどちらが強いか」だという。他責的な考え方が強ければ、「自分の人生がうまくいかないのは『他人や社会のせい』と恨みを募らせ、復讐(ふくしゅう)願望を満たそうとして無差別殺人につながることがある」と話す。

これまでに発生した無差別大量殺人事件は、攻撃対象が社会全体に向かう場合と、特定の集団を狙う2つのケースに分類できるという。平成20年に起きた秋葉原無差別殺傷事件の場合、加藤智大(ともひろ)死刑囚は歩行者天国を訪れた不特定多数の人を攻撃することで「社会全体への復讐を果たそうとした」と分析。特定の集団を狙った事件としては、平成13年の大阪教育大付属池田小事件を挙げ、「エリートになりたかったがなれなかった宅間守元死刑囚の復讐心が、エリートの卵のように映った有名小学校の児童へと向かった」とみている。

では今回なぜ、谷本容疑者は自分が通院していたクリニックを狙ったのか。容疑者の容体は依然として重篤で、事情聴取など動機の解明が困難となっているため、片田さんは「あくまで憶測」と前置きしたうえでこう語る。

「家族との離別により孤立し、唯一のよすがであったクリニックで、自分の要求が受け入れられない何らかの出来事があったのではないか」。動機の解明には、受診の経過がわかるカルテの復旧がカギとみる。

特に精神科クリニックでは、長時間の相談や、処方薬の追加などを求める患者も少なくないというが、当然ながらすべての要求に応えられるわけではない。片田さんは「診療に落ち度や問題がなかったとしても、依存欲求が満たされない患者により、医師や病院が攻撃対象となることはある」と実情を語る。

自殺相談の現場では
「今から繁華街に行って大量に人を殺す」「誰かを殺して自分も死ぬ」

約40年前から自殺予防のため無料電話相談を行っているNPO法人「国際ビフレンダーズ大阪自殺防止センター」(大阪市中央区)には、こうした相談が年に1~2件程度寄せられている。

同センターの北條達人(たつひと)理事長(35)は「人間関係などにつまずくうちに被害者意識のようなものが増大し、社会への恨みや攻撃性に変化していくのでは」と推し量る。

同センターでは、相談員は相手の感情を否定せず、耳を傾けることを大切にしている。「過激な表現をするのは『そんなことをしでかすぐらい苦しいんだ』という心の訴えが裏側にはある」と北條さん。「根底にあるのは孤独。こんな自分を理解しようとしてくれていると感じれば気持ちは変化する」と話す。

北條氏は「私たちのような窓口は、自殺だけでなく事件を予防する役割も担っている。感情を吐き出して受け止めてもらえる場所があるんだと、多くの人に知ってもらいたい」と呼びかけた。

 


拡大自殺 大量殺人・自爆テロ・無理心中

2022年02月06日 22時48分48秒 | 事件・事故
 
なぜ人を道連れにするのか。絶望感と復讐心による拡大自殺の精神構造とは

2016年7月に起こった相模原障害者施設殺傷事件は日本社会に大きな衝撃を与えた。自分勝手な言い分によって引き起こされた事件は、死者19名、負傷者27名という、戦後最悪の大量殺人事件となった。世界を見渡しても、欧州や中東などで自爆テロが繰り返されているが、こうした不特定多数の人々を巻き込む大量殺人や自爆テロだけでなく、親子心中や介護心中などの無理心中にも通じるのが絶望感と復讐心だ。強い自殺願望に突き動かされ、誰かを道連れにせずにはいられない拡大自殺の根底に潜む病理を分析する。

第一章 大量殺人と拡大自殺
第二章 自爆テロと自殺願望
第三章 警官による自殺
第四章 親子心中
第五章 介護心中
終 章 拡大自殺の根底に潜む病理
 

内容(「BOOK」データベースより)

2016年7月に起こった相模原障害者施設殺傷事件は日本社会に大きな衝撃を与えた。世界を見渡しても、大量殺人や自爆テロが繰り返されている。
こうした不特定多数の人々を巻き込む事件だけでなく、親子心中や介護心中などの無理心中にも通じるのが絶望感と復讐心だ。強い自殺願望に突き動かされ、誰かを道連れにせずにはいられない拡大自殺の根底に潜む病理を分析する。

著者について

●片田 珠美:広島県生まれ。精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。
フランス政府給費留学生としてパリ第8大学でラカン派の精神分析を学び、DEA(専門研究課程修了証書)取得。精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて犯罪心理や心の病の構造を分析。
社会問題にも目を向け、社会の根底に潜む構造的な問題を精神分析的視点から探究している。『無差別殺人の精神分析』(新潮選書)、『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)、『「正義」がゆがめられる時代』(NHK出版新書)など著書多数。
 
 
秋葉原事件からアメリカでの銃乱射、イスラム過激派の自爆テロ、親による無理心中までをまとめて扱っているが、やや強引にまとめた感はあり、統一された結論らしきものはなく、社会としての対策がどうあるべきかについても記述があまりなかった。
各事件の概略について知りたいならコンパクトにまとまっていてよい本だと思う。
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

医師が語る 自殺する人と、踏みとどまる人の違い 自殺について考える(上)

2022年02月06日 22時44分34秒 | 医科・歯科・介護

2018/3/14 日経Gooday(グッデイ)

自殺を考え、実行してしまう人と踏みとどまる人の違いには、精神疾患の重症度のほかに、個人のパーソナリティーが大きく影響しているようです。

3月は例年、月別自殺者数が最も多くなることから、厚生労働省は「自殺対策強化月間」と定めている。3月に自殺者が増えるのはなぜか。人はどんなときに自殺を考えるのか。身近な人が「死にたい」と言葉にしたとき、私たちはどのように対応すればいいのか。日本自殺予防学会理事長で、帝京大学医学部附属溝口病院精神神経科教授の張賢徳さんにお話を伺った。

前編では、3月に自殺者が増える要因や、人が自殺を考えるプロセスについて解説する。

3月の自殺には特有の心理が影響する
――3月は1年の中で最も自殺者数が多くなっています。なぜ、3月に自殺者が増えるのでしょうか。

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月別の自殺者数はその時代によっても変わってくるのですが、厚生労働省が発行している「平成29(2017)年版自殺対策白書」の「月別自殺者数の推移」を見ると、近年はほとんどの年で3月、次いで5月に自殺者が多くなっていることが分かります。


※「平成29(2017)年版自殺対策白書」より
この現象には、いくつかの要因が考えられます。一つは、3月は自殺につながりやすい心理的な効果が働くことです。そもそも自殺を考える人のほとんどは困り事を抱えていて、精神科で診断がつくレベルのうつ状態になっています。これについては後で詳しく説明したいと思いますが、そうした精神状態にあるところへ、3月は年度末となることから追い立てられるような心境に拍車がかかり、「死ぬしかない」という思いに駆られやすいのです。

また、冬の間は気持ちが沈みがちでも、3月になると春の日差しが訪れることで、気分が華やいでくるのを感じる人も多いと思います。ところが、うつ状態にある人は、そうした周囲の華やぎと自分との間にギャップを強く感じてしまい、疎外感や孤独感が深まってしまうことが、100年以上前から指摘されています。海外でも特にヨーロッパでは同様の指摘があり、やはり春に自殺者が多いことが知られています。

――一般的に、春は自律神経のバランスの乱れから、メンタル不調を起こしやすいといわれていますが、そうした影響もあるのでしょうか。

医学的な範囲に限って考えると、それが大きな要因だと思います。自律神経には、体を活性化させるときに優位になる交感神経と、体を休めるときに優位になる副交感神経があり、日の出と日の入りがスイッチとなって、そのバランスが保たれています。私たち人間の体は動物と同じように、冬と夏とでコンディションが異なります。その変わり目となるのが春と秋で、その時期には体の変化とともに、自律神経のバランスも乱れやすくなるんですね。

――春は就職や転職、異動や転勤、引っ越しなど、環境の変化からメンタル不調に陥ることもありそうです。

確かにそうですね。ただ、そういった環境の変化によるメンタル不調が自殺につながってくるのは、5月ごろになると考えられます。3月に環境の変化が起こると、その状態に慣れるために懸命に頑張ります。それから少したつと日本ではゴールデンウイークを迎えるため、そこで張りつめていた緊張の糸がプツッと切れてしまい、いわゆる「五月病」と呼ばれるうつ状態を引き起こし、自殺につながることがあります。つまり、3月に次いで5月に自殺者が多いのは、こちらの要因が大きいことがうかがえます。

余談ですが、環境の変化の中でも引っ越しは特に、うつのトリガー(引き金)となることが知られています。引っ越しの準備から新しい環境に慣れるまで緊張が続いたあとに、ふっと気が抜けることでうつ状態を引き起こす。このような現象は「荷下ろしうつ」と呼ばれています。同様の心理が働くものでは、受験に受かったあとに起こる「合格うつ」、昇格したあとに起こる「昇進うつ」などがあります。合格も昇進も喜ばしいことですが、人によってはそれまでの努力が報われたと同時に、プレッシャーや責任を感じてしまうことがあるんですね。

自殺に至るまでにはプロセスがある
――これまで伺ってきたような状況に陥ったとき、自殺を考え、実行してしまう人もいれば、踏みとどまる人もいます。その選択の違いには、どのような背景があるのでしょうか。

1つには、うつ病をはじめとする精神疾患の重症度が挙げられます。先ほど、自殺を考える人のほとんどは精神科で診断がつくレベルのうつ状態にあるとお話ししましたが、WHO(世界保健機関)が公表しているデータによれば、自殺者の実に約97%が、何らかの精神障害の診断がつく状態であったことが分かっています。

そのうちの約3割を占めるのが、うつ病を含む気分障害。次いで、薬物やアルコール依存などの物質関連障害、統合失調症、パーソナリティー障害の診断が多くなっていて、これらが自殺に関連する4大精神疾患といわれています。また、これらは主たる診断の統計で、重複診断も含めると、自殺者の約7割がうつ病の診断がつく状態であったというリポートもあります。

ただし、人が自殺に至るまでにはプロセスがあり、ある日突然、うつ病を発症するわけではありませんし、うつ病を発症したすべての人が自殺するわけでもありません。何らかの出来事(ライフイベント)をきっかけにうつ状態になった人は、「トンネル・ビジョン」と呼ばれる心の視野狭さくが起こっています。その状態が数カ月も続いていくと、さらに視野が狭くなり、「私はもう死ぬしかない」という気持ちに追い込まれて、自殺のプロセスが進行していく。第三者が客観的に見れば、その人が抱えている問題を解決する方法は必ずあるはずなのですが、本人にはほかの選択肢が見えなくなってしまうんですね。このプロセスを表したのが、下記の図です。


※張賢徳さん作成の図を基に編集部が作成
図を見ていただくと分かるように、うつ状態にあるときに家族や友人、職場の仲間などから適切なサポートを受けられれば、トンネル・ビジョンを脱することが可能です。また、最終段階では先ほどお話ししたように、うつ病などの精神疾患の診断がつくレベルのケースがほとんどですので、精神科での治療やそこにつなげるサポートが必要になってきます。つまり、適切なサポートの有無も自殺をするかしないかの選択につながるといえます。このサポートについては、後編で改めてお話ししたいと思います。

個人のパーソナリティーを形成するものには、家庭や学校、友人・仲間といった要素がありますが、その根底には、その人の信念や宗教観、自殺を含めた生死に関する文化・社会通念があります。

無宗教の国は自殺率が高い
――確かに、自殺を罪とする宗教もあるので、そうした信仰を持つ人は、自殺を思いとどまれるのかもしれませんね。

そうなんです。これについても、WHOが興味深いデータを公表しています[注1]。世界の国や地域の自殺率を宗教圏別にまとめたデータで、これによると無宗教と見なされる国や地域の自殺率が圧倒的に高く、次いで仏教、キリスト教、ヒンズー教で、最も低いのがイスラム教の順になっています。自殺というデリケートな死因のため、そのすべてが報告されているわけではないことが考えられますが、教義で明確に自殺を禁じている宗教圏では自殺率が低い。一方、無宗教の次に自殺率が高い仏教は、自殺を明確には禁止しておらず、「極楽浄土」「輪廻(りんね)転生」といった思想から、自殺を誘発する懸念があることが指摘されています。


※A global perspective in the epidemiology of suicide:suicidologi 2002掲載のグラフを基に作成
こと日本に関しては、無宗教もしくは仏教の方も多く、自殺を含めた生死に関する文化・社会通念にも、自殺を誘発しやすいベースがあると考えられます。私はこの生死に関する文化・社会通念が、自殺に対する心理的な閾値(いきち)に最も影響するのではないかと思っています。

――それはどういうことでしょう?

例えば、時代劇では切腹のシーンがしばしば見られますよね。あれも自殺の一種ですが、美化されて描かれることが多いので、自死に対して罪悪を感じるよりも、むしろ自死をもって責任を取ることへの称賛や憧れのような気持ちを抱くことがあります。そうしたいわゆる「切腹文化」の名残が、自殺に対する心理的な閾値を低めているように思うのです。

というのも、日本では自殺に対して、「そうなってしまったことは気の毒だけど、最終的には本人が決めたことだから仕方がないよね」という考えを持つ人が少なくありません。しかし、繰り返しになりますが、自殺者のほとんどは、精神科で診断がつくレベルのうつ状態になっていて、客観的な判断ができなくなっていますから、本人が冷静に自殺を決意したわけではありません。だからこそ、自殺に至ってしまう前に、サポートすることが重要なのです。

かつての日本ではこのことがあまり理解されず、自殺予防対策がなかなか進まない現状がありました。しかし、1998年に前年の自殺率を35%も上回り、自殺者が3万人を超えたことをきっかけに、国を挙げての自殺予防対策が進められることになりました。

◇  ◇  ◇

後編「自殺を防ぐために 知っておきたい『TALKの原則』」では、日本で自殺予防対策の取り組みが進んできた背景と、身近な人が「死にたい」と口にしたときに、それを防ぐ「ゲートキーパー」の役割を果たすための対応の仕方を解説する。

[注1]A global perspective in the epidemiology of suicide:suicidologi 2002

ここでもう1つ重要なのは、自殺を考え、実行してしまう人と踏みとどまる人の違いには、精神疾患の重症度のほかに、個人のパーソナリティーが大きく影響するということです。

さらに、年度末には現実的な問題が生じることも多くなります。例えば、会社員の人では年度末は繁忙期でもあり、残業や休日出勤が多くなると、睡眠などの心身を休める時間や、家族・友人とのコミュニケーションの時間も十分に取れなくなります。自営業の人では、取引先への支払いや借り入れ金の返済を迫られるといった問題も起こってくる。そうした状況が「最後の一押し」となってしまうこともあります。

 


ヒトはなぜ自殺するのか

2022年02月06日 22時39分21秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
動物のなかでヒトだけが自殺する。それは「他者が考えていることを考える」心が進化したためなのか。鬱で自殺の危機を経験した著者が、周囲にも破壊的な影響を与えるこの重いテーマを、進化心理学の立場から分析を試みる。その科学的理解が、自分のおかれた過酷な状況から抜け出す手がかりになるかもしれない。 『ヒトはなぜ神を信じるのか』『性倒錯者』に続くベリング三部作の最終章。

【目次】
1章 無の誘惑
2章 火に囲まれたサソリ
3章 命を賭ける
4章 自殺する心に入り込む
5章 ヴィクがロレインに書いたこと
6章 生きる苦しみを終わらせる
7章 死なないもの
8章 灰色の問題
 

著者について

1975年アメリカ生まれ。著書にThe Belief Instinct(邦訳『ヒトはなぜ神を信じるのか』)、Why Is the Penis Shaped Like That?(邦訳『なぜペニスはそんな形なのか』)、PERV(邦訳『性倒錯者』)がある。現在、ニュージーランドのオタゴ大学サイエンス・コミュニケーション・センターで所長を務める。
 
 
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Reviewed in Japan on February 24, 2021
 
これほどまでに自殺が目立つということは、「生きるために、特別な意義や理由が必要な世の中」になってしまったという事なのかもしれない。

普通に考えたら、人間もふくめてあらゆる生命体は「何がなんでも生き延びようとする」はずである。それが本能だ。

しかし、単純に日々を生き延びるだけであれば、その難易度は限りなく優しい。

そうなってくれば、今度は生きるために何か大きな意義や理由が必要になる。

そして、それが見つからなければ、生きている意味がないような気がして、苦しみが生まれる。

もちろん、そこで個人個人が抱える苦しみは、本物であるし、本人は「わたしは暇だから悩んでいる」とは思いもしないだろう。

仮にまんまと「人生の意義」や「物語」を見つけたとしても、死ぬまでそれを思い込まなければいけない。

心からその物語を信じ込めれば、本人としてはおめでたいが、冷静になって客観的にその姿を捉えるなら、VRゴーグルをつけたまま「おおー、これこそ俺の求めていた世界だぜ!これこそリアルだ!」と興奮して陶酔している人と同じである。

映画の世界や華々しい物語の世界が、「幻」であると知ってしまった人にとっては、より「生きる意義」を見つけづらくなる。

さて、
ヒトはなぜ自殺するのか?

タイトルのヒトが「人」でなくて、「ヒト」となっているところに意味がある。

田中さんでも山田さんでもマイケルさんでもなく、生物学的な意味でのヒト。

自殺の問題は、個人的な問題であるとともに、すべての人に無関係ではない問題でもある。ヒトゴトでは済まされないのだ。

数多の生物が存在する地球で、人類だけが自殺をする。

「何故ヒトだけが自殺するのだろうか?」

もちろん本書の中にいくつもの示唆が提示される。

しかし、それは答えではないと私は思う。

一人一人が考えることが、哲学であり、
一人一人が考えることこそ「なぜヒトは生きるのだろう?」と考えることに等しい。

読むだけでは簡単に答えは見つからないが、
死を見つめることにより逆説的に、生きることに焦点が当たり、新たな視点が得られることに間違いない。

ふと思ったことなんだが、
自殺がどのような意味を持つかは、
各人の持つ死への振る舞いや態度が大きく関係するのではないだろうか?

おおかたの日本では死を隠す習慣があるように思う。

古くは古墳時代からの葬儀などにも見られる習慣で、死体に石を抱かせて、地中深くに埋めてしまう。死者が間違えて再び地上に戻ってこないようにできるだけ深く埋めたという。

この古墳時代の話をすると、「昔の人は死を忌み嫌っていたんだなあ」と思うかもしれないが、現代も何も変わっていないと個人的には思う。いや、むしろ現代の方が顕著になっているのではないだろうか?

たとえば、現代の葬式をみても、花で飾り、坊主にお経を唱えさせて、霊感を鎮める。儀式を行い、死者を「あの世へ」送ったことにする。

まだ生きるものは、故人を思ってなのか、泣きむせび、嗚咽して、悲しみを表現する。

そうすることで、死者と生者を明確に分けて、こちらとあちらに分けてしまうのだが、まるで自分は死なないというような態度に見える。

そうやってできるだけ死を遠ざける、現実からできるだけ遠くへと。死を特別視し、考えないようにする。

そのためには死を隠さなければならないし、あってはならないものとする。

もし身近に死があれば、悲しむべきものだし、儀式をもって明確に切り分けなければならない。

自殺を考える者の中には、「自分が死んだらあんなふうに悲しんでもらえるかも」と思う者もいるわけだが、それは上記に示してきたような日本国民の死への態度の一端を象徴するかのようである。

一方で鎌倉仏教あたりまでは、死後の変化を克明に描いた絵画なども残されており、大変に興味深い。その頃までは、死を特別視せずに、ありのままを受け入れる態度があったようにも思う。有名な「ゆく川の流れは〜」から始まる無常観もこの時代に主張された者である。人間の死もそのような者であり、すべての現象は生まれては消えることを繰り返しているという見方である。そのような無常観の中では、死も1つの現象に過ぎず、過度に恐れることもなく、受け入れて手放すだけである。

とまあ。

脱線してしまったが、
死について、自殺について、また翻って生について考える機会となった。

すごく良い機会となったので、
個人的にはおすすめ。

長々と訳のわからない事を書いて申しわけありませんでした。

参考になれば幸いです。
 
 
自殺に関する様々な研究内容やエピソードなどが紹介されている。また、著者自身の経験談にも多くのページが割かれている。
日本語訳では、著者が自分のことを「ぼく」と呼んでいる。そのことで雰囲気が軽くなり、内容の深刻さのわりに読みやすくなっている。その代わり、著者の主張に説得力がやや足りないように感じてしまう。
 
 
本の最初に「自殺の衝動を科学的観点から理解することで(少なくとも短期的には)多くの人々を死なせずにすむと思っている」と書かれています。私は鬱治療中で、厄介な自殺衝動に悩まされていますが、読み終わって得られたものは、ちょっとした雑学、疲労感でした。
このボリュームの本を読める人はデビッド・D・バーンズの「いやな気分よ さようなら」をお勧めします。
実用的で、理にかなっています。どん底のときにいつも救われています。

肝心の感想についてですが、第四章にあった、自殺に至る6つのステップが興味深かったです。
ただ、第5章で、とある自殺した少女の日記を資料に、その6つのステップの詳細な解説が入ります。
非常にセンシティブで、自殺念慮を持っている人を没頭させる内容です。調子の悪いときは、避けたほうがいいと思います。
この本の最後の締めくくりは、自殺はよくないからやめようねと、取ってつけたようなフォローで終わります。
自殺について興味を単純に持っている人には雑学としていいかもしれません。ただし、希死念慮に悩まされている人が自身を客観視しようと思って手にするのはオススメできません。
 
 

かつてアルベール・カミュが『真に重要な哲学的問題』と語った『自殺』というテーマを、生物学や進化心理学、社会心理学などの多様な知見をもとに、深く追求した一冊。

自殺の心理的メカニズム、進化的起源、自殺の社会的な意味、あるいは哲学や宗教は自殺をどう捉えるか、など自殺に関する様々な問題を包括的に語っている。

科学的な分析、という俎上の上に乗せているとは言え、本書は自殺というテーマを決して淡々と扱っているわけではない。
著者もまた、かつて自殺願望に囚われ自ら命を絶つ瀬戸際にいたという。
それだけに、本書からは自殺者や遺族に対する深い連帯の気持ちが感じられる。
 
 
 
 
 
 
 
 

報恩の心

2022年02月06日 22時12分10秒 | その気になる言葉

報恩とは:恩を知り恩にむくいること。恩返し。

生きることは、ある意味で<自己中心性>との戦いである。
報恩の心がなければ、自分自身の殻を破れない。
人間として一段と大きくなるためには、<恩に報いていこう>という心がなければ、狭い境涯のままだ。

自分に関わる、全ての存在から恩を受けていることを自覚すれば、謙虚になるし、感謝の気持ちが湧いてくるはずだ。

<恩に報いていこう>という心がなければ、<自分さえ良ければいい>という自己中心性の生き方になってしまうだろう。
恩を知ったらこそ、今度は自分が周囲の恩に報いていく生き方にもなる。

恩に報い徳に謝す。恩に感謝し報いる。