吉田 有希選手がFⅠ伊東競輪 ミカリンナイトレース優勝

2022年02月12日 08時01分08秒 | 未来予測研究会の掲示板

東北作戦 S級決勝

並び 6-1-4 2-5 3-7

レース評

大格上の新田に発進役がいるなら◎信頼だが、超新星の吉田もかなり強い!準決の再現で二段駆け粉砕の豪快捲り特注だ。

 

1-4(1.6倍)

結果

2-1 970円(3番人気)

2-1-4 2,280円(7番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 2 吉田 有希   9.8 B  
2 1 新田 祐大 3車身 10.0 S  
3 4 成田 和也 1/2車輪 9.9      
4 5 神山 拓弥 2車身 10.0      
5 3 松坂 洋平 4車身 10.1      
6 7 中村 浩士 1/8車輪 10.0      
  7 6 木村 弘 大差

 


釈迦が語る宇宙の始まり

2022年02月12日 08時01分08秒 | 社会・文化・政治・経済
 
小宮光二  (著)
 
「宇宙はどうして始まったのか?」
「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?」
「本当の自分とは何か?」
「解脱とは、悟りとは何か?」
「神とは何か?」
「愛とは何か?」
という究極の問いに明確に答えを与えてくれる、真理を解き明かしてくれる一冊。

これらの疑問は、私たち人類の誰もが根底に共通して持っている疑問とも言えるものではないでしょうか?
私達が求めてやまない宇宙の秘密、生命の秘密のすべてがここにあると言っても過言ではありません。


自分自身がどうして人間の形をとってこの世界に生まれ、
何のために生きているのか?
それらの質問に明解に答え、その原理をつまびらかに明らかにしていきます。

私たちの真の姿とは何か、そしてさらには神とは何かが今、
本書によって解き明かされようとしているのです。

私たちの真の姿とはこの宇宙すべてであり、そしてすべてとは真空であり、
形もなにもないものであるということ、
そして、すべてであり真空である私が、自分自身とは何かを知るため、
そして知ったなら伝えて行くために、人間という形をとって生まれてきたということが、
本書にはわかりやすく述べられています。

そしてその真空とは、仏教で言うところの空であり、
そしてそれは、2500年前からお釈迦様が伝えてきた「色即是空」という真理中の真理です。

本書は、色即是空とはどういうことなのかを理解し、
あなたを真の目覚め、そして解脱へと導く本であると確信を持って言えます。

さらに本書は、アインシュタイン、スティーブン・ホーキングなど、
地球を代表する物理学者たちが真理に迫っていくさまを丁寧に追い、
真空である私たちの真の姿を科学的な視点からも説明することにより、
このことが本当のことなのだと、誰をも納得させる説得力を持って語りかけてきます。

そして科学者たちが追求してきた宇宙の真の姿、それはお釈迦様が説いた色即是空と全く一致するのです。

まさに今、科学が真理を解き明かそうと、科学が真理と融合しようとしている時代に私たちは生きています。

科学者たちが解き明かしてきたことは、私たちにこれまで考えてもみなかったような視点を与えてくれ、
そしてそれが、目に見えている世界、私たちが実在だと思っている世界は
実は虚像であるという真の姿を見せてくれるのです。

そして、世界の本当の姿、そして真の自分を知ることこそが、
この三次元世界のすべての苦しみや悩み事からの解放されるたったひとつの方法なのです。
(奥平亜美衣 推薦)
 

著者について

『KoJi,s DeepMax』 『人間を越えた人のためのチャンネル』
といった動画サイトを主宰するYouTuber。著書多数。

料理から盆栽いじり、コミックからロックンロール、国際政治経済から金融軍事、
都市伝説から世界の虚構、相対量子論から統一場理論、量子テレポテーションから並行世界移動、
魔界から天界、神々の世界から仏の悟り、ビッグバーンの起こし方から宇宙の完成に至るまで、
地球と全創造世界を構成するサブカルチャーからメインカルチャーに至るまで造詣が深い。

趣味は『育毛』、好きな言葉は『無生法認』。
『悟りのゲームを始めるために3次元の時空の中に肉体を持つまで世界は存在しない』という
物理学者ハイゼンベルクの言葉が口癖。
飼っている猫は『サビ猫』、好きな食べ物は『恵 megumi ヨーグルト』。
 
 
今まで、私は仕事を一生懸命頑張って、お金を稼ぐことに夢中になって波乱万丈の人生を歩み酸いも甘いも経験しましたが、本の内容を見てピンと感じました。
人生のさ歩む方向を180度変えて物質社会から、精神の世界へと変わらなければならない時期と。
今のコロナ騒動から時代が変わるのではないかと、そのように考えているのは、自分だけではないと薄々感じ、私と同じような気持ちになっている方は少なからず居られるのではないでしょうか。
そのような方には最適でしょうが、お金儲けなどにまだ未練があり欲望に惑わされている人たち、すぐに批判愚痴を言う方々には不向きかと私は思います。
神とは自分の精神と簡潔にサッと躊躇なく書いて、神の心を知ること、それは科学者たちの歩みでやっと科学の時代から仏教の時代へとバトンタッチされた内容でありますが、仏教を科学だと認知されているならば、なんの抵抗もなく受け入れられる一般的な道徳的な書物だと感じました。
しかし、自分が神だと分かったならばそれを実行、世に拡める事が真理であり慈悲であると言うことをわかりやすく説明している本です。
 
 
 
西洋から始まった計測科学と、東洋から始まった精神科学とを融合させながら、分かりやすく真理へと導いてくれる内容。
 
 
 
某SNSでの著者のチャンネルがきっかけで興味を持って購入しました。
著者のチャンネルで語られるような陰謀論や国際情勢に関する話題は本著作にはあまりありません。
哲学者たちや物理学者たちの偉業についての解説がメインです。
 
 
 
資本主義が人類史上空前の物質的繁栄を極め、その歴史的崩壊過程が目に見えるほどに加速しつつある21世紀初頭。
この時代に生まれ、生きる意味とは何かを平明な筆致で読者に問いかけ、教えてくれる書物だと思いました。
本書の元の版は2009年に書かれたとのことで、出版当時、時代を大きく先取りしていたと思います。

 釈迦が初転法輪を説いたのとほぼ同じ時代に、アリストテレスは地球が平面ではなく球体であることに気づきました。そしてガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、エヴェレット、ホーキング……明晰な科学的思考によりこの世界、この宇宙の成り立ちの解明に挑むヨーロッパの叡智があり、他方、仏教の教えのもとに、さとりによってこの宇宙の深奥(=自己の精神の根源)に到達しようとする東洋の智慧があります。
本書は、人類が育んできたこのふたつの巨大な知を重ね合わせの状態に置くことで、仏教が科学的思考による宇宙探究の学問だったことを明らかにすると同時に、釈迦が説いた八正道を実践したのは、実はヨーロッパの科学者たちだったことを読者に示します。
 現代を「VUCAの時代」と言う人もいます。
仏法が説く末法を超え、最末法に達した感をますます強める今、不安と迷いが人生に苦しみをもたらしている現代において、何が正しいのか、何が正しい生き方なのか、この時代に生きる意味は何なのかを、本書は説き明かしてくれていると思いました。
 簡潔でとても分かりやすい文章で、著者の考えや観点をストレスなく自然に理解できました。
 
 
 
 
以前から今の物質的社会の構造に馴染めず、俗に言う負け組人生を送っていて、満たされない毎日を過ごし、何故?自分と言う存在があるのか?
生きてる価値があるのか!と考えていた。
現在騒がれている疫病が出てきた頃、某動画配信に2つのチャンネルを持つ著者の動画をとうして、存在の本質に気づく事が出来、今はなんだか楽しい毎日を送っています。その著者が書く仏教と科学を融合させ存在の本質を知る事の出来る一冊です。
 
 
法華経を高く掲げて
新しき道を示せり
末法の世に

筆者の卓越した慧眼で、三次元世界の現象はもちろんのこと、高次元世界に至るまで、時空を超えて縦横無尽かつ冷静に徹底的に切り込むSNSの動画。かねてから、その人間を超えた視点と世界情勢の独特な分析をこよなく愛する一人のファンの素直な感想です。

本書は仏教と科学の、空の思想と量子力学的な真空の概念の共通点を見事に看破しています。
私も量子力学と仏法についてはファインマン図の電子と陽電子の挙動と親鸞の二種回向の往相還相を始めとする共通点について拙い思いを巡らせているだけに興味深く拝読しました。

著者の意欲的なお取り組みは、新しい時代の死生観を高次元から俯瞰して示唆されており、自力を徹底された広義の聖道門であられる日蓮聖人の生まれ変わりをも想起させられます。しかし法華経もさまざまな経路や言語で伝承されており、宮沢賢治の感性を通すとまた違う世界が展開されそれもまた魅力的です。

また、機械学科出身で流体力学を研究し、他力の浄土門の親鸞聖人に帰依する仏教僧でもある異端の私には、あまりにも明解な人類未知の問題に関する回答は眩しすぎました。南無阿弥陀仏の世界の優しさと易しさを改めて再認識させられ、本書に刺激を頂き、私のような大衆の息吹きや悩みに寄り添う浄土門と科学の関連を更に追求する思いを新たにしました。
 
現代の物理学や哲学を超えた内容がやさしい言葉で語られています。すべての人に読んでいただきたい1冊だと思いました。
ただし、文章はやさしいですが、言っていることは難解かもしれません。この本とはゆっくり向き合った方が良いと思います。
ちなみに、著者はYoutubeでたくさんの関連した内容の動画を配信しているので、そちらをある程度視聴した後の方が理解しやすいかもしれません。
 
 
 
30年の歳月をかけて、仏教、キリスト教、インド哲学など世界の聖典、精神文化を探求し、
中でも仏教の『法華経』に造詣が深く、新しい解釈を世に送り出し現在はYOUTUBEチャンネル運営の著者。聖典から読み解く見識の深さの神髄を知りたくて購入。
もうすでに絶版の『精神革命』の復刻版であり、
これを10年前に送り出していた著者の時代の先読みと読み解きに感服。
ただこれを理解できる人がどれほど世界にいるのだろうか。
理解できないものからすれば妄言ともとられかねない本である。
この本を『手に取り』『理解できる』ということがすでに仏縁であり、カルマなのであろう。
激動の現在をいかに生きるかを理解できる名著である。
 
 
 

宇宙は無始無終

ビッグバン・宇宙誕生説

ビッグバンが我々の母であり神でもある?

宇宙は無始無終で永遠に存在してる。
魂も無始無終で永遠に存在している。
なので歴史は繰り返される。
どう思いますか?


宇宙はそれぞれ隅々に渡り大きな存在意義を持ち永久に存在し続ける。
魂は永遠に存在し常に次元上昇を求められ至高の領域に上り詰めるため肉体という仮の姿を使い実りある人生を全うし何度も生まれ変わり段階を経て研磨を続け磨かれていく。
よって起こりうることは必然的に起こる。そしてそのありとあらゆる全てが意味を持つ。

 
 
 
 
 
 

上村松園(うえむら しょうえん)美人画と花鳥画

2022年02月12日 08時01分08秒 | 社会・文化・政治・経済

「よい人間でなければよい芸術は生まれない」

建設期(明治)模索期(大正)大成期(昭和)の各作品。

1875年明治8年〉4月23日 - 1949年昭和24年〉8月27日)は、日本画家

気品あふれる美人画を得意とした。1948年に女性として初めての文化勲章を受章。

京の伝統風俗[編集]

京都市下京区四条通御幸町(ごこまち)の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれた。京の伝統文化に育まれた松園は、明治大正昭和を通して生涯、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(いずれも松園のことば)を念願として女性を描き続けた。

母への思慕[編集]

松園は誕生2か月前に父を亡くしている。母仲子は女手一つで松園と姉、2人の娘を育て上げた。明治の女性が画家を志すなど、世間で認めるところではなかったが、仲子は常に松園を理解し励まし支え続けた。

松園はその著書『青眉抄』で母を追憶して「私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命とも杖ともして、それと闘えたのであった。

私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである」と述べている

母を亡くした後には、「母子」「青眉」「夕暮」「晩秋」など母を追慕する格調高い作品が生まれた。

情念[編集]

気品あふれる作品群の中で、特異な絵が2枚ある。「花がたみ」と「焔」(ほのお)である。1915年(大正4年)の「花がたみ」の題材、謡曲花筐』(はながたみ)は、継体天皇の皇子時代に寵を受けた照日の前が形見の花筐を手に都に上り、紅葉狩りに行き逢った帝の前で舞うという内容である。

208×127cmの大作である。松園は能面「十寸髪」(ますがみ)を狂女の顔の参考にしたという。

1918年(大正7年)の「焔」の題材、謡曲『葵上』は、『源氏物語』に登場する六条御息所の生霊を桃山風俗にて描いた、松園言うところの「数多くある絵のうち、たった一枚の凄艶な絵」である。

誇り高い六条御息所は、光源氏の正妻葵の上への屈辱と嫉妬から生霊になり、葵の上を取り殺してしまう)。

後れ毛を噛む女の着物には藤の花と蜘蛛の巣が描かれている。189×90cmの大作で、大変な迫力をもって見る者に迫る絵である。

上村松園の画像
上村松園の画像

上村松園 紅葉可里図・つれづれ・娘深雪・御所人形 4枚セット ...の画像
上村松園 紅葉可里図・つれづれ・娘深雪・御所人形 
上村 松園は、日本画家。気品あふれる美人画を得意とした。1948年に女性として初めての文化勲章を受章。息子に日本画家の上村松篁。 京都に生まれ育ち、本名は上村 津禰、常子と名乗っていたこともある。

人が人を裁くとき―裁判員のための修復的司法入門

2022年02月12日 08時01分08秒 | 事件・事故

ニルス クリスティ (著), Nils Christie (原著)

内容(「BOOK」データベースより)

人間らしい社会へ向けた犯罪学者からの提言。市場原理主義と“犯罪”増加の因果関係を鋭く分析。「報復」や「矯正」という概念を超えた「修復的司法」の可能性を説く。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

クリスティ,ニルス
オスロ大学教授。オスロ大学刑事法研究所所長

ニルス・クリスティNils Christie1928年2月24日2015年5月27日)は、ノルウェー人の社会学犯罪学者、オスロ大学教授(犯罪学、1966年以降)。

コペンハーゲン大学名誉学位

ノルウェー科学文学学会(Norwegian Academy of Science and Letters)会員



平松/毅
1938年生まれ。1943年京都大学大学院法学研究科修了、法学博士。大東文化大学法科大学院教授

寺澤/比奈子
1953年生まれ。1979年奈良女子大学大学院英語英米文学研究科修了、文学修士。跡見学園女子大学短期大学部兼任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
「モンスターのような犯罪者に私は出会った事がない。どの犯罪者だって、近づいてみれば普通の人間なんです。生活環境を整えれば、必ず立ち直ります」(犯罪学者ニルス・クリスティー)  
刑務所に拘禁される囚人数が世界的規模で増えている。
米国ではこの40年で6倍、日本でもこの15年でほぼ倍増している。
厳罰化がもたらしたこの"囚人爆発"という現象に警鐘を鳴らし「刑罰を厳しくすれば、犯罪は減るどころか治安は悪化し社会は崩壊する」と訴えるノルウェー・オスロ大学教授、犯罪学者のニルス・クリスティ氏に話を聞く。
クリスティ教授は世界中の刑務所を訪れ、囚人増の社会的背景を探り続けてきた。
その結果、「囚人の大半は失業者など社会からの逸脱者であり、厳罰化は、彼らを刑務所に隔離することで、平和な社会を享受しようという中産階級の世論が司法に反映した結果にすぎず、犯罪抑止につながらない」と指摘。犯罪を減らすには、すべての市民が裁判に参加し、逸脱者の実態を知るべきだと訴える。
ノルウェーでは古くから市民が裁判に参加する「参審員」制度を導入、日本の裁判員制度のモデルとなった。
市民の議論による改革を進めた結果、囚人への厳罰をためらうようになり、世界一囚人にやさしい国となったという。
犯罪のない社会の実現のため、市民は犯罪者にどう向き合い、何をすればいいのか。クリスティ教授の提言を聞く。  
犯罪者への刑罰は報復ではない、更生のための作業だ、むしろ犯罪者は多くはすでに社会で酷い目にあっている、酷い目にあった人に更に酷い目にあわせればより犯罪を犯しやすくなる。
ストライク法を採用し厳罰化したアメリカ。しかし厳しい罰で犯罪を抑制できるどころか、増えた受刑者(実に国民の1%!)の収容ができず困っている。逆に予算が圧迫され更生プログラムへの予算を削ってしまっている。 ノルウェーでは犯罪者は普通の暮らしをしてる(自由がないだけ)。
TVを見、新聞を読み刑務官と一緒に食事をとり服役者同士で社会的生活をしている、社会的生活を身に着ける事それが受刑者の更生につながっている。 社会的に孤立している事が犯罪に走りやすくしている、ノルウェーにはその家族を含め支えるシステムがある ナチ支配下でノルウェ-人刑務官は収容所収容者をナチの命令で正当な理由なく殺した。
特殊な環境では人はひどく残酷になる例だ。しかし殺さぬノルウェ-人刑務官もいた。それは収容所収容者を人とみなしていた人だ。
家族の写真を見せ話をしていた人は殺すことを拒否した。(ニルス・クリスティ博士の研究より)
 
 
 
犯罪学者として著名な著者が、実にわかりやすい日常語で、犯罪とは何か刑罰はどうあるべきかについて語っています。
市場原理主義に支配され、行為の犯罪化がどんどん進められ、刑務所がいっぱいになってしまう傾向に対して、「報復」や「矯正」ではなくて「修復的司法」の可能性をとく本です。
犯罪者を怪物として専門家である法律家にその解決を任せ、ひたすら刑罰で対応するやり方への原理的な批判が書かれています。行為を犯罪と名づけることはどこまで必要か? 刑罰は必要か?などなどラディカルな視点からの分析は心に響きます。
そして刑罰と刑務所の最小化を求めている点、今もっともっと読まれるべき本でしょう。
人間に怪物はいない、ナチの強制収容所の所長も怪物ではなかった、共通の基盤は人である以上必ずある。あらゆる精神病質者の中で最も怪物に近いものをノルウェーでは「感情を持たない精神病質者」というそうですが、著者はそのような人物には一度もお目にかかったことがないが、精神科医によっては繰り返し出会っている人もいるようだ、と皮肉っています。
ノルウェーではすでに主に少年の事件ですが、起訴前に自治体における調停委員会を経るという修復的司法の試みが全国化しているとのことです。
刑罰とは意図的に人に苦痛を与える行為であるという定義のもとに、以下を公理とするなら刑罰は最小化せざるを得ないという結論引用「親切であれ 殺すな 拷問を用いるな 意図的に苦しみを与えるな 許しは懲罰を超える」
現状の日本で「修復的司法」というのが下手に入れられるとリンチになってしまうという心配や、地域社会の連帯が相互監視になってしまうという懸念はあるけれど、それでもなお、犯罪と刑罰の適量化を考え、そして刑罰を最小化しようという趣旨、そして何より紛争を社会の宝とし、怪物はいない、みな人であるというまっとうな主張、とても貴重な提言と私は思います。
 
 
 
 

人が人を裁くとき―裁判員のための修復的司法入門

2022年02月12日 08時01分08秒 | 社会・文化・政治・経済

ニルス クリスティ (著)

内容(「BOOK」データベースより)

人間らしい社会へ向けた犯罪学者からの提言。市場原理主義と“犯罪”増加の因果関係を鋭く分析。「報復」や「矯正」という概念を超えた「修復的司法」の可能性を説く。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

クリスティ,ニルス
オスロ大学教授。オスロ大学刑事法研究所所長

平松/毅
1938年生まれ。1943年京都大学大学院法学研究科修了、法学博士。大東文化大学法科大学院教授

寺澤/比奈子
1953年生まれ。1979年奈良女子大学大学院英語英米文学研究科修了、文学修士。跡見学園女子大学短期大学部兼任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
「モンスターのような犯罪者に私は出会った事がない。どの犯罪者だって、近づいてみれば普通の人間なんです。生活環境を整えれば、必ず立ち直ります」(犯罪学者ニルス・クリスティー)
 刑務所に拘禁される囚人数が世界的規模で増えている。
米国ではこの40年で6倍、日本でもこの15年でほぼ倍増している。
厳罰化がもたらしたこの"囚人爆発"という現象に警鐘を鳴らし「刑罰を厳しくすれば、犯罪は減るどころか治安は悪化し社会は崩壊する」と訴えるノルウェー・オスロ大学教授、犯罪学者のニルス・クリスティ氏に話を聞く。
クリスティ教授は世界中の刑務所を訪れ、囚人増の社会的背景を探り続けてきた。
その結果、「囚人の大半は失業者など社会からの逸脱者であり、厳罰化は、彼らを刑務所に隔離することで、平和な社会を享受しようという中産階級の世論が司法に反映した結果にすぎず、犯罪抑止につながらない」と指摘。
犯罪を減らすには、すべての市民が裁判に参加し、逸脱者の実態を知るべきだと訴える。
ノルウェーでは古くから市民が裁判に参加する「参審員」制度を導入、日本の裁判員制度のモデルとなった。市民の議論による改革を進めた結果、囚人への厳罰をためらうようになり、世界一囚人にやさしい国となったという。
犯罪のない社会の実現のため、市民は犯罪者にどう向き合い、何をすればいいのか。クリスティ教授の提言を聞く。  
犯罪者への刑罰は報復ではない、更生のための作業だ、むしろ犯罪者は多くはすでに社会で酷い目にあっている、酷い目にあった人に更に酷い目にあわせればより犯罪を犯しやすくなる。
3ストライク法を採用し厳罰化したアメリカ。しかし厳しい罰で犯罪を抑制できるどころか、増えた受刑者(実に国民の1%!)の収容ができず困っている。逆に予算が圧迫され更生プログラムへの予算を削ってしまっている。
ノルウェーでは犯罪者は普通の暮らしをしてる(自由がないだけ)。
TVを見、新聞を読み刑務官と一緒に食事をとり服役者同士で社会的生活をしている、社会的生活を身に着ける事それが受刑者の更生につながっている。
社会的に孤立している事が犯罪に走りやすくしている、ノルウェーにはその家族を含め支えるシステムがある ナチ支配下でノルウェ-人刑務官は収容所収容者をナチの命令で正当な理由なく殺した。特殊な環境では人はひどく残酷になる例だ。
しかし殺さぬノルウェ-人刑務官もいた。それは収容所収容者を人とみなしていた人だ。
家族の写真を見せ話をしていた人は殺すことを拒否した。(ニルス・クリスティ博士の研究より) 日本のメディアは厳罰化を煽っている。犯罪学の浜井浩一教授(龍谷大)はそう分析している。
 
犯罪事件を伝えると同時にそれが視聴者にもおきると脅迫している。これが厳罰化を煽っている。
ノルウェーでも量刑について討論するTV番組をつくっている。そこで大事なのは受刑者も討論に加わること、視聴者に受刑者の言葉を伝えることだ。
視聴者は政治家や専門家などの言葉を重視し、受刑者を無視しがちだ。しかし受刑者も人間であり当事者だ。 ノルウェーの裁判員制度では参加した一般の人が犯罪者も自分と同じ人間だと理解する機会になっているという ニルス・クリスティ博士の研究のメッセージ「全ての人間は人間だ」この言葉の意味をそれぞれ考えてほしい。
来日時の「ニルス・クリスティ氏の基調講演 」  http://www.ustream.tv/recorded/17744291 著書:人が人を裁くとき―裁判員のための修復的司法入門
 
 
 
犯罪学者として著名な著者が、実にわかりやすい日常語で、犯罪とは何か刑罰はどうあるべきかについて語っています。市場原理主義に支配され、行為の犯罪化がどんどん進められ、刑務所がいっぱいになってしまう傾向に対して、「報復」や「矯正」ではなくて「修復的司法」の可能性をとく本です。
犯罪者を怪物として専門家である法律家にその解決を任せ、ひたすら刑罰で対応するやり方への原理的な批判が書かれています。行為を犯罪と名づけることはどこまで必要か? 刑罰は必要か?などなどラディカルな視点からの分析は心に響きます。
そして刑罰と刑務所の最小化を求めている点、今もっともっと読まれるべき本でしょう。
人間に怪物はいない、ナチの強制収容所の所長も怪物ではなかった、共通の基盤は人である以上必ずある。あらゆる精神病質者の中で最も怪物に近いものをノルウェーでは「感情を持たない精神病質者」というそうですが、著者はそのような人物には一度もお目にかかったことがないが、精神科医によっては繰り返し出会っている人もいるようだ、と皮肉っています。
ノルウェーではすでに主に少年の事件ですが、起訴前に自治体における調停委員会を経るという修復的司法の試みが全国化しているとのことです。
刑罰とは意図的に人に苦痛を与える行為であるという定義のもとに、以下を公理とするなら刑罰は最小化せざるを得ないという結論引用「親切であれ 殺すな 拷問を用いるな 意図的に苦しみを与えるな 許しは懲罰を超える」
現状の日本で「修復的司法」というのが下手に入れられるとリンチになってしまうという心配や、地域社会の連帯が相互監視になってしまうという懸念はあるけれど、それでもなお、犯罪と刑罰の適量化を考え、そして刑罰を最小化しようという趣旨、そして何より紛争を社会の宝とし、怪物はいない、みな人であるというまっとうな主張、とても貴重な提言と私は思います。