ニルス クリスティ (著)
内容(「BOOK」データベースより)
人間らしい社会へ向けた犯罪学者からの提言。市場原理主義と“犯罪”増加の因果関係を鋭く分析。「報復」や「矯正」という概念を超えた「修復的司法」の可能性を説く。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
クリスティ,ニルス
オスロ大学教授。オスロ大学刑事法研究所所長
平松/毅
1938年生まれ。1943年京都大学大学院法学研究科修了、法学博士。大東文化大学法科大学院教授
寺澤/比奈子
1953年生まれ。1979年奈良女子大学大学院英語英米文学研究科修了、文学修士。跡見学園女子大学短期大学部兼任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
「モンスターのような犯罪者に私は出会った事がない。どの犯罪者だって、近づいてみれば普通の人間なんです。生活環境を整えれば、必ず立ち直ります」(犯罪学者ニルス・クリスティー)
刑務所に拘禁される囚人数が世界的規模で増えている。
米国ではこの40年で6倍、日本でもこの15年でほぼ倍増している。
厳罰化がもたらしたこの"囚人爆発"という現象に警鐘を鳴らし「刑罰を厳しくすれば、犯罪は減るどころか治安は悪化し社会は崩壊する」と訴えるノルウェー・オスロ大学教授、犯罪学者のニルス・クリスティ氏に話を聞く。
クリスティ教授は世界中の刑務所を訪れ、囚人増の社会的背景を探り続けてきた。
その結果、「囚人の大半は失業者など社会からの逸脱者であり、厳罰化は、彼らを刑務所に隔離することで、平和な社会を享受しようという中産階級の世論が司法に反映した結果にすぎず、犯罪抑止につながらない」と指摘。
犯罪を減らすには、すべての市民が裁判に参加し、逸脱者の実態を知るべきだと訴える。
ノルウェーでは古くから市民が裁判に参加する「参審員」制度を導入、日本の裁判員制度のモデルとなった。市民の議論による改革を進めた結果、囚人への厳罰をためらうようになり、世界一囚人にやさしい国となったという。
犯罪のない社会の実現のため、市民は犯罪者にどう向き合い、何をすればいいのか。クリスティ教授の提言を聞く。
犯罪者への刑罰は報復ではない、更生のための作業だ、むしろ犯罪者は多くはすでに社会で酷い目にあっている、酷い目にあった人に更に酷い目にあわせればより犯罪を犯しやすくなる。
3ストライク法を採用し厳罰化したアメリカ。しかし厳しい罰で犯罪を抑制できるどころか、増えた受刑者(実に国民の1%!)の収容ができず困っている。逆に予算が圧迫され更生プログラムへの予算を削ってしまっている。
ノルウェーでは犯罪者は普通の暮らしをしてる(自由がないだけ)。
TVを見、新聞を読み刑務官と一緒に食事をとり服役者同士で社会的生活をしている、社会的生活を身に着ける事それが受刑者の更生につながっている。
社会的に孤立している事が犯罪に走りやすくしている、ノルウェーにはその家族を含め支えるシステムがある ナチ支配下でノルウェ-人刑務官は収容所収容者をナチの命令で正当な理由なく殺した。特殊な環境では人はひどく残酷になる例だ。
しかし殺さぬノルウェ-人刑務官もいた。それは収容所収容者を人とみなしていた人だ。
家族の写真を見せ話をしていた人は殺すことを拒否した。(ニルス・クリスティ博士の研究より) 日本のメディアは厳罰化を煽っている。犯罪学の浜井浩一教授(龍谷大)はそう分析している。
犯罪事件を伝えると同時にそれが視聴者にもおきると脅迫している。これが厳罰化を煽っている。
ノルウェーでも量刑について討論するTV番組をつくっている。そこで大事なのは受刑者も討論に加わること、視聴者に受刑者の言葉を伝えることだ。
視聴者は政治家や専門家などの言葉を重視し、受刑者を無視しがちだ。しかし受刑者も人間であり当事者だ。 ノルウェーの裁判員制度では参加した一般の人が犯罪者も自分と同じ人間だと理解する機会になっているという ニルス・クリスティ博士の研究のメッセージ「全ての人間は人間だ」この言葉の意味をそれぞれ考えてほしい。
犯罪学者として著名な著者が、実にわかりやすい日常語で、犯罪とは何か刑罰はどうあるべきかについて語っています。市場原理主義に支配され、行為の犯罪化がどんどん進められ、刑務所がいっぱいになってしまう傾向に対して、「報復」や「矯正」ではなくて「修復的司法」の可能性をとく本です。
犯罪者を怪物として専門家である法律家にその解決を任せ、ひたすら刑罰で対応するやり方への原理的な批判が書かれています。行為を犯罪と名づけることはどこまで必要か? 刑罰は必要か?などなどラディカルな視点からの分析は心に響きます。
そして刑罰と刑務所の最小化を求めている点、今もっともっと読まれるべき本でしょう。
人間に怪物はいない、ナチの強制収容所の所長も怪物ではなかった、共通の基盤は人である以上必ずある。あらゆる精神病質者の中で最も怪物に近いものをノルウェーでは「感情を持たない精神病質者」というそうですが、著者はそのような人物には一度もお目にかかったことがないが、精神科医によっては繰り返し出会っている人もいるようだ、と皮肉っています。
ノルウェーではすでに主に少年の事件ですが、起訴前に自治体における調停委員会を経るという修復的司法の試みが全国化しているとのことです。
刑罰とは意図的に人に苦痛を与える行為であるという定義のもとに、以下を公理とするなら刑罰は最小化せざるを得ないという結論引用「親切であれ 殺すな 拷問を用いるな 意図的に苦しみを与えるな 許しは懲罰を超える」
現状の日本で「修復的司法」というのが下手に入れられるとリンチになってしまうという心配や、地域社会の連帯が相互監視になってしまうという懸念はあるけれど、それでもなお、犯罪と刑罰の適量化を考え、そして刑罰を最小化しようという趣旨、そして何より紛争を社会の宝とし、怪物はいない、みな人であるというまっとうな主張、とても貴重な提言と私は思います。