2月14日午前7時40分からCSテレビのチャンネルNECOで観た。
解説
「勇者のみ」の須崎勝弥がオリジナル・シナリオを執筆、「現代紳士野郎」の丸山誠治が監督した戦争もの。撮影は「団地・七つの大罪」の西垣六郎。特技監督は「宇宙大怪獣 ドゴラ」の円谷英二。
1965年製作/104分/日本
原題:The Retreat from Kiska
配給:東宝
ストーリー
昭和十八年五月二十九日北太平洋アリューシャン列島のアッツ島玉砕に続き、それより一二〇浬離れた孤島キスカ玉砕は時間の問題とされていた。大本営海軍部の司令長官川島中将は、五千二百の守備隊見殺し説の強い中で、キスカを救えとくい下り、この作戦に大村海軍少将を指命した。
この日からキスカ島無血撤退の準備は進められた。時しもキスカ島は、米太平洋艦隊の厳重な封鎖にあい、食料弾薬の欠乏の前に、守備隊の運命は風前の灯であった。
撤退作戦は、十数隻の軽巡洋艦及び、駆逐艦を使って、北太平洋特有の濃霧に隠れ、隠密裡にキスカ島に到着、一挙に守備隊収容撤退を企る手しかなかった。
一切の運命を霧に託すこの作戦は、極めて冒険であり、救援隊全滅の公算大であった。国友大佐を潜水艦でキスカ島に送りこんだ大村艦隊は、七月七日、キスカ島突入の態勢に入ったが、霧が晴れたためやむなく反転帰投を余儀なくされた。再び濃霧を見込んで七月二十二日、キスカ島へ向った。
だが濃霧は味方に不利に動いた。旗艦阿武隈の三重衝突で、艦船に優を負ったのだ。だが敵をふりきった阿武隈は一路キスカに向った。
戦況は悪化し、救援隊のキスカ島入港時間は判らず、守備隊は、毎日日没後約二時間の間、海岸に集結し待機するという方法をとった。七月二十九日、救援隊は、常識に反して、岩礁の多い難所を廻り、島影を利用して、ネスカ湾口の探照灯に導かれ米軍の封鎖網を見事くぐりぬけた。
かくして旗艦阿武隈、木曽は、米軍の目をかくれて、無血救援を完成したのだった。その後、米軍は熾烈な砲弾戦を続けたのち、無人と化したキスカ島を確認したのであった。
公開日が6月の梅雨時だということは一番客入りが低調な時期ですから予算を掛けられない
単に、それだけのことであったのかも知れません
しかし、本作の舞台がアリューシャン列島のキスカ島という夏でも極寒の荒涼した島です
火山灰が降り積もったとおぼしき黒い岩と砂、そして雪という白黒の世界
空は暗く、白い濃霧が立ち込め、海もまたそれを写して鉛色です
そして救出に向かう艦隊もまた灰色の軍艦色
何もかも無彩色の世界なのです
だからこそ、本編監督が演出の一環として白黒撮影を選択したのだと思います
それは大成功していると思います
いずれにしても特撮班からすればどちらでも同じです
ミニチュアセットや飛行機の繰演、爆発シーン
やることは同じです
しかし、最高潮に達していた円谷英二の特撮班はこの白黒撮影を活かしてよりリアリティのある特撮映像をものにしています
艦隊根拠地の泊地に停泊する多数の艦艇シーンのリアリティ!
正に実写のような軍艦の巨大さ、鋼鉄の質感を表現出来ています
1/ 700スケールのウォーターラインシリーズという、軍艦の喫水線から上だけの精密なプラモデルを幾つも作ったことある男の子なら、おおおおっ!となることは間違い無しです
島の西側の未知の水道を迂回するクライマックスは手に汗握るシーンでした
そして近づいてくる軍艦の発する地響きのような重低音の機関音に気づいて哨所の兵が島の直ぐ脇をかすめるように進む軍艦をあっけにとられて眺めるシーンの軍艦の巨大さの表現は素晴らしいものでした
本編監督の出来るだけ実際に忠実に撮影するという方針は、特撮パートでも徹底されており爆撃機や戦闘機の交渉もしっかり成されています
ただイ号潜水艦を攻撃する航空機の映像は多作品からの流用であるため英軍のマーキングであるのはもったいないことですが、一瞬のことです
日本の特撮は怪獣映画やSFものスーパーヒーローものがまずイメージされます
しかし、本来戦争映画から日本の特撮は出発したのです
こちらの戦争映画の特撮の方が本流と言うべきなのだと思います
低予算でよくこれだけのクオリティを成し遂げた当時の特撮の技量の高さを是非堪能して頂きたいと思います
本編のドラマも大変出来がよく、オジサン俳優総出演というべき重厚さです
特撮ファン、戦争映画ファンどちらにもオススメできる傑作です!
本作は戦争映画だから、戦争を賛美している?
馬鹿言っちゃいけない
本作は反戦映画であると真面目に断言します
兵もまた人間です
同胞の命を大事に扱えないような軍隊は負けて当然なのです
それをなんとか一例だけでもやり遂げた
そのヒューマニティの精神を賞賛することが本作のテーマなのですから
最初のキスカ島突入時、霧が晴れ始めて突入を迷うシーン
艦隊の各艦と参謀より口々に突入の意見具申が上がるなか、司令官は断腸の思いで断固反転を命令します
これは宇宙戦艦ヤマトでの冥王星会戦での沖田提督と古代艦長との名シーンの元ネタになっていると思われます
震えました。
寝床に手榴弾。
それをも奪う上官命令。
当たり前が当たり前じゃなさすぎる世界。
敵人は一切視えずとも、攻め入る敵機爆撃による隣死感。
ただでさえ想像を絶する飢えに寒さに…
お辛かったでしょうに…
【礼はいずれまとめて言う】
【黙って帰ろう】
別格・三船敏郎の相手の心を読む力‼︎
日本人の精神の根底だと思います。
五感鋭き日本人。大和魂。
「ダンケルク」観るんならこちらも観よ!と過去の自分に教えてあげたいです。
実際の日本兵の方の証言が入っているという円盤特典、観たい!
映画を愛する皆さま、明けましておめでとうございます!
敵の殲滅作戦ではなく、戦況の大勢に影響の薄いやも知れぬ〝味方の救出作戦〟という地味な展開にもかかわらず、胸のすくような素晴らしい作品でした。
自軍の階級の上下からの誹りを受けながらも、泰然自若として悠々と部下の信頼と能力を引き出し、濃霧という好妙を捉えて、与えられた任務を完遂していく。そんな、旗艦阿武隈の艦長、木村少将(三船敏郎)の姿に、理想の指揮官の姿をみます。
ただし、映画は木村少将を単に英雄視しているわけでなく、奇跡を成し遂げるに必要な色々な要素も丁寧に描き出しているところが、奥が深い。
木村をよく知る同期の上司の信頼とその配役の妙。「こういう仕事は派手な戦績がない男の方がいい」とは至言だ。かつて、戦国であれば、撤退する敗戦の殿軍(しんがり、最後尾の軍のこと)には、最も功名心の薄い、しかし優秀な武将が選ばれたものだ…。
キスカ島の司令官の、戦況と部下の心を掴んだ見事な統率ぶり。いかに木村が奮闘しようとも、受け手がそれに合わせて踊れなければ、奇跡を起こせようがない。
霧の深い、遥か海上の彼方に浮かぶ船影は、南海の孤島キスカに閉じ込められ、玉砕を命じられた兵士たちにとっては、まさに希望の光だ。そんな兵士の内面を、ウルトラマンの井出隊員とセブンの曽我隊員のコンビがコミカルに演じているところも見どころ。(^^)
加えて、緊張感ある、重厚な艦隊行動をリアルに描いて見せる、円谷英二さんの見事な特撮も見逃せないポイントでしょう。
それにしても、あらためて、日本映画界に三船敏郎さんがいてくれたことに、手を合わせて、感謝したい。
そしてただ戦線に止まり死を待つはずだったキスカの部隊に対して、救出作戦が立ち上がり一抹の希望が見えて来る。
撤退戦なので勝者はいない。
しかし敵の姿が一切見えない戦争映画というのも珍しい。まぁ、予算の都合もあるんだろうけど(笑)そのおかげで余計なイデオロギーの対立のような寄り道がなく、シンプルで物語に集中出来た。
米軍に見つからないよう濃霧に紛れての作戦のため、戦闘・爆撃シーンは少なく淡々と展開していく。精神力や情に流されることなく、冷静な判断を下していく司令官の姿が印象的。
奇跡の作戦と呼ばれた救出劇のためか、第二次大戦を描いた邦画としては珍しく、悲壮感や悲惨さよりも娯楽色が強め。
最後の救出シーンはもっとハラハラ感ある感じがよかったかも、と思う。
司令官を演じる三船敏郎の渋さ、存在感が圧倒的。
タンタンとした映画だが
なんとなく、じんわり感動した
新谷さんがおっしゃるように「女性」が一人も出てこない
<関連作品>
私記キスカ徹退・阿川弘之・文春文庫
慟哭の島よさらば・関根欣幸・文芸社
そして、見ていて感じたのは映像のリアリティーの問題。CG全開の作品でかえって嘘くさく感じちゃう問題は、ダースさんたちが「ゴジラキングオブモンスターズ」について話していた時にも出ていたのだが、私自身も前から感じていた問題であった。
本作を見ている内にその事を日本のお家芸(だった)特撮撮影と絡めて考えたくなった。ハッキリ言って特撮の描写はCGよりリアルじゃないし、時にはちゃいちく感じられる。しかし、本作のように上手くいってる特撮は、CGより遥かに力があるといえる。それは何故か?
CGは本物とできるだけ同じを目指して、実写の映像と組み合わせて描写される。細部の修正のような視聴者には気遣いないような部分はともかく、大嘘な映像の場合はいくらリアルに近づけよと頑張っても、所詮は映像の質が違うしやはり大嘘なのだから、どうしてもアニメで背景の落ちてくる石のように他の部分から浮き上がってしまう部分が出がちなのではないだろうか。
特撮の場合は、見てるこちらも自然とリテラシーが働いて、リアルかどうかが問題じゃなく特撮として素晴らしいかどうかが重要になる。昔の映像だから今ほど映像は鮮やかじゃなかったりするけど、特撮の場合はそれもかえってプラスになっていることが多い。大嘘をリアルに寄せるというより、大嘘とわかった上で魅力的な大嘘として表現する。なんでもかんでもリアルシリアスにすれば立派げになるという風潮はどうかと思う。プロレスもそうだが、マジレスしないで嘘を嘘として楽しむリテラシーも必要ではなかろうか。