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映画 夏物語

2022年02月16日 11時20分42秒 | 社会・文化・政治・経済

 

CSテレビのザ・シネマで2月16日午前6時から観た。

ヌーヴェルヴァーグの理念をもっとも忠実に守りながら、小さな製作規模で独特の道徳劇的な映画を発表し続ける巨匠エリック・ロメールのコメディ連作“四季のコント集“第三作。

1989年の「春のソナタ」、1991年の「冬物語」のあとシリーズを一旦休止して「木と市長の文化会館」「パリのランデヴー」を製作したため、本作が5年ぶりのシリーズ復帰となる。

脚本もロメール。製作のフランソワーズ・エチュガレー、撮影のディアーヌ・バラティエ、編集のメアリー・スティーヴンはいずれも「木と市長の文化会館」「パリのランデヴー」にも参加した若手女性スタッフ。

録音のパスカル・リビエも「春のソナタ」以来の常連。音楽として実際に使用されるのは劇中歌2曲で、一曲はフィリップ・エデル、もう一曲はセバスチャン・エルムスなる変名によるロメール本人の作詞・作曲。

出演は「おせっかいな天使」「エリザ」の新人メルヴィル・プポー、「海辺のポーリーヌ」から12年ぶりのロメール作品復帰となるアマンダ・ラングレ、新人グウェナエル・シモン、本作が日本初登場となるオーレリア・ノラン、それに映画作家のアラン・ガラなど。

ロケ地はブルターニュ地方のディナール、サン・マロなどの海浜リゾート地。1996年度カンヌ国際映画祭「ある視点」部門クロージング上映作品。

ストーリー

数学の修士号を取得したガスパール(メルヴィル・プポー)はひとり、バカンスでディナールにやってきた。

彼はクレープ専門店でウェイトレスをしているマルゴ(アマンダ・ラングレ)と友達になる。

彼女は人類学の博士課程で、ブルターニュの民族音楽を調査しながら、休みのあいだ叔母の店で働いている。恋人は考古学者で、海外にいるという。

彼は実はミュージシャン志望なものだから、彼女の民族音楽の調査などについて行って友情を深める。

ガスパールは恋人レナ(オーレリア・ノラン)と落ち合ってウェッサン島に旅行するはずが、連絡のないまま約束の日から一週間経っても彼女は現れないのだ。

ガスパールはマルゴにそそのかされてソレーヌ(グウェナエル・シモン)と親しくなり、サン・マロに住む彼女の叔父(アラン・ガラ)夫婦の家にも泊まる。

ただし彼女は会ったばかりの男とすぐには寝ないという。彼はソレーヌと一緒にウェッサン島に行く約束をする。

そこへ突然帰ってきたレナが彼の前に姿を現す。するとガスパールは今度はレナとウェッサン島に行くことに決める。

ところがレナは泊めてもらってる従兄弟(フランク・カボ)と出かける用があるから、今はウェッサン島に行けないと言い出す。

彼はそれならソレーヌと行くまでだと考え、事情を“友達“のマルゴに打ち明け、怒られる。

ソレーヌはガスパールにレナと自分とどっちを選ぶのかを迫る。彼はその場のはずみでソレーヌとウェッサン島に行くと言ってしまった。ソレーヌからの電話を待っていたガスパールに、レナが電話してきて、従兄弟との話は断れたから、あなたの言うとおりウェッサン島に行こうという。

さらみソレーヌからも電話がある。どちらの女にも一緒に旅行に行くと言ってしまったガスパール、そこに前から欲しかった録音機材が格安で手にはいるという電話がある。

これを買うならば旅行には行けない。ガスパールはここぞ幸いとばかりに、女たちとの約束をキャンセルした。ラロッシェルに向かう彼を、マルゴが見送りにきた。

今度は二人で“友達“同志ウェッサン島に行こうと提案する彼に、マルゴは九月には恋人が帰ってくるからダメよと告げた。

スタッフ・キャスト

Reviewed in Japan on September 10, 2015
Verified Purchase
<オチは明かしていませんが、かなり内容には触れてしまっています。>

夏だ! 海だ! ヴァカンスだー!
…ではなくて、ちょっとばかしヘンテコリンなタイトルをつけてしまいましたが、これはロメール監督自ら、主人公ガスパール(メルヴィル・プポー)の人物造形についておっしゃっていることなのです。

そんな監督の意図をうまく体現した、若きメルヴィル・プポー君。
西洋人にしては華奢な体型に、(あまり「夏の海」の似合わない…)色白の繊細な美貌と、タイトルどおりの優柔不断なダメっぷり満開で…いいですね(笑)…。

ロメールの映画って、オープニングでいつも「来た、来た〜!」と思ってしまう、独特の空気感がありますが、本作も例にたがわず、ブルターニュの淡い色の空と海がぱぁーっと広がり、カモメが飛び交い、やがて向こうに海岸どおりの街並みが姿をあらわすと、すーっとロメールの術中にハマってしまいます。

この映画のロケ地は主に国際的リゾート地ディナールと、漁業の街サン・マロです。
映りはしませんが、ガーンジー島、ジャージー島、ヴェッサン島、レンヌ…などが会話に出てきますから、前もって地図を頭に入れてご覧になるのもおすすめです。

会話の多いロメールの映画。でも本作は、冒頭の8分間くらいまったく会話のないのが印象的。
メルヴィル・プポーのPVよろしく(笑)、船から上がり別荘へ、さらに海岸通や夜の街を…ひとり所在なげに歩き回る彼ををひたすら写してくれています。部屋でギターをつま弾く姿も…ちょっとウツウツとしたところも…風情があってなかなかいいです…。

この、もの思わしげなガスパール(プポー)の様子には、実は深い事情があった・・・。

「ボクは相手に愛されないと自分からは愛せないんだ。」…。
「ボクよりブサイクな男が隣にいたとしても、きっと皆そっちを見て、ボクには目を向けないにきまってる。」…。
「絶対にしたくない努力は、集団の中に溶け込むことなんだ。」…。

などなどガスパール語録はどうもイジイジウジウジしてる(笑)。
パーティーでも、ディスコでもひとりぽつねんとして、周りにとけこめない。
見てくれは(プポー君だから…)よいわけですが、女の子にモテない人生を送ってきた風な、数学の修士課程を終えた音楽が趣味の若者です。

ヴァカンスの約束を反古にしてスペインへ行ってしまった…「知的な理想の恋人」レナと、もしかしたら逢えるのではないかという期待を持って、ディナールへやってきたガスパール。
彼はここで、「偶然」民俗学専攻の女子大生マルゴ(アマンダ・ラングレ)と出会います。
気さくな彼女に、ガスパールは不思議とすぐに心を開き、レナのこと、自分のことなど話はじめ・・・。

さあ、ここからです(笑)!!
毎日毎日、海辺や近くの丘を散歩するふたりの「会話」が延々と続きます。

フランスなのに、なぜか…「いつか見たことある…。」という親しげな美しい風景。
明日にでもすぐ真似できそうな、マルゴのシンプルな日替わりリゾートファッション※。
「君は友達だ。」というガスパールに「恋ごころ」を感じ、少々複雑な心境のマルゴ。
言い争ったり、うなずいたり、からかったり。ふと会話がとぎれて、思わず「距離」が近づいてしまったり。軽いキスと、真剣な表情と、拒む手と…。

(いつもロメールの映画を見ると思うことですが、なぜこんなに手にとるような臨場感あふれる演出ができるのでしょう?)

だれにも経験のある、「あの」懐かしい瞬間がいっぱいの、ふたりの「散歩」風景です。
確かに字幕では、彼らの「会話」の完全把握はむずかしいかもしれない。でも、それだけの理由で見ないのはちょっともったいない気もします。(…とはいえ、この「会話」部分がどうしても苦手だと、★の数は下がります…。)

さて、このあとガスパールを待ち受けていたのは・・・
マルゴの友人、(一見)イケイケな妖艶美人のソレーヌとの出会いに加えて、「偶然」のレナとの再会により、三人の女のコの間で右往左往し混迷をきわめる状況でした(笑)。

ガスパールは、何も自分で決めませんから(だって、ロメール監督がそういうふうにしたのだから…)。

「理想の恋人」レナのため、ギターで作曲しはじめた『〜♪海賊の娘』。
マルゴと聞いた〜♪漁師の歌がヒントとなってやっと完成したのに…、結局は、ソレーヌに(成り行きで…)捧げてしまう…。(アコーディオン伴奏の船上の演奏は、かつて海賊横行したこの地の歴史をしのばせる素敵なシーンです。)
このあと、「あの曲はどうなったの? 完成した?」とレナに突っ込まれ、ウロウロと目の泳ぐガスパールがなんともキュートではあります(笑)…。

そうこうするうち、フランスの最西端に位置する観光地「ヴェッサン島」へ、(成り行きで…)三人ともと行く約束をしてしまう、日にちまでも重なって!
優柔不断ウジウジ男の「何も生まない行動力」で、この事態をいったいどう裁いて映画は〆となるのだろうかと、不安にかられたエンディングでしたが・・・。

いやいやおみごと!
この優柔不断男は、まったく自分で手をくだすことなく、上手く『ケリ』が着いてしまうのでした(笑)。
(この部分、数本の電話の会話のみでキメてしまう…究極のシンプル演出が光ります!)

・・・最後にガスパールのこんな言葉が(笑)。
「これからも、こんなことはあると思う(…)。次は、自分で『ケリ』をつけるよ。」…

(いっぱい書きましたが、「女のコ三人」のキャラにはほとんど触れてませんね…。キュートだけどちょっと太めだったり、スラッとしてるけど顔がイマイチとか…、皆女優さんらしくありません。性格のイヤなところも人ごととは思えなく、なにもかもが「等身大」なロメールの映画です。)

※ファッションについて:すごくオシャレというのではありません。マルゴ役のアマンダ・ラングレはスタイルもよくない(太い…)し。だからかえって自分でも試せそうで、親しみを感じます。そういうところも好きです。
 
 

「夏物語」はロメールによる、
「春のソナタ」(1989年)、「冬物語」(1991年)に続く
「四季の物語」シリーズの3作目である。

人間の一瞬の心理をさらりと描いた傑作。
ロメール初期に見られた独特の作劇術、
つまりセリフで語られている事よりも、
その裏側に隠された本音の部分をいかに汲み取って楽しむか。
この映画にはそんなリアルな人間の心理を読み解いていく面白さがある。

「ディナールにバカンスでやって来たギャスパールは、
ここで恋人と落ち合う予定だった。そんな彼は、たまたま入ったクレープ屋の店員、
マルゴと知り合う。恋人が来るまでの間のこと、と何度かデートを重ねるうちに、
今度は別の女とも知り合い……」

モテキを迎えたかのように何故か女が集まり、
しかし自分では行動が決断できない優柔不断な男の話なのだが、
物語のキーとなるのはやはり女の子であり、実にロメール映画らしい。
ちなみにその女の子というのはクレープ屋でバイトをしているマルゴであり、
彼女はそう、「海辺のポーリーヌ」のポーリーヌ役、アマンダ・ラングレなのである。
ギャスパールはマルゴに誘われるように行動を共にする。
座った会話劇の多いロメールだが、今回はよく歩く。いやー、歩く歩く。
歩きながら色々と会話をするのだが、
ギャスパールの人間性や思考回路は分かりやすいものの、
マルゴは分かりにくい。いつも笑顔だけれど突然怒り出してみたり。
しかし細かな演出を拾っていくと、見えてくるものがある。
特に最後のキス・シーン。
ここの演出は絶品だ。
映画全体にもくもくとたちこめる、セリフという名の煙幕を一瞬で吹き飛ばすような、
もしくは言葉という薄闇の中で一筋の光が差し込み、
今までぼやけてよく見えなかった輪郭を浮かび上がらせるような、
見事としか言いようのない、キレの良い演出だ。
何と言っても、セリフではなくアクションによって真実を浮き上がらせる手法が素晴らしい。
このキスの意味を、ギャスパールは分からないまま去っていくのである。
ロメールの映画は、秀逸な少女マンガを見ているようだ。

ところで、ロメール映画のセリフは、普通の会話の言い回しと少し違っていて不自然だ、
それは彼が学校の先生であり、少し古臭い言い回しをしているのであろう、
などという話を聞いたことがあったが、とあるアマンダ・ラングレへのインタビュー記事で、
彼女がロメール映画のセリフは、「巧妙に書かれたランガージュ」であること、
「略語はないし、きっちりと正しい文法ではっきりと発音され」ているものであること、
そして自分は、子供を叱る時以外はロメールの映画の様に話している、などと語っていた。
ということで、ロメール映画を観てフランス語でも勉強してみようか。