第二次世界大戦と9・11およびイラク戦争に関する本書は、時代が異なるこれらの戦争の相違点・類似点について考察しており、とても興味深い内容である。
本書で相違点・類似点が述べられている出来事は、たとえば以下のようなペアである。
「真珠湾攻撃」と「9・11」
「9・11というテロ」と「ヒロシマ・ナガサキというテロ」
「真珠湾攻撃」と「イラク攻撃」
アメリカによる「日本占領」と「イラク占領」
「日本軍による捕虜への虐待」と「アメリカ軍による捕虜への拷問」
など。
途中にいろいろな写真が挿入されているのもいい。インパクトがある写真が多い。
一つ残念なことは、本書の原著が2010年に出ているのに、この翻訳版が出たのが十年以上も経った2021年だということである。もう少し早く出していただけるともっと良かったと思う。
ジョン・W・ダワー (John W. Dower, 1938年6月21日 - ) は、アメリカ合衆国の歴史学者。マサチューセッツ工科大学名誉教授。専攻は、日本近代史。妻は日本人。米国における日本占領研究の第一人者であり、1970年代の日本近代化論の批判でも知られる。
ロードアイランド州プロビデンス生まれ。アマースト大学卒業、1972年にハーヴァード大学で博士号取得。
アマースト大学時代はアメリカ文学を専攻していたが、1958年に来日し金沢市滞在を契機に日本文学に関心を移し、ハーヴァード大学大学院に進学後、1961年に森鷗外の研究で修士号を取得。その後、アメリカ空軍勤務や、1962年より金沢女子短期大学の英語講師、1963年より東京の出版社ウェザーヒル社の編集助手を務める。
1965年に帰国後、博士課程では日米関係を専攻し、後に刊行される『吉田茂とその時代』の前半部分に相当する戦前の吉田茂の研究で博士号を取得した。1968年には親中派の在米左翼団体“Committee of Concerned Asian Scholars”(憂慮するアジア学研究者委員会)をハーバート・ビックスらとともに組織。
ネブラスカ大学講師、ウィスコンシン大学マディソン校助教授・准教授・教授、カリフォルニア大学サンディエゴ校教授、マサチューセッツ工科大学基金授与教授として教鞭をとり、2010年退職。
MIT在職中の2002年には宮川繁とともに、日米の視覚文化を扱ったオンラインサイト「MIT Visualizing Cultures」を制作した。
業績[編集]
Empire and Aftermath(1979年、邦題『吉田茂とその時代』)では、従来論じられることが多かった「リベラルな自由主義者」としての吉田茂像に対して、保守主義者・帝国主義者としての吉田の側面を強く押し出した解釈を提起した。
War without Mercy(1986年、『容赦なき戦争』)では、従来の太平洋戦争研究で十分に論じられてこなかった日米の人種観に焦点を当て、戦争が苛烈になった一因を日米両国の有していた相手国への選民意識・蔑視意識にみとめる解釈を示した[2]。
Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II (1999年、『敗北を抱きしめて』)では、終戦直後の日本にスポットを当て、政治家や高級官僚から文化人、数々の一般庶民にいたるまであらゆる層を対象として取りあげ、日本に民主主義が定着する過程を日米両者の視点に立って描き出した。
この作品はピュリツァー賞などを受賞すると共に、日本でも岩波書店から「敗北を抱きしめて」の題で出版され、ベストセラーになった。
2010年刊『Cultures of War』の邦訳下巻。上巻には全三部構成のうち上巻から引き継いで第Ⅱ部「テロ」の後半部分と第Ⅲ部「国家建設」が収録されている。
下巻に収録されている第Ⅱ部の部分は、日本への原爆投下の論理(第10章)と心理(第11章)が広範な資料をもとに論じられている。
第Ⅲ部は、比較されることが多いアメリカによる日本とイラクの占領を扱う。ここでは、イラク占領の迷走について多くの紙幅が割かれ、その論理の破綻を明確にした第14章「法、正義、犯罪」、そして迷走の実態を克明に描いた第15章「市場原理主義」の最後の2章はここまで十分な分量があったにもかかわらずに、一気に読ませる程に興味深かった。
著者が言う「戦争の文化」は、「「選択としての戦争(war of choise)」すわなち先制攻撃への衝動、大国意識による傲慢hubris、希望的観測wishful thinking、内部の異論を排除して戦争に走るグループ思考groupthink、宗教的・人種的偏見、他者の立場に対する想像力の欠落、説明責任の無視、無差別殺戮、拷問、虐待といったものである。
こうしたソフト面とともに、ハード面ではつねに相手よりも優位に立とうとして「発達」し続ける兵器体系も含まれる。」(「監訳者あとがき」本書352ページ)とされる。「アメリカにおける」という限定が必要な要素もあるが、多面的な戦争の文化を彫琢することに成功していると思う。
2010年刊『Cultures of War』の邦訳上巻。上巻には全三部構成のうち第Ⅰ部「開戦」と第Ⅱ部「テロ」の半分が収録されている。
焦点が当てられるのは日本とアメリカ。原著の副題に、「パールハーバー、ヒロシマ、9・11、イラク」とあるとおり、第Ⅰ部ではパールハーバーと9・11が対比される。なぜ、アメリカはいずれの奇襲攻撃も許してしまったのか。そして、イラク戦争という戦略的愚行になぜ走ってしまったのかが考察される。
続いて第Ⅱ部は「テロ」と題されているが、扱うのは第二次世界大戦で英米が採用した無差別テロ爆撃であり、日本への空襲や広島や長崎への原爆投下について考察がなされる。
市民への無差別な攻撃が都合良く正当化されることによって進められた経緯が綴られており、それは、広島や長崎の原爆投下に関わり使われた「グラウンド・ゼロ」が都合良く世界貿易センター跡地を呼ぶのに使われていることとも結び付けられる。
「本書の分析は、戦争の言葉で満ちている。」
(本書プロローグxxxページ)とあるように、時々の言葉の使われ方に着目する点が大変興味深く、またそのための膨大な文献考察に支えられている点が特徴となっている(上巻の時点で2段組み70ページ弱の膨大な注がある)。
「戦争の文化」と題し、アメリカや日本の過去の行動から、その文化の実相を浮かび上がらせるに相応しい大著である。