立花孝志氏、亡くなった元兵庫県議に「逮捕してあげたほうがよかった」と発言し物議

2025年01月21日 12時23分36秒 | 社会・文化・政治・経済

元兵庫県議の竹内英明氏(50)が亡くなった件について、NHKから国民を守る党の立花孝志党首(57)が物議を醸す発言をしました。

立花氏は1月19日、Xで「こんなことなら、逮捕してあげたほうがよかったのに」と投稿。

さらに自身のYouTubeチャンネルで「1月20日に逮捕すると県警は考えていたそうだが、それを苦に命を絶ったという情報が入っている」と発言しました。

これに対し兵庫県警の捜査関係者は「竹内氏に対して任意の事情聴取もしていないし、逮捕の予定もなかった」と立花氏の主張を完全否定しています。

竹内氏は、兵庫県の斎藤元彦知事の疑惑を調査する百条委員会の委員を務めていましたしかし昨年の県知事選期間中、SNS上で誹謗中傷を受けたことを理由に2023年11月に議員を辞職していました。

竹内氏の所属していた会派「ひょうご県民連合」の幹部によると、斎藤氏を応援するために知事選に立候補していた立花氏が、選挙期間中にSNSで竹内氏の事務所に行くと予告したり、虚偽情報を流したりしていたとされています。

竹内氏の家族は「議員でなくなっても誹謗中傷は続いた。誹謗中傷によって仕事を奪われ、今までの生活を奪われた」と心中を語っています。

立花氏の今回の発言に対し、SNS上で批判的な意見が多く寄せられています。

この話題に寄せられたネットの声

立花孝志氏 ”亡くなった元兵庫県議”に『逮捕してあげたほうがよかった』と発言し物議 ネットでコメント殺到「こいつはどっから情報を得てるんだ?流してるやつも同罪だろ」「兵庫県警が内部情報を漏らすはずないだろ」

「普通に考えたらいつ逮捕するかなんて情報が一般に出てくるはずない」

「死者への冒涜じゃん」

「この執行猶予付きの犯罪者に一刻も早く実刑をつけなければいつまでもこのままになるよ、、」

「立花氏の人間性がわかる発言」

「兵庫県警が内部情報を漏らすはずないだろ」

「こいつはどっから情報を得てるんだ?流してるやつも同罪だろ」

この話題には数多くの批判的なコメントが寄せられていました。

 
関連するビデオ: 立花氏、元県議死亡についてYouTubeなどの発言謝罪「事実と異なることを発信した」 (日テレNEWS NNN)
 

NHK党・立花孝志氏が「完全に無視する動きがある」と大手メディアの対応批判で「先鋭化の危険性」

配信 フライデー

 

兵庫県知事選から、その言動がさらに注目される『NHK党』立花孝志氏


人間は常に、畏敬の念と謙虚さをもつことが必要だ

2025年01月21日 10時50分37秒 | その気になる言葉

▼希望の未来へ進む世界の人々にとっての<羅針盤>。

希望を届けるため、勇気を贈るため、勝利の明日を開くために。

▼どんな小さな努力も無限の結果を生む―哲学者アラン

弛まぬ挑戦こそ未来の礎である。

▼人生の幸福・不幸は「私たちの心の内」にある。

「心である。人生は心一つで、いつでも、どこもでも、最高に輝かせることができる」

▼苦労をしているのは、自分だけではない。

▼思いやりや感謝の気持ちが伝わってくる情報が期待される。

▼「地道」と「着実」ほど強いものはない。

人生は長い、自分らしく、誠実に生きるのである。

人の何倍も苦労し、努力して、その上に不滅の歴史を築くのである。

▼人間の心と心に、友情の橋を架けるのは、胸襟を開いた対話である。

▼自分が心から信じることを、必ず実行すべきである。

▼必要なのは「新しい現実」を生み出すことだ。

「世界は変えられる」という希望を示すことだ。

どんは偉大な事業も、はじめは、すべて「夢」にすぎなかった。

前人未到の道を一人征くには、勇気が必要だ。

真の新しいものは、何ごとであれ、人々の不評を買うものだ。

だから勇気が必要だ、

▼人間は常に、畏敬の念と謙虚さをもつことが必要だ。

 


死者まで冒涜する立花孝志さん

2025年01月21日 10時41分11秒 | 社会・文化・政治・経済

元兵庫県議死去めぐるN国・立花氏の言動が波紋 批判の望月記者を提訴の意向も

配信<button class="sc-1n9vtw0-1 eJnCsT" data-cl-params="_cl_vmodule:cmtmod;_cl_link:count;" data-cl_cl_index="26">J-CASTニュース</button>

兵庫県知事選で演説する「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首。

言動が波紋を広げている

望月氏「立花氏の言動の数々は、もはや『言論の自由』の範疇を超えた暴力」


データサイエンス教育

2025年01月21日 10時30分10秒 | 社会・文化・政治・経済

最短でデータサイエンティストを目指す独学方法

これからのビジネスシーンに欠かせない職業として注目を集める「データサイエンティスト」。データサイエンティストになるため勉強をする人が増えている一方で、周りに学ぶ環境がなく悩んでいる方もいるのではないでしょうか。

今回は、独学でデータサイエンティストに必要な知識やノウハウを、効率的・効果的に学ぶための方法を紹介していきます。最短でデータサイエンティストになりたい方は参考にしてください。

データサイエンティストの勉強は独学可能

データサイエンティストについて学ぶ方法には、大きく「スクールに通う」と「独学」があります。まずは、それぞれどのようなメリット・デメリットがあるのか見ていきましょう。

スクールに通うメリット・デメリット

まず、スクールに通うメリットはカリキュラムが構築されていること。学習者が必要なスキルを体系的に学ぶことができるため、独学では見落としがちな重要なトピックやスキルも学ぶことができます。また、同じ目標を持つ他の学生と交流もできるため、情報の共有や協力学習、将来のネットワーキングにも繋がるでしょう。

一方でデメリットはコストがかかること。スクールは一般的に高額な授業料が必要になります。加えて、オフラインで学ぶ場合は時間と場所が制約されるのもデメリットと言えるでしょう。また、一対多数での授業の場合、個々の学習スタイルやペースに合わせて講座のペースを調整するのも難しくなります。

独学するメリット・デメリット

対して、独学するメリットはコストを抑えられること。今は無料の教材もあり、仮に有料の教材を使うにしても、スクールに通うよりは勉強代を大きく節約できます。また、独学で身につけられる、自発的に問題を見つけて解決する能力は、データサイエンティストになった後にも発揮されるでしょう。

一方で独学のデメリットはモチベーションの維持です。一人で学習していると、難解なトピックに当たった時や進歩が見えにくい時など、モチベーションが下がりやすくなります。加えて、指導者からのフィードバックなどがないため、適切な学習の方向性を決めるのが困難になる時もあるでしょう。

ただし、それら独学のデメリットを抑えてくれるのが動画学習です。多くの講座では、データサイエンティストになるためのロードマップが示されているため、学習の方向性に迷うことがありません。加えて、モチベーションが下がらないような工夫がされている場合が多く、挫折する可能性も下げてくれるでしょう。多少講座代のコストはかかりますが、スクールに通うよりは勉強代を大幅に節約できるはずです。

最短でデータサイエンティストを目指すロードマップ

ここからは最短でデータサイエンティストになるために学ぶべき科目と、その学習におすすめのUdemy動画講座をあわせて紹介していきます。学び方や目標とする習熟度は人それぞれあると思いますが、ぜひ参考にしてみてください。
最短でデータサイエンティストを目指すロードマップ

1.プログラミング(Python)を学ぶ

データサイエンティストになるには、まずPythonを学ぶのがおすすめです。データを効率的に取得し前処理を行い、分析を行うためにはPythonの知識とスキルが必要だからです。また、学習内容として人気のあるPythonからスタートすることでモチベーション向上につながったり、Pythonを触りながら自身にデータサイエンティストとしての適性があるのか見極めていく意味合いでも、最初にPythonを学ぶことをおすすめします。

Pythonは、データ分析や機械学習に必要なライブラリが豊富に揃っているのに加え、構文がシンプルで直感的なため、初学者でも比較的短時間で学習できるでしょう。Udemyでは初学者向けの講座が豊富にあるので、初めてPythonを学ぶ方でもとっつきやすいはずです。

2.基本的な数学・統計学スキルを身につける

データサイエンティストになるには、プログラミングだけでなく、基本的な数学や統計学の知識やスキルも必要です。具体的にどのような知識が必要なのか見てみましょう。

数学(線形代数、微分積分)

データサイエンティストには、線形代数や微分積分といった数学の知識が欠かせません。なぜなら機械学習の多くのアルゴリズムは、線形代数や微分積分の概念に基づいているからです。

線形代数は、多変量のデータを一括で扱う際のノウハウが詰まっていますし、微分積分は、データの変化率や傾きを理解するための重要なツールです。数学が苦手な方は、基礎から学べる講座を利用してゼロから学んでみましょう。

線形代数は画像処理、3次元データ処理、Googleのサイト評価システム(PageRank)、統計学、量子力学などでも利用されている学問です。

データ解析(グルーピング、サンプリング、データ抽出・加工方法)

データサイエンティストは、データを活用して問題解決の方法を探るため、自社やクライアントが抱えている課題を抽出し、解析に必要なデータを絞り込む必要があります。そのためには、グルーピングやサンプリングといったデータ解析の知識が必要になります。

特に昨今はDXの普及によって、日々膨大なデータが生み出されており、それらのデータを課題解決や価値創出に結びつけるのがデータサイエンティストの仕事。これまでデータ解析に触れたことのない方でも、動画講座による実践で活躍できるレベルのノウハウを得られるでしょう。

統計学(分散分析、クラスター分析など)

数学の他にも分散分析やクラスター分析といった統計学の知識も必要です。なぜなら、データ分析で得られた結果は計算した数値にすぎず、それよりも大切な「数値に至るまでのプロセス」を理解するには統計学が必要だからです。

統計分析を通じて得られた結果は、ビジネスの施策立案に使いやすく、意思決定を行う上で大切な判断材料や根拠になります。Udemyでは初学者向けの講座もあるので、これまで統計学に触れたことのない方でも、気軽に学べます。


「創造的人間」が、今こそ世界で求められている

2025年01月21日 09時51分55秒 | その気になる言葉

▼何事も一歩一歩からである。

少しずつでも前へ進むことである。

きょうがだめなら明日。

明日がだめなら、あさって。

今年がだめなら、明年勝てばいい。

ともかく前へ前へ進むことである。

これが人生の神髄の生き方のである。

▼歴史的な壮挙を成し遂げるといっでも、その一歩一歩は、決して華やかなものではない。

むしろ地道な、誰にも気づかれない作業である場合がほとんどです。

だが、その前身の積み重ねが、時代を転換していく力なんです。

▼人生も、修行も、何の抵抗もない<真空状態>の中では、楽なように思えるかもしれないが、ぞの実、大空に飛翔することはできない。

空気の<抵抗>のなか、飛行機が前へ前へ飛び続けてこそ、空気も味方し、持ち上げる力になる。

前へ、ただ前へ―人生もまた、「勢いある前進」を続けるかぎり、苦難も上昇の力に変えていける。

▼課題の本質を見極め、未来を理想的な方向へ導く。

そうした「創造的人間」が、今こそ世界で求められている。


望郷之星 長谷川テルの青春

2025年01月21日 09時35分33秒 | 社会・文化・政治・経済
日本の エスペランティスト 、 反戦 ・ 反帝国主義 運動家

長谷川 テルはせがわ てる1912年3月7日 - 1947年1月10日[1][2]ないし1月14日[3][4](文献により異なる)は、日本のエスペランティスト反戦反帝国主義運動家。

生涯・人物

[編集]

本名は長谷川照子(はせがわ てるこ)。筆名は緑川英子(みどりかわ えいこ)。エスペラント名は Verda Majo (ヴェルダ・マーヨ:緑の五月)。父は土木技師。女優の吉永小百合の母和枝とその妹の評論家川田泰代は遠縁にあたる。

山梨県大月市に生まれる。1929年、東京府立第三高女(現在の東京都立駒場高等学校)を卒業後、奈良女子高等師範学校(現在の奈良女子大学)に進学。学内で文化サークルを同級生と伴に作り、エスペラントを学ぶ。1932年左翼 組織の疑いをかけられ検挙される。数日間の拘留を受け、大学を自主退学。タイプライターの教習所に通い卒業。

1933年、財団法人日本エスペラント学会で無給タイピストとして働き、日本エスペラント文学研究会の会員になる(「日本エスペラント文学」創刊に参加)。

1934年NHKアナウンサーの第一次試験に合格、前歴による不採用を予想して第二次試験には出頭せず。

1935年、上海エスペラント協会誌『ラ・モンド(La Mondo)』に「日本における婦人の状態」を書く。

1936年、雑誌『世界の子ども』に協力、エスペラントで『日本史』を書き外国での出版の試みに失敗、満州国から東京高等師範学校に留学していた劉仁(リウ・レン)と結婚。

1937年、日本を去り上海でエスペラント発表50年祭に参加、その後広州へ行く。

1938年広東国際協会ができ、エスペラント部で働き始める。日本へのエスペラント等による反戦文書の流し込みを行っていたが、思わぬ疑いを受け、スパイ容疑で香港に追放される。

新華日報に『愛と憎しみ』を翻訳。国民党中央宣伝部国際宣伝処対日科で崔万秋の下で抗日放送に従事。日本の都新聞(現在の東京新聞)により「嬌声売国奴」として評される。

1941年石川達三著『生きている兵隊』のエスペラントでの翻訳。国際宣伝処から政治部文化工作委員会へ転属。長男・劉星(リウ・シン)出産。『あらしの中からささやく声 (Flustr‘ el uragano )』出版。

1945年、『戦う中国で (En Ĉinio Batalanta)』を出版。

1946年、長女・劉暁嵐(リウ・シャオラン、長谷川暁子)出産。瀋陽長谷川兼太郎の家を間借りする。

長谷川兼太郎が日本に帰国しテルの消息を家族に伝える。

ハルビンで東北行政委員会編審委員会に勤務。

第三子を妊娠するも、産み育てる余裕のないことからジャムスで妊娠中絶手術を受けるが、1947年1月10日ないし1月14日(冒頭の注釈参照、死因はどの文献でも共通)感染症で死去。

同年4月22日には劉仁も肺水腫で死去。二人はジャムス烈士陵園に葬られ、墓碑には「国際主義戦士緑川英子と劉仁同志の墓」と刻まれている。

二人の間には6歳の長男・劉星と生後10か月あまりの長女・劉暁嵐の兄妹が残された。

二人は革命烈士の遺児として中国政府の保護を受け、劉星は公主嶺に住む劉仁の弟・劉維宅で、劉暁嵐はハルビンの孤児院で育つ。劉星は北京大学に合格するが、文化大革命の煽りを受けて四川省江油下放される。80年代に北京へ戻り、北京工業学院物理学部の講師になる。

1年間日本に留学も経験。だが、1996年、がんのため北京で死去。享年55。

劉暁嵐は唐山鉄道学院を卒業後、鉄道省の北京二七機廠職工大学の数学講師となったのち、日中科学技術交流協会の協力で、電気通信大学奈良女子大学福島大学に留学した[5]

1993年2月に日本国籍を取得し、長谷川暁子と名乗った[6]

テルの人生をテレビドラマ化した1980年の日中共同制作『望郷の星』(テレパックTBS中華人民共和国中央広播事業局)では、栗原小巻がテルを、中国人俳優の高飛(ガオ・フェイ)が劉仁を演じた[5]

テルの思想

  • 日本のファシストを憎み、日本兵もまた、ファシストの犠牲者だと思っていた。(『戦う中国で』)
  • 中国の勝利は中国民族だけでなく、日本を含めた極東の全被圧迫民の解放を意味すると考えていた。(『あらしの中からささやく声』)
  • エスペラントを国際的な武器と信じ、エスペランティストを平和の前衛と信じ、エスペラントを使って反ファシズム国際統一戦線を樹立したいと願っていた。(『あらしの中からささやく声』)

著書

 

望郷の星-長谷川テルの青春(望郷之星)

 
初の日本と中華人民共和国との合作ドラマ。【異説】一部資料では制作・テレビマンユニオン、プロデューサー・今野勉と記載されているが誤りと思われる。一部資料では放送枠が月曜21:02-23:25と記載されている。
 
キー局 TBS 放送曜日 放送期間 1980/05/26~1980/05/26
放送時間 21:02-22:25 放送回数 1 回 連続/単発 単発
番組名 サントリースペシャル
主な出演 栗原 小巻高   飛野口 直人下元  勉浅茅 陽子藤岡  弘徐  恩祥周   放相   虹大塚 道子林  道紀遠藤  剛真屋 順子丹阿弥谷津子佐久田 修佐久田 脩)、橋本  功平 幹二朗李  躍宗銭  永夫車   適馬  加奇張  建民陳   鐸青木  卓佐藤 和男小林 尚臣高山 真樹河津さえ子中島  元吉原 正皓三重街恒二井上 文夫大峰 順二小寺 大介和甲  拓側見 民雄大地  創荒瀬 寛樹晶衛 里仁)、横尾 三郎見城 貴信山崎 康雄、(語り・杉村 春子、)
主な脚本 岩間 芳樹
主なプロデューサ 森開 逞次錦織 正信松永  英
主な演出 森開 逞次福本 義人、(演出助手:弘田 九三油谷 誠至)(取材:大塚 公子)(記録:森  靖子
局系列 JNN
制作会社 テレパック、TBS、中華人民共和国広播電視部
制作協力 中華人民共和国中央広播事業局
制作 (制作主任:杉村 治司)
企画 中山 和記石川  甫未確認
音楽 間宮 芳生、(音響効果:塚田 益章
撮影技術 江本  隆島津 久純、(技術プロデューサー:後藤 勝彦)(照明:菱山  勇)(音声:奥山東宣宏)(映像:久米田俊裕
美術 (デザイン:佐野  均)(美術制作:天野 信夫)(美術進行:吉田 純二)(装置:稲葉 要三)(装飾:北村  隆茨木 隆臣)(衣装:恩田 泰治)(化粧:片山 嘉宏)(特殊効果:小川  誠)(題字揮毫・鄧  小平

SNS等の誹謗中傷は犯罪

2025年01月21日 09時20分02秒 | 事件・事故

SNSなどのネット誹謗中傷が厳罰化へ 法律改正の概要を詳しく紹介

インターネットの普及に伴い、情報をいち早く収集出来たり、オンラインショッピングなどで家にいても買い物が出来るなど、生活には欠かせない一部となっている反面、デマ情報や誹謗中傷の書込みなど、社会的にも大きな問題となっています。

この問題を受けて、2022年6月に改正刑法が成立し、誹謗中傷が厳罰化となりました。

今回は、どのような法律改正になったのか、概要を詳しく紹介していきます。

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目次

監修者


兵庫県議会の竹内英明基県議はなぜ中傷されたのか?

2025年01月21日 09時10分55秒 | 事件・事故

兵庫県議会の竹内英明県議が18日、議員辞職願を議長に提出し、許可された。

所属していた「ひょうご県民連合」によると、斎藤元彦氏が再選した知事選の期間中、竹内氏への誹謗中傷がネット上で過熱したのが理由。

竹内氏は県議会調査特別委員会(百条委員会)の委員として、斎藤氏の疑惑告発文書問題を厳しく追及していた。

選挙戦では、斎藤氏を応援する目的で立候補した政治団体「NHKから国民を守る党」党首立花孝志氏が、百条委委員に関する情報などを街頭やネット上で発信。

ひょうご県民連合の上野英一幹事長によると、立花氏がSNS(交流サイト)上で竹内氏の自宅に行くと予告したり、デマ情報を流したりして生活が脅かされ、家族を守るために辞職を決断したという。

斎藤元彦知事 竹内元兵庫県議の死去「痛恨の極み」 SNSの誹謗中傷「してはならない行動

 兵庫県の斎藤元彦知事(47)が20日、元兵庫県議の竹内英明氏が姫路市内の自宅で死亡が確認されたことを受け、取材に応じた。

 登庁前に報道陣に囲まれた斎藤氏は「大変ショックを受けており、心からお悔やみ申し上げます」「50歳という若さでお亡くなりになったことについては、痛恨の極み」などと追悼。

さらに「私が知事に就任してからも、行財政改革などについて、率直で時には厳しいご質問をいただきましたが、兵庫を良くしたいという強い思いの表れだったと今でも受け止めております」と話した。

 竹内氏は県議会の百条委員会で委員を務め、斎藤氏の疑惑告発文書問題を厳しく追及したが、インターネット上で誹謗中傷を受けたことを理由に県議を辞職していた。

 SNS等の誹謗中傷について斎藤氏は「やはり人の心や気持ちを傷つけるということは、してはならない行動だと思います」とし、条例制定へ「しっかりと議論、準備をしていく。

誹謗中傷のない社会に向けた取り組みを進めたい」とした。県はSNSの誹謗中傷を防止する条例の制定を検討する有識者会議を設置しており、2025年度中の制定を目指している。

 また、兵庫県警の村井紀之県警本部長は、この日行われた県議会警察常任委員会で、「逮捕が間近だった」「県警の任意聴取を受けていた」などとする交流サイト(SNS)上の情報を「事実無根で、明白な虚偽がSNSで拡散されるのは誠に遺憾」と否定した。

県警トップが個別の捜査の真偽に言及するのは異例となる。デイリースポーツ

SNS等の誹謗中傷は、犯罪である―その認識が欠如している。


映画 ラウンド・ミッドナイト

2025年01月21日 08時48分37秒 | 社会・文化・政治・経済

1月21日午前6時~CSテレビのムービープラスで観た。

ラウンド・ミッドナイト』(原題:Round Midnight)は、1986年のアメリカ・フランス合作の音楽映画。

ジャズサックス奏者のデクスター・ゴードンが主演。

ハービー・ハンコックがアカデミー作曲賞を受賞し、デクスター・ゴードンもアカデミー主演男優賞にノミネートされた。

スタッフ

キャスト

ストーリー

パリを舞台に、ジャズ・ミュージシャンのデイル・ターナーと、デイルの音楽を愛しサポートする青年フランシスの友情を描く。

実在のジャズ・ピアニストバド・パウエルがパリで活動していた時期の実話が元になっており、フランシスのモデルも実在のフランス人デザイナー。

「ラウンド・ミッドナイト」:老いたジャズ奏者とフランス青年の友情を描いた名作

 

「ラウンド・ミッドナイト」(原題:Round Midnight)は、1986年公開のアメリカ・フランス合作の音楽映画です。パリで活動していたジャズ・ピアニストのバド・パウエルと、フランス人デザイナー、フランシス・ポウドラの実話をベースにした映画で、50年代末のパリを舞台にジャズで結ばれた二人の友情を描いています。

ビリー・ヒギンズ、ウェイン・ショーターロン・カーター、トニー・ウィリアムズ、フレディ・ハーバードなど豪華なジャズ・プレイヤーが、ライブ・シーンで数々のスタンダード・ナンバーを演奏しています。

主人公を演じたジャズ・サックス奏者デクスター・ゴードンがアカデミー主演男優賞にノミネートされ、音楽を担当したハービー・ハンコックアカデミー作曲賞を受賞しています。

目次

 

スタッフ・キャスト 

監督:ベルトラン・タヴェルニエ
脚本:ベルトラン・タヴェルニエ/デヴィッド・レイフィール
音楽:ハービー・ハンコック
出演:デクスター・ゴードン(デイル・ターナー
   フランソワ・クリュゼ(フランシス)
   ロネッテ・マッキー(ダーシー)
   マーティン・スコセッシ(興行師)
   ハービー・ハンコック(エディ)
   ボビー・ハッチャーソン(エース)
   ほか

あらすじ

1959年、アメリカのテナー・サックス奏者デイル・ターナーデクスター・ゴードン)が、クラブ「ブルー・ノート」に出演する為にパリにやって来ます。

盛りを過ぎたとはいえ長年、サックスの巨人として君臨してきたデイルの来演に、パリのジャズ・ファンの心が踊ります。

デイルを迎えたのはクラブの音楽監督でピアニストのエディ・ウェイン(ハービー・ハンコック)やヴァイブのエース(ボビー・ハッチャーソン)といった気心の知れた仲間たちと、クラブのオーナー、ベン(ジョン・ベリー)でした。

大物の来場に湧くクラブの外で、貧しいグラフィック・デザイナーのフランシス・ボリエ(フランンワ・クリューゼ)は、雨に打たれながら漏れ出てくる音をじっと聴いていました。

妻(クリスチーヌ・パスカル)と別れ、男手ひとつで娘を育てていたフランシスは、みすばらしいアパートで待っていた9歳の娘ベランジェール(ガブリエル・アケル)に、「彼は神のように素晴らしかった」と、感激を伝えます。

やがてデイルはフランシスは意気投合、フランシスを伴ってクラブに行くようになり、ベランジェールもデイルに親しみます。

しかし、デイルは仲間から止められている酒を飲んでは姿をくらまし、病院の厄介になるようになります。

デイルの身を案じたフランシスは、別れた妻から借金をして引っ越し、デイルを家に引き取り、面倒を見ることにします。

フランシスの献身に改心したデイルは酒を断ち、心身ともに健康を取り戻して、フランシス、ベランジェールとともに、パリ在住のジャズメンを招いてのファミリー・パーティ、待望のスタジオ録音、フランシスの故郷、リヨンへの旅などを楽しみます。

やがて、デイルはニューヨークでの活動を再開するため帰国することを決意します。

別れ難いフランシスはデイルについて行きますが、麻薬が蔓延る荒れたニューヨークの町並みやせわしない文化が受け入れられずに、一緒にフランスに戻ろうとデイルに提案しますが・・・。

レビュー・解説 

デイルとフランシス、そしてベランジェールやデイルの仲間達の物語が、50年代のジャズに乗ってゆっくりと流れていきます。

デイルを演じるデクスター・ゴードンの話し方もゆっくりで、音楽の一部のようです。

パリの下町を再現したセットにも、リアルなCGにはない味があります。

物語そのものがゆったりとしたひとつの音楽のように気持ちのいい映画です。

映画ではテナー・サックス奏者に置き換わっていますが、デイル・ターナーのモデルはピアニストのバド・パウエルです。

バド・パウエルは50年代半ば以降、麻薬やアルコール、精神障害に苦しみましたが、パリ時代は良好な環境と好意的な人々に支えられて麻薬を断ち、安定して幸せな時を過ごすことができました。

1966年にアメリカに帰国しますが、既に体はボロボロで、ニューヨークで死去します。

映画は、この幸せなパリ時代を描いてます。

デイル・ターナーらが出演したパリのブルーノートは、1968年に閉鎖されており(今ある Le Blue Note は別物)、撮影は当時を再現したセットで行われました。

 

パリのブルーノートを再現したセット〜「ラウンド・ミッドナイト」

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パリの下町をセットで再現〜「ラウンド・ミッドナイト」

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デイル・ターナーを支えるグラフィック・デザイナーのフランシス・ボリエを演じるフランンワ・クリュゼは、フランスのアカデミー賞に相当するセザール賞に9回もノミネートされている実力派俳優で、2006年に主演男優賞を受賞しています。

また、頸髄損傷で体が不自由な富豪を演じた2011年公開のフランス映画「最強のふたり」は、フランスでの歴代観客動員数で3位となる大ヒット作となりました。

 

フランンワ・クリュゼ(左)とデクスター・ゴードン(右)

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