【大宮競輪G3】脇本雄太の位置奪い3着の森田優弥

2025年01月16日 22時16分03秒 | 未来予測研究会の掲示板

「自分で仕掛けるつもりだった」/初日特選レース後コメント

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<button class="sc-1n9vtw0-1 eJnCsT" data-cl-params="_cl_vmodule:cmtmod;_cl_link:profimg;" data-cl_cl_index="96">大宮競輪「東日本発祥倉茂記念杯(G3)」は16日、初日が終了した。12レースのS級特選の上位3名に話を聞いた。(町田洋一)</button>

1着 伊藤颯馬

2着 寺崎浩平

3着 森田優弥

【関連記事】

利根輪太郎の競輪人間学 競輪の落とし穴

2025年01月16日 21時46分35秒 | 未来予測研究会の掲示板

利根輪太郎は、何度も経験してきたのに、ダントツの軸などないことを思い知らされる。

GⅢ 大宮競輪 万博協賛 東日本発祥倉茂記念杯

展開予想 1-7-8 2-9-4 3(単騎)5(単騎) 6(単騎)

レース評

寺崎の飛び出しと読んで同県番手の脇本から。地元は森田−平原−武藤の布陣。平原に絶好展開もある。

1番の外競りで、内側の9番は競り負けて敗退する。

油断であるし、競りは初めての経験なのか?

初日の特選は観るレースであったと悔やまれた。

出目作戦を貫くことができなかった

特に9レースは3-4-5のボックス車券を買うべきだったのである。

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
  1 6 伊藤 颯馬   14.0   混戦ひと捲
2 2 寺崎 浩平 1車身 14.2 SB 捲られ逃残
3 1 森田 優弥 1/2車身 14.1     叩けず内決
× 4 7 平原 康多 1/4車輪 14.0     森田に続く
5 8 武藤 龍生 1/2車身 13.9     平原に続く
  6 3 北井 佑季 2車身 14.1     単騎で苦戦
7 4 村上 博幸 3/4車身 14.2     踏み遅れて
  8 5 佐々木 悠葵 3車身 14.3     単騎最後方
9 9 脇本 雄太 1車身 14.7     横全然露呈
 
2

2=5
2,140円(10)
2

2=6
4,710円(18)
3

1=2=6
22,710円(63)


1=2
2,880円(34)
1=6
2,470円(30)
2=6
1,680円(23)
5-2
5,090円(20)
6-2
10,030円(34)
6-2-1
146,770円(306)

戦い終わって

戦い終わって写真

 前受けは寺崎浩平で、後方に伊藤颯馬、北井佑季、佐々木悠葵の単騎勢が固まって周回。動きがあったのは最終ホーム手前。4番手から森田優弥が仕掛けると、寺崎は突っ張る。瞬時に森田は番手の脇本雄太をキメるが、脇本も粘って併走に。もつれを伊藤が一気に捲って首位。2着に寺崎が逃げ残り、3着に森田。

 伊藤は「森田さんは叩けなくても、へばりつくだろうと。考えていた通りだった。併走になって脇本さんの番手捲りはなくなったし、後ろもいたので内、外から行かれたら嫌のので早めに仕掛けた。脚は結構回って感じは良かったです。直線が長くてキツかったけど、余裕を持って押し切れたと思う。状態は良いですね」
 寺崎は「後ろからでも押さえて仕掛けるつもりだった。結局、前が取れたけど、単騎勢が動かず4番手に森田君がいたのは想定外。森田君の動きを見てピッチだけ上げれば、どうにかなるかなと。脇本さんが絡まれていたのが分かって、自分は踏むだけ踏んだ。誰も出させる気はなかったけど、颯馬君が良いスピードで来てしまった。状態は悪くないし、単純に脚力が足りないだけ」。
 森田は「どんな並びになっても自分で仕掛けるつもりだった。反応も問題なかったと思うけど、寺崎さんが強くて併されてしまった」。

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訪日客消費 初の8兆円

2025年01月16日 12時40分45秒 | 社会・文化・政治・経済

円安追い風、客数も最多―24年

配信
  • 【図解】訪日外国人数と消費額の推移

富裕層の地方誘致が課題 訪日消費額、都市部に集中

 24年10~12月期は前年同期比37.3%増の2兆3108億円。四半期ベースでも24年4~6月期を抜き、過去最高を記録した。

 年間消費額の費目別では宿泊費が3割強と最も多く、買い物代が続いた。

国・地域別では中国が約2割でトップだった。1人当たりの旅行支出は前年比6.8%増の22万7242円だった。

 日本政府観光局が同日発表した24年の訪日外国人数は前年比47.1%増の3686万9900人。

コロナ禍前の19年(約3188万人)を上回り、過去最多を更新した。

航空便の回復を受け、東アジアや米国、オーストラリアなど幅広い地域からの客が増えた。

 国・地域別では韓国が26.7%増の881万7800人でトップ。次いで中国が約2.9倍の698万1200人で、台湾、米国が続いた。

 24年12月は前年同月比27.6%増の348万9800人。クリスマスや年末年始に合わせて訪れる客が増え、単月では過去最多だった。

 一方、24年に出国した日本人数は前年比35.2%増の1300万7300人だが、19年比では6割強の水準にとどまっている。

 
 

 

 

 

昭和人間のトリセツ

2025年01月16日 12時25分45秒 | 社会・文化・政治・経済

石原壮一郎 (著)

 

【内容紹介】
ついLINEが長文になってしまう、10年前の出来事を最近のこととして語ってしまう、若き日の12月24日を特殊な1日として記憶している、若者の働き方や結婚に余計なことを言いたくなる……仕事観、消費観、ジェンダー観など多様な切り口から「昭和生まれの人間」の不可解な生態に肉薄し、その恥部をも詳らかにする日本で初めて?の書。
  
【目次】 
プロローグ 昭和人間という、ややこしくもデリケートな存在 

第1章 「おじさん構文」の謎――昭和人間と青春の残り火 
第2章 なぜ昔話が口をついて出るのか――昭和人間の不可解な習性
第3章 令和の職場と、くすぶる違和感――昭和人間の仕事観
第4章 男らしさ・女らしさという呪縛――昭和人間とジェンダー
第5章 昭和人間は眠れない――「老害」にならないために
 
あとがき 「よい大人」を目指して、昭和人間の長い旅は続く

注 知っておかなくても構わない昭和・平成用語集

出版社より

日経プレミア 昭和人間のトリセツ
 

「トリセツ」という言葉は、日本語で「取扱説明書」を意味し、製品やデバイスの使用方法や注意事項などを説明する文書を指します。

【ややこしくもデリケートなその生態を徹底解剖!】

● 昭和人間の「ちょっと前」は若者の「大昔」である

●「日本はすごい国」過去の栄光を忘れられない理由

●「結婚して一人前」「独身は訳あり」暴言はどこから生まれるか

● 誰もがお利口さんにならざるを得ない令和社会のプレッシャー

日経プレミア 昭和人間のトリセツ

著者について

石原壮一郎
1963(昭和38)年、三重県生まれ。コラムニスト。64年の東京オリンピックは記憶にないが、70年の大阪万博には行った。
昭和の終わりごろに月刊誌の編集者になり、93(平成5)年に『大人養成講座』でデビュー。
以来、大人をテーマにした著書を次々と刊行。「昭和」も長く大事にしているテーマの一つ。昭和を浴びて育った「昭和人間」として、今の時代と「昭和的なるもの」や「昭和な自分たち」との望ましい関係性を追求している。著書は『大人力検定』『昭和だョ!全員集合』『失礼な一言』など100冊以上。
 
 
この本は第1章LINEの話で始まるが、著者は1963年、昭和38年生まれとあるので
10代20代の時はネットもケータイ(スマホ)もなく、
本来LINEのようなものも苦手な世代のはずで、
その悪戦苦闘ぶりを、明確に説明している。

また、校則が厳しかった世代であり、パワハラなどの基準も今とは異なり、
道徳観なども若者と違うが、
筆者は、そういう違いについて、とてもわかりやすく紹介している。

この本を読んで、その世代の人が振り返るのもいいし、
若者の「昭和世代研究」にも役立つ。
行空けなどのレイアウトも、とても読みやすい。
 
 

偽情報の拡散増加

2025年01月16日 12時14分17秒 | 社会・文化・政治・経済

インターネット上での偽・誤情報の拡散等
SNSや動画配信・投稿サイトなど様々なデジタルサービス普及により、あらゆる主体が情報の
発信者となり、インターネット上では膨大な情報やデータが流通し、誰もがこれらを容易に入手す
ることが可能となった。

本節では、このような「情報爆発」とも呼ばれる状況の中、情報・データ
流通をめぐりネット上で何が起きているのかを整理し、各国の対応等を分析する。

1  現状
1   アテンション・エコノミーの広まり
情報過多の社会においては、供給される情報量に比して、我々が支払えるアテンションないし消
費時間が希少となるため、それらが経済的価値を持って市場(アテンション・マーケット)で流通
するようになる*1。

こうした経済モデルは、一般に「アテンション・エコノミー」と呼ばれる。

ラットフォーマーは、可能な限り多くの時間、多くのアテンションを獲得するため、データを駆使
してその利用者が「最も強く反応するもの」を予測しており、プラットフォーマーの台頭によりイ
ンターネット上でもアテンション・エコノミーが拡大している。
インターネット上で膨大な情報が流通する中で、利用者からより多くのアテンションを集めてク
リックされるために、プラットフォーム上では過激なタイトルや内容、憶測だけで作成された事実
に基づかない記事等が生み出されることがあり、アテンション・エコノミーは偽・誤情報の拡散や

インターネット上での炎上を助長させる構造を有している*2。
2   フィルターバブル、エコーチェンバー
人は「自らの見たいもの、信じたいものを信じる」という心理的特性を有しており、これは「確
証バイアス(Confirmation bias)」と呼ばれる。プラットフォーム事業者は、利用者個人のクリッ
ク履歴など収集したデータを組み合わせて分析(プロファイリング)し、コンテンツのレコメン
デーションやターゲティング広告等利用者が関心を持ちそうな情報を優先的に配信している。

このようなプラットフォーム事業者のアルゴリズム機能によって、ユーザーは、インターネット上の膨
大な情報・データの中から自身が求める情報を得ることができる。
一方、アルゴリズム機能で配信された情報を受け取り続けることにより、ユーザーは、自身の興
味のある情報だけにしか触れなくなり、あたかも情報の膜につつまれたかのような「フィルターバ

ブル」と呼ばれる状態となる傾向にある。このバブルの内側では、自身と似た考え・意見が多く集
まり、反対のものは排除(フィルタリング)されるため、その存在そのものに気付きづらい。
また、SNS等で、自分と似た興味関心を持つユーザーが集まる場でコミュニケーションする結
果、自分が発信した意見に似た意見が返ってきて、特定の意見や思想が増幅していく状態は「エ
コーチェンバー」と呼ばれ、何度も同じような意見を聞くことで、それが正しく、間違いのないも
のであると、より強く信じ込んでしまう傾向にある。
フィルターバブルやエコーチェンバーにより、インターネット上で集団分極化が発生していると
*1  鳥海不二夫 山本龍彦 共著「デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康の実現を目指して」(日経プレミアムシリーズ)

の指摘がある*3。意見や思想を極端化させた人々は考えが異なる他者を受け入れられず、話し合う
ことを拒否する傾向にある。フィルターバブルやエコーチェンバーによるインターネット上の意
見・思想の偏りが社会の分断を誘引し、民主主義を危険にさらす可能性もありうる*4。
3   違法・有害情報の流通
総務省が運営を委託する違法・有害情報相談センターで受け付けている相談件数は高止まり傾向
にあり、2022年度の相談件数は、5,745件であった。
2022年に法務省人権擁護機関が、新規に救済手続を開始したインターネット上の人権侵害情報
に関する人権侵犯事件の数は1,721件、処理した人権侵犯の数は1,600件であり、いずれも高水準
で推移している。
SNSユーザーを対象に実施したアンケート調査*5によると、約半数(50.9%)の人がインター
ネット上の誹謗中傷等の投稿(「他人を傷つけるような投稿(誹謗中傷)」)を目撃したことがある
と回答している(図表2-3-1-1)。また、過去1年間にSNSを利用した人の1割弱(8%)が「他人
を傷つけるような投稿(誹謗中傷)」の被害に遭っていると回答している。
図表2-3-1-1 SNSユーザーを対象としたアンケート調査(目撃経験)
0 10
目撃した際のサービ

4   偽・誤情報の拡散
近年、インターネット上でフェイクニュースや真偽不明の誤った情報など(以下「偽・誤情報」
という。)に接触する機会が世界的に増加している。2020年の新型コロナウイルス感染症拡大以
降は、当該感染症に関するデマや陰謀論などの偽・誤情報がネット上で氾濫し、世界保健機関

(WHO)はこのような現象を「infodemic*6」と呼び、世界へ警戒を呼びかけた。
また、OECDによると、2021年に欧州に居住する人のうち「インターネット上のニュースサイ
トやSNS上で偽又は信憑性が疑わしい情報(untrue or doubtful information or content)に接
した経験がある」と回答した人は半数以上に達した。なお、このうち、オンライン上の情報の真実
性を確認すると答えた人は26%であった*7。
我が国でもインターネット上の偽・誤情報拡散の問題が拡大している。

総務省が2022年3月に実施した調査*8では、我が国で偽情報への接触頻度について「週1回以上」(「毎日又はほぼ毎日」と「最低週1回」の合計)接触すると回答した者は約3割であった。

また、偽情報を見たメディア・サービスについては、「ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)」、「テレビ」、「ポータルサイトやソーシャルメディアによるニュース配信」の順に高くなっており、特にSNSについては5割を超えた。
SNS等のプラットフォームサービスでは、一般の利用者でも容易に情報発信(書込み)が可能
で、偽・誤情報も容易に拡散されやすいなどの特性があり、このことがSNSで偽・誤情報と接触
する頻度が高い要因の一つであると考えられる。


一枚の写真が千の言葉を伝える

2025年01月16日 10時13分33秒 | その気になる言葉

▼被災地の人々の深い思い―「希望は一人一人の心の中に必ずある」。

▼毎日、一瞬一瞬が私たちにの新出発―インドのネール首相

インドの初代首相。 インド国民会議議長。 インド独立運動の指導者。 著述家。

▼一枚の写真が千の言葉を伝える。

▼使命の肝要は持続ににこそある。

持続は力であり、持続の中にこそ、願いの成就がある。

▼人間としての深い哲学と信念を持った人格をどう築いていくかである。

▼友愛とは、正義とは何か、鍛えの青春を歩む子どもたちに、<人生の羅針盤>を示すのが文化の役割。

▼育児の悩み、その悩みを一人で抱え込まずに周囲を分かち合う。

そもそも人間は、誰かを頼り、誰かに頼られながら生きる存在である。

「生きることは頼ること」

共に成長する「共育」の心を未来に広げる。

▼誠実。それは一切の根本である―歴史家カーライル

トーマス・カーライルThomas Carlyleは19世紀イギリス歴史家評論家

代表作には、『英雄崇拝論英語版』、『フランス革命史』、『オリバー・クロムウェル』、『衣装哲学』、『過去と現在』などがある。ドイツ文学を研究したことでも知られ、ゲーテとの往復書簡がある。

 

 

 


埼玉県の芝園団地 中国人世帯数が日本人世帯数を上回った[

2025年01月16日 10時00分08秒 | 社会・文化・政治・経済

芝園町(しばぞのちょう)は、埼玉県川口市町名。現行行政地名は芝園町のみ。丁番を持たない単独町名である。住居表示実施地区[4]郵便番号は333-0853[2]

地理

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埼玉県川口市の西端に位置し、戸田用水が流れる。町の中には大規模団地の芝園団地(川口芝園団地)がある。町の大半が団地や、その他の集合住宅が占めており、一戸建ての民家は極めて少ない。

住民の生活圏ではJR東日本蕨駅の周辺地域である蕨市中央や同北町などと深い結びつきがあり、蕨駅とは北町新通りで結ばれている。

人口は3,818人(2006年)で減少傾向にあり、2008年(平成20年)には児童数の減少により川口市立芝園小学校が閉校し[5]、更に同様の理由で2013年(平成25年)に川口市立芝園中学校も閉校した[6]

芝園小学校は川口市内で初めて閉校となった学校である[7]

芝園団地における多文化共生の取り組み

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当時34歳の男性(記事原文では実名)が2014年に移り住み、自治会に加わった[8]

防災が共通の関心事だとつかみ、防災教室を開いた[8]

行事に誘って顔見知りを増やしながら、マナーも呼び掛けた[8]。それ以前はゴミの分別や会話の声の大きさなど自治会へ苦情が寄せられたり、「中国団地」といったネット上の悪口が飛び交っていたが、これらの活動により苦情は減り、ネット上の中傷も止んだ[8]

芝園団地の自治会は2015年度に、初めて中国人の役員が誕生した[8]

高齢化と国際化を応援したいと、大学生のグループ「芝園かけはしプロジェクト」もできた。

市の協力を得て、中国語による情報のネット配信も始まった[8]

2016年2月からは「多文化交流クラブ」を開始すると、少しずつ顔見知りが増えてお願いを出来るようにもなった。2017 年度には、「多文化交流クラブ」で自治会関係者と知り合った外国人居住者が自治会役員に就任。2021年度は役員9 人の内、外国出身者は4人になり、「多文化交流クラブ」で知り合った外国出身者はその内の3人である[9]

歴史

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歴史

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  • 1934年昭和9年) - 日本車輌製造東京支店蕨工場が開設[10]
  • 1945年(昭和20年) - 工場は戦災で一部焼失したが、半年ほどで復旧を遂げた。
  • 1972年(昭和47年) - 不景気のため日本車輌製造の業績停滞が続き、1971年に鉄道車両製作を休止した蕨製作所(同年に蕨工場から改称)を3月に閉鎖。統合先となった豊川製作所(愛知県豊川市)は、1996年4月まで「豊川蕨製作所」に改称されていた。蕨製作所の跡地は日本住宅公団に売却され、芝園団地の構想が立てられて団地の建設が着工された。初めは30階建ての超高層住宅を建設する構想があったとされる。結果的には10-15階建ての建造物が立ち並ぶ団地となった。当時としては非常に規模の大きい団地であったため、「マンモス団地」と称された。なお、入居開始は1978年(昭和53年)より行なわれた[11]
  • 1978年(昭和53年)2月1日 - 住居表示の実施に伴ない、大字から芝園町が成立[11]
  • 1978年 - 芝園小学校[5]、芝園中学校が開校[6]
  • 2008年 - 芝園小学校が閉校[5]
  • 2013年 - 芝園中学校が閉校[6]
  • 2019年10月14日、「新幹線電車発祥の地記念碑除幕式」を開催[12]

世帯数と人口

2018年(平成30年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
芝園町 2,809世帯 4,862人

外国人人口

2020年1月1日現在、芝園町には、2,976世帯、5,058人が居住している。そのうち、外国人人口は、2,881人(1,586世帯)である(『統計かわぐちの人口』川口市)。

すなわち、芝園町の総人口の57.0%は外国人であり、そのほとんどは芝園団地に居住する華人(中国人)である。

川口芝園団地に居住している華人の多くは、1980年代後半から1990年代にかけて留学生就学生として来日したニューカマーズ(新華僑)である。大学や大学院を修了し、専門的な知識や技術の習得を経て長年に渡って滞在している者が多いとされる。2003年の調査によれば、芝園団地の華人ニューカマーズの在留資格は、「技術者」、「永住者」、「配偶者」の順に多かった。大学卒以上の学歴を有する者が90%を占め、多くが技術的職業に従事している。

2015年には、中国人世帯数が日本人世帯数を上回った[8]