「生命尊厳の思想」が期待される

2025年01月11日 14時54分17秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

「平和の文化」は、日常生活の中で一人一人が平和と非暴力を自分の生き方にすることだ。

また、宗教が「平和の文化」を育む土壌の役割を果たすうえで不可欠なもの―それが「教育」の力だ。

いかなる宗教であれ、排他的や独善に陥らず、その包括性や受容性を維持していくには、良識の知性の力こそが必要なのだ。

「宗教」と「教育」は<両輪>の役割を果たし、互いに善き啓発を与えながら人類をさらなる高みに導いてこそ、社会は健全なる発展を遂げ、新たな「平和の文化」を創造していくことができる。

仏法の人間主義を基調とした平和・文化・教育を展開する意義もそこにある。

一貫して市民社会に足場を置き、広く教育活動を通し、平和に貢献する。

近年、国連においても、意識啓発を促す「教育活動」の価値が見直されるようになった。

人類の存続に関わる喫緊の課題が山積する中にあって、政府の代表だけでは各国の利害が衝突し合い、議論が前に進みにくい。

そこで、国際的な視野と見識を備えた市民・民間団体NGO(非政府組織)の代表が国連の会議に招かれ、発言の機会が設けられるようになった。

また、国連の構内で開かれる行事でも、展示やワークショップ、パネルディスカッションなどを主催し、各国政府の意志・行動決定にも影響を与えるよにもなってきている。

議場の内外で、市民団体の存在感が増す中で、長年にわたり、教育活動を続け、人々の意識を啓発してきた団体の主張や活動が耳目を集めるようになってきた。

なかでも、注目を浴びているのは「FBO]である。

「FBO]とはフェイス(信仰)・ベイスト・オーガニゼーション」の名が示すとおり、「宗教的信念」や「信仰」を基盤とする組織を示す。

一般的に「宗教団体」は草の根レベルで、市井(しせい)の隅々まで分け入って、人々に声を届け、影響を及ぼせる組織である。

信仰者が、宗教上の教義に則り、信仰の一部として、倫理的・人道的なメッセージを届ける。

それを受け取った人が「私も社会貢献の行動を起こしたい」と一歩踏み出す。

その連動がやがて大きな波となり、大きな改革へとつながっていく。

また、宗教団体には、商業的利害はないから、社会変革のための意欲を保ち、困難に屈せず、実践を繰り返していける特性もある。

基本的に「生命尊厳の思想」が期待される。

その理念の基に、平和へ向けた連帯を呼びかけ、その輪を広げるのである。

人々の意識を変え、行動の変容を促すには、一過性ではない不断の取り組みと、より広い規模の草の根の対話へとつなげるイニシアチブ(主導・率先)が欠かせない。

期待されるのは、未来世代のために、人類が直面する難題に果敢に挑戦し、より公平で持続可能な世界を構築していく人材の育成である。


常識を疑うことから始めよう 

2025年01月11日 14時17分01秒 | その気になる言葉

常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションである」アインシュタイン。
時代や国が変われば、常識も変わる。
常識外れな行動を起こして成功したエピソードを集め
偉人の名言とともに紹介する本書は、選択に迷った時、無難な方を
選択しがちな気弱な人に勇気を与える一冊です。
 
 

出版社からのコメント

【担当編集者のコメント】
「常識とはなんでしょうか?」という問いに対する、ひすいこたろう氏の答えは
「誰かの意見」でした。私が、はじめて著者にお会いしたのは、東京で行われた講演会でのこと。
こういう講演会というのは自分の過去の業績などを誇らしげに話すのが普通ですが、
ひすいこたろう氏は過去の自分がいかにダメなサラリーマンだったかを面白可笑しく話し、
独特のユーモアセンスで会場を爆笑の渦に。自分をまったく飾ることのないひすい氏のその姿が、逆にとても魅力的でした。
自分を飾り立てることで自分を大きく見せるのが常識だとしたら、
ひすい氏は全く真逆を行く人です。
世の中にあふれる常識ハズレなのに成功した事例を集め、名言とともに紹介する本書は、
ひすいこたろう氏だからこそ読み解けた、成功の本当の理由を、余すことなく掲載した一冊です。
常識に縛られてしまうことで見えなくなっていた真実をひすい氏の言葉と
独特の切り口で誰にでもわかるように平易な言葉で語ります。

著者について

ひすい こたろう
新潟県出身
作家、コピーライター、漢字セラピスト。
日本メンタルヘルス協会の衛藤信之氏から心理学を学び心理カウンセラー資格を取得。『3秒でハッピーになる名言セラピー』がディスカヴァーMESSAGE BOOK大賞で特別賞を受賞しベストセラーに。他に『あした死ぬかもよ』(ディスカヴァートゥエンティワン)「心にズドン! と響く『運命』の言葉」 (王様文庫)『漢字幸せ読本』(KKベストセラーズ)『人生が100倍楽しくなる名前セラピー』(マイコミ)『ニッポンのココロの教科書』(大和書房)『朝にキク言葉』(サンマーク出版)等多数。
インターネットにて、27000人が読む『3秒でHappy? 名言セラピー』を無料配信中。
→http://www.mag2.com/m/0000145862.html (まぐまぐ 名言セラピーで検索)

石井しおり

神奈川県出身
企画プロデューサー、アイデア屋さん。 趣味:音楽・映像作成、旅しながら友達に会いに行くこと。
好きな言葉は、「退一歩、海闊天空」 後ろに一歩引けば、海や空、世界がもっと広がって見えるよ、という意味。 http://www.kotohogi2672.com http://www.yurui.org/

 

お客様はこの書物について、以下のような評価をしています: 内容については納得性の高い内容で、誰にでも理解できる内容だと感じています。また、読みやすさや頭に入りやすい字切についても好評です。斜め読みで20分程度で十分理解できると指摘されています。 面白さについても高く評価されており、あたまと心をやわらかくするには最適だという意見があります。発想の転換の好例集として紹介され、今日という日の大切さに改めて気付かされる本だと評価しています。

 

  • 2017年6月5日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    あたまとこころをやわらかくするには、ひすいさんの本が最適です。当たり前のように思っていた自分の価値観に良い影響を与えてもらえました。
     
  • あえて、しおりさんについて
    私は、出版記念イベントにも参加させて頂いたので、その点もふまえて。

    あとがきの飾り気のなさは、何か俗人を超越したものを感じさせます。
    それもそのはず、彼女はずっと常識の外で生きたような方でした。

    どうしても、天才コピーライターのひすいさんに注目が集まりますが、ひすいさんは常識で生きてきた方。
    転換点はあったでしょうが。

    この本では、ひすいさんだけでは書けなかった。
    しおりさんが常識を疑い続けた成果にちがいありません。

    また、イベントにはたくさんの登場人物がいて、その方々をお一人おひとり感謝を伝える姿勢に、一層の感動を覚えました。

    個人的には、しおりさんの今後の活躍が楽しみです。
     
     
    「そんなの当たり前」「社会人なら常識」。世の中にはたくさんの当たり前や常識が溢れています。
    周りがそう言うからなんとなく合わせている。でも、それって本当の自分じゃないような気がするという方は、まず自分の頭で考え始めるきっかけを作る必要があります。そのきっかけこそが、「常識を疑うことから始める」ことだと思います。

    ベストセラー書籍「名言セラピー」の著者ひすいこうたろう氏と、企画プロデューサーの肩書を持つ石井しおりさんが、「常識ってなに?」をテーマに偉人・有名人の名言を厳選し、その名言が生まれた背景や、実際に経験した体験談などを紹介しています。

    たとえば、俳優の浅野忠信さんのひとこと、「いやいや、まだまだ、これからだから!」には、「もういい歳だから...」といった年齢に対する負の常識を吹き飛ばす力があります。

    当たり前の考えの逆をやってみる、あるいは、当たり前の行動にさらに1つ何かを加えてみるなど、当たり前や常識に対してちょっと疑うことをきっかけに、自分で考えて行動を起こしてみる。
    そうすると、本当の自分を発見する可能性が拡がってくるのではないでしょうか。
    今回もかなり引き込まれました。
    24個エピソードがあります。
    24個の並べ方がうまいです。
    徐々に壮大になっていくような感じがしました。
    エピソード13以降ぐいぐい引き込まれました。
    名言ゆえにすでに知っているものもあります。
    (自分の場合は知らないものばかりですが。)
    が、切り口を変えれば
    違った見え方が現れます。
    その仕事をしているのが、エピソードですね。

    何回も読み返して潜在意識に刷り込みたい。

    エピソード21の「規則その6を思い出せ」は
    かなり笑えました。
    • とっても面白いです!!
      一気に読み上げてしまいました!
      そしてたくさんAmazonで本を買って来たけど初めてレビューも書いてしまいました!
      色々悩んでる旦那、友人、そして子供が大人になった時プレゼントしたいです!
      勇気がでました!
       
       
    • いつもの「ひすい節」です。
      いつもの、軽く語りかけているようで、後々心を温めて、目から鱗をはがして(落とすよりはがす、がしっくりくる)時には自らを恥じて猛省してしまいます。
      よくも悪くも、真理は軽く言われる方がこたえるものかもしれません。
       
       
      将来、社会で尊敬される人になるには、自分の考え方を持つことが大切だ。
      常識を疑えば、考えちからがどんどんついてくるだろう。
      子どものうちに常識を疑うことを習慣化すれば、将来、大きな危機に直面したといきも、ピンチを乗り越える素晴らしいアイデアが湧いてくる頼れる人材になるはずだ。
       
       

 

 

 

 


マスメディア退潮

2025年01月11日 14時04分53秒 | 社会・文化・政治・経済

従来のメディアは適応するのか、絶滅するのか…トランプ勝利は大手メディアの影響力低下を浮き彫りに

トランプの勝利は、主流メディアが影響力を失いつつあることを示している。

トランプの勝利は、主流メディアが影響力を失いつつあることを示している。

Beata Zawrzel/NurPhoto/Getty Images

  • 2024年のアメリカ大統領選挙は、主流メディアが政治に関する意見をコントロールする力を失っていることを示したかもしれない。
  • ポッドキャストやSNSは、政治家に信頼性とより多くの人々へのリーチを提供した。
  • 従来の主流メディアとは異なるメディアの台頭は、フェイクニュースや偏見といった問題も抱えている。

2024年のアメリカ大統領選挙の選挙運動は、主流メディアの影響力の衰退を浮き彫りにした。

ポッドキャスト(Podcast)やゲーム配信、サブスタック(Substacks)やティックトック(TikTok)で行われる討論まで、政治家たちは戦いの場を新たなメディアの戦場に移している。

この変化は10年近く続いてきたが、従来主流だったメディアは今、新たな警鐘を鳴らされている。

「もはやメインストリームのメディアは情報の門番ではない。それらがニュースや情報の広がる過程をコントロールする時代は終わった」とロンドン大学セント・ジョージ校(St George's University of London)のポッドキャスト専門の上級講師、ブレット・スペンサー(Brett Spencer)は語っている。

 

トランプとハリスのオンライン対決

今回の選挙期間中、トランプは配信者のファン層、特にコメディアンのジョー・ローガン(Joe Rogan)やテオ・フォン(Theo Von)のポッドキャストを聴くような特定の男性ファン層をターゲットにした。

トランプはローガンのポッドキャストに出演して3時間にわたって彼と話している。

2024年10月26日に放送されたインタビューは、24時間以内に2600万回再生されたとニューズウィーク(Newsweek)は報じている。本稿執筆時点では4590回も聴かれている。

グラスゴー大学(University of Glasgow)でコミュニケーション、メディア、民主主義を専門とし上級講師を務めるポール・ライリー(Paul Reilly)は、「この数字は、主要なニュースネットワークでのニュースキャスターとの座談会形式のインタビューのリーチ数を上回っている」と話している。

ローガンは、2024年11月5日にX(旧Twitter)の投稿で、トランプを支持するイーロン・マスク(Elon Musk)をゲストに招いた番組を配信した。彼は主流メディアによる言論の自由の抑圧を嘆きながら、「マスクはトランプを支持する最も説得力のある主張をした」と語り、トランプへの支持を明らかにした。その動画は4700万回再生されている。

一方、カマラ・ハリスは、アレックス・クーパー(Alex Cooper)のポッドキャスト「コール・ハー・ダディ(Call Her Daddy)」に出演した。彼女の選挙組織は、ハリスの性格やイメージをユニークかつ親しみやく表現した「Kamala IS brat(わがままな子ども)」などのTikTokやインスタグラム上のミームやトレンドを積極的に取り入れていた。

アラバマ大学(University of Alabama)のジャーナリズム・クリエイティブメディア学部のブランドン・ハリス(Brandon Harris)教授は、ポッドキャストやトゥイッチ(Twitch)のようなプラットフォームには、「参加者がリアルタイムで直接的にやり取りを行っている」感覚があり、それが信頼性を与えているとBusiness Insiderに語った。

「他の多くのメディアの形式よりも、はるかに充実した会話が見られる。特に、通常は非常に厳しく管理されたメディア環境に置かれている政治家にとってはその違いが顕著だ」とハリス教授は語っている。

トランプとハリスの選挙運動は、かつてないほどにメディアが多様化した環境を反映していた。

ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)の2023年9月の調査では、アメリカの成人の14%が、ティックトックから定期的にニュースを入手していると回答し、2020年の3%から上昇していた。

18歳から29歳に関しては、2020年の9%から2023年には32%に跳ね上がっている。

一方、エジソン・リサーチ(Edison Research)のインフィニット・ダイヤル・レポート(Infinite Dial Report)によると、2024年1月に12歳から34歳までのアメリカ人の59%がポッドキャストを聴いており、前年の2023年より4%増加している。

主流メディアがティックトックなどのアプリで視聴者を増やす一方で、若者は依然としてインフルエンサーや従来とは違うメディアのアカウントからニュースを入手する傾向があるという。

こうしたアカウントの多くは選挙期間中に自信に満ちた解説を提供し楽しませてくれてたが、一部の主流メディアはその候補者を支持するかどうかを巡って苦悩しており、ジャーナリズムの誠実性や所有権をめぐる論争を巻き起こしている。

オルタナティブメディアのリスク

ポッドキャストやストリームへ出演することは、テレビ討論のような従来の主要メディアへの出演するよりも、有権者にトランプに対する「親近感」を抱かせることとなった。つまり、トランプが聴衆をよく知っていたことが有利に働いたのだ。

だがオルタナティブ(代替)メディアの台頭に伴い、視聴者がフィルターバブルに陥り、その考えがより過激になるリスクををはらんでいる。またフェイクニュースや党派的な論評が増加する危険性もある。

Z世代に特化したメディア企業、ザ・ニュース・ムーブメント(The News Movement)のコンテンツ担当のシニアバイスプレジデント、ジェシカ・コーエン(Jessica Coen)は、「代替メディアが台頭すると、討論会の回数が減り、反論するような有能なジャーナリストとの重要なインタビューが減ることになる」と話す。

「これは、社会全体に悪影響を与える可能性がある」

デジタルメディア文化の研究者であるジェス・ラウチバーグ(Jess Rauchberg)は、このような方法で支持を呼び掛けることにはマイナスの面もあるという。

「このことは、アメリカあるいは世界のメディアリテラシーにおいて何を意味するのかと考えると、少し不安になる」と彼女は言う。

「我々はジャーナリストとしての訓練を受けていない、あるいは政治的なバックグラウンドを持たない(YouTuberやインフルエンサーなどの)クリエイターに頼っているのだ」

アキレスPR(Achilles PR)の創業者であるダグ・エルドリッジ(Doug Eldridge)は、「従来のメディアは、今回の選挙を機に次の一手を見直すだろう」と、Business Insiderに話す。

 

「評判は築くことが最も難しいが、壊すことは最も簡単だ」

「台本があり、編集された3分間のインタビューの時代は終わった。今後は、長時間で編集されていない3時間続く話の方が主流になるだろう」と同氏は付け加えた。

「恐竜と同じように、旧来のメディアは適応するか絶滅するかのどちらかだ」

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インターネット文明

2025年01月11日 13時24分07秒 | 社会・文化・政治・経済
 
もはや日々の生活のインフラと化したインターネットという科学技術なしに、私たちは生きていくことすらできない。全世界で利用者が50億人を超えたいま、インターネットは、趣味や仕事から医療や安全保障までを包摂するひとつの「文明」と化した。そこにはどのような人類史的な課題や使命があるのか。第一人者が語る。

目 次

プロローグ インターネット史に刻まれたふたつの大事件

第1章 インターネット文明とは何か

第2章 テクノロジーと共に生きる
 1 AIとインターネット
 2 IoTとインターネット
 3 5Gとインターネット

第3章 日常生活に不可欠となったインターネット
 1 インターネットにおける文化の多様性
 2 インターネットがビッグテックを生んだ理由
 3 オンライン課金の仕組みと暗号セキュリティ
 4 メディカルインクルージョンの実現に向けて

第4章 インターネット文明の政策課題
 1 プライバシー保護と監視社会
 2 インターネット規制と国際協調
 3 言語と出版文化
 4 サイバーセキュリティの三つの空間
 5 デジタル庁の発足と日本のDX

第5章 国際政治におけるインターネット
 1 インターネットと地理学
 2 インターネットと地政学
 3 米中摩擦とインターネットの未来

第6章 インターネット文明で果たすべき日本の役割
 1 日本の技術開発の底力を見せるとき
 2 インターネットの公共性と持続可能性

エピローグ インターネット文明の未来
 
あとがき

著者について

村井 純(むらい・じゅん)
1955年生まれ
1979年慶應義塾大学工学部数理工学科卒業,1984年同大学院工学研究科博士後期課程修了.工学博士.1984年東京工業大学,慶應義塾大学,東京大学を結ぶ日本初の大学間コンピュータネットワーク「JUNET」を設立
現在―慶應義塾大学教授,「WIDEプロジェクト」ファウンダー
著書―『インターネット』(岩波新書,1995年)
   『インターネットII――次世代への扉』(岩波新書,1998年)
   『インターネット新世代』(岩波新書,2010年)
共著―『角川インターネット講座』第1巻「インターネットの基礎」(KADOKAWA,2014年)
   『DX時代に考える シン・インターネット』(インターナショナル新書,2021年)
 

 1 人類がふたたび月面に立つ
 2 より良いインターネットを維持するために
 
 
「日本のインターネットー元年」とされる1995年から今年で30年になる。
「インターネットは<酸素>と同じ」ということを世界中が深く知ることになって出来事の一つが、新型コロナのパンデミックだったと解説する著者。
 
パンデミックは、地球規模で経済活動にダメージをもたらした。
「人とモノの流れ」が滞ったが「情報の流れ」は止まることはなかった。
 
自宅から出られなくなると、仕事、教育、買い物、各国の感染状況の確認もインターネットが頼りになった。
ワクチンは各国の研究機関がネットでつながっていたためにスピード開発ができた。
 
インターネットの未来は、人の健康、地球環境、経済発展に貢献するためには、グローバルな視点で取り組むべきだ。
一方「乱用・悪用」対策の重要性も指摘している。
 
ネット間には国境はない。
それが分断の危機にさらされてもいるとし、いま「生命と地球のために」という視点が大切だと訴えていう。
 
 
情報技術の進歩は驚くことばかりだ。別の図書の情報だが、2001年に世界最速だったスーパーコンピューターよりも2021年のスマホのほうが、処理速度が速くなっているという。
本書はインターネットの父と呼ばれた著者が、インターネットが数十年の間にどのように進化してきたかを語っており、これからの情報社会がどうなっていくのかを考える上で、押さえておかなければならないことを教えてくれている。
黎明期、自動車にパソコン機能をと考えて自動車メーカーに掛け合っても、歯牙にもかからなかったとか、Wi-Fiの周波数が電子レンジと干渉するとか、高周波の電波は雨に弱いが、赤道直下では静止衛星が赤道上を通るため、垂直にアンテナを向けることになり、雨の影響を受けにくかったなど、一般人があまり知らないでいることも、多く紹介されていて、非常に興味深い。
著者のご尊父は村井実先生という教育哲学の泰斗であられる。「すべての人間は善く生きようとしている」という基本理念のもとに多くの論を著された。
本著者も「すべての人にインターネットを」という基本哲学に則って長年、研究と社会貢献をしてこられた。その骨子となるお話の数々が、多くの短い文章のなかに詰まっている新書らしい新書だと思った。

 

『インターネット文明』という題に惹かれて、予約してしまった。
届いてみると、普通の本(?)だったので、ちょっと安心した一方、すぐに読もうという意欲をなくした。それで、ほかの本を読むスキマ時間にぽつぽつと読んだ。
器械等のしくみが苦手なので、第2章テクノロジーと共に生きるはちょっと難しく時間がかかったが、第3章日常生活に不可欠になったインターネットはすくすくと読め、第4章インターネット文明の政策課題は中間ぐらい、第5章以後はまたちょっと難しくなったが、あとは勢いで読めた。
ついでに、著者が29年前に書かれた岩波新書『インターネット』を読んでみた。とても懐かしい内容で、ノスタルジアの世界に入ってしまい、こちらのほうが楽しかった(困ったこと)。それはともかく、著者が29年前に未来予想的に書かれていたことのあれこれが、今日実現してしまっているのが面白いような、怖いような・・・。
 
 
著者の村井純氏(慶應義塾大学教授)は、50年前から日本のインターネット構築に際して、技術面・システム面・国際面で中心になって進められた方だ。その体験をもとにして、人類はいまインターネット「文明」と特徴付けられる時代に入っていること、そしてその将来がどんなものになるか、を論じた本。

技術的な側面をきちんと踏まえて論じて文明論を展開しているので、類書のないすばらしい本だと感じた。とくに第3章以降、どんどん引きこまれる話となっている。

ただ、第1章および第2章(合計70ページ)はインターネット初期の話であるうえ、技術的なことが中心(しかも関連図表も皆無)なので、評者は我慢して読んだ。

また「アマゾンで買い物をして、クレジットカードで決済しても(中略)カード情報が盗まれる心配はありません」(116ページ)、「メールの内容が第三者に漏れないのは、クレジットカード情報を安心して送れるのと同じ暗号技術をつかっているからです」(117ページ)などとしているが、我々は懸念を持ちながらもそのような利用をしているのではないか? 
また、例えば評者の場合、毎日100通近い「迷惑メール」が着信するがそれとどのような関係があるのか(あるいはないのか)、などが知りたかった。そのあたりも論じてほしかった。

だから、第1章および第2章はスキップして第3章以降だけ読んだほうがよいだろう。また凡人がいだく上記のような現実的な問題も平易に説明してほしかった。このため5つ星にせず4つ星と評価した。
 

 


社会全体で教育の意識を改革する

2025年01月11日 12時40分13秒 | 社会・文化・政治・経済

日本の教育制度は、明治維新から70年近くの間に欧米文化の直訳や輸入でできあがってきた。

日本の社会、政治も経済も道徳も、その他の生活も行き詰まっていた。

病根はすべて人材の欠乏にあった。

そこで教育を改良して将来の禍根を除去する必要があった。

根本となる人間精神のあり方に関わる問題であった。

当時は、美濃部達吉の天皇機関説にたいする国会での弾劾演説(1935年2月)を機に思想や学問への圧力が高まっていた。

さらに日中戦争が勃発(1937年7月)していた。

教育は本来、子どもの幸福を目指すべきであったが、時代は国家のための教育となっていく。

当時の教育改革は、行き詰まりの根本原因を見極めようとせずに、枝葉末節の部分ばかりに手を入れようとしていた。

それが状況を悪化させていた。

例えれば、病気の根本原因を見落として、治療するば病気は悪化するのである。

一方、当時の社会では教育の改革に対する社会の関心が低かった。

一つは、社会において分業化は進み、それぞれの分野の関連性が複雑になる中で、人々が目前の仕事に忙殺され、物事を全体的に見渡して考えることができなくなった。

この傾向は戦後も基本的に変わらず、教育改革もその場しのぎの対応が続く面があった。

<社会から切りはなされた教育>が生命をもたないように<教育という使命を見失った社会>に未来はない。

教育はたんなる「権利」や「義務」にとどまるものではなく、一人ひとりの「使命」にほかならない。

そのように社会全体で意識改革していくことが、すべての根本であらねばならない。

つまり、21世紀の教育を見据えて最重要の焦点となるのは、教育を社会の一分野として埋没させずに、あらゆる人々が使命感をもって「教育のための社会」を築くことにある。

 


日本とアフリカ外交

2025年01月11日 12時19分25秒 | 社会・文化・政治・経済

榎泰邦 中近東アフリカ局長演説

アフリカが直面する課題とわが国の対アフリカ外交
(6月30日北海学園大学における講演に加筆したもの)

平成12年6月30日
中近東アフリカ局長 榎 泰邦

(はじめに)

 アフリカという呼称は、古代ローマ人がハンニバルで有名なカルタゴを植民地化した後、この地方をアフリカ州と呼んだことに由来すると言われています。長い間、アフリカ大陸は未知の大陸と言われ、人類の好奇心の対象となってきました。アフリカは日本にとってまだまだ十分に知られておらず、日本との本格的接触も漸く本格化しつつあるところです。今日は、このアフリカの置かれた状況とこの地域に対する日本の外交政策について話をしたいと思います。なお、アフリカと言った場合、北アフリカをも含めたアフリカ大陸全体53ヶ国を指す場合と、サハラ砂漠よりも南のいわゆるサブサハラ・アフリカ47ヶ国を指す場合がありますが、ここでは特にお断りしない限りサブサハラ・アフリカを前提にお話ししたいと考えます。

 先ず初めに、世界の中でのアフリカの位置づけを見てみましょう。国の数で47ヶ国、国連加盟国の数が189ヶ国ですから約1/4を占めます。地理的面積は2400万平方キロ、世界の約20%になります。人口では6億3千万人、世界の約10%。それでは、経済規模はと言うと、GNP3千億ドル強、世界の1%に相当します。このGNP3千億ドルと言う規模は、ベルギーのGNPとほぼ同じ、あるいはマレイシアのGNP2つ分に相当します。サブサハラGNPの約半分は南アフリカが占めていますので、経済的には、南アで一つ、それ以外のアフリカでもう一つのマレイシアが存在すると言ってよいでしょう。最近,IT革命との言葉がはやりですが、インターネット・ホスト数ではどうかと言えば、アフリカは世界の約0.25%しか占めていません。正確な統計は手元にありませんが、南アを除いたアフリカでは、世界の0.1%程度ではないでしょうか。米国の人口1万人当たりのインターネット登録台数1508に対し、アフリカは僅か0.48台、米国の0.03%との統計もあります。

 最初から数字ばかりで恐縮ですが、実は、今申し上げた中にアフリカの抱える問題が象徴されています。即ち、「アフリカは、世界の10%の人口を持ちながら、経済規模では1%にしか過ぎず、更にこれからの経済の先行指標になるITについては0.25%の存在でしかない。それでは、世界は0.1%、0.25%の小さい存在を無視出来るか、と言えば、政治的に国連の4分の1の票を持つ存在を決して無視する事は出来ない。それでは、このアフリカの現実に国際社会はどう対応したらよいのか。」これがアフリカ問題の本質と言ってよい。もう少し、詳しくアフリカ問題を見てみましょう。

I アフリカ問題

(アフリカ問題の歴史的背景)

 歴史的背景を抜きにして、アフリカが現在おかれている窮状を語ることは出来ません。 特に決定的な出来事は奴隷貿易と殖民地支配の2つです。
 西サハラに地図にも出てこない小さなボジャール岬があります。1415年、ポルトガルがモロッコのセウタを占領し、北アフリカに足場を設けてからも、当時どういう訳か船乗りの間で、このボジャール岬を越えると、その先は暗黒の海で、海水が燃えたぎり決して生きては帰れない、と言う迷信が強く信じられていました。この迷信が生きている間は良かったのですが、1434年、エンリケ王子の厳命によりジル・エアネスがボジャール岬以遠への航海に成功して、迷信が破られてからアフリカの悲劇が始まりました。

 1444年にはポルトガル船がセネガル河に到達し、15世紀半ばにはもう奴隷貿易が始まっていますので、ジル・エアネスの航海から20年も立っていないわけです。そして、16世紀には欧州、アフリカ、新大陸(南北アメリカ)間の三角貿易の中で奴隷の新大陸への輸出が本格化します。奴隷貿易は18世紀にピークを迎え、19世紀になって漸く終わります。この間、大西洋奴隷貿易の規模は、1000万人とも2000万人とも言われており、18世紀のみで560万人に達したと推定されています。奴隷の3分の2は働き盛りの男性と見られており、伝統的社会構造が崩壊するとともに、奴隷狩りによるアフリカ部族どうしの抗争が激化したことは想像に難くありません。奴隷貿易こそは人類史最大の汚点であることは疑いの無いところであり、植民地支配と合わせこれだけの事をしておいて、今になってヨーロッパ人が、グッド・ガバナンス等と説教をたれているのを聞くアフリカ人の心中には複雑なものがありましょう。
 少々脱線しますが、解放奴隷を中心にして出来た国が西アフリカに2つあります。リベリアは、米国のキリスト教団体が黒人解放奴隷を入植させたことがきっかけになって、黒人解放奴隷が中心となって1847年に独立した国です。その隣のシェラネオーネは、英国において奴隷制廃止運動が高まり、1807年に奴隷貿易廃止令が出される中で、英国が建設した解放奴隷の入植地が核になって出来た国です。首都のフリータウンはまさに奴隷の自由解放に由来する。

 植民地支配の歴史は、本日の講演の目的では無いので、詳しくは立ち入りませんが、少しだけ触れたいと思います。アフリカの地図は国境が定規で測ったように直線になっています。そうかと思うと、ギニア湾西アフリカの国々はどれも細長い形をしています。いずれも 1884年のベルリン会議で決まった事です。この会議は、ドイツのビスマルク宰相がアフリカの植民地分割を決めるために欧州諸国に呼びかけたもので、米国、オスマン帝国を含め14ヶ国の出席のもとで開かれました。トーゴーやベニン等、ウナギの寝床の様な形になったのも、海岸を領有すれば基本的に内陸部分にまで領有権が及ぶとのルールがこの会議で決まった事の結果です。ところで、国境がほとんど直線と言うなかで、キリマンジャロ山に近いタンザニア国境は曲線になっています。これは、会議で、キリマンジャロ一帯をドイツ皇帝ウィルヘルムI世の誕生日祝いの贈り物にするとの趣旨で、山麓を含めてドイツの領有を認めた結果といわれています。
 アフリカの当事者が全く関与しないまま、ベルリンで紙の上だけで分割を決めたわけで、民族分断国家作りなどと言う次元の話ではなく、ともかく滅茶苦茶な話です。セネガルとガンビア、ギニアとギニア・ビサオというように本来単一の国であるべき領域が、宗主国が違うために非常に不自然な形で別々に独立する。或いは、カメルーンの様に、一つの国の中で仏語圏と英語圏とが併存するという事態が生まれてくるわけです。植民地経営はモノカルチャー経済のお仕着せを通じて、現在のアフリカ経済の脆弱性の最大の原因になっており、不自然な植民地分割は現在の国境紛争の遠因になっているわけです。植民地支配を通ずる統治体制は、アフリカ原住民自体の健全な統治システムの発展を阻害してきました。

(独立後の苦難)

 アフリカは、1957年のガーナの独立を初めとし、アフリカの年と言われる1960年には一挙に17ヶ国が独立を達成した。しかし、アフリカは独立後も苦難の道を歩く。開発問題、紛争、エイズ等の感染症の3つについて、これを見てみたいと思います。そして重要なことは、この3つの問題が相互に密接にからみあっていることです。

 第一に開発ですが、実は本来、アフリカは天然資源にも恵まれ、また豊かな自然環境にも恵まれている国が少なくありません。そもそも、アフリカの密林などと、いかにも「未開の地」の様に言いますが、自然のままで森林が繁茂し、豊かな河川が流れているほど恵まれた環境はありません。実際、1960年代には、1人当たりGNPで、アフリカは約500ドルと途上国平均の330ドルをはるかに上まわっていた。今でこそ世界の成長センター・アジア等ともてはやされているけれども、当時はアフリカの方が豊かであった。問題は、他の途上地域がいずれも着実に所得を伸ばしてきている中で、アフリカだけは、むしろ停滞するどころか逆に低下していることです。1970年代に約600ドルであった1人当たりGNPが、90年代に入って510ドルのレベルにまで落ち込んでいる。現在、アフリカの6億を超える人口の半分が、一日当たり0.65ドルで生活している現実がある。
 最近、世銀が「アフリカは21世紀に生き残れるか」と題する報告書を出し、注目を浴びていますが、アフリカの開発問題の課題について4点を指摘している。即ち、(1)紛争の頻発と弱い統治制度,(2)脆弱な人的資源----教育問題、年間2万人を超える頭脳流出、エイズ等の感染症など,(3)モノカルチャー依存経済の脆弱さ----交易条件は悪化し、対外債務は97年末で2200億ドルに上ってる,(4)外国からの援助資金低下、の4つです。

 第二に紛争です。アフリカ47かヶ国の中で、これまで国際紛争も内戦も経験したことのない国は20ヶ国、更にこれに加えクーデタすらも経験したことがない国となると、ザンビア、ジブチ、ボツアナ、マラウィ等僅か10ヶ国しかありません。およそ殆どのアフリカ諸国が何らかの形で紛争の被害にあっているわけです。紛争の被害についての数字は事欠きませんが、紛争によって5人に1人が被害にあい、アフリカ全土で2000万個の地雷が埋設され、紛争によって1600万人の国内避難民と300万人の難民が生じている。紛争は貧困の主な原因の一つであり、コンゴー紛争を抱える中部アフリカを例に取れば、GDP成長率を2%引き下げているとの分析があります。
 アフリカ紛争の要因となると、これだけで国際セミナーのテーマになりますので深入りは避けますが、何か単一の理由と言うよりも様々な要因が複雑に絡みあっていると言うべきでしょう。それだけではイメージが湧かないでしょうから、敢えていくつかの具体例を挙げてご紹介してみましょう。
 部族対立;94年に大虐殺が生じたブルンディ、ルワンダでの紛争はツチ族とフツ族との対立が最大の理由でしたが、アフリカの紛争の背景には何らかの形で部族対立の要素ありとすら言われている。
 資源争奪;アフリカの悲劇は、本来、経済発展の貴重な糧になるべき天然資源の存在が原因となって紛争が生じ、かつなまじ資源があるだけにそれを資金として武器輸入が継続され、いつまで経っても紛争が終わらないという事態が現出していることにある。現在シェラネオーネ内戦が新聞を賑わしていますが、この国は良質のダイヤモンドの宝庫として知られており、ダイヤモンド産地を押さえている反政府勢力がダイヤモンド資金で隣国のリベリアを通じて武器を密輸している。反政府勢力のリーダーであるサンコーを逮捕したところ、昨年後半の半年だけでダイヤモンド2100個、450カラットを入手していた事が暴露された。コンゴー・カタンガ州独立紛争、ナイジェリア・ビアフラ紛争なども豊かな資源の存在が紛争を引き起こした典型例です。
 貧困;貧困が紛争を呼び、紛争がまたさらなる貧困を招く、この悪循環こそがアフリカの悲劇そのものです。また、中央アフリカ等いくつかの内戦の経緯を見てみると、給料未払いに対する兵士の不満がクーデタとなり、これが大規模な内戦へと発展していってケースが意外と多いことに驚かされます。
 冷戦時代の代理戦争;現在、アンゴラの反政府組織UNITAは目の敵にされ、安保理でもUNITA制裁決議案が採択されていますが、冷戦時代のついこの前までは、このUNITAを米国、南アなどが支援し、ソ連、キューバが支援するMPLAと対峙していたわけです。アフリカの角も米ソの代理戦争の場となっていた。
 宗教対立;スーダン内戦の背景には北部回教徒と南部キリスト教徒との対立が背景にあるし、ナイジェリアでも北部回教徒と南部キリスト教間の対立は不安定要因になっている。
 権力闘争;リベリア内戦などは単純なリーダー間での権力闘争と考えた方が正解かもしれません。シェラネオーネもアンゴラも様々な理由付けは出来るのですが、権力闘争と割り切るのが或いは当を得ているとも考えられます。
 国境紛争;先程、休戦合意が成立したエティオピア・エリトリア紛争は典型例です。ウガンダ・タンザニア紛争もこのカテゴリーに入ります。
 解放・独立闘争;1960年代に比較的すんなり独立を達成出来た国は良いのですが、白人支配の続いていたジンバヴエや、宗主国がなかなか独立を認めなかったモザンビーク、ギニア・ビサオ等の旧ポルトガル領では長い間、解放独立闘争が続いた。

 第三の課題で近年ますます深刻化しているのが、エイズ等の感染症問題です。国連(UNAIDS)の発表では、99年末での世界のエイズ罹患者3400万人のうち、なんと3分の2に当たる2500万人がアフリカです。ただし、これはあくまでも公表数字であり、実数はこれを遙かに上回っている事は確実です。1990年から2000年の間で、南部アフリカの多くの国では、エイズのために平均寿命が50歳台から40歳台へとほぼ10歳短くなっており、更に今後、アフリカ人全体の平均寿命を20歳短縮するとの予測すらあります。国によっては、成人のエイズ罹患率が30%を上回っている例があります。ここまで来ると、国家、社会の存続それ自体が問われている訳で、エイズ問題こそは最大の安全保障問題になっています。

(冷戦終焉後、ますます深刻化するアフリカ問題)

 アフリカほど、冷戦構造により、また冷戦終焉により翻弄された地域は無いのではないでしょうか。先程ご紹介したアンゴラUNITAを巡る米国の対応の変化は、この間の事情を雄弁に物語るものと言えましょう。また、2~3ヶ月前、韓国外務省とアフリカについての協議をしましたが、冷戦時代には北朝鮮対策から、アフリカに27の大使館を置いていたのが、現在は僅か9大使館にまで減らしているとのことでした。

 冷戦終焉後のアフリカについては、そのMARGINALIZATIONの危険性が心配されています。若干聞き慣れない言葉かもしれませんが、周辺化あるいはもっと端的に「世界から忘れられてしまうこと」とご理解ください。
 例えば、開発援助。アフリカの1人当たりODA受け取りは、90年には32ドルであったものが98年には19ドルへと減少しています。DAC諸国の二国間ODA全体に占めるアフリカ向けのシェアも、89年の22%をピークとして漸減し、98年には16%へと大幅に低下している。この背景としては、第一に、もともと対アフリカ援助は東西冷戦を背景とした両陣営からの援助合戦の要素が強かったものが、冷戦終焉後、アフリカの戦略的価値が低減したこと。第二に、冷戦終焉後、東欧や中央アジアへの援助需要が高まり、アフリカにとっての競争相手が登場したこと、の2点が指摘されています。加えて、いくらODAを注ぎ込んでも改善しないアフリカの状況の前に、援助国全体に「援助疲れ」減少が出ていることが根底にある。

 紛争についても、実は冷戦終焉後、むしろ活溌化している現実がある。紛争の発生数は、60年代6件、70年代5件、80年代6件と推移してきたものが、冷戦終焉後の90年代には15件へと急増している。イデオロギー対立が終焉した後、民族対立、地域紛争が顕在化した典型例がアフリカと言えましょう。
 紛争の激化の一方で、当然、アフリカの指導者側にも危機感は強く、ザンビアのチルバ大統領は、「現在、アフリカの最大の課題は、紛争を終息させて、発展への道へ向かうことである。そうでなければ、アフリカは世界から忘れられてしまう。」と述べています。本年6月のエティオピア・エリトリア間の休戦合意樹立に際しては、アフリカ統一機構(OAU)が中心的役割を果たしましたが、紛争解決へのアフリカの自助努力の高まりの背景にも、アフリカ自身の危機感があります。

 冷戦の終焉はまた、「敵はいなくなったが、回りじゅう競争相手だらけ」と言う世界を現出し、市場経済と民主主義のもとで世界的規模での競争を求められるグローバリゼーションの時代を生みました。そして、IT革命がこの世界的規模での競争を加速化し、世界をIT技術を有するものと有しないものとに二分するがごとき事態を現出しているわけです。本日の話の最初に、「アフリカは経済で世界の1%、ITで0.25%の存在」と申し上げましたが、まさにこの分野でも、このまま行けばアフリカは世界から忘れられた存在になる事が懸念されます。

(国際社会にとってのアフリカ)

 この様に問題山積のアフリカですが、国際社会としてどう対応すれば良いのでしょうか。結論から言えば、「アフリカ問題の解決なくして21世紀の世界の安定と繁栄はない」と考えます。
 第一に、世界の国数の4分の1を占めるアフリカの圧倒的な政治的存在の大きさがあります。仮にアフリカが精々数カ国程度の存在であれば、或いは上手に無視することも出来るかもしれません。しかし、構成の4分の1が不満と疎外感を有する社会が安定するわけがありません。冷戦後の唯一のスーパーパワーたる米国の意向を無視して世界をマネージ出来ないのも現実ならば、世界の4分の1の不満分子を無視して世界の安定と繁栄を期待できないことも現実です。
 第二に、開発問題、紛争そしてエイズ問題にしても、いずれも人類共通の課題と言った性格の問題です。体調が悪いときは歯だとか腹だとか、その人の一番弱い部分に出てくると言われますが、いわばアフリカと言う一番脆弱な部分に出てくると言えましょう。これだけ交通、通信の発達した時代にこういった問題をアフリカのみに閉じこめておくことは出来ません。
 第三に、現在のアフリカ問題の淵源が、奴隷貿易、植民地支配にまで遡るのであれば、アフリカ問題は人類の負の遺産とも言うべき性格を有しています。勿論、日本はこの点で手を汚していないのですが、欧州にとってアフリカ問題が道義的問題と言われる所以です。

II 日本の対アフリカ政策

(日本とアフリカとの関わり)

 それでは、以上にご紹介したアフリカ問題に、わが国として、これまでどう関わり、また今後如何に取り組むべきかが、次のテーマになります。
 日本とアフリカの関係史を述べるのが目的では無いのですが、少しだけ脱線いたします。アフリカとの最初の出会いは、1581年、イエズス会巡察師バリニャーノが本能寺で織田信長を表敬した際、アフリカの黒人を伴った事とされています。研究ではモザンビーク出身のアフリカ人と推定されています。その後、天正少年使節のモザンビーク滞在、万延元年幕府使節団のアフリカ経由などの出来事がありましたが、詳細は省きます。
 日本人も結構昔から海外で活躍していたのだな、と感心するのは、赤崎伝三郎とバルティック艦隊のエピソードです。1904年当時、遠くマダガスカル島にまで、一稼ぎするために天草出身の日本人が上陸し、ディエゴ・カオス港で酒場を開いている。この人が赤崎伝三郎その人で、丁度その頃、日露戦争で有名なロシアのバルティック艦隊がこの港町に停泊し、早速、赤崎はボンベイの日本領事館武官にその旨をモールス信号で報告し、日本海軍はいち早く敵の所在を把握できた訳です。この赤崎と言う人は余程商才に恵まれていたとみえて、オテル・デュ・ジャポンという名のホテルを経営し成功を収めている。
 1927年から翌28年までガーナに滞在し、黄熱病の研究に従事した野口英世は、あまりにも有名ですので、彼の業績を記念した野口英世研究所なる施設が日本の協力でガーナ大学に構内にでき、日本の派遣専門家の指導のもと感染症研究が続けられている事実のみをご紹介しておきます。

(初の在アフリカ大使館開設)

 今ご紹介した様にエピソードは幾つかはあるのですが、対アフリカ外交の出発点となったのは、1958年の在エティオピア大使館の開設でした。どういう訳か、後でご説明するように対アフリカ外交の節目は8の付く年になっています。次いで、翌59年には戦後のアフリカ独立の第一号となったガーナに大使館を開きましたが、アフリカの年、1960年時点をとっても、わが国のアフリカに於ける在外公館網は大使館4(ナイジェリア、コンゴーが加わる)、領事館2(南ア、ケニア)の僅か6公館体制でした。その後、徐々に大使館網も拡大はしますが、日本外交にとっても、国連での票集め以外は、アフリカまで十分な関心を払う余裕はなく、アフリカにとっても日本は新参者でしかなかった時代が70年代まで続きます。いわば、対アフリカ外交の初期段階と言えましょう。

(3段階に及ぶ対アフリカ外交の展開)

 私は、わが国の対アフリカ外交の第一段階は、対アフリカODAが本格化した1978年以降だと考えます。1978年は、第一次ODA倍増計画の初年度です。この年を境として、アフリカに対するODAが飛躍的に拡大していきます。このODA3年倍増計画の目標年である80年を74年と比較すると、対アフリカ二国間ODAは、量で46百万ドルから223百万ドルへと5倍に急増し、対世界比シェアでも6%から11%へとほぼ倍増しています。以降、対アフリカ二国間ODAのシェアは概ね11から12%を維持し、ODA全体の伸びに合わせ順調に拡大し、第四次ODA中期計画の初年度たる88年には884百万ドルと80年当時の4倍の規模に膨らんだ次第です。
 1978年当時、私は経済協力局で技術協力を担当していましたが、特にアフリカに対する特別の援助政策があったわけではなく、ともかくODAの量的拡大を図る中で、援助ニーズのあるところにODA供与をしてゆく中で、結果としてアフリカへのODAが飛躍的に拡大していった、と言うのが実状でした。そして、気が付いてみるとアフリカの多くの国で日本がトップドナーになっていた事を発見した訳です。いつの間にか,ODAを媒介として日本はアフリカに深く関わって来た次第です。

 第二段階は、1988年からで、紛争解決への協力が本格化しました。それまでの日本のアフリカへの関わりは、専らODAを通ずる協力に限られてきたのですが、1988年を境にしてODAに加え、紛争解決への協力が開始されます。この年、当時の竹下総理がロンドンで政策スピーチを行い、「国際貢献策」を発表した。この中で、従来のODAに加え、平和のための協力、国際文化協力の3本柱を立てました。当時、ゴルバチョフの登場でソ連が変貌を遂げつつある中で、冷戦構造が崩壊を始め、米国内でも「悪の帝国ソ連」に代わり、「米国にとっての真の脅威は日本」との類の論評が盛んになって来ていた時です。また、「顔の見えない日本」との批判もよく聞かれました。経済以外の分野での国際貢献が求められていた訳です。
 この政策スピーチ発表の翌年、1989年にはアフリカでの紛争解決のために初めて人的派遣が行われました。国連ナミビア独立支援グループへの選挙監視要員27名の派遣です。この時、団長を勤めたのが、在ペルー大使館人質事件で有名になった青木大使です。その後、92年のアンゴラ、97年のリベリアと紛争解決の一環として、わが国から選挙監視要員を派遣しています。93年には、アフリカに初めて自衛隊員の派遣が実施されました。国連モザンビーク活動への67名の自衛隊員派遣です。翌94年には、ルワンダに401名の自衛隊員が派遣されている。
 この様な人的派遣の面での貢献に加え、わが国は資金的貢献も積極的に実施しており、大湖地域紛争が深刻化した94年以降2000年3月までの間に資金貢献した額は、6億ドルを上回ります。その中心になるのは難民対策と食料援助ですが、OAU平和基金への145万ドルの拠出など和平プロセスの直接支援、及び地雷除去への協力も含まれます。更に、知的貢献と称して、95年の国連との共催による「アフリカ紛争セミナー」開催以来、数々の国際セミナーを開催してきています。わが国は、青木在ケニア大使をアフリカ紛争大使に任命し、紛争当事国への直接の働きかけをしていますが、その他様々な政治レベルで和平への働きかけをし、政治的貢献にも努めているしだいです。

 私は、1998年の第二回東京アフリカ開発国際会議、TICAD IIの開催により、現在、第三段階に入っていると認識しています。TICAD I の開催は1993年ですので、93年以降と言うべきなのかもしれません。しかし、開催することに意義があったTICAD Iと異なり、TICAD IIは、日本が国際会議を主催した事に加え、アフリカ開発戦略の策定と言う政策面で世界をリードした点で、新しい段階を開いたものと考えます。

(日アフリカ関係の現状)

 それでは、日本外交にとって、「何故、今アフリカなのか」について一緒に考えてみましょう。その前に、日本・アフリカ関係の現状を概観してみたいと思います。
 98年単年度で見ると、アフリカはわが国の対外貿易、対外投資とも、僅か1%の存在でしかありません。正確には、輸出入とも、アフリカは1.1%のシェアを有するだけですが、約半分は南ア相手(輸出で0.5%、輸入で8%)ですので、残るアフリカ全部で0.5%程度と言うことになります。投資も1.1%のシェアですが、この90%は便宜置籍船制度を持つリベリア向けですので、その他のアフリカは殆ど無視しうる額になってしまいます。
 人的交流を見ると、99年現在のアフリカ在留邦人は僅か4800人です。私が、かって総領事をしていたデトロイト市の在留邦人数5000人にも及びません。管轄していたミシガン、オハイオ両州の在留邦人数は1万3千人でした。しかも、南アのみで1500人居るので、その他アフリカは全部で3000人超です。他方で、在日アフリカ人数は 4300人とほぼ同じレベルにあります。
 この様に、低い人的交流のレベルではありますが、心強いのはJICAベースの技術協力です。特に、青年海外協力隊は98年までの累積で6000人にも及びます。97年時点でアフリカに配属になっている協力隊員数が1000人。南アにはまだ派遣を見ていないので、南ア以外のアフリカ在留邦人数3000人のうち、3分の1が協力隊員という計算になります。その他、累計ベースで専門家派遣が4000人、研修員受け入れが1万5千人。ODA中心の対アフリカ関係を象徴する数字です。
 こうした疎遠な関係は、世論調査の上にも出てきます。平成元年以来、総理府の「外交に関する世論調査」にもアフリカについての質問が設けられています。「アフリカ諸国との関係を深めるべきか」との質問に対し、平成元年では「現状程度で良い」が41%、「関係を深めた方が良い」が37%、とほぼ並んでいたのですが、年々両者の差が開き、平成9年度では、「現状程度で良い」が49%、「関係を深めたほうが良い」は33%に落ちています。また、平成11年度の調査では、「アフリカに親しみを感じるか」との質問に対し、70%弱が「親しみを感じない」、20%弱が「親しみを感じる」と回答しています。

(対アフリカ外交の正当化事由)

 「一国の外交は所詮その国の国民意識の投影」、であるとするならば、この様な現実の下で対アフリカ外交の必要性を国民にどう説明すれば良いのか、が問題になります。日本の隣国アジア、日系人のいる中南米、石油依存の中東、と言った分かり易い関係がアフリカには見当たりません。
 これまで、こうゆう場合には大体、国連での票、人道的配慮、資源、将来の経済関係の4点が正当化事由として使われてきましたが、私自身は納得していません。国連の票取りに大票田たるアフリカの支持が必要なことは、私自身、ついこの前までUNESCO事務局長選挙で松浦候補を担いで選対事務局長役をしていましたので骨身に沁みているところです。しかしその為だけならば、選挙の時だけ票を持っている国に援助をばらまくなり、首都詣でをすれば良いわけです。人道的配慮は、アフリカに歴史的責任を有しない日本としては欧州にお付き合いする程度で十分です。アフリカの資源確保については、そもそも石油の対中東依存の様な状況にありません。アフリカの産出量シェアが高い鉱物資源としては、例えば白金の76%、クロム鉱の63%、バナジウム鉱の46%、ダイヤの41%等がありますが、どれもが一国の経済を左右するような戦略性はありません。それでも、冷戦時代は希少金属の戦略性が喧伝された事もありましたが、冷戦終焉後は市場でいくらでも購入できる訳です。将来の経済関係と言っても、日本経済にとって1%の存在にしか過ぎない現状からすれば説得力はありません。

 結局、わが国にとってアフリカは、日本が国際社会にあって、真にグローバルな役割を果たして行ける国であるか否かを示す試金石であると確信しています。その意味で、もし日本がアジア太平洋地域のリージョナル・パワーに止まる事をもって良しとするならば、程々に付き合うだけで良い地域でしょう。現に、70年代の対アフリカ政策はそうでした。しかし、日本が、国際社会の責任ある有力国としてグローバルな役割を担うのであれば、アフリカを避けるわけにはゆきません。グローバル・パワーの資格は、特定の地域だけではなく、およそ世界の主要の地域問題に対しては主体的に取り組み、責任を果たして行く意志と能力を有しているかに掛かっているものと考えます。しかも、既にお話したように、一方において、アフリカ問題こそは「21世紀の世界の安定と繁栄」の鍵を握る問題であり、他方に於いて、日本は、アフリカに対し欧州が負う様な歴史的責任を有しないだけに、アフリカ問題への取り組みは、明確な形で日本外交にとっての試金石になるものです。

 既に、日本の対アフリカ外交の推移につき、78年以来のODAの飛躍的拡大、88年以来の紛争解決への協力の展開に言及しましたが、昨今のエイズの深刻化に鑑み、私は、今後の対アフリカ外交の柱は、ODA、紛争解決、エイズ等の感染症対策の3点と考えています。連続講義であれば、次回、次次回と、その一つ一つの柱につき今後の課題と取り組みをお話しするのですが、既に持ち時間も大幅に超過していますので、ここで終わりたいと思います。
 御静聴ありがとうございました。

「日本とアフリカ」表紙

 アフリカ地域の現状や日本とアフリカの関係、アフリカ開発会議(TICAD)等について分かりやすく紹介したパンフレットです。(2023年3月作成/A4版/20ページ)

 なお、下記をクリックするとPDF形式で内容をご覧いただけます。

 


ネット銀行とは

2025年01月11日 12時14分34秒 | その気になる言葉

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溝口 麻衣

この記事を書いた人溝口麻衣

Hayakawa所属のチーフライター兼編集者。auじぶん銀行と住信SBIネット銀行の住宅ローンについての調査と記事執筆を担当。
わかりやすく、ちょっとした気付きのある記事を目指し、日々原稿を執筆している。2級FP技能士取得。

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auじぶん銀行 住宅ローンの評判は?金利や審査のポイントも

auじぶん銀行が提供する住宅ローンの評判は?住宅ローンの特徴や、直近1年間の金利の推移、審査の基準など、auじぶん銀行の住宅ローンを利用する際に押さえておきたいポイントをわかりやすく解説しています。

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住信SBIネット銀行住宅ローンの評判(金利と審査のポイント)

住信SBIネット銀行住宅ローンの金利・審査のポイント・ユーザーの評判は?住信SBIネット銀行住宅ローンの強み・特徴について徹底解説。

住宅ローン金利を比較

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住宅ローンを選ぶ際、一番最初にチェックするのは、借り入れる(借り換える)際の住宅ローン金利でしょう。
はじめに、住宅ローン金利の面から、auじぶん銀行と住信SBIネット銀行の住宅ローンを比較していきます。

以下は、auじぶん銀行と住信SBIネット銀行が提供する住宅ローンの2025年1月の「変動金利」、「2年固定」「10年固定」「20年固定」「30年固定」の金利を比較したものです。

auじぶん銀行と住信SBIネット銀行の住宅ローン金利を比較(2025年1月)


auじぶん銀行 住宅ローン ※1

住信SBIネット銀行 住宅ローン
(WEB申込コース)
変動金利(新規借り入れ)
0.479%
※全期間引下げプラン
0.448%
※通期引下げプラン
2年固定(当初期間引下げプラン)
1.090% 0.983%
10年固定(当初期間引下げプラン)
1.365% 1.383%
20年固定(当初期間引下げプラン)
1.945% 1.803%
30年固定(当初期間引下げプラン)
2.360% 1.853%
  • 金利は年利表記です
  • 審査の結果によっては保証付金利プランとなる場合があり、この場合には上記の金利とは異なる金利となります。 金利プランが保証付金利プランとなる場合は、固定金利特約が3年、5年、10年に限定されます。

auじぶん銀行と住信SBIネット銀行の変動金利を比較

インタビュアー

いずれも年0.5%を切る低水準の住宅ローン金利を実現

変動金利の水準は、0.5%前後が低金利の目安。この点から見ると、auじぶん銀行も住信SBIネット銀行も、平均的な水準を大きく下回る住宅ローン金利を実現しています
「新規借り入れ」か「借り換え」か、またキャンペーンの有無等によって、auじぶん銀行と住信SBIネット銀行とで適用金利に若干の差はあるのもの、いずれの金融機関でも、他の金融機関と比較して、低金利で住宅ローンを組めることに間違いはありません
特に、変動金利での住宅ローンの新規借り入れ・借り換えを検討している場合、auじぶん銀国と住信SBIネット銀行は、ぜひチェックしておきましょう。

なお、変動金利は定期的に見直されます。住宅ローンを借り入れる時期によって、auじぶん銀行と住信SBIネット銀行とで、適用金利のより低い金融機関が異なるので、できるだけ低い金利での借り入れを希望する場合は、auじぶん銀行と住信SBIネット銀行それぞれの直近の金利推移を確認しておくと安心です。

auじぶん銀行と住信SBIネット銀行の当初固定金利を比較

インタビュアー

固定期間によって、住宅ローン金利の有利な金融機関が異なる

当初固定金利に関しては、auじぶん銀行と住信SBIネット銀行の住宅ローンを比較すると、 固定期間によって、住宅ローン金利の有利な金融機関は異なります。
例えば、「当初2年固定」「当初30年固定」であれば、住信SBIネット銀行に優位性がありますが、「当初10年固定」「当初20年固定」に関しては、auじぶん銀行に軍配が上がります

また固定期間によっては、2つの金融機関で金利差のほとんどないケースもあれば、適用金利が大きく異なる場合も。
当初固定金利は、借り入れ期間によって、金利水準が大きく異なります。当初固定金利を利用する際は、まず当初固定で住宅ローンを組む期間を決め、その上で、auじぶん銀行と住信SBIネット銀行の住宅ローン金利を比較すると良いでしょう。

auじぶん銀行では「au金利優遇割」を提供!

auじぶん銀行では、住宅ローンと「au回線」「じぶんでんき」をセットで契約すると、住宅ローン金利を最大年0.1%優遇する「au金利優遇割」を提供。もともと低水準の住宅ローン金利を実現していますが、この「au金利優遇割」を利用すると、より有利な条件で住宅ローンを組むことができます。
auじぶん銀行の住宅ローンを検討する際は、「au金利優遇割」についても併せてチェックしておきましょう。

特典を考慮して住宅ローンを選ぶのもおすすめ

金利の低さを重視して、住宅ローンを選ぶのも方法ですが、特典を考慮して、住宅ローンを選ぶのもおすすめです。数ある住宅ローンのなかには、auじぶん銀行や住信SBIネット銀行ほど住宅ローン金利は低くないものの、特典が充実しており、サービス全体をトータルで見るとお得度の高い住宅ローン商品があります
金利だけではなく、その他の特典も考慮して、住宅ローンを選びたいと考えている方は、下記でご紹介する住宅ローンの情報も併せてチェックしておきましょう。

イオン銀行 住宅ローンの特徴
  • 「イオンでの買い物が毎日5%OFF」になるサービスが受けられる「イオンセレクトクラブ」の利用等、住宅ローン契約者限定特典が充実
  • 変動金利は最大1.85%、固定金利は最大1.6%、完済するまで(※固定金利の場合は、固定期間終了後から完済するまで)店頭表示から住宅ローン金利を割り引く優遇金利を提供
  • Webと店舗の両方で、住宅ローンに関する相談・申し込みに対応
金利 ※2025年1月実行金利
変動 0.53(物件価格の80%以内での借り入れの場合)
  • 新規借り入れの場合
変動 0.53(物件価格の80%以内での借り入れの場合)
  • 借り換えの場合

裏アカウント(裏アカ)

2025年01月11日 11時31分30秒 | 社会・文化・政治・経済

TwitterやInstagramの裏アカウントを作っている若者は少なくありません。

複数のアカウントを用途に合わせて使い分けることで、SNSをもっと楽しむことができるのです。

しかし裏アカの使い方に失敗すると、人間関係に悪影響を及ぼす場合があります。

この記事では、裏アカを持つメリットやデメリット、裏アカウントの作成方法を解説します。

裏アカを作ってみたいという人は、ぜひ参考にしてください。

裏アカウントを作ることには、次のようなメリットがあります。

 

自由に投稿できてストレス発散になる

本来のアカウントは友人や知人がフォローしているので、ネガティブなことや自分のイメージが崩れてしまいそうなことは気軽に投稿できません。

しかし裏アカは匿名性の高いアカウントなので、自分の思っていることを自由に投稿できます。

日頃我慢している愚痴をたくさん吐いたとしても、知り合いにドン引きされることはありません。

本来のアカウントに投稿すれば友人に非難されそうなことも、裏アカウントであれば自由に投稿できるのでストレス発散になります。

 

動画&画像のストレージとして活用できる

動画や画像が多すぎて、スマホに保存できなくなったとき、裏アカウントをストレージとして活用することが可能です。

裏垢に動画や画像をアップし、スマホ本体から削除すれば、撮影したコンテンツを保存できずに困ることはありません。

ハッシュタグをつけておけば、見たい画像を探すのも簡単。

見られて困る画像や動画を保存するのであれば、非公開にしておきましょう。

 

新しい人間関係を構築できる

裏アカウントを作れば、新しい人間関係を構築することができます。

身近に気が合う人がいなくても、SNSを使えば自分と似た人とつながることができるでしょう。

たとえば、オタクと呼ばれるような趣味を持つ人は、本来のアカウントでマニアックな投稿をしても周りの反応はイマイチなはずです。

もしかしたら趣味を理解してくれない人が否定的な反応をするかもしれません。

ところが趣味専用の裏アカウントを作れば、身近な人たちのリアクションに恐れることなく趣味友探しができます。

裏アカによって、趣味の話で盛り上がる仲間を作れるでしょう。

 

アカBANによってフォロワーを失わずに済む可能性がある

TwitterやInstagramのポリシーに反した投稿をしている人は、アカBAN(アカウント停止)になる可能性もゼロではありません。

万が一、垢BANになったときのため、裏アカをフォローしておいてもらえばフォロワーを一気に失わなくて済みます。

 

裏アカウントを持つデメリット

裏アカウントを持つことにはデメリットもあります。

大きなトラブルに発展するケースもあるので注意しておきましょう。

 

アカウント管理がめんどくさくなる

思っていることを自由に投稿できる裏アカウントは、自分を解放できる憩いの場となります。

しかし、そうしたアカウントが増えることで、単純に管理するのがめんどくさくなるケースがあるのです。

「この投稿は本垢」「この投稿は裏アカ」など、投稿内容によっていちいちアカウントを切り替えるのは、意外とめんどうに感じるでしょう。

アカウントが増えるほど、裏アカが憩いの場ではなくなるかもしれません。

 

本垢での誤爆で知人と気まずくなる恐れがある

裏アカを持つと、アカウントを切り替えるのを忘れて、誤爆してしまう可能性があります。

裏アカのつもりで同僚の悪口を投稿したら本垢だった…なんてときは、顔が真っ青になってしまうでしょう。

また、周りに知られたくない趣味用のアカウントを作っている人は、本垢で誤爆すると「そんな趣味が!?」と知人に知れ渡り、気まずくなる恐れがあります。

誤爆はこれまでに積み上げた信頼やイメージを一気に崩すリスクがあるため、投稿前には必ずアカウントを確認しておきましょう。

 

SNS依存に拍車がかかる

裏アカを複数作れば、それぞれのアカウントで人間関係を広げることが可能です。

SNSは気軽につながれるツールなだけに、コツさえ掴めばどんどんフォロワーを増やすことができるでしょう。

刺激を与えてくれるSNSの使用は楽しいですが、複数のアカウントを持てば管理に時間を取られます。

その結果、SNS依存に拍車がかかることになるのです。

 

裏アカウントの作成方法

 

使い方に注意すれば、裏アカウントを作ることで日々の生活がより充実するでしょう。

ここからは、Twitter・Instagram別に裏アカの作成方法を紹介します。

 

Twitterの場合

スマホアプリでTwitterの裏アカウントを作成する手順は、次のとおりです。

  1. iOS版アプリはメニュー画面右上の「⋯」ボタン、Android版アプリは右上の「v」ボタンをタップし、「新しいアカウントを作成」を選ぶ
  2. 名前・メールアドレス・生年月日を入力して「次へ」をタップする

※電話番号の枠をタップすると、メールアドレスの入力が可能になる

  1. 「環境をカスタマイズする」という画面で「次へ」を押し、次の画面で「登録する」をタップする
  2. 登録したメールアドレスに認証コードが送信されるので、Twitterアプリの画面にコードを入力して「次へ」をタップする
  3. パスワードを設定して「次へ」をタップする
  4. プロフィール画像と自己紹介文を設定する

※「今はしない」をタップすれば、後で設定可能

  1. 「連絡先を同期する」「今はしない」のどちらかをタップする

※裏アカウントを知られたくない場合は「今はしない」を選択する

  1. 興味のあるトピック・おすすめアカウントの画面では、必要に応じて選択した後「次へ」を押すか「今はしない」をタップする

これで裏アカウントの作成完了です。

 

Instagramの場合

スマホアプリでInstagramの裏アカウントを作成する手順は、次のとおりです。

  1. Instagramのプロフィールページを開き、右上にあるメニューアイコンをタップする
  2. 「設定」をタップする
  3. 「アカウントを追加」をタップして「新しいアカウントを作成」を選ぶ
  4. ユーザーネームを入力して「次へ」をタップする
  5. パスワードを入力して「次へ」をタップする
  6. 「登録完了」をタップする
  7. Facebookの友達を検索・連絡先を検索の画面が表示されたら「スキップ」をタップする
  8. 「写真を追加」または「スキップ」をタップする
  9. 右上の「次へ」をタップする

これで裏アカウントの作成完了です。

 

裏アカウントが知り合いにバレるのはなぜ?

裏アカウントの存在を内緒にしていても、知り合いにバレてしまうことがあります。

バレる理由には、次のようなものがあります。

  • 本アカと似たアカウント名にしている
  • 本アカと同じ画像を使っている
  • 個人を特定されるような内容を投稿した

このような行動から、知人に裏アカバレる可能性があるので注意しましょう。

 

裏アカウントが周囲にバレないための対処法

 

裏アカウントは知り合いにバレる可能性があるため、バレたくない場合は次のような対処法をとりましょう。

 

個人情報がバレるような投稿はしない

勤め先や自宅近くの写真など、個人が特定できるような投稿によって裏アカウントが周囲にバレる可能性があります。

友達と行った店や会話などは、同席した友達が見たらすぐに裏アカアカであることがバレてしまうでしょう。

個人情報がバレるような投稿をすると誰かに気づかれる危険性があるため、気をつけてください。

 

本アカと裏アカの相互フォローはしない

自分の投稿がどのような見え方をしているか確認するため、本アカと裏アカを相互フォローする人もいるでしょう。

しかし、どのようなアカウントをフォローしているかは簡単に確認できるため、投稿内容によっては裏アカということがバレるかもしれません。

Twitterであれば、本垢のリツイートや「いいね」もやめておいた方がよいでしょう。

本アカと裏アカは関連を持たないようにしておくことで、バレるリスクを下げられます。

 

非公開設定にして使用する

検索機能によって知人に裏アカの存在がバレることもあります。

バレるリスクを下げるためには、アカウントを非公開設定(鍵アカ)にしておきましょう。

非公開設定にしておけば、知人に見つかることがなく安心です。

 

裏アカウントの使い方次第で人生が豊かになる場合がある!

裏アカウントを作ることで、趣味の友達を作ったり、本音を投稿してストレス解消できたりします。

交友関係が広がり、人生が豊かになる場合もあるでしょう。

ただし、周囲の人に裏垢の存在を内緒にしたい場合は、十分な注意が必要です。

個人情報がバレるような投稿にはくれぐれも気をつけてくださいね。

 

まとめ

  • 裏アカウントは、メインで使用するアカウントとは別に設けたサブアカウントのことを意味する
  • 裏アカウントを持つメリットには、自由に投稿できてストレス発散できることや動画などのストレージとして活用できること、新しい人間関係の構築などがある
  • 裏アカウントを持つと、本垢の投稿が疎かになったり本垢での誤爆で知人と気まずくなったりする恐れがある
  • 裏アカウントが知り合いにバレる理由として、本垢と似たアカウント名を使うことや、個人を特定できる内容の投稿などが挙げられる
  • 裏アカウントが周囲にバレないようにするには、本垢と裏垢の相互フォローをしないことや非公開設定にすることがポイント

 

 Twitterで裏アカ女子として卑猥な画像を送ってお金を稼ぐのは犯罪ですか?

ベストアンサー

モザイクがかかっていない,又は不十分であれば,わいせつ図画記録・記録媒体頒布罪となります(刑法175条)。 また,たとえモザイクがかかっていたとしても,未成年者の画像であれば,児童ポルノ提供罪に問われますし(児童買春・児童ポルノ禁止法7条2項), 不特定者又は多数の者に対して提供した場合は,児童ポルノ公然陳列罪に問われます(同法7条5項)。
また,買った方も児童ポルノ単純所持罪となります(同法7条1項)。 なおこれらはいずれも,金銭目的であろうとなかろうと犯罪となります。

風俗スカウト 報酬約70億円受け取った疑い リーダー逮捕

2025年01月11日 10時25分46秒 | 事件・事故


逮捕されたのは、風俗スカウトグループ「アクセス」のリーダー、遠藤和真容疑者(33)で、警視庁によりますと、去年3月、24歳の女性を大分県内の性風俗店に紹介し雇用させたとして、職業安定法違反の疑いがもたれています。
また、このグループから女性の紹介を受けていた埼玉県川口市の性風俗店を摘発し代表の稲毛大樹容疑者(30)らを売春防止法違反の疑いで逮捕しました。
警視庁によりますと、「アクセス」には女性の紹介を受けた店から「スカウトバック」と呼ばれる報酬が支払われる仕組みになっていて、女性が100万円を売り上げた場合、「アクセス」側に15万円が支払われ、そのうち女性を勧誘したスカウトは7万円以上を受け取れるということです。
グループにはおよそ300人のスカウトが所属し、SNSで募集した女性を顔や体型などでランク分けしたうえで、全国のおよそ350店舗に紹介していたということで、去年までの5年間に受け取った報酬はおよそ70億円に上るとみられています。
警視庁は生活安全部に16年ぶりとなる特別捜査本部を設置し、組織の実態解明を進めることにしています。
調べに対し、遠藤容疑者は容疑を否認し、稲毛容疑者は認めているということです。

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創作 心の原点 4)

2025年01月11日 05時30分52秒 | 創作欄

佐野昭は、競馬にのめり込んだことを契機に、インサイダー取引にも加担することなるのだ。

昭は、勤務する出版社の社長小倉隆治の指示で、毎日、東京証券取引所へ通うこととなる。

皮肉にも、昭が最初に勤務した新聞社で担当したのが、株式の分野だった。

それは、言わば無機質な数字を追う日々であり、嫌気がさすばかりで仕事そのものにウンザリする。

昭が大学時代にのめり込んだ文学における「人間の心の機微」とは真逆の経済・金銭の世界であり、嫌気が差す。

昭は、インサイダー取引に加担したことで、競馬資金を得ることになる。

昭の情報によって、数千万円もの利益を得た経営者もいた。

経済専門の雑誌の編集者の昭は、夜の銀座や赤坂のナイトクラブでの接待を受け、帰りはハイヤーで自宅の千葉県柏まで送られる。

クラブを出る際には10万円入りの封筒を毎回のように手渡される。

その金の一部を妻に渡すことは一度もなかった。

妻は30歳の時に新宿の歌舞伎町で出会い深い中となった女だった。

妻の美香は6歳年下であり、偶然にも越後湯沢の隣町の生まれだった。

 

インサイダー取引とは、金融商品取引法166条以下の定めにおいて禁止されている不正な株式売買を指します
「インサイダー」は英語で「insider」と表記され、和訳すると「内部の人」や「社員」「会員」といった意味を持つため「内部者取引」とも呼びます。

上場会社の役員や従業員は職務を通じて、一般の投資家が知り得ない有益な情報の入手することができます。
この情報を入手できる一部の人物だけが、その情報を利用して、抜け駆け的に証券取引などを行って利益を得ようとすると、証券市場の信頼性は損なわれてしまいます。
したがって、金融商品取引法では、「上場会社の関係者などが職務や地位によって知り得た未公表の重要情報を利用して、自社株などを売買して、自己の利益を図ること」を、厳しく禁じているのです。

 


ガザ地区戦闘1年 死者は4万1000人超 戦闘はレバノンにも拡大

2025年01月11日 04時54分45秒 | その気になる言葉

パレスチナのガザ地区では、イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘が始まって1年となった7日も、イスラエル軍による空爆で市民に犠牲者が出ていると伝えられています。戦闘はイスラエルの隣国レバノンにも拡大していて、中東情勢の先行きはいっそう不透明になっています。

目次

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去年10月

1年前の10月7日に行われたハマスによるイスラエルへの大規模な奇襲攻撃では、およそ1200人が殺害されたうえ、251人が人質として連れ去られ、いまも101人が捕らえられたままです。

ハマスの壊滅と人質の解放を掲げるイスラエル軍は7日も、中部デルバラハにある病院内でハマスが活動しているとして空爆を行うなど、ガザ地区の各地で攻撃を続けています。

こうした中、イスラエル軍は9月下旬までに4万以上の標的を空爆し、1000以上のロケット弾の発射拠点を破壊したほか、殺害した戦闘員は推定でおよそ1万7000人に上る可能性があると発表しました。

一方、ハマスは7日、声明でイスラエル軍が凶悪な犯罪と虐殺を繰り返し、1年間で4万1000人以上を殺害し、そのほとんどが女性と子どもだと主張しました。

そのうえで「侵略と人々の苦しみを終わらせるための努力を続ける」などと述べ、イスラエル軍が完全に撤退するまで徹底抗戦を続ける考えを強調しました。

ガザ地区での死者について、地元の保健当局はこれまでに4万1909人が死亡したとしています。

一方、イスラエル軍はハマスに連帯を示す隣国レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラとの戦闘も続けていて、首都ベイルートなどへの空爆を繰り返しているほか、地上侵攻に踏み切った南部でも攻勢を強めていて、中東情勢の先行きはいっそう不透明になっています。

住民は国際社会の関心の低下を懸念

レバノンでの戦闘の激化など中東でのさらなる紛争の拡大が懸念されるなか、ガザ地区の住民からは国際社会の関心の低下を懸念する声も聞かれます。

南部ハンユニスで避難生活を続ける男性は「レバノン情勢に注目が集まり、私たちガザの住民のことはあまりニュースで取り上げられなくなっていると感じる」と話していました。

さらに、別の男性は「私たちは切実に停戦を求めている。すでに疲れ果て、もう限界を迎えている」と訴えていました。

ガザ地区 食料不足は深刻 炊き出しに長い列

 

ガザ地区の人々はイスラエル軍の攻撃で住み慣れた家を追われ、転々と避難生活を繰り返し、日々、命の危険におびえながら生き抜くための食事の確保に追われています。

国連機関は、イスラエル側の規制などの影響でガザ地区の食料不足は深刻なままで、9月は140万人以上の市民が食料配給を受け取ることができなかったと明らかにしています。

NHKガザ事務所のサラーム・アブタホンカメラマンが9月26日、ガザ地区南部のハンユニスで撮影した映像は、人々が支援団体の炊き出しに長い列をつくっていて日によっては4時間以上も待たなければならないといいます。

このうち、南部ハンユニスに暮らすアブドラ・アブシャムラさんの一家は、7人の子どもを抱え、炊き出しに頼った暮らしを続けています。

一家は去年10月、イスラエル軍の空爆によって大きく破壊された自宅で暮らしています。父親のアブドラさんは自宅に手作りの釜を作り、地域で暮らす人々に代わってパンを焼くことをなりわいとしていますが、得られる収入は少なく、家族を養うには十分ではないといいます。

この日も息子のアドハム君(11)が炊き出しの列にならび、もらった食事を家族で分け合って食べました。

 

アブドラさん
毎日、早朝からパンを焼くためのまきを探しています。ただ、得られる収入では子どもたちを食べさせることはできません。野菜などは高すぎて買えません。日々の食事は炊き出しに頼らざるをえません。

イスラエル軍の攻撃で50人近い親族が殺されました。子どもたちもけがをしました。本当につらく、あまりに多く人が亡くなり泣くこともできなくなりました。1日も早く戦闘が終わってほしいです。

イスラエル国内 軍事作戦の継続を求める声 根強く

 

国際社会からの即時停戦を求める声をよそに、イスラエル国内では戦闘開始から1年がたった今も、ガザ地区での軍事作戦の継続を求める声が根強くあります。

右派や極右政党は集会をたびたび開き、このうち9月19日のエルサレムの集会には数千人の支持者が参加し、政府は停戦交渉をせずにハマスの壊滅に向けてあくまで軍事作戦を継続すべきだと訴えました。

エルサレムに住む男性は「ハマスのメンバーが1人もいない状態にならなければ、勝利とは呼べません。どれほど時間がかかっても最後までやり遂げなければいけないのです」と話していました。

また参加した女性のひとりは「1万人、5万人のテロリストを殺そうと5000人の市民を殺そうと関係ありません。軍事作戦はさらに強力に続けなければなりません。ハマスに対してより強いメッセージを伝えなければいけません」と話していました。

軍招集の命令 拒否する若者も「軍事作戦は停止すべき」

イスラエル国内では強硬論が根強い一方、激しい軍事作戦でパレスチナ住民に甚大な犠牲が出ていることへの疑問から停戦を求める声も徐々に広がっています。

マイケル・オフェルジブさん(29)は、去年10月から12月までイスラエル軍の予備役の兵士としてイスラエル南部の基地を拠点にガザ地区内に展開する部隊や無人機攻撃を支援する任務にあたっていました。

このなかでオフェルジブさんは、作戦司令室のモニターで空爆の状況を連日見るうちにガザ地区で多数のパレスチナ住民が犠牲になっている状況に疑念を感じ始めたと言います。

当時の心境の変化についてオフェルジブさんは「50%の住民が避難して空爆が行われても、残りの50%は残っているということです。これだけの犠牲者が出ていて『どれだけわれわれは正しいのだろうか』と疑問に思い始めました」と振り返ります。

その後、イスラエル軍の作戦行動中のミスが相次ぎます。去年12月には誤って人質3人を射殺し、ことし4月には食料支援にあたっていた国際NGOのスタッフ7人を誤って攻撃して死亡させるなか、オフェルジブさんはもはや軍の任務に関わりたくないと思うようになりました。

そしてことし5月、同じ考えを持った予備役の兵士の仲間およそ40人とともに軍からの再度の招集命令には従わないとする公開書簡を発表しました。

ことし6月、オフェルジブさんは軍から再び招集の命令を受け取りましたが、収監されるリスクを省みず、命令を拒否しました。オフェルジブさんは「『イスラエルの軍事作戦は非常に倫理的だ』とする主張は大きな誤りで、軍事作戦は停止すべきだ。再び招集されるくらいなら収監されたほうがましだと考えました」と話します。

現在は停戦を求める集会に参加し、停戦と人質の解放に向けてハマスと即時合意すべきだと訴えていて「暴力はさらなる暴力を生むことは明らかです。この戦争は早く終わってほしいです。人は自分が信じるように行動すべきです」と話していました。

ガザ地区での戦闘 経緯

パレスチナのガザ地区でのイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘は、去年10月7日のハマスの奇襲攻撃をきっかけに始まりました。

ハマスがイスラエルに対して大規模なロケット攻撃のほか越境攻撃を仕掛け、およそ1200人を殺害したほか、人質としておよそ250人をガザ地区に連れ去りました。

去年10月

これを受けてイスラエル軍はハマスの壊滅と人質の解放を掲げて、その日のうちにガザ地区での軍事作戦に乗り出します。

激しい空爆を行うとともにガザ地区を完全に封鎖して電力などの供給も止め、水や食料も不足する中、人道状況が急速に悪化していきます。

10月下旬にエジプトとの境界にあるラファ検問所が開放され、支援物資の搬入が始まる一方、イスラエル軍はガザ地区での地上作戦に踏み切ります。

11月にはハマスの重要な拠点になっているとして、地区最大の病院「シファ病院」に突入するなど作戦を拡大し、国際社会から人道危機への懸念が高まります。

11月下旬にカタールなどの仲介で戦闘の休止が実現し、7日間の休止期間に人質105人が解放され、イスラエル側も刑務所に収容していたパレスチナ人240人を釈放しました。

軍事作戦を再開したイスラエル軍はガザ地区の北部に続き、中部や南部で地上作戦を進め、避難者が集まる学校なども空爆の被害が相次ぎます。

イスラエル軍は、ことし5月には多くの住民が避難していた地区の最も南のラファで地上作戦を始め、エジプトの境界沿いに広がる緩衝地帯「フィラデルフィ回廊」を制圧し、支援物資の搬入の拠点となっていたラファ検問所も閉鎖されます。

こうした中、アメリカのバイデン大統領はガザ地区での停戦に向けて3段階からなる新たな提案を発表し、断続的に協議が続けられました。

しかし、イスラエル側が「フィラデルフィ回廊」などでの軍の駐留の継続を求めたのに対し、ハマス側は完全撤退を求め、協議は難航し、いまも停滞したままです。

イスラエル軍は、先月南部のラファを拠点としていたハマスの4つの大隊すべてを壊滅させたとするなど成果を強調していますが、停戦の見通しが立たない中、ガザ地区での犠牲者は4万人を超え、今も増え続けています。


ガザ地区は第二のホロホースト

2025年01月11日 04時40分49秒 | 社会・文化・政治・経済

ガザと“ホロコースト生還者(サバイバー)” 殺りくはなぜ止まないのか

ガザと“ホロコースト生還者(サバイバー)” 殺りくはなぜ止まないのか
 

ガザ地区への攻撃を続けるイスラエル。

死者は2万5千人を超えました。かつて600万人が犠牲になったホロコーストを経験したユダヤ人国家は、なぜパレスチナの人道危機に目をつむるのか。

「国は正しい道を進んでいないのでは…」秘めた思いを口に出来ない“ホロコースト生還者”も。

イスラエルで今何が?

日本でも話題となったホロコーストサバイバーのドキュメンタリーを制作した監督インタビューや現地の生の声を取材。深層に迫りました。

出演者

  • 鶴見 太郎さん (東京大学准教授・ユダヤ史専門)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

イスラエルと"ホロコースト" なぜ殺りくはなぜ止まないのか

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:

先週金曜、国際司法裁判所はイスラエルに対して住民の大量虐殺などを防ぐため、あらゆる手段を尽くすよう暫定的な措置を命じました。
一方、ネタニヤフ首相は、われわれに対する大量虐殺の告発は誤りだとしてハマスの残虐行為はホロコースト以来、最も恐ろしいものであると、ここでも"ホロコースト"という言葉を使って攻撃を続ける意思を明確にしました。

ガザ地区での死者は、2万6,000人を超えています。なぜ、この深刻な人道危機を誰も止められないのか。イスラエル社会に根深く広がる心理に迫ります。

"ホロコースト"の記憶とは

2023年12月、東京で、あるドキュメンタリー映画が公開され、広く注目を集めています。

描かれているのはイスラエルにとってトラウマとされる"ホロコースト"の記憶です。

ダニエル・ハノッホさん
「私は人間を死に追いやる―"生産ライン"を見ていたのだ」

映画の主人公、ユダヤ人のダニエル・ハノッホさんです。12歳の時、アウシュビッツ強制収容所へ連行され、死体の運搬を担わされました。

ダニエル・ハノッホさん
「来る日も来る日も、目が覚めると死体を運ぶんだ。想像してくれ」

人間性と尊厳が徹底的に奪われた"ホロコースト"。当時のユダヤ人の3分の1にあたる600万人が虐殺されました。ハノッホさんの父親も収容所で犠牲になりました。

ダニエル・ハノッホさん
「父が私のすぐ近くで殺されたのだから…私はいまだに―この感情と折り合いがつかない」

映画を製作したオーストリア人の監督です。この強烈なホロコーストの記憶が、今のイスラエルの過剰な反応につながっているのではないかと指摘します。

映画監督 フロリアン・ヴァイゲンザマーさん
「(イスラエルの人々は)とても大きなショック、トラウマを受けていることを理解する必要があります。ナチスによって民族が絶滅に追いこまれようとしてから、まだ1世紀もたっていないのです」

一方、ホロコーストの記憶がガザへの攻撃を正当化するために使われているとして強い懸念を抱いています。

映画監督 クリスティアン・クレーネスさん
「パレスチナの人々をナチスに当てはめること、それは言語道断です。いま双方のプロパガンダが過激化して、平和を目指す考え方があっても真実が完全に覆い隠されています。私たちは時代の証言者の声に耳を傾けなければいけません。歴史を忘れてはいけないのです」

ガザへの過剰ともいえる攻撃を繰り返す、イスラエル。ホロコーストを生き抜いたサバイバーは、この状況を、どう見ているのか。

92歳になる、モシェ・クラビッツさんです。ホロコーストで父親を失い、家族は離散。クラビッツさんは身寄りがないままパレスチナに渡りました。

その手には今も、アウシュビッツで刻印された囚人番号の痕が残っていました。

取材班
「今のイスラエルをどう見ていますか?」
ホロコーストサバイバー モシェ・クラビッツさん
「イスラエルの現状?国は正しい道を進んでいません。これが私が言えるすべてです」

クラビッツさんの戦後の人生は、イスラエルの歴史と重なります。1948年、イスラエル建国に反発したアラブ諸国との間で戦争が勃発。クラビッツさんはイスラエル軍に入隊し、ある任務を命じられたといいます。

モシェ・クラビッツさん
「パレスチナ人の家を破壊しろと言われました。毎朝、ダイナマイトで爆破したんです」

この戦争で土地を追われ、難民となったパレスチナ人は70万に上りました。

その後、戦争のたびに支配地域を広げ、入植を進めていったイスラエル。かつてのパレスチナの街や通りは、ユダヤの名前に変えられ、人々は、ガザやヨルダン川、西岸などに追いやられました。

モシェ・クラビッツさん
「彼らの立場になって想像してみてください。この土地で生まれたのに、そこで生きることすら許されないのです。本来、パレスチナ人がこの地を諦める理由なんてありません。ここに根ざした人間なのですから」

パレスチナの苦難の歴史に思いを寄せる、クラビッツさん。それでも、今のガザについて「これ以上コメントできない」と語りました。

取材班
「ホロコーストサバイバーとして、思うことはないですか?」
モシェ・クラビッツさん
「状況はよくないです。みんな分かっています。…でも話したくないです。政府への批判はたくさんありますが、ここでは語るべきではないのです」

ホロコーストサバイバーですら沈黙を強いられる実情。背景にあるのは、ハマスの攻撃によって呼び覚まされた恐怖心と自衛の本能です。

「いますぐ全員解放を」

攻撃を受けてから100日となるのを前に開かれた、人質の解放を求める集会。参加者が口にしたのは、国際社会からの批判に対する強い反発でした。

取材班
「イスラエルがホロコーストと同じことをしているとの批判があるが?」
家族が人質にとられていた参加者
「ばかげています。本当にホロコーストだったらガザはすでに存在しません。無差別攻撃ではなく、爆撃の前にビラで知らせています」
参加者
「私たちがホロコーストをしている?冗談じゃない」
参加者
「世界はゆがめて物事を見ている」

今もガザで奪われ続ける命。多くの市民が、その痛みに背を向けようとするのはなぜなのか。

ホロコースト研究の第一人者で、ユダヤ人のモシェ・ジメルマン教授。教育を中心とした、イスラエルの国家政策によるものだと指摘します。建国から長い間、実はホロコーストサバイバーの存在は差別や軽蔑の対象とされてきたといいます。

ヘブライ大学 モシェ・ジメルマン教授
「『ナチスにやられたのは自分の弱さのせいだ』と言われるため、サバイバーは体験を語ることができませんでした」

ところが、戦争が繰り返されると国民を統合し、士気を高めるため、政府はその記憶を利用します。

「ホロコーストを2度と経験しないために相手を攻撃することは許される」

そう国民に浸透させたのは国による教育だったとジメルマン教授は指摘します。

モシェ・ジメルマン教授
「"私たちは犠牲者だから攻撃を受けたら何をしてもいい"。和平交渉よりも武力に行使するのが国のメンタリティーになってしまっています。ホロコーストの記憶を、攻撃を正当化する道具に変えていったのです」

今回、私たちが取材で出会った、この女性。ハマスの攻撃で、かつての交際相手を失いました。

その直後、軍への入隊を志願。アウシュビッツの囚人番号を模したタトゥーには、ハマスが来襲した10月7日を刻みました。国を守る決意を込めたといいます。

入隊を志願した女性
「ホロコーストがあったから、今、私たちがここにいるんです。『ユダヤ人は世界に散らばってはいけない』『自分の国がなければ危険だ』と理解できた。今も同じ状態です。パレスチナ人に国をあげたら、われわれはどこにいけばいい?ハマスの攻撃は恐ろしいほどホロコーストと似ています」
取材班
「ホロコーストサバイバーは周りにいますか?」
入隊を志願した女性
「家族にはいません」

自衛の意識が高まる今、異論を許さない空気が急速に広がっているといいます。

公立高校の歴史教師でユダヤ人のメイール・バルヒンさん。2023年11月、突然、自宅に警察の捜査が入りました。

高校教師 メイール・バルヒンさん
「寝室に入られ、クローゼットのものがすべて出され、床やベッドに散らばりました」

きっかけは、SNSの、この投稿。ガザへの攻撃が始まった直後、戦闘をやめるよう訴えました。すると職を解雇され、テロを正当化したなどとして反逆罪で逮捕。5日間、拘留されたのです。

メイール・バルヒンさん
「政府の政策に異論を唱える人には表現の自由がなくなっています。人生が完全にひっくり返ってしまいました」

教え子たちから復帰を求める声が寄せられ、1月、裁判所の裁定で復職が認められました。しかし、私たちが取材をした、この日から9日後、復職したときのことでした。

「兵士は殺されているんだ。恥を知れ。私の兄はガザで戦っているんだ。あんたが平和に暮らせるように」

一部の生徒から執ような非難が浴びせられ、今も授業を再開できていません。

メイール・バルヒンさん
「学校から出たあとも子どもから後頭部を殴られ、つばを吐かれました。周りには大人もいましたが、誰も止めようとはしませんでした。異論を脅威だと捉え、排除するためには手段を選ばなくなっています」

ホロコーストの記憶を背景に、ガザへの攻撃を支持するイスラエル社会。イスラエルに暮らすアラブ系の人たちは不安や憤りを募らせています。

ヘブライ大学のアラブ系学生
「何をするのも不安です。家の外に出たら、よからぬことが起きるのではないか、恐怖があります」
ヘブライ大学のアラブ系学生
「今こうして話している瞬間も本音を言えないんだ。僕らは民主主義国家で生きているのに、意見を公表しただけで、仕事を解雇されていいはずがない。イスラエルは民主主義のはずなんだ」

さらに、パレスチナ、ヨルダン川西岸地区の学生からは。

ヨルダン川西岸地区の学生
「元をたどれば1948年に戦争を始めたのは彼らです。10月7日のことだけでパレスチナ人を罰するのではなく、先にイスラエルを罰してください」
ヨルダン川西岸地区の学生
「ナチスが行ったホロコーストがいかに苦しいことであっても、イスラエルがそれを理由に私たちを迫害する権利はないのです。人間として人間をあやめてはいけない」

悲劇を止めるために 国際社会は何が

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、ユダヤ人とイスラエルの歴史に詳しい鶴見太郎さんです。

パレスチナの人たちは、かつてイスラエルに土地を追われたという苦難の歴史があると。そこに思いを寄せるイスラエルのホロコーストサバイバーの方がいましたが、口をつぐんでしまうと。
鶴見さんは何度もイスラエルに足を運んでいますけど、今の異論を唱えにくい社会の空気、どう映っていますか。

スタジオゲスト
鶴見 太郎さん (東京大学准教授・ユダヤ史専門)
ユダヤ人とイスラエルの歴史に詳しい

鶴見さん:
私が最初に長期的にイスラエルに滞在したのが2006年なんですけれども、その数年前まで連日のようにテロですね、いわゆる起きるということがあって、パレスチナ人との関係は悪くなっていたのですが、それでもイスラエル政府の政策を批判することで逮捕されるということはなかったですし、それなりには自由に物を言える雰囲気はあったと思いますので、今回はかなり違うなという感覚を受けています。

桑子:
なぜ、ここまでの事態になってしまっているのだと思いますか。

鶴見さん:
端的に言うと「被害者スイッチ」というものが入ってしまったということで。冒頭から"ホロコースト"というのがキーワードになっていますが、実はイスラエルを建国する源泉となった、力となった"シオニズム"という思想です。

これは19世紀の末から始まっていまして、"ポグロム"と呼ばれるユダヤ人に対する虐殺ですね。この事件が契機となっています。その後もポグロムは繰り返され、規模を拡大して1920年代に初めて、この武力紛争が、ここの地域で顕在化するのですけれども、その時にすでにポグロムが起こったとユダヤ人は言っているんですね。

桑子:
その時から被害者という意識が相当高まっていた。つまり、ホロコーストの前から高まってきているということですよね。

このホロコーストの記憶というのは、イスラエルの歴史の中で意味合いを変えて利用されてきたと、今回取材したヘブライ大学ジメルマン教授はおっしゃっていました。

具体的に言いますと、そもそもイスラエル建国の契機になったホロコーストというのは、当初は弱さの表れであるとして「軽蔑の対象」だったのです。
それが、アラブ諸国との戦争が繰り返される中で「国民を統合する」、まとめるために利用され、ひいては「攻撃を正当化する」ためにも利用され、それが今にもつながっているということです。

VTRでは腕にタトゥーを入れて国を守るんだと、強い決意を表す女性が出てきましたけれども、直接ホロコーストを経験してない若い世代でも、ここまで強く危機感を広く共有している。どうしてなのでしょうか。

鶴見さん:
3つぐらいありまして、兵役と教育と、あと世代の違いというのも関係してくると思います。
まず、兵役に関しては、イスラエルでは建国の時から女性でも2年間、兵役が課されていまして、そこで国を自分たちの力で守るという意識をたたき込まれる。
教育に関しても、流れの中で80年代から教育のカリキュラムとしてもホロコーストを体系的に教えるということが始まっています。
3つ目に、先ほどのサバイバーの世代では、イスラエルの建国の経緯、その過程でパレスチナ人が苦しんだということも一応知ってはいると。しかたない状況だったんだという言い方をする人が多いですが、ところが若い世代は、そこのことはあまり知らず、ホロコーストという被害の記憶だけが受け継がれてしまっているので、そこばかりを想起してしまうというところがあると思います。

桑子:
こう見ていますと、本当に当事者間だけでの問題解決というのは難しいのだろうと思うんですね。
となると、国際社会が役割を果たすべきですけど、なかなか手を打てていないと。これはどうしてだと見ていますか。

鶴見さん:
やはり負い目というのがあるかと思います。ホロコーストにしても、ポグロムにしても、その当事者であったヨーロッパの国々が、なかなか踏み込んで、この話題にいけないと。ユダヤ人の問題を、いわば中東に輸出したという形になっているわけです。

国の中には、例えばポーランドでは「ホロコーストにポーランド政府が関与した」ということを言っただけで、処罰されるという法律が最近作られるということもあるぐらい、ホロコーストに対する向かい方もかなり中途半端であったりするところがあります。
(※その後 2018年6月に法律が改正され最高3年の禁錮を科すなどとする罰則規制はなくなりました)

桑子:
どう悲劇を食い止めていけばいいでしょうか。

鶴見さん:
今回、改めて明らかになったのが「歴史的トラウマ」とでも言えるような、ことの重大さだと思います。
これは、ユダヤ人がずっと迫害をされてきた。ところが、その時も助けてもらえなかったし、その後もポグロムに関しては、ほとんどなかったことにされているわけです。ホロコーストに関しても、先ほど申し上げたような状況で非常に中途半端にしか対応されていない。
そういう中で、国際社会に対する不信感というのが非常に強いということで、なかなか国際社会の言うことを聞いてくれないということが根本にあるかと思います。

桑子:
それをまずはケアをしていくと同時に、パレスチナの人へのケアというのも必要ではないでしょうか。

鶴見さん:
今回、ガザの人々、その前からずっと長年にわたって苦しめられてきている、まさに歴史的トラウマが、そちらにも発生している状況をいかに補償していくか、ケアしていくかということが重要になってきます。
日本政府が、これまで支援をしてきたものをいったん止める決断を今回してしまいましたが、それはパレスチナ人をさらに孤立させることになりかねないということかと思います。

桑子:
ありがとうございます。歴史的トラウマという言葉もありましたが、今、過去のトラウマが新たなトラウマを生み出しています。これは止めなければいけません。最後は、ホロコーストを生き延びた映画の主人公、ハノッホさんからの問いかけです。

ホロコースト生還者 私たちへの"問いかけ"

映画の中で、ハノッホさんは、こう訴えかけています。

ダニエル・ハノッホさん
「残虐な行為は自ら止めるべきだ。自らを戒める機能が人間にはないのか。"俺は何をしてるんだ?"、"子どもや老人を殺すなんて"、"こんなことをして何になる?"と」
映画監督 フロリアン・ヴァイゲンザマーさん
「この言葉は、人間がいつか変わってほしいという、ハノッホさんが私たちに託した希望なのかもしれません」

ダニエル・ハノッホさん(91)は、イスラエルで健在でした。今もホロコーストの傷痕が刻まれています。

命をつないだことで、2人の子ども、5人の孫に恵まれました。体調が優れないない中、取材に応じたハノッホさん。繰り返し口にした言葉がありました。

取材班
「いま願うことは何ですか?」
ダニエル・ハノッホさん
「平和です。どんなことがあっても平和です」
見逃し配信はこちらから※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

ユダヤ系知識人のトッドが沈黙を破った

2025年01月11日 04時31分39秒 | 社会・文化・政治・経済

「イスラエルがガザで行なっていることは、おぞましい。本当におぞましい」

配信

イザーク=ストロースが先祖……ユダヤの古い家系

 


グランプリ王者は2025年3着スタート 古性優作

2025年01月11日 04時10分43秒 | 未来予測研究会の掲示板

「厳しいレースだった」/和歌山G3初日特選レース後コメント

配信

1着 小林泰正

2着 菅田壱道

3着 古性優作

12レース結果




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
  1 6 小林 泰正   12.2   先手内掬い
× 2 2 菅田 壱道 1/2車輪 12.4   振り掬われ
3 1 古性 優作 3/4車輪 11.8     不利も外伸
  4 4 山田 英明 3/4車輪 12.0     乗り内通り
5 9 新山 響平 1/2車輪 12.6   B 打鐘カマシ
  6 8 小岩 大介 3/4車身 12.0     ライン続き
7 3 松本 貴治 3/4車身 12.3   S 前々奮闘し
8 5 東口 善朋 4車身 12.2     古性続けず
9 7 窓場 千加頼 大差 13.4     捲り併され
 
2

2=5
2,120円(7)
2

2=6
2,590円(9)
3

1=2=6
2,080円(7)


1=2
240円(2)
1=6
440円(5)
2=6
970円(11)
5-2
6,600円(19)
6-2
7,990円(19)
6-2-1
20,400円(64)

戦い終わって

戦い終わって写真

 赤板から正攻法の松本貴治と追い上げた窓場千加頼が踏み合い、松本が突っ張り切る。鐘前から新山響平-菅田壱道でカマして最終主導権。窓場も鐘4角から仕掛けるが中団まで。2角から再度、松本が踏み上げると、東北後位に切り替えていた小林泰正が3角過ぎに内を突き、直線で見事に突き抜ける。掬われた菅田が2着。古性優作は切り替え3角から踏み込むが、届かずの3着。
 俊敏に1着決めた小林は「初手の位置取りが想定外だったが、いずれ、新山さんがペースを握ると思い、付いて行った。窓場さんに併せて仕掛けられれば良かったけど、新山さんのカカリも良く、結局、内へ。脚の状態は凄く良いし、二予ではしっかり自力を出したい」。
 2着の菅田は「今日は響平が前以外の作戦。今年は何か変えていきたいと思っているんじゃないかな。響平の行き頃になって展開は良かったが、出てから緩める事なく踏んでいたし、きつかったと思う。自分がしっかりサポート出来ていれば…。余裕はあったが真後ろからしゃくられたんで」。
 3着の古性は「初手は千加頼の考えていた理想の位置。1センターで外を踏めれば良かったが、あおりもあってバックを踏まされた。BS過ぎから踏んだが、頭まで突き抜けると思ったが、脚がなかった。手応えが良くなかったし、しっかりクールダウンして二予以降に備える」。