推しは、ある意味で自己満足ともなり、空回りするものだ。
特に、相手が成功して、メジャーな存在になることを期待してネット上で推す。
だが、その推しが迷惑というか、飛躍の妨げとなるケースもあるようだ。
<表現の自由>とその要請を突っぱねることもできるのだが・・・不本意ながら大人の対応をするつもりだ。
推しは、ある意味で自己満足ともなり、空回りするものだ。
特に、相手が成功して、メジャーな存在になることを期待してネット上で推す。
だが、その推しが迷惑というか、飛躍の妨げとなるケースもあるようだ。
<表現の自由>とその要請を突っぱねることもできるのだが・・・不本意ながら大人の対応をするつもりだ。
GⅢ 和歌山 競輪 万博協賛 和歌山グランプリ
2日目(1月11日)
11レース
競輪ファンは金を賭けているんもだ!
失格選手は1年間、斡旋停止にすべきでは?
競輪はルールを改正すべきでは?!
予 想 |
着 順 |
車 番 |
選手名 | 着差 | 上り | 決ま り手 |
S / B |
勝敗因 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
△ | 1 | 7 | 松本 秀之介 | 12.0 | 差 | コース空き | ||
▲ | 2 | 9 | 田中 勇二 | 3車身 | 12.2 | 差 | 切替急追交 | |
× | 3 | 2 | 吉本 卓仁 | 1/8車輪 | 12.1 | 何とか追う | ||
○ | 4 | 1 | 大槻 寛徳 | 1車輪 | 12.4 | S | 一旦抜出も | |
5 | 8 | 山中 秀将 | 2車身 | 12.3 | 本線後位も | |||
◎ | 6 | 5 | 新山 響平 | 3車身 | 13.0 | 捲り妨害受 | ||
7 | 6 | 浮島 知稀 | 1車身1/2 | 13.5 | B | 本線潰す逃 | ||
8 | 3 | 久田 裕也 | 大差 | 14.7 | 叩き叩かれ | |||
注 | 失 | 4 | 堀江 省吾 | 牽制押上げ |
2 枠 連 |
複 |
|
2 車 連 |
複 |
|
3 連 勝 |
複 |
|
ワ イ ド |
|
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
単 |
|
単 |
|
単 |
|
斬って斬っての流れになり、打鐘過ぎ浮島知稀がカマして出る。下げた新山響平はホームから仕掛けて出るが、浮島マークの堀江省吾に大きく張られて失速。新山目標の大槻寛徳が切り替えるが、内抜けて来た松本秀之介が突き抜ける。久田裕也から切り替えた田中勇二が内を伸びて二着、松本に付けた吉本卓仁が三着に。
松本「初手は新山さんの一個後ろの位置から組み立てたかったので。新山さんは一回は突っ張るとは思いました。でも、浮島君のカマシのスピードがよくて付いていけなかったです。最後は内にいってスピード殺さずに突っ込めました。前回の最終日から使っていたセッティングを初日終わって元に戻してよくなった」。田中は「スタートは取れそうもなかったし、一回前に出てからと考えてました。でも、自分の判断ミスで久田君に遅れてしまい。追い上げられたけど脚もたまらずキツかったです」。吉本は「自分の車番がよかったし、前の方から組み立てる作戦でした。松本君にとってはいい展開になったんだと思います。初日はキツかったけど、二日目は少し余裕もありましたよ」。
公明党の斉藤鉄夫代表は9日午後、国会内で記者団に対し、農林水産業の課題に取り組むため、党を挙げて全国各地の農林水産業現場を調査し、政策立案に生かす「農林水産業キャラバン」を開始すると発表した。
農林水産業キャラバンでは、党農林水産業活性化調査会(会長=谷合正明参院会長)と農林水産部会(部会長=角田秀穂衆院議員)が中心となり、党所属の地方議員と共に各地で関係者の声を聴いていく。
第1回は、13日に兵庫県内で、斉藤代表が現地の取り組みを視察するほか、関係者との懇談を予定している。
斉藤代表は、現下の農林水産業の課題について「人口減少、少子高齢化、担い手の減少という構造的な問題に加え、生産資材価格の高騰など厳しい経営環境に直面している」と指摘。
水産業の担い手の所得増や食料自給率の向上、食料安全保障の確立など、活力ある産業の構築に向けた取り組みを加速させていく必要性を訴えた。
その上で、党キャラバン運動について「農林水産業の実態は各地でそれぞれ特色がある。しっかり全体を把握できるように全国を歩きたい」と力説。
当面の目標として、今春に政府が策定予定の「食料・農業・農村基本計画」の見直しに向け、キャラバンでの調査を踏まえた政策提言を行う考えを示した。
我が国の農林水産業を取り巻く環境は、生産者数の減少と高齢化の進展、
輸入農林水産物の増加等、依然として厳しい状況にありますが、
我が国は優良な農地・漁場・山林や、安全・安心かつ高品質の農林水産物を
生産する技術を有するなど、大きな成長の可能性を有しております。
農林水産業みらい基金(以下「当基金」)は、
2014年に農林中央金庫から拠出を受けた基金により設立されましたが、
公平公正・中立的な立ち位置を守り、独立した意思決定の下で運営しています。
当基金が展開する「農林水産業みらいプロジェクト」では、
前例にとらわれず創意工夫にあふれた取組みで、
直面する課題の克服にチャレンジしている
地域の農林水産業者へのあと一歩の後押しを通じて、
農林水産業と食と地域のくらしの発展に貢献したいと考えております。
助成先については厳正な審査を行った上で、
今後に向けてのモデルとなり得る事業を採択することとしております。
また、様々な農林水産業者の取組みの参考となるよう、
各事業を継続的に情報発信しております。
これにより、発展的効果が全国に波及していくことで
農林水産業のみらいに貢献することを目指していきます。
農林水産業ごとに最新の助成事業をご紹介してます。
この他の助成先をご覧になりたい方は、
「助成先のご紹介一覧」からご覧ください。
近年東海地方を襲った豪雨や猛暑は、黒潮の「大蛇行」で水蒸気量が増え、大気が不安定化したことが一因であることが明らかになった。東北大大学院理学研究科の杉本周作准教授が高解像度の気候シミュレーションを用いて分析し、2020年7月の豪雨や台風などへの影響を初めて示した。今後も大蛇行が続けば、東海から関東では降水量増加や気温上昇により、厳しい夏になることが懸念される。
黒潮は九州の南から太平洋を北上し、房総半島沖で東に離れる暖流。日本列島に沿う「直進型」になる場合と、紀伊半島沖でいったん大きく曲がってから房総半島近くへ戻る「蛇行型」の2種類がある。17年8月以降、北緯32度より南まで蛇行する「大蛇行」となり、気象への影響が注目されていた。
従来の見解では、流路が本州から離れるため、東海や関東沖の水温は低くなると考えられていた。しかし、最新の衛星データによると、実際は水温が上昇し、蒸発が活発になっていることが分かった。
杉本准教授はスーパーコンピューターで、大蛇行の影響について詳細なシミュレーションを実施。沿岸部で水温が上昇し、東海から関東で降水量が約1.3倍に増加したことを突き止めた。発生した水蒸気が南風で陸地に流れ込み、温室効果で東海地方の気温が約1度上がることも示した。地球温暖化が進行して水温が最大5度上昇した場合、同エリアの降水量は1.5倍に増え、気温も東海で約1.6度、関東で約1.0度上昇するという。
海洋ごみ問題は、もはや足踏みしていられない大きな社会課題のひとつ。
これまで海と日本プロジェクトでもさまざまな活動に取り組んできましたが、「海ごみゼロ」への思いはそれぞれの地域で大きく育っている様子です。
地域住民の皆さんによる清掃活動が長く継続されていたり、学生や企業による啓発活動が注目を集めたり、地域ならではの仕様にカスタマイズされたスポGOMI大会が盛況だったり。
普段からごみ問題に意識を向けていると、清掃活動にも気軽に参加できたりするものですが、こうした活動の輪が広がっているのは、暮らしのなかに「海ごみゼロ」の思いが浸透している証のようにも感じて心強い限りです。
そうしたパワーをさらに大きくしていくために、海プロの関連事業や推進パートナーとの取り組みにも、これからも注力していきます。
子どもたちに川遊び体験を提供している徳島県の推進パートナー・川塾では、吉野川を中心に月1回、河川敷の清掃活動を開催しているそうです。集まれる人たちでゆるゆると続けているそうですが「きれいな川で遊びたいから」「息抜きのついでに川がきれいになれば」と、さまざまな人が参加されている様子。河川敷のお散歩のついでに、みんなでごみ拾いする日常があるのは素敵ですね。
徳島:かっぱが川掃除!?
岩手県盛岡市では「ゴルゴ13」が海ごみゼロを啓発しています。昨年の三陸鉄道に続き、2023年度は岩手県交通のラッピングバスが運行スタート。車体に描かれたデューク東郷が「街をよごすな!海もよごれる!」「ポイ捨てをするな 俺はいつもみているぞ」と睨みを利かせます。いつ遭遇してもいいように、ポイ捨て防止の意識は常に持ち続けておきたいものですね。ラッピングバスは1年間、盛岡市内を巡ります。
岩手県交通 特別ラッピングバスが運行開始 ゴルゴ13が海洋ごみ問題を呼びかけ!
ごみ拾いをスポーツ化した「スポGOMI」は、地域の人向けのローカルな大会も各地で開催されています。4月の金沢大会では犀川周辺を競技エリアに150名が参加。優勝チームの勝因は、繁華街まで足を伸ばしてペットボトルやタバコの吸殻をたくさん回収したことだったとか。残念な事実が浮き彫りになったものの、清掃後の清々しさにたくさんの笑顔が広がりました。
スポGOMI金沢大会in犀川が開催されました!
海洋ごみ問題は一朝一夕に解決するものではありませんが、楽しみながら続けられる仕組みを使えば、人々の注目も集まって大きな成果が生まれるはず。
今年は世界の人々と競う「スポGOMIワールドカップ」も開催され、国内でも地域予選がスタートしていますので、ぜひご注目ください。
2023.05.11
<阪神淡路大震災から30年>
発生した1995年は、130万人以上のボランティアが被災地のい駆けつけ、日本のp「ボランティア元年」と飛ばれた。
災害ボランティア(さいがいボランティア)とは、主として地震や水害、 火山噴火などの災害発生時および発生後に、被災地において復旧活動や復興活動を行うボランティアを指す。
古くは、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災において、当時の東京帝国大学の学生が、上野公園などで被災者の救援にあたった記録がある。
この際、上野公園内に、帝大生達が被災者のために仮設トイレを建設しようとした時、公園管理者との間で押し問答になり、帝大生の「ならば上野公園は糞の山になるがそれでも構わないのか」との言葉が殺し文句となり、仮設トイレが許可されたと言う。
またそれを見た被災者は、「帝大生が厠を作るんだから自分達も頑張らないと」と奮起したとされる。
また1948年(昭和23年)6月28日の福井地震では、東京学生同盟や、京都府、島根県の青年団が駆けつけ、地震で破壊された堤防を修復し、被災者への食料配給などを行ったほか、YMCAが授乳所を運営、永平寺の雲水(修行僧)が、青空学級を開講した等の記録がある。
近年では、1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にかけての雲仙噴火災害に災害ボランティアが活躍したほか、阪神・淡路大震災直前の1993年(平成5年)7月の北海道南西沖地震において、救援物資の搬入、仕分けなどに延べ9,000人のボランティアが活躍した。(防災白書から)
1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、延べ137万7,300人のボランティアが全国から駆けつけ「ボランティア元年」と言う言葉を生み、同年7月には政府の「防災基本計画」が改訂され、「防災ボランティア活動の環境整備」「ボランティアの受入れ」に関する項目が設けられた。
また、同年12月の閣議了解により、毎年1月17日を防災とボランティアの日、1月15日から21日を「防災とボランティア週間」とする事が決められた。さらに同年12月の災害対策基本法の改正により、「ボランティア」と言う言葉が我が国の法律に初めて明記された。(防災白書)
その後、
など各地の災害において、不可欠の存在となっている。
2004年からは、内閣府防災担当が「防災ボランティア活動検討会」を開催し、有識者や、災害ボランティアによる検討や議論を行っている。
2004年には、大型台風が相次いで上陸し、全国で58の災害ボランティアセンターが設置された。
この節の加筆が望まれています。
|
阪神・淡路大震災の時は、ボランティアについての知識や経験が国民の中にまだ定着していなかったために、避難所において多くの被災者から感謝された一方、一部の人間による社会マナーの欠如から様々なトラブルを生む事例もあった。
阪神・淡路大震災およびそれ以後の重油災害等の災害現場でも、一部の災害ボランティア活動を専門とするNGO団体による主導権争いや手柄の取り合いがあったり、地元住民で組織化されていったボランティア団体との間に次第にトラブルが生まれるなどの事態も散見された他、新潟県中越地震においても、県外から入県した災害ボランティアやNGOの多くは、地元の社会福祉協議会や青年会議所、地元NPOと良好な関係を保ったが、一部のNGO(「民設民営」のボランティアセンターを設置した団体の一部)は、やはり深刻な対立を生むなどの課題を生んだ。この反省から、徐々に災害ボランティア活動は、地元の「CBO」(後述)の主体性なくしては円滑な立ち上げや収束は難しいので、こうした組織と災害ボランティアが、平素から「顔の見える関係」を築くという方向に進化しつつある。
東日本大震災においては自費で参加したボランティア42名がフジテレビの27時間テレビの会場設営に流用されるなどの問題が起きた[1]。
一部の自治体(福井県・三重県・京都府・岐阜県・愛知県・新潟県・山梨県・静岡県・千葉県)では、行政や、地元の団体、NPO、社会福祉協議会などのいわゆる「CBO」(Community-Based Organization、“地域に根ざした機関”)と平常時から連携して、災害時には協働して災害ボランティアセンターを構築する動きが見られる。
また、2007年(平成19年)5月現在では、京都府・京都市に、それぞれ災害ボランティアセンターが、官民共同運営方式で常設されているほか、福井県では、官民で組織する「県災害ボランティアセンター連絡会」が災害時に災害ボランティアセンターの設置を判断する方式を採用、三重県では災害時に官民協働で、「みえ災害ボランティア支援センター」が設置される仕組みになっている。このほか、佐賀県では、官民共同ではないが、佐賀県社会福祉協議会が常設で災害ボランティアセンターを組織しており、宮城県では、県の社会福祉協議会が災害時に災害ボランティアセンターを設置する。千葉県では、千葉県が設置する千葉県災害ボランティアセンターを「千葉県災害ボランティアセンター連絡会」(千葉県社会福祉協議会と日本赤十字社千葉県支部の共同事務局)で運営する。
他にも、最近では市町村域で、災害ボランティアセンター、あるいは団体が連携した災害ボランティアネットワーク作りが行われている。例えば京都府宇治市などで、2008年3月に地域版の災害ボランティアセンターが常設された。
森鴎外と北里柴三郎。一人は文学者として、一人は医学者として異なる分野で超一流の業績を挙げた。
その二人が同じ写真に写っており、さまざまな交流があったことは、驚くべきことである。そして、石黒を含めた下の3人はもめにもめていく。
人生には大事な局面がある。そこでどうふるまうかが将来を決める。明治20年に赤十字の会議に出るために石黒忠悳がベルリンに来て、北里を呼び出した。官命であるといって、コッホの元を離れ、別の衛生学の権威のところで学べと言う。
北里の口利きで、鴎外は明治20年コッホの元で研究を始めている。いろいろの制約もありおそらく鴎外は北里ほど熱心になれなかったようだ。
石黒の命に対して、北里は反論した。
もっとコッホの元で学びたいということだ。石黒は激怒する。
この時、鴎外も同席し、隣室に北里を招き、官命に反抗してはためにならないぞと言う。
北里の留学には石黒の強い推薦があった。つまり恩師に対する反抗ということになる。
北里の後の世界的な業績を石黒はどう思ったのだろうか? そういうことがわからなかったのだ。天才があやうく葬り去られるところだった。
このあと、石黒はコッホにコレラへの対応を聞くために会ったが、その時、コッホは北里に対する信頼と期待を語ったらしい。そこで、石黒は北里の人事をすすめることができず、幸いなことに官命が撤回されることになった。天才は天才のことがわかるのかもしれない。凡人にはわかりはしない。
このことが無ければ、北里の輝かしい将来はなかっただろう。さて一方鴎外は、プロシア兵の隊付事務研修をせよとの命令を受け、いやいやながらコッホの元を離れることになった。勝手に師を探していた鴎外に対する軍の懲罰の意味もあったらしい。鴎外はこういうお叱りを受けることが多い。
また、明治18年に東大教授の緒方正規が脚気細菌説を提示したが、これに北里は反論している。
ところが、緒方は北里と熊本医学校で同期であり、細菌学を学んだ師でもあった。
東大学派から子弟の道を知らないと非難される。明治22年には鴎外も「北里は識を重んぜんとする余り果ては情を忘れしのみ」と書き、これに対して北里は東京医事新誌に「生(北里)は、情を忘れたる者にあらず。私情を制したるものなり」と反論している。
鴎外は科学という分野に於いてもどうしても情に左右され、真理に徹することができなかったのかもしれない。科学的真理や道理よりある種の情や人間関係優先の選択をするようにみえる。
北里は、破傷風菌が嫌気性菌であることをつきとめ、純粋培養に成功し、明治22年に発表した。さらに、抗毒素、今でいえば抗体を発見し、明治22年にベーリングと共著論文を出す。明治25年に北里は帰国。ベーリングは明治34年第1回ノーベル医学生理学賞を受賞する。一方、北里は15人の候補に上がったが、受賞することはなかった。第1回ののノーベル医学生理学賞を東洋人が受賞することは、いろいろな意味でありえない。そういうことだろう。
帰国した北里は、東大派との確執から職を得ることができなかったが、福沢諭吉が芝公園に土地を提供し、明治25年に伝染病研究所ができた。そして所長に就任した。しかし、東大派とはその後もねじれた問題を抱えた。下の写真を見ると、鴎外と諭吉にも関係があったことが分かる。複雑だ。
明治41年、コッホ夫妻が来日した。北里は15年ぶりに再会し、歓待した。また、その時、鴎外も観劇に案内するなどした。こんなに険悪なのにここでも鴎外と北里はつながりがあるから面白い。コッホ夫人は、鴎外の秀逸なドイツ語の説明文書に感嘆したらしい。
問題は、大正3年1914年、内務省の所管だった伝染病研究所を文部省に移管することに国が決めたことだ。そうすると、東大が管理するということになる。東大医学部長は、例の青山である。この時、青山は北里後の伝研の人材確保を鴎外に相談。鴎外のもう一人の親友、賀古鶴所も絡んでいる。怒った北里は辞任。白金に私立北里研究所を作った。研究者全員がここに移ったという。北里は、やがて諭吉の願いで慶応に医学部ができたときに初代科長となっている。その後、貴族院議員にもなり、日本医師会の初代会長にもなっている。従二位、勲一等、男爵である。
鴎外は、その都度、北里を批判してきたが、鴎外が欲しかったもの、世界的な研究成果、爵位、貴族院議員、日本医師会長を手に入れた。北里に負けたという気持ちはどうしてもぬぐいきれなかったのではないか。
2022年12月19日
文献
山崎光夫:明治21年6月3日 鴎外「ベルリン写真の謎を解く」
写真の中の鴎外 鴎外記念館
日本では、約30万人の方々が精神科病院に入院されています。また、統合失調症は、どの時代、どの国でも、人口の約1%の人が発病し、ハンディキャップを背負います。誰がかかってもおかしくない病気をこれらの患者さんが背負ってくれています。
ですから、治療する側に立つ者は、その役割をしっかりと果たさなければならないと考えます。一方、精神疾患は、理解することが難しく、一般の人はもちろんのこと、医療従事者でさえ認識はなお不十分であり、一生涯掛けて認識を深めていくという姿勢で立ち向かわなければならない病気だと考えています。また、精神疾患は労働能力を低下させることがあり、ご本人やご家族に経済的な問題を引き起こします。そのため、当院では差額ベッドは1床もありません。(部屋割りは病院サイドで病状に基づき決めさせていただいています)
このような考えをもとに、当院では、患者様への尊重や共感の姿勢が重要と考え、スタッフ間で繰り返し共有しております。
当院は、うつ病、統合失調症、アルコール依存症、認知症などの患者様の入院・外来治療を行っております。入院治療では、医師を中心とする多職種チームが協力しつつ、病状に応じた治療を行います。外来治療では、医師の診察のほか、訪問看護、デイケアや職場復帰のためのリワークがあります。
どうぞ、当院の外来、入院、デイケア、リワークをご利用ください。より良い精神科医療を目指しております。
理事長・院長 菊 池 章
〇 略歴
1984年 筑波大学医学専門学群卒業
1988年 同大学大学院医学研究科修了(医学博士)
1999年 浦和神経サナトリウム 院長
2009年 浦和神経サナトリウム 理事長兼院長
〇 資格
精神保健指定医 精神科専門医・指導医 産業医 感染制御医(ICD)
〇 所属学会
日本精神神経学会 日本生物学的精神医学会 日本精神病理学会
日本社会精神医学会 日本感染症学会
〇 役職
さいたま市精神医療審査会委員 さいたま市障害支援区分委員会委員 さいたま市自殺対策医療連携事業連絡調整会議委員
さいたま市精神保健福祉審議会委員 浦和医師会救急対策部委員 浦和医師会精神科医会会長
埼玉いのちの電話評議員 埼玉県立浦和特別支援学校校医
埼玉県公安委員会指定医師
〇賞
埼玉県医師会医学奨励賞(平成29年11月16日)
いま、認知症の人たちの暮らしを支えようという商品開発が企業の間で広がっています。その開発には認知症の人たち自身も参加。ガスコンロや靴下など、当事者の声を生かした新たな商品も生まれています。いったいどのようなものなのでしょうか。
(経済部記者 野中夕加)
ひきこもり当事者らを無理やり施設へ連れていく業者は「引き出し屋」などと呼ばれ、類似の団体による連れ出しが全国で起きている。弁護団は判決後、さらなる被害者を出さないよう、国が支援業者に規制を設けるべきだと訴えた。
原告男性によると、クリアアンサーが運営する「あけぼのばし自立研修センター」の職員らは2018年5月、突然自宅を訪れて男性に入所を迫った。男性が同意せずにいると、職員2人に力づくで車に引きずり込まれ、同センターの寮である地下の部屋へ連れて行かれて監視付きで8日間、閉じ込められた。
それでも入所に応じずにいたところ、精神病院の閉鎖病棟で3日間身体拘束を受け、約50日間にわたり入院させられた。男性は退院後、同センターでの生活を強いられたが、同年8月に弁護士らを頼り脱走した。
原告の男性は判決後、弁護団とともに記者会見し「施設では所持品を取り上げられ、職員には『稼ぎのないお前が悪い』と言われ続けた。隙を見て入所者仲間と相談機関を回ったが、誰にも信じてもらえず(担当者に)『悪いのはあなたじゃないか』と言われたことさえある」と振り返った。閉鎖病棟では、オムツをはかされてトイレに行くことすら許されないという、屈辱的な経験もしたという。
判決では、同センターの職員らが男性を無理やり連れ出し、地下室に閉じ込めて「万が一逃走しても、捜索願を出して見つけてセンターに戻されることになる」などと話して逃げられない状態にしたことを「移動の自由を侵害する不法行為」と認めた。
弁護団長の宇都宮健児弁護士は「たとえ(施設と契約した)親の了承を得ていても、本人の同意なく連れ去ったり閉じ込めたりするのは重大な人権侵害であり許されないと、明確にした判決。業者に警鐘を鳴らす効果が期待できる」と評価した。
ただ、判決は原告男性が退院後、同センターの職員に財布や時計などを取り上げられ、監禁状態に置かれたとの訴えについては、原告に逃げられないと思わせる面はあったとしながらも「自由に外出できる時間もあり、逃亡は可能だった」などとして退けた。
同センターをめぐっては今年1月、元入所者の女性が同様の連れ出しによって精神的苦痛を被ったとして、損害賠償を求める訴訟の判決があり、東京地裁は同センター職員と連れ出しを依頼した母親に、計55万円の賠償責任があると言い渡した。判決では女性が、はだしのまま部屋着姿で強引に連行され、見張り付きの部屋に入れられたことを不法行為と認定。女性は抗議の意思を示すため飲食を一切拒否し、入所2日目にICUに搬送された。
また同センターのほか、ワンステップスクール(若者教育支援センター)湘南校(神奈川県中井町)に入所していた20~30代の男性7人も2020年、強引な連れ出しや監禁の被害を受けたとして、損害賠償を求める集団訴訟を横浜地裁に起こした。
これらの施設以外の入所者からも、連れ出し被害を訴える声は相次いでいる。しかし自宅という密室で連れ出しが行われている上に、親が業者側に味方しているため被害立証に必要な書類を得るのが難しいといった理由で、泣き寝入りしている人が大半だ。
また、いわゆる若者の自立を支援する施設が、適切に運営されているかを監督する行政機関は、現時点では存在しないのが実状だ。宇都宮弁護士は「国や自治体の取り組みが不十分なため、間隙を縫って引き出し屋が横行している。業者を監視し、悪質な場合は排除できるような規制立法が必要だ」と強調した。
原告男性も「今この瞬間にも、無理やり施設に入所させられている人たちがいる。判決のニュースが彼らを励まし、可能なら誰かを頼って脱出するための力になってほしい」と願っていた。また男性は入院先の成仁病院(東京都足立区)に対しても、損害賠償を求める訴訟を起こしている。
ひきこもりや無職の子どもを持つ親の不安をあおり、「必ず自立させます」などと言葉巧みに契約を促すのが、引き出し業者の常套手段だ。多額の報酬を請求するケースも多く、クリアアンサーに1000万円以上を支払った親もいる。
またこうした親の多くは、行政のひきこもり相談窓口や支援機関を訪れた経験がある。しかしたらい回しにあったり、はかばかしいサポートを得られなかったりして、「最後の手段」として引き出し業者を頼ってしまうと、支援者は指摘する。
しかし親が救いを求めてこうした業者に頼っても、根本的な解決には至らないことが多い。現在行われている訴訟の原告の中には、業者に自分を託した親への憎しみから家族関係が悪化した人や、連れ出されたトラウマで精神状態が悪化し、その後の生活や仕事に支障が出ている人もいる。自分の意思で外に出たわけではないため「同じ時期に入所していた仲間が、退所後ひきこもりに戻った」という話も、原告たちからはしばしば聴かれる。
内閣府の調査によると、15歳~64歳でひきこもりに該当する人は115万人に上ると推計される。弁護団は「家族も含めると、数百万人がひきこもりに関わっている」として、引き出し業者に頼らずにすむよう、当事者・家族の支援も充実させるべきだと要望した。
(ライター・有馬知子)
この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいています。