血液サラサラの電気治療、新年に再会

2025年01月06日 20時23分57秒 | 医科・歯科・介護

先日、友人の一人に紹介した、エナジートロンの体験治療。

だが、ネットで調べたとのことで「インチキ、危ないことが、分かった」と言うのである。

確かに、エナジートロンを真似た電気治療は存在した。

だが、結果は悪かったとされる。

その電気治療と、多くの人が混同して、不信感を抱くことは否定できないだろう。

だが、取手のエナジートロンの体験治療は、現実的には良好な結果をもたらしていたのである。

「体験が全てである」「論より証拠」と改めて強調したい。

足のつりがなくなった人の体験談を始め、夜中のトイレの回数が減った人や肩こりや腰のこりがおさまった人。

実際に、爪の伸びが速くなったことを当方も実感している。

視力が改善した人や皮膚炎までが改善した人の体験談は否定できない。

飛蚊症が改善したのは当方の体験である。

高血圧や糖尿病の改善まで、体験者は語るのである。

12月29日から休みとなったエナジートロンの体験が1月6日に再会となる。


時代の闇は深い

2025年01月06日 12時28分25秒 | その気になる言葉

▼能登半島地震から1年。

<いかなる苦難>にも「心の財(たから)」だけは絶対の壊されない。

すべてはこう幸福になるための試練―災害は、公助の限界と共助の大切さを知らしめた。

▼自分の力を出し切れるのが青年の生き方。

▼「一は万の母」眼前の一人を励ますのである。

▼笑う事は要介護のリスクを軽減させる。

▼深い使命に立てば、勇気が湧く。

▼時代の闇は深い。

闇バイトの存在―安易化する若者たち。

だからこそ、真実の思想・哲学は、いちだんと光り輝くだろう。

▼夜空で輝く星も、太陽が天高く昇れば輝きを失う。

また、いかなる暗闇に包まれていても、ひとたび陽光が降り注げば闇は消え去る。

人々の多く生命は、明かりのない根本的な迷いに覆われている。

▼人間は本来の使命に目覚めた時、自身に秘められた内奥の力が存分に発揮できるものだ。

多くの人を幸福に導く使命に立てば勇気も湧くし、力も出る。


誰もが輝く「生命尊厳の世紀」「人間主義の世紀」を創る

2025年01月06日 12時00分06秒 | その気になる言葉

▼昨年までの自分より一歩、前身する。

ここに「人間革命」の喜びがある。

▼生命の偉大な創造性を発揮し、人間の勝利を広げるのだ。

▼国よって、政治体制も異なる。

宗教も、文化も多様である。

▼優れた「人間」を目指し、育てていく。

組織を育てるだけではない、あくまでも「人間」「良き市民」をつくっていくことこそが肝要なのである。

今こそ清新な決意で行動を開始したい。

▼目指すのは自他共のの幸福と勝利である。

誰もが輝く「生命尊厳の世紀」「人間主義の世紀」を創るのである。

 


日本は「永遠の戦後」

2025年01月06日 11時47分34秒 | 社会・文化・政治・経済

アメリカで平和訴えた被爆者 笹森恵子さん死去 92歳

2025年01月06日 11時29分10秒 | 社会・文化・政治・経済

広島で13歳のときに被爆し、アメリカで平和を訴え続けた笹森恵子さんがアメリカの自宅で亡くなりました。92歳でした。

笹森恵子さんは爆心地から1.7キロの地点で被爆し、原爆の熱線で全身に大やけどを負い、ケロイドで指や首を自由に動かせない子ども時代を送りました。

1955年にアメリカの慈善活動団体の招きで原爆の後遺症に苦しむいわゆる「原爆乙女」の1人として、アメリカにわたって手術を受けました。

その後、命を救う仕事がしたいとアメリカで看護師となり、仕事のかたわら全米各地で被爆体験を語り、平和を訴える活動を続けました。

アメリカの有力紙、ニューヨークタイムズによりますと、笹森さんは12月15日、アメリカのカリフォルニア州の自宅で亡くなりました。

92歳でした。

作家の故のノーマン・カズンズらの支援で米国に渡り、ケロイドの治療を受けた。

ノーマン・カズンズNorman Cousins1915年6月24日 - 1990年11月30日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ユニオンシティ生まれのジャーナリスト作家広島市特別名誉市民。


今年初の会合へ行く

2025年01月06日 10時47分48秒 | 日記・断片

友人の佐々田が車で迎いに来て相米さんちと3人会館へ向かう。

常磐線の橋の上には10人ほどの撮り鉄たちがカメラを設置して特急電車を待っていた。

約一時間の会合であり、多くの友人たち新年のあいさつを交わすことができた。

各支部の代表が挨拶したが、井野支部の野村さんは歯科医師会の新年会で欠席していた。

帰りの橋の上の欄干でカメラを構えている撮り鉄の姿が観られた。

寒いのにご苦労さんである。

12月30日に静岡へ行ったことを友人たちに告げた。

「富士山が見てただろう」と相米さんが聞く。

実は1月1日に利根川堤防からの富士山は霞がかかっいて、ぼんやりと映じていたのだ。

相米さんも、利根川へ富士山を見に行っていたそうだ。

毎年の初日の出の出は今年は観に居かなった。

昨年3月7日に亡くなった鈴木さんと西田さんと3人で観に行った初日のが思い出された。

利根川堤防には数百人の長い列が見られた。

例年の傾向で元旦は毎年、快晴である。

<picture>富士山と朝日|初日の出・朝焼けイメージ</picture>

5時からの早朝散歩を卒業て2か月。

宮ちゃが5時から10時へ変更し、当方も明るくなってから散歩している。

自宅から台宿を経て、白山方面へ。

暮れのカラオケと言えば「ハーモニー」が3か月ぶりに再開し、12月30日には「ニューばんだい」は閉店となり50年の歴史に終止符を打つことに。

ママさんは「心身ともに限界」と述べていた。

実は、「あなたに後を任せてもいいけど、どう?」とママさん言われたのだが・・・