問いの編集力 思考の「はじまり」を探究する

2025年02月23日 10時07分25秒 | 社会・文化・政治・経済

安藤昭子 (著)

落合陽一氏 佐渡島庸平氏 推薦!
AIが「答え」を出す時代に
思考の主導権を取り戻す

アルゴリズムが誘導する世界を
「問う力」で切りひらく
編集工学に基づく知的創造のプロセス


私は私でなく、私でなくもない、
そんな言葉が響く編集の洞穴の入り口である。

――落合陽一氏

"「問う」ということはつまり、「いつもの私」の中にはないものに出会うこと、
その未知との遭遇の驚きを自分に向けて表明することだと言っていい"
本文中にあったこの一文。ここに、編集の真髄を感じた。

――佐渡島庸平氏

本書は、編集工学を手すりに「問い」の発生現場の謎を探る一冊。
学校教育では探究学習が浸透し、
ビジネスの現場でも自立型人材や、課題解決力よりも課題発見力の重要性が盛んに言われるようになった。
一方で、これまで「答え方」は練習してきたが、「問い方」は学んでこなかった。

「問う力」が必要であることは多くの人が共有し始めているのに、肝心な「問い方」がわからない。
なぜ「問う」ことは難しいのか?
小さい頃は「なんで?」「どうして?」の問いにあふれていたのに、
大人になって問えなくなるとしたら、何が邪魔をしているのか?
「問い」はどこからどうやって生まれてくるのか?

誰もが備え持つ「編集力」をもとに、
問いが生まれ出るプロセスを4つのフェーズで考えていく。

「問い」の土壌をほぐす:Loosening(第1章)
「問い」のタネを集める:Remixing(第2章)
「問い」を発芽させる:Emerging(第3章)
「問い」が結像する:Discovering(第4章)

本書を通して、本質を見抜き、世界を動かしていく
「内発する問い」を生み出す力を身につけよう。

【目次】
はじめに なぜ「問い」を「問う」のか
第1章 「問い」の土壌をほぐす:Loosening
「私」から自由になる――内面の準備
想像力の土壌/「たくさんの私」を解き放とう/主語より述語に強くなる
インターフェイスを柔らかく――接面の準備
「私」と「世界」が接するところ/つながり合う世界/アフォーダンスとマイクロスリップ
縁側が必要だ――境界の準備
ウチソト感覚/「間」をゆるませる
第2章「問い」のタネを集める:Remixing
見方変われば、世界が変わる――意味の発見
デノテーション、コノテーション、アテンション!/アレに見えてしょうがない/フィルター越しの世界
情報は多面的――視点の切り替え
連想が止まらない/「地と図」のマジック
偶然を必然に――異質の取り込み
偶然性とセレンディピティ/問いは驚きに始まる
第3章「問い」を発芽させる:Emerging
見えない壁に穴をあける――未知との遭遇
「問い」が奪われている?/子どもは40000回質問する/未知を焚べる
無数の世界に誘われる――触発装置としての書物
書物という情報デバイス/思考の縁側を確保する/コラム:「読み」と「問い」の連鎖をおこす「探究型読書」のすすめ/読書は「略図的原型」で進む/読む力、問う力
リンキングネットワークの拡張へ――関係の発見
言葉の網目と問いの網目/松岡正剛の読書風景/才能を引き出す場のダイナミズム「連(れん)」/コラム:問いと本と対話を創発する一畳ライブラリー「ほんのれん」
第4章「問い」が結像する:Discovering
アンラーンのための探索――世界の再解釈
「私」の源に会いに行く/物語の力
他にありえたかもしれない世界――内発する問い
「なぜなに変換」のススメ/途中からの参加者として
仮説で突破する――新たな文脈へ
「あてずっぽう」で突破する探究の論理学「アブダクション」/アブダクティブ・ライティング(Abductive Writing)
第5章 「内発する問い」が世界を動かす
「問う」とはつまり何をしていることなのか
まだ出現していない可能性へのアクセス/「問いのパラドックス」を越えて/暗黙知と創発知
世界像が変容する――ベイトソンの「学習Ⅲ」へ
まだ見ぬ世界への扉を開く/学びの相転移:ベイトソンの学習階型論/吉と出るか凶と出るか?!「ダブルバインド」の威力
暴走する世界の中で
循環するフィードバック/流れに「句読点」を打つ問い/自己の時を刻む
おわりに 「問う人」として

 

「はじまりは疑問」

日本の教育では、「答えを出す」ことが重視されてきましたが、その反面、自分で「問い」を立てる練習はしてこなかったのではないでしょうか。

それでは、好奇心の起点である<疑問を持つ>力が弱まっています。

「変動性」「不確実性」などと表現される現代社会では、既存の価値観が崩れていく中で、自分が解くべき問題を設定するのは、他ならぬ自分自身になっています。

それにもかかわらず、問いが何かということは、見過ごされがちです。

そこで、私たちが行っている「編集工学」によって、それをひも解けるのではないかと考えました。

「編集工学」では、「情報」を扱う営みはすべて「編集行為」だと考えます。

朝起きて天気や予報を考慮しながら、着る服を選ぶ、それも編集行為なんです。

情報と情報を組み合わせたり、比べたりしながら、なんらかの見方を導き出すことを「編集」と捉えています。

日常生活の中には、考える労力を使わなくで済むような「固定観念」があります。

そんな、「あたりまえ」を「ほんとうにそれでいいのかな?」と問う習慣を身に付けることがポイントです。

それは例えば<(親に対する)子どもとしてはこうあるべき> <学校の生徒としてこうあるべき> <友達としてはこう>・・・のように、自分が無自覚に規定している「私」という枠組みを取り外すことから始まります。

「たくさの私」を書き出してみてください。

固定観念の膜を破るための「土壌をほぐす」ことから、「問い」は生まれていきます。

私の人生も「あたりまえ」に対する問いのよって進んできたと言えます。

<悩み>も、結局は情報の集合体なので「問い」によって編集することができる。

そうすると、かつて「まあいいか」と平穏に埋没していた時に、見えなかったような可能性に気づきくことができる。

苦労して登った山頂から、予想もしていなかった美しい景色が広がっている時のような発見―そうすると、また次の違う景色があることを確信できるし、それを見たいと思い、新たな問いが生まれる。

その連鎖が、生きることが面白さであると思います。

編集力は、自分の中だけで完結するものではありません。

環境との相互作用の営みです。

ぜひ、自分が気づいた世の中の見え方を、周りの人と共有してみてください。

自分たちの生きるこの世界を好きになっていくことができるのが、「問い」の力ではないでしょか。

 

 


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