テレビ東京ナゼそこ?を観てエケ陽子さんの存在を知る。
一緒に帰国したベナン人夫が「日本は寂しい国だ」と…アフリカで第二夫人になった日本人女性が感じたカルチャーギャップとは?
インタビュー#2
西アフリカの最貧国とされ、NBA選手・八村塁氏の父の故郷としても知られるベナン共和国。そのベナンで、現地人男性の第二夫人となったのが、看護師のエケ陽子さんだ。
青年海外協力隊ではじめて訪れたベナンで現在の夫・ボナさんと出会い、日本で結婚・出産をした後、昨年、家族でベナンに移住。そんな陽子さんに、その暮らしぶりやカルチャーについて聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)
エケ陽子さん(以下、陽子) 私が暮らす農村部ではブードゥー教を信仰している人が多いんですけど、その一環で、呪術師が「グリグリ」というおまじないをかけることがよくあるんです。
――「グリグリ」とは、具体的にどんなおまじないなんでしょうか。
陽子 良いおまじないもかけられるんですけど、他者に対して呪いをかけることもできるのが「グリグリ」で。たとえば、「あの人の仕事が成功しないようにグリグリをかけてくれ」といったかたちで呪術師にお酒とか豚、ヤギなんかのお供え物を持っていって、グリグリをかけるんです。
――前回、「外国人=お金持ち」と捉えられることが多いというお話がありましたが、嫉妬から、陽子さんたちもグリグリをかけられたことがある?
陽子 あります。良いことよりも、他者への嫉妬から呪いをかける人がやっぱり多いみたいで。人が成功するのを喜べないところはあるかもしれません。
例えば、ボナが以前働いていたアトリエにあった蓋つきのバケツの中に、フレッシュな血がパッと付いていたことがあって。「ずっと置きっぱなしだったバケツの中に突然なんで血?」と思ったんですけど、結局それは、「誰かがボナに対してグリグリをかけたんだ」と説明されて。
玄関の前に動けなくなった鳥が置かれていた
――「これはグリグリの仕業だ」と、現地の方はわかるんですね。
陽子 そうみたいです。経済的首都のコトヌーに行ったときに泊まったホテルでも、入った途端、まだ腰をかけてもいないベッドにフレッシュな血が付いていたことがありました。
日本から引っ越してきた後も、家の玄関の前に動けなくなった鳥が置かれていたことがあって。そうしたらボナが、「ああ、これはグリグリかけているな」と言いだして。どういうことかと思ったら、誰かがボナにグリグリをかけたらしいんですけど、ボナはブードゥーの力が強いらしくて、それゆえにグリグリをかけた相手の方が負けてしまって、身代わりになった鳥が動けなくなって終わった、ということだったらしいです。
なんか本当に不思議なんですけど、グリグリはあるのかな、みたいな感じですね。
――陽子さんやお子さんが「グリグリ」にかかったことは?
陽子 自分は普通に過ごせているので、グリグリにかけられていたかどうかは分からないです。ただ、呪いに使われてしまうから、切った髪の毛をその辺に捨てないようにとか、フルネームは明かさないようにという注意は受けています。
【12/10 取材体験イベント】アフリカ人の「第二夫人」になってわかったこと、ベナンの農村に嫁いだ日本女性に聞いてみよう
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エケ陽子さん、実は「第二夫人」です。夫には第一夫人(ベナン人)も、また彼女との間には子どももいます。
エケ陽子さんは現在の夫と出会った当初、こんな会話を交わしたそうです。
「僕に奥さんがいるからって、僕と付き合えない、結婚できない理由がさっぱりわからない」(ベナン人の現在の夫)
「日本だとこれは不倫になる。あり得ないこと。既婚者との結婚は私には考えられない!」(エケ陽子さん)
「日本の常識がベナンの常識? 『一夫多妻』というベナン人の考えがおかしいってこと?」(ベナン人の現在の夫)
こうしたやりとりを通じてエケ陽子さんは、自分の当たり前が世界の当たり前ではないし、また自分の常識を相手に押し付けるのはおかしい、と思い直したとのこと。「ベナンにはベナンの文化、風習、生き方がある。それを否定的にとらえるのは失礼だと感じた」と振り返ります。
とはいえ、日本人としては理屈ではわかっても、いざ自分事となると正直、心のどこかに引っかかってしまうことも多いですよね。第一夫人に嫉妬はしないのか(されないのか)、第一夫人のほうがえらいのか、家計はどうしているのか、日本の家族は許してくれたのか、家庭はうまくいくのか‥‥。もちろんマイナス面だけでなく、意外なプラス面も知りたいですよね。
皆さん、今回の「取材体験イベント」に参加して、エケ陽子さんにいろいろ質問し、「第二夫人の真相」を明らかにしてみませんか?
取材体験イベントは、ganasが主催する、途上国を取材し、記事を書き、それを発信する唯一無二のプログラム『Global Media Camp』をイメージしたものです。現地を短期間で深掘りするには取材が有効。エケ陽子さんは『Global Media Camp in ベナン』でコーディネーターを務めます。
以下、エケ陽子さんからのメッセージです。
「文化や風習がまるっきり違うベナンの男性との結婚は、周りから見たら理解し難いところも多いようです。しかしどこの国でも、理屈では説明できない出会いがあり、それが自分の人生に影響を与えるきっかけになることもあります。『Global Media Camp』は、そんな異文化に暮らす人々と直接会ってお話できるチャンス。この先の人生で、なにかのきっかけになるかもしれません。好奇心を勇気に変えて、ベナンへ足を運んでみてください」
複数の妻をもつまでいかなくとも、婚外の愛人を持つことが男性には文化的に許されることが多いです。
日本では法律婚は一般的ですが、ベナンでは市役所に届け出を出す法律婚を選ぶ人は実は多くありません。
アフリカの一夫多妻制の謎:歴史と文化の背景を探る
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一夫多妻制は、セネガルやナイジェリアなどのアフリカ諸国で文化と経済を支える伝統的な婚姻制度です。一夫一妻制が主流の日本や西洋とは大きく異なり、家族間の結束や社会的安定を象徴する形態として独自の意義を持っています。この記事を通じて、結婚制度の多様性を発見できるかもしれません。
アフリカ諸国における一夫多妻制の歴史的背景
一夫多妻制が最も顕著に見られる地域の一つがセネガルです。同国ではイスラム教徒が多く、クルアーンの教えに基づいて男性は最大4人の妻を持つことが許されています。この教えはクルアーン第4章3節に記されており、具体的には「あなたがたが孤児に対して公平を行えないと恐れる場合は、好ましいと思う女性と結婚しなさい。2人、3人、または4人まで。しかし、彼女らを公平に扱えないと恐れる場合は、1人だけにしなさい」(意訳)と述べられています。この公平性の義務があるため、実際に複数の妻を持つ男性は富裕層に限られる場合が多いです。セネガルやトーゴでは、部族社会の伝統が結婚形態に強く影響を及ぼしており、結婚は単に個人の関係を超えて、家族間や部族間の結束を強める手段として機能しています。
一方で、ブルキナファソのような地域では、結婚制度が農業や牧畜を基盤とした経済構造に密接に関連しています。複数の妻を持つことで、労働力を増やし、家族全体の生産性を高めることができます。これにより、一夫多妻制は経済的なセーフティネットとしての役割も果たしています。
女性の地位と役割
アフリカ諸国の一夫多妻制において、女性の地位は地域や文化によって異なります。多くの部族社会では、妻同士が共同体を形成し、子育てや家事を分担することで、女性にとっての精神的・経済的な負担が軽減されるという側面があります。一方で、近代的な視点では、一夫多妻制がジェンダー平等や女性の権利向上を妨げると批判されることも少なくありません。
異文化との比較
中東・アジアの一夫多妻制と一妻多夫制
一夫多妻制は中東や南アジアのイスラム教徒社会で広く見られますが、一妻多夫制の事例は非常に限られています。インド北部のトドラ族やネパールの一部地域では、兄弟間で一人の妻を共有する形態が見られます。これには土地の分割を防ぎ、家族の資産を維持する意図があります。これらは農業社会における経済的合理性が背景にあるとされています。
一方で、一妻多夫制の例としては、インドの一部地域や中国のチベット地区における伝統が挙げられます。これらの文化では、兄弟間で1人の妻を共有する形態が見られ、家族の財産を守るための合理的な選択とされています。例えば、サウジアラビアでは男性が追加の妻を迎える際に法的手続きを経る必要があります。
西洋諸国の一夫一妻制と他の婚姻形態
西洋諸国では、キリスト教文化の影響により一夫一妻制が基本となっています。この文化的背景が広がる以前、古代ローマやユダヤ教社会では一夫多妻制が存在し、特に政治的・経済的安定を目的として採用されていました。また、古代ギリシャやローマの一部地域では、一妻多夫制が見られたこともあり、これは主に財産管理や血統の維持を目的としたものでした。
さらに、特異な例として古代スパルタでは、戦争による男性人口の減少を背景に、一妻多夫制が社会的な選択肢とされた記録があります。一方、ポリネシア文化の影響を受けた西洋周辺の一部地域でも、女性が複数の夫を持つ慣習が存在していました。
現代においては、一夫多妻制や一妻多夫制は西洋諸国でほとんど廃止されていますが、アメリカの一部宗教団体では一夫多妻制が引き続き行われており、法的・倫理的議論の対象となっています。これらの歴史的背景を通じて、社会や文化が婚姻形態に与える影響の多様性が浮き彫りになります。
日本の古今の結婚
日本の婚姻制度は、時代ごとに大きな変化を遂げてきました。飛鳥時代から奈良時代には豪族間の政略結婚が主流で、「通い婚(かよいこん)」や「一妻多夫制」が見られました。特に縄文時代には、父系が不明な子どもを共同で育てる社会構造があったとされ、複数の男性が家族の一員として生活する例が考古学的にも示唆されています。また、農耕社会では家族単位の労働分担が重視され、こうした婚姻形態が経済的・社会的に合理的であった可能性があります。
平安時代になると、男性が女性の家を訪れる「妻問婚(つまどいこん)」が一般的でした。この形態では、女性が実家で生活し、夫婦が別居している点が現代の結婚観とは大きく異なります。「妻問婚」は女性の地位が比較的高かった時代の象徴ともいえ、文学作品にもその様子が描かれています。
鎌倉時代から室町時代にかけては、一夫一妻制が徐々に浸透し始め、江戸時代には庶民の間で定着しました。そして、1898年(明治31年)の明治民法の施行によって、一夫一妻制が正式に法的に定められました。大正時代以降、家制度を基盤とする婚姻形態が続きましたが、戦後の1947年(昭和22年)に制定された現行民法では、男女平等が婚姻制度の基本理念として確立されました。これにより、夫婦は対等な関係で家庭を築く制度が完成したのです。
現代的な視点と課題
現代社会では、一夫多妻制はジェンダー平等や人権の観点から批判を受けることが多くなっています。しかし、文化的背景を理解することなく単純に批判するのは不適切です。アフリカでは、経済的要因や宗教的信念が一夫多妻制を維持する重要な要素となっており、こうした背景を尊重する必要があります。日本の一夫一妻制においても、核家族化や少子化といった現代的な課題が浮き彫りになっており、結婚制度のあり方は社会の変化とともに進化し続けると言えます。
一夫多妻制は、地域や宗教、経済的背景によってその意味や目的が異なります。ナイジェリアをはじめとするアフリカ諸国では、歴史や文化、経済的要因が一夫多妻制を支えており、単なる婚姻形態ではなく社会制度の一部として機能しています。一方で、日本や西洋諸国では異なる歴史や価値観に基づき、一夫一妻制が主流となっています。これらの違いを理解し、多文化共生社会において他者の価値観を尊重する姿勢が求められます。
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