選挙をやるたびに議席を減らす公明党と共産党

2024年11月14日 02時05分06秒 | 社会・文化・政治・経済

島田 裕巳(宗教学者・作家)

今回の衆議院議員選挙において、公明党は惨敗した。

32あった議席は24に減り、比例代表の得票数は596万票と600万票をわった。2022年の参議院議員選挙でも、比例代表では618万票だったから、今回の結果は十分に予想されたことである。

公明党が惨敗したのは、連立を組む自民党に裏金問題が生じ、逆風にさらされたからだともされるが、何よりもっとも大きな原因は、支持母体である創価学会の衰退である。

創価学会の衰退は、これからも続いていく。したがって、選挙をやるたびに公明党は議席を減らしていくことになるはずだ。

朝日新聞の11月8日付けの社説では、「自民党との長年の連立で薄れた『清潔な政治』『大衆福祉』『平和』といった党の原点に立ち返ることなしに、退潮に歯止めはかかるまい」と述べられていたが、たとえ公明党が1964年に結党された原点に立ち返ったとしても、退潮に歯止めがかかることは考えられない。

596万票にしても、選挙において自民党と協力しているからである。もしも自民党との協力関係がなくなれば、500万票を確保できるかどうか、それもかなり怪しい。

しかも、選挙で落選した石井啓一氏が就任したばかりの代表を辞任し、代わりに国交大臣だった斎藤鉄夫氏が就任した。斎藤氏は72歳で、66歳の石井氏よりも年が上だ。これは、公明党にいかに人材がいないかを証明している。

選挙運動期間中、『聖教新聞』や『公明新聞』では必死の訴えがなされ、とくに選挙の支援活動にSNSを活用するよう強く勧められたものの、それが功を奏することもなかった。

創価学会を押し上げた高度成長というブーム

ではなぜ、これほどまでに創価学会は衰退してしまったのだろうか。

それは、戦後の創価学会の拡大が「ブーム」だったからである。それは創価学会についてだけ言えることではなく、戦後に拡大した新宗教全般にもあてはまることである。

創価学会は全国で会員の数を伸ばしたが、東日本では立正佼成会が、西日本ではPL教団が最大のライバルだった。この二つの教団も戦後に巨大教団へと発展した。現在、立正佼成会も創価学会と同様にかなり会員を減らしているが、もっとも深刻なのはPL教団である。

2020年に3代目の教祖が亡くなったものの、4代目はまだ決まっていない。PL教団と言えば、毎年8月1日に行われる「教祖祭PL花火芸術」において、膨大な数の花火を打ち上げてきたが、コロナ禍で中止されて以降、現在になっても再開されていない。資金難から、再開は不可能のようだ。

戦後に、創価学会をはじめとする新宗教が拡大したのは、未曾有の高度経済成長が起こったからである。

高度経済成長は、産業構造の転換をともなった。それまでの日本の社会においては、農業を中心とした第1次産業の比重が重かったが、それが鉱工業の第2次産業やサービス業の第3次産業へと転換していった。第2・3次産業は都市を舞台にするもので、高度経済成長時代の大都市では大量の労働力を必要とした。その供給源となったのが地方の農村部であった。

それによって、大量の労働力が地方から大都市へと移動することになった。彼らは「金の卵」としてもてはやされたものの、年齢が一〇代と若かった上に、小卒や中卒で学歴が低かった。彼らが就職できたのは、中小企業や零細企業、町工場や商店であった。

新宗教は、そうした新たな都市下層を取り込むことで、その勢力を拡大していった。創価学会に入会すれば、たちどころに仲間ができ、何かと支えになってくれたのである。

ブームは去り、組織は年老いた

しかも、当時の創価学会は日蓮正宗と密接な関係をもっており、創価学会に入会することは同時に日蓮正宗の檀徒になることでもあった。日蓮正宗の総本山である大石寺には、彼らが考える究極の「御本尊」があり、それは日蓮正宗・創価学会の信仰の正しさを証明するものでもあった。

日蓮正宗の信仰は正しいと教えられた創価学会の会員は、その信仰を広めるために、相手を強く説得する「折伏」を行った。折伏を行うには日蓮正宗の教えを学ばなければならない。それは、十分な教育を受けてこなかった創価学会の会員の識字能力を高め、また自分たちだけが正しい信仰をもっているという自信を植えつけることにもなった。

会員たちは、その集まりである地域の座談会で、折伏の成果を発表した。会員や『聖教新聞』の購読者を増やすことが成果で、それを発表すれば、座談会に集った他の会員たちから拍手喝采された。それがさらに自信を与えることにつながった。池田氏も日本全国をまわり、会員を励まし続けた。

しかし、1970年代に入るころには高度経済成長は曲がり角にさしかかる。70年の大阪万博がピークで、73年の第1次オイル・ショック以降は低成長の時代に変わる。そうなると、大都市への人口移動も低調になり、創価学会に入会する人間は減っていった。

つまり、創価学会という組織は、1950年代半ばから70年くらいまでの時代に入会した会員が多数を占めていた。そうした世代が高齢化し、あるいは亡くなることで、会員が減り続けるという状況が生まれたのだ。

創価学会では、その信仰を会員の子どもや孫へ伝えていくために相当な努力を重ね、ある程度は成功した。これは、他の新宗教ではできなかったことである。だが、信仰の熱量となると、2世や3世以降の会員では、自ら入会した1世にはどうしても劣る。それも、創価学会の衰退に歯止めがかからない要因になっている。

実は、こうしたことは共産党にもあてはまる。共産党もまた大都会に出てきたばかりの都市下層をターゲットにしたからである。選挙のたびに創価学会と共産党が激しくぶつかったのも、同じ社会階層を取り込もうとしたからである。

今回の選挙で、共産党は10議席から8議席に減り、9議席のれいわ新撰組にも抜かれてしまった。共産党が力を失ってきたのも、その理由は創価学会と共通する。どちらも、戦後のブームに乗って組織を拡大してきたが、ブームが去ったことで退潮していかざるを得ないのである。

裏金問題で巻き添えを食ったわけではない

私は、ここのところ公明党の地方選挙の結果に注目してきた。地方選挙は4年ごとに行われるわけだが、公明党の候補者は選挙のたびに平均して10パーセント程度得票数を減らしてきている。

昨年6月、当時の岸田文雄首相が衆議院の解散に踏み切るのではないかと言われた。ところが、自民党が行った調査で、自民党は42議席減らすという予測結果が出たために、解散が先送りされた。その調査では、公明党は23議席にとどまると予測された。

今回の選挙結果は、そのときの予測を裏づけることになった。自民党はそれ以上に議席を減らしたが、公明党についての予測はほぼあたっている。これは、裏金問題に公明党が巻き込まれたことが退潮の原因でないことを示している。裏金問題が一気に表面化したのは、それから半年後の昨年11月のことだった。

池田大作氏が亡くなった翌日の昨年11月16日に、創価学会は『創価学会教学要綱』を刊行した。これは、創価学会の教えについて改めてまとめたものである。

そこに示された現在の創価学会の教えは、ひどく穏健なもので、かつてのように、自分たちの信仰が絶対に正しいという主張は完全に影を潜めている。私はそれを読んで、一般の日蓮宗の方がむしろ過激なのではないかという印象さえもった。

以前なら、創価学会の会員は、神社の祭にも参加せず、鳥居さえ潜らなかった。ところが、最近では、そうした会員は一部になり、公明党の議員も神社の祭で神輿を担いだりしている。それは、一般の地域住民と創価学会の会員を隔てる壁がなくなったことを意味する。

 

都市下層として恵まれない境遇にあった創価学会の会員は、かつては自分たちだけのコミュニティーを必要とした。しかし、創価学会の家庭に生まれた子どもも高等学校や大学に進学し、それなりの経済力を身につけるようになった。もはや創価学会という閉鎖的な集団に閉じこもっている必要はなくなった。

創価学会の存在意義が、新たな都市下層民を社会のなかに定着させていくことにあったのだとしたら、十分にその役割を果たしたとも言える。そうなると、日本社会にとっても、創価学会の会員にとっても、創価学会という組織は要らないものになってしまったのである。

 

 

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