みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

三つ子の魂

2006-02-01 01:56:42 | Weblog
百までとは良く言ったもので、私は小さい頃に思ったことを未だに思い続けながら生きている。
とは言っても、別に、過去を振り返りながらとかそんなことではなく、小さい頃に読んだ本のあることばが忘れられず、今もそれをモットーに生きているのだ。

ルイス・キャロルの書いた有名な童話『不思議の国のアリス』の後ろの帯びに、「夢のない人生って、一体何の意味があるのだろう?」という作者のことばが書いてある(お話そのものは超有名なのでみんな知っているだろうが、この帯びのことばの印象は薄いのではないだろうか?)。それを未だに「そうだ、その通り」と思いながら生きているのが私という人間だ。
夢がなくなってしまったら、もはや生きている意味はない。今でも本気でそう思っている。死ぬまで夢を追い続けていたい。
でも、たぶんそんな心配はいらないだろうとも思う。夢っていうのは果てしのないモノで(そんなタイトルの歌があったけど)、次から次に勝手に湧いて来てくれる。きっと、それを追い求める人には、神様がちゃんと角かどに夢を置いて待っていてくれる。そんな感じがしてしょうがない。
今までに幾つもの夢を見、それを実現してきた。そして、また幾つもの夢を作り出そうとしている。

今日のフルフルのリハで私が言ったこと。メンバーのみんなはどれだけ理解してくれただろうか?あのことば、この夢と深い関係がある。
前のフルフルのメンバーがよく私に聞いてきた。
「みつとみさんは、よくカッコよく、カッコよくと言いますが、カッコよくっていろんなカッコよさがるじゃないですか。みつとみさんの言うカッコよさって具体的にはどういうことですか?」
正直言って、この質問ほど私を怒らせた質問もなかった。
ああ、この子たちは私をちっとも理解しようとはしてくれなかったのだナ....。内心そう思った。

私は小さい頃から「カッコよく生きたい」と思って生きてきた。私の人生の目標は「カッコよく生きる」こと。それだけだった。でも、どうやってカッコよく生きるの?
私の出した答えは単純なこと。カッコ悪いことをしなければカッコよく生きられる。
じゃあ、カッコ悪いことって何?
世の中にはカッコ悪いことはたくさんある。政治家が国会の答弁で詭弁を使い誤魔化すこと。人が見ていないと思ってゴミを捨てたり、タバコを捨てたりすること。自分の非を認めず、他人のせいにしたり何とか言い繕おうとすること。
うん、探せばカッコ悪いことなんて山ほどある。でも、そのすべてに何か共通していることがある。
そうだ、みんな何か潔くないんだ。
キッパリと潔い態度や行動はとてもカッコよく見える。
カッコいいということは潔いことなのではないだろうか?(それが私の出した結論)

夢を持つということも、この潔さに関係がある。
夢を持ってカッコよく生きるためにも潔さが必要だ。
人はすべてのモノは持つことはできない。何かを得ようと思ったら、何かを犠牲にしなければならないかもしれない。それをスパっと諦めることができるのか?
別に諦めなくてもいいかもしれない。でも、夢が夢であるうちは、現実のモノではない。だから、現実から夢へ一足飛びに行くために、絶対に何かの壁を潔く越えなくては「その世界」に入り込むこともそれをつかみ取ることもできないと私は思っている。

何でもそこそこやっていればOKなんじゃないの?
私は要領のいい生き方が大嫌いだ。
そういう風に思う限り「夢」というのはどこまでも遠いモノで終わってしまう。
夢をつかめる人。それは、それを必死で追い求める人だけ。
潔く生きる。
潔く舞台に上がる。
潔く演奏する。
潔く動く。
これさえ理解してくれていれば、みんなも私と同じ夢を一緒に見ることができるのだが...。