みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

またまた

2006-02-22 00:12:52 | Weblog
長い一日。
午前中から午後3時まではフルフルのリハーサル。
それが終わると、オーディションや打ち合わせ。
その間にもぼんぼん仕事の連絡が電話やメールに入るので休まるヒマがない。
でも、夜は天王州のアートスフィアにピアノ西村由紀江のコンサートに行く。このコンサートは、私が雑誌に紹介した関係で行ったのである意味仕事の延長のようなモノだが、正直言ってよかったと本気で思った。

彼女には以前数回会ったこともあるし、その音楽の内容はよく知っていたつもりだったけれど、不覚にも演奏を聞きながら涙してしまった。私が音楽会で涙したのは後にも先にも2回だけ。
一つは、もう30年以上も前に行ったコンサート。当時、東と西に分かれていた共産圏の東ドイツのオーケストラが来日してバッハの『ロ短調ミサ』をやった時。しかも、その時泣いた場面は、ソプラノのアリアにフルートがオブリガートを吹くところ。
普通、同業者の演奏は必ず批判的な耳で聞いてしまい、純粋に演奏を楽しむことなどないのだが、この時ばかりは別。私は、それがフルートの音だということさえ忘れていた。それぐらい、純粋に感動できた演奏だった。
もう一つは、アメリカのシンガー、フィービー・スノウのコンサートに行った時。これも、単純に彼女の歌声を聞いているだけで涙が止まらなかったことを昨日のように覚えている。
今日の西村由紀江さんのピアノもそれに近い感動だった。
意地悪な言い方をすれば、西村さんの音楽は基本的にどれも同じ。ヒーリングということばがピッタリくるような類いの音楽だ。正直言って私の好むタイプの音楽ではない。それでも、今夜の彼女の演奏を聞いて涙したのは、彼女の音楽に対する姿勢が素直に伝わってきたからだと思う。
彼女はまさしくアーティストだなと思った。自分の気持ちを表現する術を知っている人。そして、それを聞く人に伝えられる人。だから、私は感動できたのかもしれないと思う。
バッハの時も、フィービー・スノウの時も今日の西村由紀江さんのピアノも、私は何も考えていなかったような気がする。そして、だからこそ私に人間以外のメッセージが伝わってきたような気さえした。
いつも、理屈や理論で人に音楽を説明する私が、何にも理屈抜きでただただ音楽に感動できた瞬間というのも、私にとっては何モノにも変え難い体験だ(私は、こういう理屈抜きの感動を与えられるアーティストにフルフルを育てあげたいと思っているのだが...)

長い一日がこんな形で締めくくれるのもそうザラにはないので、今夜はいい気持ちで寝れそうだ。
あ、まだ寝れないや。今夜は荒川静香を見ようと思っていたのだ(ブヒ)。