ような気がする。
車椅子を離れ杖での自力歩行の第一歩が始まった。
まだ一階のリハビリ室から2階の自分の病室までの数十歩に過ぎないがここにたどり着くまでの時間と道のりを考えると「やっとここまで来た」という気は正直する。
明日がちょうど発症から3カ月目。
まだ最終目標に到達したわけではないがそこへの道筋がはっきり見えてきたことは確かだ。
すぐに思いだされたのが最初の病院でよく買いに走った紙オムツのこと。
オムツをしなければならないという屈辱とそれを当たり前のこととして受け入れなければならない状況は今思い出してもなぜか切ない。
恵子がオムツをしたままベッドに横たわっていた日々が急に思いおこされた。
私は、入院3週目に紙に書いて恵子にこんな目標を示した。
「 第一関門=一人でトイレに行けるようになる!
第二関門=車椅子なしで移動できるようになる!
第三関門=右手で箸が持てるようになる!
第四関門=杖なしで歩けるようになる!
第五関門=右手で絵が描けるようになる!
以上の動作をするために
正しいイメージで「手と足」を動かすことを脳に働きかける。
常に正しいイメージトレーニングをする。
音楽を聴いて心をリラックスさせる。」
というものだ。
この2番目の階段にやっと足がかかったわけだ。
常に「正しいイメージ」を作りあげることを心がけてきた二人だったが、ひたすらこの達成目標そのものをイメージすることによって目的をどんどん手元に手繰り寄せてきたのかもしれない。
そういえば今日恵子は左手で不自由な右手をさすりながらこんなことを言っていた(彼女は私がしていない時は自分自身でもリンパマッサージをするよう心がけている)。
「この自分の手を触っているとだんだんイメージできるようになってきたの」
「何をイメージできるんだよ?」
聞けば彼女の頭の中で絵を描いている自分がイメージできるようになってきたのだそうだ。
「絵なら今でも描いてるじゃないか」
「そうじゃなくて、ちゃんと前のように絵筆を使って絵を描くイメージが持てるようになったの。なんか描けそうな気がする」
そうか、クレパスで描いている絵と絵筆を使う絵とではかなり開きがあるもんな。
軽くなでていけば絵を描くことができるクレパスと常に繊細な筆さばきが必要とされる絵では脳から来る「指令」にもきっと相当な開きがあるに違いない。
そんなことを考えながら病室を後にして帰り道廊下を歩いていたら看護婦長さんから「みつとみさん、今日嬉しそうね。何かいいことあったの?」と言われてしまった。
どこまでもわかりやすいヤツだ。
車椅子を離れ杖での自力歩行の第一歩が始まった。
まだ一階のリハビリ室から2階の自分の病室までの数十歩に過ぎないがここにたどり着くまでの時間と道のりを考えると「やっとここまで来た」という気は正直する。
明日がちょうど発症から3カ月目。
まだ最終目標に到達したわけではないがそこへの道筋がはっきり見えてきたことは確かだ。
すぐに思いだされたのが最初の病院でよく買いに走った紙オムツのこと。
オムツをしなければならないという屈辱とそれを当たり前のこととして受け入れなければならない状況は今思い出してもなぜか切ない。
恵子がオムツをしたままベッドに横たわっていた日々が急に思いおこされた。
私は、入院3週目に紙に書いて恵子にこんな目標を示した。
「 第一関門=一人でトイレに行けるようになる!
第二関門=車椅子なしで移動できるようになる!
第三関門=右手で箸が持てるようになる!
第四関門=杖なしで歩けるようになる!
第五関門=右手で絵が描けるようになる!
以上の動作をするために
正しいイメージで「手と足」を動かすことを脳に働きかける。
常に正しいイメージトレーニングをする。
音楽を聴いて心をリラックスさせる。」
というものだ。
この2番目の階段にやっと足がかかったわけだ。
常に「正しいイメージ」を作りあげることを心がけてきた二人だったが、ひたすらこの達成目標そのものをイメージすることによって目的をどんどん手元に手繰り寄せてきたのかもしれない。
そういえば今日恵子は左手で不自由な右手をさすりながらこんなことを言っていた(彼女は私がしていない時は自分自身でもリンパマッサージをするよう心がけている)。
「この自分の手を触っているとだんだんイメージできるようになってきたの」
「何をイメージできるんだよ?」
聞けば彼女の頭の中で絵を描いている自分がイメージできるようになってきたのだそうだ。
「絵なら今でも描いてるじゃないか」
「そうじゃなくて、ちゃんと前のように絵筆を使って絵を描くイメージが持てるようになったの。なんか描けそうな気がする」
そうか、クレパスで描いている絵と絵筆を使う絵とではかなり開きがあるもんな。
軽くなでていけば絵を描くことができるクレパスと常に繊細な筆さばきが必要とされる絵では脳から来る「指令」にもきっと相当な開きがあるに違いない。
そんなことを考えながら病室を後にして帰り道廊下を歩いていたら看護婦長さんから「みつとみさん、今日嬉しそうね。何かいいことあったの?」と言われてしまった。
どこまでもわかりやすいヤツだ。