と療法士さんに言われて恵子はおそるおそる足を前に差し出すがそれでもゆったりと足はなかなか出てこない。
なるべく右足だけで体重を支える時間を長くしてください。
私もそう思うのだが、療法士さんが言うようには恵子の足は進まない。
右足はゆっくり出ても左足がすぐに着地してしまう。
右足で身体を支えるのが怖いのだろう。
きっと、右足が不自由だという意識が余計そうさせているのかもしれない。
そんな恵子の動きを見ていたら療法士さんから私への指令が飛んできた。
「必ず右側を歩いて(麻痺のある側)いつでも身体を支えられる位置にいてください。倒れる時は必ず右側ですから」。
今日は私が歩きの介助の方法を教わる日。
なるほど、確かにまともな左手は杖を持っているんだから左手や左足が咄嗟の時に右側の助けにはならない。
「だから、常に不自由な側に立っていてください」と療法士の彼女は言う。
言われてみれば当たり前と思えることなのだが、実際に一緒に歩くとなかなか歩調があわず時々私の方がこけそうになってしまう(彼女の足を見ながら歩くと前や横に注意が行かなくなってしまうので私の方がバランスを崩してしまう)。
しかも病院の廊下にほとんど障害物はないが、普通の道路は障害物がどこにあるかわからない。
おそらく、今は恵子よりも私の方が緊張しているかもしれない。
だって、ドジって彼女を転ばせてしまったらそれは私の責任だし、そんなことになったら目も当てられない。
今日は朝から介護ベッドを搬入してもらったり、お風呂の介護椅子や湯船のヘリに取り付ける取っ手なども持ってきてもらったり(もちろん買ったのだが)と恵子の暮れの一時帰宅に備えての準備に追われた一日だった。
病院での私に対する介助訓練も外泊に備えてのものだ。
そうだ、明日は仕事の帰り、車で病院まで行ってみよう。
大晦日の当日、彼女を迎えに行く私が道に迷ってしまったりしたら大変だから(マジでそれをやってしまいそうだし)。
なるべく右足だけで体重を支える時間を長くしてください。
私もそう思うのだが、療法士さんが言うようには恵子の足は進まない。
右足はゆっくり出ても左足がすぐに着地してしまう。
右足で身体を支えるのが怖いのだろう。
きっと、右足が不自由だという意識が余計そうさせているのかもしれない。
そんな恵子の動きを見ていたら療法士さんから私への指令が飛んできた。
「必ず右側を歩いて(麻痺のある側)いつでも身体を支えられる位置にいてください。倒れる時は必ず右側ですから」。
今日は私が歩きの介助の方法を教わる日。
なるほど、確かにまともな左手は杖を持っているんだから左手や左足が咄嗟の時に右側の助けにはならない。
「だから、常に不自由な側に立っていてください」と療法士の彼女は言う。
言われてみれば当たり前と思えることなのだが、実際に一緒に歩くとなかなか歩調があわず時々私の方がこけそうになってしまう(彼女の足を見ながら歩くと前や横に注意が行かなくなってしまうので私の方がバランスを崩してしまう)。
しかも病院の廊下にほとんど障害物はないが、普通の道路は障害物がどこにあるかわからない。
おそらく、今は恵子よりも私の方が緊張しているかもしれない。
だって、ドジって彼女を転ばせてしまったらそれは私の責任だし、そんなことになったら目も当てられない。
今日は朝から介護ベッドを搬入してもらったり、お風呂の介護椅子や湯船のヘリに取り付ける取っ手なども持ってきてもらったり(もちろん買ったのだが)と恵子の暮れの一時帰宅に備えての準備に追われた一日だった。
病院での私に対する介助訓練も外泊に備えてのものだ。
そうだ、明日は仕事の帰り、車で病院まで行ってみよう。
大晦日の当日、彼女を迎えに行く私が道に迷ってしまったりしたら大変だから(マジでそれをやってしまいそうだし)。