患者さんの中には、自分の手で食べられない人も多いので看護師さんや家族の人が食事の面倒を見たりする(以前恵子がまったく自力で食べられなかった時は私も恵子の食事の面倒を見ていた)。
もちろん、一方で自分一人で黙々と食べている方も大勢いらっしゃる(こんな光景、介護施設の食事風景とどこか似ている)。
人や病気、疾病の種類によって食事のメニューも違うのだが、脳疾患の重い人には会話もおぼつかない人がいる。
そういう人は咀嚼も嚥下も苦手な人が多いのでこぼしたりする以前に食べ物を口に運ぶまでがひと苦労だ。
「口を大きく開けてください」「舌出してください」。
罵声にも似た大声が飛びかう。
それ以前に本当は「聞こえますか?」なのだが、患者さんたちは一見聞こえてないように見える人でも実はけっこう聞こえていたりする。
だから、時々こんな声もする。
「そっち行っちゃダメですよ」「戻ってきてください」「早く食事済ませてください」。
業を煮やすと看護士さんはこんな恫喝をする。
「ごはんちゃんと食べてくれないと点滴にしますよ。それでもいいですか?」
これでたいていの患者(言うことを聞かないのは大体年輩の男性)は言うことを聞く。
なんだ、ちゃんと聞こえてるじゃんと思うが患者にしてみれば入院生活のストレスと男性特有のプライドの高さから勝手な行動をして看護師さんたちを困らせてしまうのだと思う(看護士さんを困らせること自体がストレス発散だったりして?)。
どちらにせよ、リハビリ病院では食事どきが一番患者の「素性」がよくわかるのだ。
私が一緒に食べる時、恵子はいつも右手で最初の何口かを食べるようにしている。
私がそうしてくれと頼んだからだが、今日の彼女の箸さばきはこれまでにないほどにきれいだった。
これまでは見ていてもやっと食べ物をつかむ(というかかろうじて引っかけている程度)感じだったのが今日は箸を使ってきちんと食べているように見えた。
「今日はすごく上手じゃん」と言うと、すかさず「だって毎食ちゃんと練習しているもん」と答える。
本当は最後まで右手だけで食べたいんだけど、それだと時間がかかり過ぎて大変だから、途中から左手にしているのだとも言う。
だから、大晦日に一時帰宅したら「全部右手で食べる」のだそうだ。
リハビリはできたことしかできない。
当たり前のように聞こえるかもしれないが、「脳はできたことしか覚えない」という意味では真理だ。
もっとわかりやすく言うと「脳はできたことだけを『運動の記憶』として脳の中に書き込んでいきニューロン(=脳からの指令の道筋)を作っていく」ということになる(こっちの説明の方が難しいか?)。
恵子は、ずっと正常な左手の助けを借りて右手で絵を描いたり字を書いたりしている。
不自由な右手だけでこれらの動作をやろうとするとどうしても「無理な動作を覚えてしまう」かもしれないからだ。
この「できたことしか覚えない」ということは楽器の習得でも同じ。
正しい指の動かし方を覚えないで無理な動かし方、あるいは間違った動かし方を覚えてしまうと、私たちの指はいつまでたっても「正しい動き」ができない。
だから、最良の方法は、「正しい動き」を「正しい動き」として脳に記憶させるしかないのだ。
楽器だったらゆっくりと練習して正しい音の動きを指に覚えさせることだし、リハビリだったら、人に助けてもらってもいいし、自分の身体の一部が助けてもいいので「正しい歩き方」「正しい指の動き」を脳に覚えさせていくことになる。
「ちゃんと食べないと点滴にしますよ」という看護士さんの恫喝が有効なのは、患者たちもちゃんと「口を使って食べない」と身体が正しい食べ方を覚えずに「寝たきり状態」に近づいて行くことの恐怖を本能的に感じているからだろう。
点滴で生きて行くことは脳そのものの死滅へダイレクトにつながっていく。
食べ物を口から入れて噛むことこそが脳の「活動」でありリハビリそのものになることを患者さんたちは皆よく知っているのダ。
そんな光景を見るとちょっとホッとする。
もちろん、一方で自分一人で黙々と食べている方も大勢いらっしゃる(こんな光景、介護施設の食事風景とどこか似ている)。
人や病気、疾病の種類によって食事のメニューも違うのだが、脳疾患の重い人には会話もおぼつかない人がいる。
そういう人は咀嚼も嚥下も苦手な人が多いのでこぼしたりする以前に食べ物を口に運ぶまでがひと苦労だ。
「口を大きく開けてください」「舌出してください」。
罵声にも似た大声が飛びかう。
それ以前に本当は「聞こえますか?」なのだが、患者さんたちは一見聞こえてないように見える人でも実はけっこう聞こえていたりする。
だから、時々こんな声もする。
「そっち行っちゃダメですよ」「戻ってきてください」「早く食事済ませてください」。
業を煮やすと看護士さんはこんな恫喝をする。
「ごはんちゃんと食べてくれないと点滴にしますよ。それでもいいですか?」
これでたいていの患者(言うことを聞かないのは大体年輩の男性)は言うことを聞く。
なんだ、ちゃんと聞こえてるじゃんと思うが患者にしてみれば入院生活のストレスと男性特有のプライドの高さから勝手な行動をして看護師さんたちを困らせてしまうのだと思う(看護士さんを困らせること自体がストレス発散だったりして?)。
どちらにせよ、リハビリ病院では食事どきが一番患者の「素性」がよくわかるのだ。
私が一緒に食べる時、恵子はいつも右手で最初の何口かを食べるようにしている。
私がそうしてくれと頼んだからだが、今日の彼女の箸さばきはこれまでにないほどにきれいだった。
これまでは見ていてもやっと食べ物をつかむ(というかかろうじて引っかけている程度)感じだったのが今日は箸を使ってきちんと食べているように見えた。
「今日はすごく上手じゃん」と言うと、すかさず「だって毎食ちゃんと練習しているもん」と答える。
本当は最後まで右手だけで食べたいんだけど、それだと時間がかかり過ぎて大変だから、途中から左手にしているのだとも言う。
だから、大晦日に一時帰宅したら「全部右手で食べる」のだそうだ。
リハビリはできたことしかできない。
当たり前のように聞こえるかもしれないが、「脳はできたことしか覚えない」という意味では真理だ。
もっとわかりやすく言うと「脳はできたことだけを『運動の記憶』として脳の中に書き込んでいきニューロン(=脳からの指令の道筋)を作っていく」ということになる(こっちの説明の方が難しいか?)。
恵子は、ずっと正常な左手の助けを借りて右手で絵を描いたり字を書いたりしている。
不自由な右手だけでこれらの動作をやろうとするとどうしても「無理な動作を覚えてしまう」かもしれないからだ。
この「できたことしか覚えない」ということは楽器の習得でも同じ。
正しい指の動かし方を覚えないで無理な動かし方、あるいは間違った動かし方を覚えてしまうと、私たちの指はいつまでたっても「正しい動き」ができない。
だから、最良の方法は、「正しい動き」を「正しい動き」として脳に記憶させるしかないのだ。
楽器だったらゆっくりと練習して正しい音の動きを指に覚えさせることだし、リハビリだったら、人に助けてもらってもいいし、自分の身体の一部が助けてもいいので「正しい歩き方」「正しい指の動き」を脳に覚えさせていくことになる。
「ちゃんと食べないと点滴にしますよ」という看護士さんの恫喝が有効なのは、患者たちもちゃんと「口を使って食べない」と身体が正しい食べ方を覚えずに「寝たきり状態」に近づいて行くことの恐怖を本能的に感じているからだろう。
点滴で生きて行くことは脳そのものの死滅へダイレクトにつながっていく。
食べ物を口から入れて噛むことこそが脳の「活動」でありリハビリそのものになることを患者さんたちは皆よく知っているのダ。
そんな光景を見るとちょっとホッとする。