みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

病院で恵子と一緒によく食事をする。

2011-12-16 21:59:16 | Weblog
ほとんど夕食のことが多いがこちらの仕事の都合で昼食の時もある。
もちろん向こうは病院食、こちらは買ってきたものだったり自分で作ったりの弁当を食べる(入院患者は家族と一緒の時には病室ではなくラウンジと呼ばれる場所で食事をすることができる)。

以前の急性期の病院では症状に応じて点滴、流動食、軟食、普通食と変遷したが、流動食以降どんな味がするのかとずっと私も味見をしてきた(恵子は絵日記に毎日食事のメニューを記録している)。
面白いもので、食べ物というのは流動食のように形がないと中身を当てるのがとても難しいし(何しろ色以外はみんな同じだ)何を食べても同じ感触になる。
つまり食事としての楽しさはほとんどゼロに近い。
ただ、栄養が足りてるというだけで、点滴よりいくらかマシという感じだ。
軟食(嚥下食)だと多少食事らしくなってくるが、その時も恵子と二人で「早く普通のモノ食べたいネ」と言いあっていた。
普通食になってから「おっ、けっこうここの食事おいしいかも」と喜んだのもつかの間、すぐに現在のリハビリ病院に転院しなければならなくなってしまった。
そこからがちょっといけません。
同じ病院食でありながらも以前の病院との内容の違いに時々唖然とさせられる。
病院食なのだから当然栄養士さんがカロリー計算をして予算内でメニューを作っているはず(現在の医療制度では治療費も毎日の食費も病院によってそれほどの差はないようになっている=差があるのはベッド代だけだ)。
にもかかわらず(条件は同じはずなのに)食事の内容はえらい違う。
これは栄養士さんのセンスの問題なのか技術の問題なのか、あるいは環境の違いなのか(以前の病院は目黒の高級住宅地にあったが現在の病院の所在地は川崎の柿生という田舎だ)?
病院に入院している患者さんにとって食事は最大の楽しみであるはずなのに、「それがこんな食事じゃなあ…!」と私も思っているし恵子も思っているし他の患者さんもそう思っているのでは?(他の患者さんも似たようなことを言っていたのできっとそうなのだ)。
先日も病室に着くなり「今日のお昼肉うどんだったヨ」と恵子が喜こぶ声をあげるので「あ、そう」と素っ気なく答えたが、内心は「おいおい、肉うどんぐらいでそんなに喜ぶなよ…」とちょっと悲しくなった。
以前の病院ではクロワッサンや時にブリオッシュまで出てきた時もあったのに(さすが目黒)この病院で出るパンはスーパーで売っているような普通の小麦粉の食パンのみ。
まあクロワッサンにはバターがたっぷり入ってるのでカロリーを控えるという意味ではよくわかるけど、料理上手な人だったらマーガリンや別の材料でいろいろ工夫しながらおいしいパンを幾種類も作れるはず。
他の料理にしてもいかにも素朴(?)というか「これ何?」というような料理が多いのだが、味つけはほとんど味がないに等しいか薄い醤油の味がする程度の超田舎っぽい料理ばかり(よく出る豆腐ハンバーグもちょっとネ~)。
私の知り合いの男性の脳卒中患者の何人かは2か月とか3か月といった「え?それでいいの?」というぐらいの短い入院生活しか送ってこなかった人が多いのだが、その一因が病院の食事にもあるのかも?と最近は真剣に思っている。
男性は年配であればあるほど(脳卒中患者のほとんどは年輩の人たちだ)プライドと見栄にこだわる人が多いが、もう少し辛抱して入院していればいいのにと思うその気持ちを萎えさせる原因がもし食事だとしたら栄養士の責任はけっこう重いナと思う。
タニタの社員食堂のメニュー本が流行っているのも、カロリー制限と食事の楽しさという一見矛盾するように見える2つのコンセプトをちゃんと両方同時に満たしているからこそ。
やっぱり料理も音楽もセンスだ。