みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

リハビリ病棟

2014-04-07 21:23:14 | Weblog
に恵子が移ったということを先日ある友人にメールで知らせたら、彼女、何を思ったか、「リハビリ病棟という響きが『タイガーマスク』の虎の穴のイメージです。なにやら戦闘モードに突入という妄想に入りました」という返信をくれた。
私は、『タイガーマスク』を見たことがないので「虎の穴」と言われてもピンと来ないし、私の中でリハビリ病院とかリハビリ病棟というイメージは堀辰雄の小説とかの高原のサナトリウム、病弱な薄幸の美少女みたいなものだったので、この友人の妄想につきあうことはできなかったけれども、毎日の入院生活を見ているとこの彼女の「妄想」もまんざら「妄想」とも言えないような気がしてきている。

入院生活とは縁遠い健康な人たちには縁のないことだと思うが、現在の日本の医療制度では、病院は急患や手術の必要な患者などの緊急性の高い患者を中心に治療する急性期病院と、容態が安定していて長期のリハビリが必要な患者を受け入れる回復期リハビリ病院の二種類に分かれている(だから、一般の外来患者が診察を受ける病院は基本的に急性期病院だ)。
恵子が手術を受けた病院は当然急性期病院なので、長期入院する場合には、別の回復期リハビリ病院に転院する必要があった。
事実、手術する直前にも担当医師から「ウチで引き受けられるのは四週間までで、それ以降は転院先の病院を探してください」と言われた上で手術を受けたのだ(法的には急性期病院の入院期限は60日ぐらいあるはずなのだがそれも個々の病院の裁量に任されているようだ)。
ところが、手術後「奥さんの骨は思ったよりももろく、回復が健常者の方よりも遅くなりそうなので、6週間程度様子を見ないと手術そのものの結果が良好かどうかわからないかもしれません」と言われた。
「ええ?それでは、4週間が入院のマックスだとしたら6週間様子を見るために必要なこの2週間の空白期間はどうするんですか?様子もちゃんとわからないうちに病院から放り出されてしまうんですか?」と私は尋ねた(もちろん、きつい口調ではなく)。
さすがに、医師もその辺は考慮してくれたようで、「幸い、ウチの4階はリハビリ病棟なので(つまり、急性期病院の中にもう一つの回復期リハビリ病院があるという格好だ)、そちらに移れば長期のリハビリ治療ができます」と言ってくれた。
なんだ、それを先に言ってよという感じだったが、そのリハビリ病棟に移ってみて「やはりここはここで大変なところだな」と思うこともしばしばだ。
リハビリ病棟に入院している患者のほとんどは高齢者で、そこで目にする光景は介護施設とほとんど変わらない。
二年前に恵子が入院していた川崎のリハビリ病院もそうだったが、「ここは介護施設なの?医療機関なの?」と目を疑うような光景が毎日のように繰り広げられているので、看護士さんたちの仕事も施設で働く介護福祉士の仕事とあまり変わらないように見える。
だから、ヘタをすると恵子のように「あまり手のかからない」患者は後回しにされてしまうことが多いのだ(実際は、あまり手がかからないわけではなく、手をかけてもらえないだけなのだが…)。
今日も、病室に行くといきなり恵子が「髪が濡れてるからベッドに寝られない」と泣きそうな顔で訴えてきた。
「え?何それ?」と彼女の髪を触ると確かに濡れている。
先ほどシャワーに入ったというのだが、髪がまだ完全に乾ききらないうちにベッドに戻され寝かされたのだという。
この髪の状態でベッドに寝ろというのはあまりにも乱暴な話だ。
いろいろと聞くとやはりシャワーの世話をしてくれたのは看護士ではなく看護助手のようだった。この人たちの仕事は案外荒っぽい。
これでは風邪をひいてしまうとナースステーションに行って文句を言おうとちょっと「戦闘モード」で向う(笑)と、ちょうど部屋の前を看護士さんが通ったので「ドライヤー貸してもらえませんか?」と尋ねるとアッサリと「あ、今持っていきます」と言ってくれた。
ドライヤーを手に持ち恵子のところに来るとその看護士さん、すぐに恵子にドライヤーをかけ始め、しきりに「ごめんなさいね」と謝る。
別に彼女がさっきのシャワーの張本人ではないのでこの看護士さんに謝ってもらう必要はないのだが、きっとこの看護士さんには(私が説明しなくても)何が起こったのかがすぐに理解できたのだろう。
だから、「代わりに」謝ってくれたのかもしれない。
そうこうしていると、今度は向いのベッドのクメさん(本名ではなく仮名)のところに別の看護士がやってきて「え、またベッドから出ちゃったの」「一人で出ちゃダメよ。危ないから」と言われるが、当のクメさん、聞いているのかいないのか、ベッドから盛んに出ようとする。
困り果てた看護士さんは婦長さんに応援を頼み「拘束しても良いですか?このままだと危険です」と訴えるが、さすがに婦長さんも拘束という手段は取りたくないようで、「もう少し頻繁にベッドに回ってみましょう」という対処で乗り切ることになる(多分それで大丈夫なような気がするが)。
このクメさんのところには毎日のようにお孫さんらしき若い人が面会に尋ねてきているのだが、クメさんとお孫さんたちの会話がかみ合っているのを聞いた試しがない。
いつもお互いに言いたいことだけを言いあっているように見える(というか、聞こえる)。
だからといってけっして言い争っているわけではなく、和気あいあいとした家族の普通の会話に聞こえるところはさすが家族なんだなといつも感心する。
今のリハビリ病院に単なる骨折とか単なる(一つの)疾患だけで入院している人はごくマレで、必ずこうした認知症的な徴候や他の合併症をかかえながら長期の入院生活を送っている人が多いのが現実だ。
まるで介護施設のような会話ややり取りが、この病棟の至るところで(患者、看護士、家族の間で)毎日、毎時間のように繰り広げられている(こういう雰囲気は、たしかに急性期病院ではあまりない)。
なので、恵子も、うかうかしているとこの「ペース」に巻き込まれてしまうことになる。
クメさん騒動がひと段落したところで私は、ベッドにいる恵子に無言で(「大変だけど、頑張れよ」)と目配せをして病院を後にする。
しかし、私が家に帰ってからも恵子から「今部屋の中がこんな…になってる」といった報告メールが来るのだ。
こんなことが毎日繰り返されるようでは、恵子も、夜ゆっくりと休むこともできないのではないだろうか。
やはり、これは友人の言う虎の穴の「戦闘モード」に違いないのかもしれない(ただ、 私には「虎の穴」というものがイマイチよくわかっていないのだが)。