「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2007・07・25

2007-07-25 09:55:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「政治献金にまつわる醜聞なら十年前にもあった。二十年前にもあった。十年たっても二十年たってもあるだろう。全く同じパターンである。なぜ同じかというと国民が惜しんで国会議員に金を出さないからである。
 大ざっぱにいうと国会議員の歳費は二千万円、文書通信費千万円、党から立法事務費として八百万円、その他〆(しめ)て年に四千万円である。議員が政治活動するには、いま一億二千万円はかかるという。
 その差八千万円を議員は都合しなければならない。政治献金によるよりほかない。政治献金にはひもがつく。ひもには悪いひもとそんなに悪くないひもがある。ほかにパーティがある。二万円のパーティ券を買ってもらって、五千円の料理しか出さなければ一万五千円懐ろにはいる。千人は集まるだろう。
 国会議員にこんな情けないことをさせていいのか。議員の人相が悪くなるのは道理である。アメリカでは官費で秘書を二十人つけてくれる。敬意と報酬があるという。
 かりにも国政を預けるのだ。金の心配をさせぬがいい。一億二千万かかるなら二億出せ、二億出したって一千五百億余りである。
 年間二兆円の国鉄の赤字に、国民は平気だったではないか。分割民営反対の組合に新聞は味方したではないか。なぜ議員に出す金を惜しむか。私は国民のケチなのに驚いている。
 金丸信が五億もらったというが、金丸は右から左にそれを六十数人に与えている。自分の懐ろにいれる者もたまにはいるが、爪はじきされる。領袖はつとまらない。だから金丸は悪いことをしたとは思ってない。むろんもらった議員も思ってない。事件発覚直後の金丸の誕生日には議員は皆々祝いにかけつけている。
 彼らの金銭感覚を疑うという者があるが私は疑わない。坪一億なら五坪ではないか。私たちにとっても一円玉は三十年前から金ではなかった。新聞が三百円値上げしても部数に増減はなかった。三百円は金ではなかったのだ。金丸の金銭感覚と我らの金銭感覚の根は同じものだ。坪一億ということは一万円札がニセ札になったということだ。
 政治家を聖人君子だと思うな。あれは私たちのなかから選ばれたものだ。私たち以上でないまでも断じて以下ではない。それをよくまあ毎日犬畜生のように言えるなあ。
 自分がその椅子に座らなかったばかりに正義漢だった選挙民が、その椅子に座った政治家を勇んで罵倒して、自動的にさらに正義漢になるのは人生の快事だから、新聞は百万読者に媚びて先回りして悪口を書くのである。
 今も昔も新聞記者出身の政治家はたくさんいる。彼らは学校を出たときは同じ秀才で、一人は新聞の論説委員に、一人は国会議員になったのである。片っぽだけ犬畜生だと私には思えない。畜生なら共に畜生である。」

 (山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫所収)
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