「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2007・07・22

2007-07-22 09:25:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「自分の国の悪口を、自分の国の子供の教科書に書く国民があるだろうか。あるのである。わが国の教科書には日本及び日本人の『非』が山ほど書いてある。一以(いちもつ)て貫いている。
 古くは日清日露の戦役まで侵略戦争だと書いてある。新しきは十万二十万三十万、南京大虐殺はあったと書いてある。
 だからあったと信じる生徒がある。それがいま四十五十の大人になっている。『日教組』の教育は四十年続いた。
 よしんば多少の殺戮があったとしても、なかったと言うのが健全な国民である。イギリス人はイギリスの小中学生に、イギリスが世界中に領地を持ったのは、南アフリカでは首長に懇望されたからであり、エジプトでは王の苦しい財政を助けるためであり、インドでは(以下略)と教えている。
 日本人には噴飯ものだが、イギリス人は大まじめである。どこの国でも自分の国の非をかくすのが当然であり健康である。故に健康はイヤなものである。ソ連も中国も自国の非を少青年に教えない。国民の『誇り』はこの虚偽の上にあるのである。
 ひとり日本人だけはありもしない自国の非をあばいて直とするのは、良心的だからである。そして誇りを失ったのである。虐殺は多ければ多いほど中国人の敵愾心を鼓舞する、喜ばせるから言うのは屈折した迎合だとは以前書いた。なぜそんなにまでするのかというと、社会主義は正義で、何よりも正義を愛するからである。
 正義と社会主義を実現するためにはどんなウソをついてもいいのである。朝鮮戦争をしかけたのは韓国とアメリカであり、三十八度線を北から南へ何本もトンネルを掘ったのも韓国だと北は言う。北が言うのは当然だが、日本人は和して、時には先回りして言うのである。サギをカラスと言っても許されると思っているのである。
 だから家永(三郎)裁判は敗訴に次ぐに敗訴だったのに、さながら勝訴のように新聞は祝ったのである。新聞は社会主義国の味方である。
 文部省はひとこと言えばよかったのである。あることないこと自分の国の悪口を書いた教科書なら採用しないと一蹴すればよかったのである。十年も二十年も裁判するには及ばなかったのである。
 こんな分りやすい理屈が分らないのはインテリだけである。凡夫凡婦には電光のように分る。
 なぜこれしきのことが言えなかったか。教育が日教組の手に握られていたからである。いま中ソの二大社会主義国は崩壊した。したがって日教組も無力と化したが、日本中の教員はそれで育ったものばかりだから、次のプリンシプルがあらわれないかぎり、惰性でもとの教育をするよりほかない。
 文部省の役人もすでに日教組育ちであり、大学の教授陣は多く社会主義のシンパだから、助教授は教授になるには迎合しなければならない。小中学校の先生と生徒の無気力の一因はここにあると存ずる。」

 (山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫所収)
コメント
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