今日の「 お気に入 り 」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」
掲載の記事「 胡蝶の夢 」 。
引用はじめ 。
「 胡蝶の夢( こちょうのゆめ )は 、中国の戦国時代の宋の
蒙( 現在の 河南省商丘市民権県 )生まれの思想家の 荘子
( 荘周 )による 、夢の中の自分が現実か 、現実のほうが
夢なのかといった説話である 。荘子の考えが顕著に表れて
いる説話として 、またその代表作として一般的にもよく知ら
れている 。
概 要
夢の中で胡蝶( 蝶のこと )としてひらひらと飛んでいた所 、
目が覚めたが 、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか 、
それとも 実は夢でみた蝶こそが本来の自分であって 今の自分
は蝶が見ている夢なのか 、という説話である 。
この説話は『 無為自然 』『 一切斉同 』の荘子の考え方が
よく現れているものとして有名である 。『 無為自然 』を
荘子の言葉でいえば『 逍遥遊 』となり 、それは目的意識に
縛られない自由な境地のことであり 、その境地に達すれば
自然と融和して自由な生き方ができる と荘子は説く 。
荘子が他の説話において提出してきた『 是と非 、生と死 、
大と小 、美と醜 、貴と賤 』などの現実に相対しているかに
見えるものは 、人間の『 知 』が生み出した結果であり 、
荘子は それを『 ただの見せかけに過ぎない 』という 。
荘子は それを 次の3つの説話で示した 。
朝三暮四
猿回しが『 朝は3つで夜は4つだ 』と猿に団栗を与えようと
したが 、猿はこれに怒った 。『 では朝は4つで夜は3つだ 』
というと猿は喜んだ 、という説話である 。結局は 1日7個の
団栗を食べているということで 、どちらも同じで 、相対する
ものを考える人間も同じようなものだと荘子は説く 。
『 吾が生や涯てありて 、知や涯てなし 』
人の一生に限りがあるのに 、知にはその限りがない 。限りの
あるものの中で限りないものを追いかけてもただ疲れるだけだ 、
ということを説く 。
『 大知は閑閑たり 、小知は間間たり 』
立派な知恵は悠々としているが 、つまらない知恵に惑わされる
人間はせこせこしている 、ということである 。
これら3つが意図する「 その程度の小知ならば捨ててしまえ 」
という思想を端的に表したのが 、この「 胡蝶の夢 」である 。
ここでは 夢と現実との対立が提出されており 、どちらが真実の
姿か 、それは問題ではなく 、胡蝶であるときは 栩栩然として
胡蝶になり 、荘周であるときは荘周となっている 。そのいずれも
真実であり 、己であることに変わりはなく 、どちらが真の世界
であるかを論ずるよりも 、いずれをも肯定して受け容れ 、それ
ぞれの場で満足して生きればよいのである 。「 夢が現実か 、
現実が夢なのか ? しかし 、そんなことはどちらでもよいことだ 」
と荘子は言っているのだ 。
『 知 』には何ら確かな判断はないのだから 、考えたところで仕方
がない 。知の判断から離れてみれば 、差異や区別を超えた世界が
見えてくる 。これこそが 、荘子の言う『 逍遥遊 』の世界である 。
これが 万物斉同の世界で遊ぶ ことであり 、荘子が 胡蝶の夢を通し
て訴えていることである と言える 。
物の変化とは 表面に現れた現象面での変化に過ぎない 。胡蝶と
荘周が形の上においては大きな違いを持ちながら 、共に己であること
に変わりはない 。万物は絶えざる変化を遂げるが 、その実 、本質に
おいては何ら変わりのないことを述べているのである 。
原 文
『 荘子 』斉物論第二
原 文
昔者莊周夢爲胡蝶 。栩栩然胡蝶也 。
自喩適志與 。不知周也 。俄然覺 、則蘧蘧然周也 。
不知 、周之夢爲胡蝶與 、胡蝶之夢爲周與 。
周與胡蝶 、則必有分矣 。此之謂物化 。
書き下し文
昔者荘周夢に胡蝶と為る 。栩々然として胡蝶なり 。
自ら喩しみて志に適えるかな 。周たるを知らざるなり 。 俄然として
覚むれば 、則ち蘧々然として周なり 。
知らず 、周の夢に胡蝶と為れるか 、胡蝶の夢に周と為れるかを 。
周と胡蝶とは 、則ち必ず分有らん 。此を之れ物化と謂う 。
訳 文
以前のこと 、わたし荘周は 夢の中で胡蝶となった 。喜々として胡蝶に
なりきっていた 。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた 。荘周である
ことは全く念頭になかった 。はっと目が覚めると 、これはしたり 、
荘周ではないか 。
ところで 、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか 、自分は実は
胡蝶であって 、いま夢を見て荘周となっているのか 、いずれが本当か
私にはわからない 。
荘周と胡蝶とには確かに 、形の上では区別があるはずだ 。しかし
主体としての自分には変わりは無く 、これが物の変化というものである 。 」
引用おわり 。
( 筆者註 :「 荘子( そうし 、Zhuang Zi 、紀元前369年頃 - 紀元前286年頃 )は 、
中国戦国時代の宋の蒙( 現在の河南省商丘市民権県 )
に生まれた思想家で 、『 荘子 』( そうじ )の著者とされ 、
また 道教の始祖の一人とされる人物である 。姓は荘 、名は周 。
字は子休とされるが 、字についての確たる根拠に乏しい 。
曾子と区別するため『 そうじ 』と濁って読むのが 日本の
中国文学・中国哲学関係者の習慣となっている 。
『 史記 』には 、「 魏の恵王 、斉の宣王と同時代の人である 」と
記録されている 。
荘子が生まれた蒙の属する宋は 当時弱小国の一つであった 。
荘子が生きていた時代に 宋王剔成君は 、弟の偃に追われ
亡命し 、偃がそのまま王位に就いた 。しかし 偃は暴逆に
より 前286年 、斉・楚・魏の連合軍により殺され 、宋は
分割され滅亡してしまう 。
『 史記 』のある挿話には 、楚の威王が 荘子の評価を聞き
宰相に迎えようとし 、礼物を持って荘子を訪ねた 。すると
荘子は『 千金は大したもの 、宰相は最高の地位でしょう 。
しかし 郊祭の生贄になる牛をご覧なさい 。長年 、美食で
養われ 、錦繍で飾られ 、最後には祭壇にひかれていく 。
その時いっそ野放しの豚になりたいと思うも 、手遅れなの
です 。わたしは自由を縛られるより 、どぶの中で遊んで
いたい 。気の向くままに暮らしたいのです 。 』といい
断った 。」
以上ウィキ情報 。ウィキばっか 。 )