「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

BUTTERFLY DREAM 胡蝶の夢 Long Good-bye 2022・09・03

2022-09-03 05:40:00 | Weblog



   今日の「 お気に入 り 」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」
  掲載の記事「 胡蝶の夢 」 。

  引用はじめ 。

  「 胡蝶の夢( こちょうのゆめ )は 、中国の戦国時代の宋の
   蒙( 現在の 河南省商丘市民権県 )生まれの思想家の 荘子
   ( 荘周 )による 、夢の中の自分が現実か 、現実のほうが
   夢なのかといった説話である 。荘子の考えが顕著に表れて
   いる説話として 、またその代表作として一般的にもよく知ら
   れている


   概 要
    夢の中で胡蝶( 蝶のこと )としてひらひらと飛んでいた所 、
   目が覚めたが 、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか 、
   それとも 実は夢でみた蝶こそが本来の自分であって 今の自分
   は蝶が見ている夢なのか 、という説話である 。
    この説話は『 無為自然 』『 一切斉同 』の荘子の考え方が
   よく現れているものとして有名である 。『 無為自然 』を
   荘子の言葉でいえば『 逍遥遊 』となり 、それは目的意識に
   縛られない自由な境地のことであり 、その境地に達すれば
   自然と融和して自由な生き方ができる と荘子は説く 。

    荘子が他の説話において提出してきた『 是と非 、生と死 、
   大と小 、美と醜 、貴と賤 』などの現実に相対しているかに
   見えるものは 、人間の『 知 』が生み出した結果であり 、
   荘子は それを『 ただの見せかけに過ぎない 』という 。

    荘子は それを 次の3つの説話で示した 。

    朝三暮四
    猿回しが『 朝は3つで夜は4つだ 』と猿に団栗を与えようと
   したが 、猿はこれに怒った 。『 では朝は4つで夜は3つだ 』
   というと猿は喜んだ 、という説話である 。結局は 1日7個の
   団栗を食べているということで 、どちらも同じで 、相対する
   ものを考える人間も同じようなものだと荘子は説く 。

   『 吾が生や涯てありて 、知や涯てなし
    人の一生に限りがあるのに 、知にはその限りがない 。限りの
   あるものの中で限りないものを追いかけてもただ疲れるだけだ 、
   ということを説く 。

   『 大知は閑閑たり 、小知は間間たり
    立派な知恵は悠々としているが 、つまらない知恵に惑わされる
   人間はせこせこしている 、ということである 。

   これら3つが意図する「 その程度の小知ならば捨ててしまえ 」
   という思想を端的に表したのが 、この「 胡蝶の夢 」である

   ここでは 夢と現実との対立が提出されており 、どちらが真実の
   姿か 、それは問題ではなく 、胡蝶であるときは 栩栩然として
   胡蝶になり 、荘周であるときは荘周となっている 。そのいずれも
   真実であり 、己であることに変わりはなく 、どちらが真の世界
   であるかを論ずるよりも 、いずれをも肯定して受け容れ 、それ
   ぞれの場で満足して生きればよいのである 。「 夢が現実か 、
   現実が夢なのか ? しかし 、そんなことはどちらでもよいことだ 」
   と荘子は言っているのだ 。

   『 知 』には何ら確かな判断はないのだから 、考えたところで仕方
   がない 。知の判断から離れてみれば 、差異や区別を超えた世界が
   見えてくる 。これこそが 、荘子の言う『 逍遥遊 』の世界である 。
    これが 万物斉同の世界で遊ぶ ことであり 、荘子が 胡蝶の夢を通し
   て訴えていることである と言える 。

    物の変化とは 表面に現れた現象面での変化に過ぎない 。胡蝶と
   荘周が形の上においては大きな違いを持ちながら 、共に己であること
   に変わりはない 。万物は絶えざる変化を遂げるが 、その実 、本質に
   おいては何ら変わりのない
ことを述べているのである 。

   原 文
   『 荘子 』斉物論第二

   原 文
    昔者莊周夢爲胡蝶 。栩栩然胡蝶也 。
   自喩適志與 。不知周也 。俄然覺 、則蘧蘧然周也 。
   不知 、周之夢爲胡蝶與 、胡蝶之夢爲周與 。
   周與胡蝶 、則必有分矣 。此之謂物化 。


   書き下し文
    昔者荘周夢に胡蝶と為る 。栩々然として胡蝶なり 。
   自ら喩しみて志に適えるかな 。周たるを知らざるなり 。 俄然として
   覚むれば 、則ち蘧々然として周なり 。
   知らず 、周の夢に胡蝶と為れるか 、胡蝶の夢に周と為れるかを 。
   周と胡蝶とは 、則ち必ず分有らん 。此を之れ物化と謂う 。


   訳 文
    以前のこと 、わたし荘周は 夢の中で胡蝶となった 。喜々として胡蝶に
   なりきっていた 。
    自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた 。荘周である
   ことは全く念頭になかった 。はっと目が覚めると 、これはしたり 、
   荘周ではないか 。
    ところで 、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか 、自分は実は
   胡蝶であって 、いま夢を見て荘周となっているのか 、いずれが本当か
   私にはわからない 。
    荘周と胡蝶とには確かに 、形の上では区別があるはずだ 。しかし
   主体としての自分には変わりは無く 、これが物の変化というものである 。


   引用おわり 。

   ( 筆者註 :「 荘子( そうし 、Zhuang Zi 、紀元前369年頃 - 紀元前286年頃 )は 、
         中国戦国時代の宋の蒙( 現在の河南省商丘市民権県 )
         に生まれた思想家で 、『 荘子 』( そうじ )の著者とされ 、
         また 道教の始祖の一人とされる人物である 。姓は荘 、名は周 。
         字は子休とされるが 、字についての確たる根拠に乏しい 。
         曾子と区別するため『 そうじ 』と濁って読むのが 日本の
         中国文学・中国哲学関係者の習慣となっている 。
         『 史記 』には 、「 魏の恵王 、斉の宣王と同時代の人である 」と
         記録されている 。
          荘子が生まれた蒙の属する宋は 当時弱小国の一つであった 。
         荘子が生きていた時代に 宋王剔成君は 、弟の偃に追われ
         亡命し 、偃がそのまま王位に就いた 。しかし 偃は暴逆に
         より 前286年 、斉・楚・魏の連合軍により殺され 、宋は
         分割され滅亡してしまう 。
         『 史記 』のある挿話には 、楚の威王が 荘子の評価を聞き
         宰相に迎えようとし 、礼物を持って荘子を訪ねた 。すると
         荘子は『 千金は大したもの 、宰相は最高の地位でしょう 。
         しかし 郊祭の生贄になる牛をご覧なさい 。長年 、美食で
         養われ 、錦繍で飾られ 、最後には祭壇にひかれていく 。
         その時いっそ野放しの豚になりたいと思うも 、手遅れなの
         です 。わたしは自由を縛られるより 、どぶの中で遊んで
         いたい 。気の向くままに暮らしたいのです 。 』といい
         断った 。

         以上ウィキ情報 。ウィキばっか 。 )



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