「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

外交の要諦 Long Good-bye 2022・11・21

2022-11-21 04:55:00 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」は 、田原総一朗・佐藤 優 共著 「 人生は天国か 、
  それとも地獄か 」から 、佐藤 優 さんの 文章のひとくだり 。

   引用はじめ 。

  「 私は 、外交には『 価値 』『 力 』『 利益 』という
   三つの体系が必要だと考えています 。『 価値 』とは
   すなわちイデオロギー 、『 力 』は軍事力 、そして
   『 利益 』は国家にとって損か得かという判断です 。
    たとえば価値観は正しくとも 、軍事力が弱い国もあれ
   ば 、その逆もあります 。日本のメディアのほとんどは 、
   戦争を 、価値観でしか報じていません 。
    ロシアとウクライナの戦争に際し 、日本の対ロシア外
   交は『 価値 』の体系に偏っていました 。岸田文雄内閣
   は『 正しいか 』『 間違っているか 』だけでがんばって
   しまいました 。しかし外交では 、もっと現実的になり 、
   国家と国民を守るため 、『 力 』と『 利益 』の点でも
   判断しなければならないのです 。私には岸田内閣が 、
   太平洋戦争に突入していったときの東条英機内閣に見え
   ました 。
    ただ 、皮肉にも日本の『 縦割り 』行政が幸いし 、
   経済産業省は『 利益 』の体系で動いていました 。日本
   企業のロシアからの撤退率は約五パーセントで 、G7の
   なかでもイタリアとともに最も低く 、2022年7月の
   一ヵ月間には 、撤退はゼロでした 。私は 、これでいい
   と思います 。というのも日本経済にとって 、ロシアは 、
   私たちが思っている以上に大切な国であるからなのです 。 」

  「 こうした日本政府の対応を『 チグハグだ 』などという
   人もいるかもしれませんが 、むしろ チグハグ で良いの
   です 。『 価値 』の体系だけを拠り所として一枚岩になる
   ほうが 、ずっと怖い 。他国からどう見られようと 、
   『 価値 』『 力 』『 利益 』をきちんと見定める 。それ
   が 外交 というものです 。 」

  引用ここまで 。

   ポーランドに落ちたミサイル をめぐる 、虚々実々の 瀬戸際外交
   発射から着弾まで追跡でき 、残骸から産地も分かるが 、射ち手が
  誰かまではなかなか特定できないらしい 。どこの国も一枚岩でなく
  各派諸勢力入り乱れる 魑魅魍魎 の世界 。

   ( ついでながらの
     筆者註 :・「 瀬戸際政策( せとぎわせいさく )または 瀬戸際戦術
          ( せとぎわせんじゅつ )とは 、緊張を高めることにより
           交渉相手に譲歩を迫る政治手法である 。外交分野に
           おいては 瀬戸際外交( せとぎわがいこう )とも呼称
           される 。冷戦下のアイゼンハワー政権において 、
           ジョン・フォスター・ダレス国務長官 が 、相手への
           要求をエスカレートする外交政策を表す用語として
           引用した 。
          ★歴史上の有名な瀬戸際政策
          ・ミュンヘン会談
            1938年 、ドイツ総統 アドルフ・ヒトラー は 、戦争も辞さない
           構えで ズデーテン地方の割譲を求め 、ミュンヘン会談において
           英・仏の譲歩( ズデーテン地方の割譲 )を引き出した( 宥和
           政策 )。しかし 、翌年のポーランド侵攻では 両国は全面対決を
           選択し 、瀬戸際政策は第二次世界大戦を引き起こすこととなった 。
          ・キューバ危機
            1962年 、アメリカの ジョン・F・ケネディ大統領 は 、キューバ
           への核ミサイル設置を阻止するため 核戦争も辞さない という 瀬戸
           際政策 をとり 、ソビエト連邦側の譲歩( 核ミサイルの撤去 )を
           引き出した 。
          ・プエブロ号事件
            1968年 、韓国大統領 朴正煕 の暗殺を企てた( 青瓦台襲撃未遂
           事件 )直後の 朝鮮民主主義人民共和国( 北朝鮮 )が アメリカ
           軍船 プエブロ号 とその乗務員を拿捕して人質にとった 。北朝鮮
           の同盟国である ソビエト連邦 は 驚愕し 、最悪の場合 超大国同
           士の戦争になりかねない事態となった 。ベトナム戦争の最中であ
           ったアメリカは 結局譲歩せざるをえず 、北朝鮮は 青瓦台襲撃未
           遂事件についての報復措置を受けることはなかった 。
          ・ 北朝鮮核問題
            1994年 、北朝鮮の 金日成主席 は 、核兵器用と見られる核開発
           を進めることで アメリカに軽水炉の提供と重油の供給を認めさせ
           た 。
          ・ イラク戦争
            イラクは 実際には持っていなかった 大量破壊兵器( 核兵器 )
           の存在をちらつかせ 、イランと米国へけん制を行ったが 実際に
           は 目測を誤り 開戦に至ってしまった 。緊張を高めすぎたのが仇
           となった例 。後日逮捕された サッダーム・フセイン は『 本当
           に米国が攻撃するとは思わなかった 』と言ったとされる 。」
           以上ウィキ情報 。)



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