「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

くどやま Long Good-bye 2024・11・26

2024-11-26 06:02:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、司馬遼太郎さん の

 「 街道をゆく 9 」の「 高野山みち 」。

  今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に

 連載されたもの 。備忘のため 、「 真田庵 」と題さ

 れた小文の中から 、数節を抜粋して書き写す 。

  引用はじめ 。

 九度山 ( くどやま ) とは町の名で 、山ではない 。 
   紀伊国 ( きいのくに ) 高野山が 、北にむかって
  山々や谷々を重ね 、ようやく紀ノ川に至ろうと
  する岸辺にある 。
  『 九度山から高野山に登ってみましょうか 』
   と須田画伯に電話で相談すると 、画伯は 、横
  笛でも吹くような息使いで 、梅雨じぶんなら山
  の花が咲いているでしょう 、といった 。 」

 「 九度山は 、古い集落である 。中世以来 、高
  野山領の行政や年貢の集散はこの九度山に置か
  れた政所 ( まんどころ ) がそれをつかさどった 。
  このため九度山町はきわめて小規模な城下町の
  ような機能でもって発展し 、明治後はその機
  能をうしなった 。発展がとまっただけに 、古
  集落のほうはかえって町並の古格さが保たれて
  いる
   このあたりの紀ノ川は 、一大渓谷をなしてい
  るといっていい 。北方の葛城山脈と南方の高
  野山を中心とする山塊群のあいだにはさまって 、
  川が悠々と河原をひろげつつ流れている 。
   九度山橋という長い橋が 、紀ノ川に渡されて
  いる 。
   北から南へこの橋をわたるべくさしかかった
  前面の風景というのは 、右が 、はるか奥の
  高野山につながる尾根が 、尾根のまま降下し
  てきて麓で慈尊院の森をなし 、左が 、ひくい
  丘陵上に九度山集落のいらかの群れをあかるく
  盛りあげていて 、丘と川を好む中世ヨーロッ
  パの小さな都市国家を思わせる 。紀ノ川十景
  というものがあるとすれば当然入っていい景観
  であろう 。
   ここからみると 、九度山というのは紀ノ川の
  流れからいきなり盛りあがった小隆起で 、形
  をながめていると 、どこかかまどに似ている 。
  上方ではかまど 、へっついの類いのことを く
  ど と言い 、女性ことばでは おくどさん などと
  言ったりした 。九度山とは 、そういう連想
  からきた地名ではないかとおもわれる 。その
  かまど型の隆起の上はすべて古風な屋根瓦で
  おおわれている 。」

 「  橋を渡りきると 、多少空腹であることに気
  づいた 。」

 「 編集部のHさんが 、そのあたりの景色を大
  観しつつ飲食店のありそうな一点をさがして
  いたが 、どうもありそうではない 。
  『 カレーライスでいいんです 』
   と私がいうと 、Hさんが 、
  『 九度山には 、パチンコ屋もないんです 』
   ましてカレーライスの店などはあるはずが
  ない 、というふうに 、強い語気で言った 。
  Hさんは高血圧体質だから 、気ぜわしいの
  である 。」

 「 私はこのとき 、ふと 、かつてこのあたりに
  きた午後 、高野山へ登る自動車道路のその入
  口付近の路傍 ( といっても谷川ぶちだが )
  に『 幸村 』という小さなドライヴ・インが
  あったことを思いだした 。なまな屋号だと思
  い 、通り過ぎながらもやや愉快でない記憶と
  ともに残っている 。」

 「 幸い 、私の記憶どおりその店があって 、私
  どもは入った 。
   窓の下は狭いながらも深い谷川になっていて 、
  草も木も鬱然としている 。
   カレーライスを持ってきてくれた女の子に 、
  この川は何という川ですか 、ときいてみたが 、
  『 私はこの辺(へん)やないねん
   といって 、答えてくれなかった 。紀州弁は 、
  他の日本の方言とちがって 、敬語が発達しな
  かった 。だからこの娘さんも紀州ではあるの
  だろうが 、この辺の生れではないからこの渓
  流の名前は知らないというのである 。
  『 丹生(にう)川です 』
   Hさんが 、代りに教えてくれた 。高野山の
  東のほうの一峰を水源として山中をときに北
  流し 、ときに西流して 、九度山付近で人里
  に降り 、紀ノ川にそそいでいるらしい 。
   高野山をひらいた空海は 、
  『 空海少年ノ日 、好ムデ山水ヲ渉覧セシニ 、
  吉野ヨリ南ニ行クコト一日ニシテ 、更ニ西ニ
  向ツテ去ルコト両日程 、平原ノ幽地有リ
   と 、弘仁七( 816 ) 年六月十九日付の上奏
  文に書いているが 、空海はこんにちのように
  紀ノ川の岸から高野山に登ったのではなく 、
  大和吉野から登ったのであろう 。丹生川の上
  流に沿って登ったに相違なく 、そういう事情
  からいうと 、この渓流は空海を高野山に導い
  た水の流れの下流といっていい 。」

  引用おわり 。

  「 高野山 」も「 九度山 」も 、筆者は訪れたことがない 。

  昔馴染みの地名なのに 、この紀行文を読むまで 、「 九度

 山 」は「 くどさん 」だと 、ずっと思いこんでいた 。子ど

 もの頃から 、真田幸村や真田十勇士や猿飛佐助でお馴染み

 なのに 、である 。

  「 高野山 」も「 九度山 」も 、一生に一度くらい 、訪れ

 たい土地ながら 、このさきも訪れることはなさそうだ 。

 まあ いっか 。

 。。(⌒∇⌒) 。。

 

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