今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の「無想庵物語」から。
「作者と読者の間には常に一定の距離があるのに、金と女について書くとこの距離がなくなる。自分はこんなに儲けた、またはこんなにもてたと書くと、それまで冷静だった読者がにわかに顔色をかえてその金どうした、今もあるのか、いくらか、またお前がそんな美人に惚れられるはずがない、寝たなんてうそつけ本当なら許せないと我を忘れるのである。
だから小説にするのである。むかし男ありけりと書くと、読者なんて愚かなものでなにがしと名をつければそういう色男がいて、それがもてたのだなと怒るどころか興がって読んでくれるのである。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
「作者と読者の間には常に一定の距離があるのに、金と女について書くとこの距離がなくなる。自分はこんなに儲けた、またはこんなにもてたと書くと、それまで冷静だった読者がにわかに顔色をかえてその金どうした、今もあるのか、いくらか、またお前がそんな美人に惚れられるはずがない、寝たなんてうそつけ本当なら許せないと我を忘れるのである。
だから小説にするのである。むかし男ありけりと書くと、読者なんて愚かなものでなにがしと名をつければそういう色男がいて、それがもてたのだなと怒るどころか興がって読んでくれるのである。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の「無想庵物語」から。
「楚の国の南には五百年を春とし五百年を秋とする亀がいる。八千年を春とし八千年を秋とする椿の大木があるというたぐいである。北の海に途方もなく大きな魚がいて名を鯤(こん)という。それがある日化して鳥になる。鵬という。鵬が翼をひろげると何千里になるか分らない。この鳥は風雲に乗じて南に飛ぶ。天日ために暗くなる。ちっぽけな鳥どもは迷惑する。ひととび何万里もとぶ。何用あってとぶか。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
「楚の国の南には五百年を春とし五百年を秋とする亀がいる。八千年を春とし八千年を秋とする椿の大木があるというたぐいである。北の海に途方もなく大きな魚がいて名を鯤(こん)という。それがある日化して鳥になる。鵬という。鵬が翼をひろげると何千里になるか分らない。この鳥は風雲に乗じて南に飛ぶ。天日ために暗くなる。ちっぽけな鳥どもは迷惑する。ひととび何万里もとぶ。何用あってとぶか。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の「無想庵物語」から。
「私の西遊記は冨山房版中島孤島訳、有朋堂文庫版絵本西遊記仕込みである。そのころすでに出回っていた児童向きのニセ西遊記ではない。八戒もとより女好きなればと書いてある。子供向きのには書いてない。八百里にわたって猛火が燃えている火焔山、その火はむかし悟空が天上で狼藉を働いて、火爐をひっくり返したのが落ちて下界でいまだに燃えている火である。それは牛魔王秘蔵の芭蕉扇でなければ消せない。悟空は芭蕉扇を奪おうと牛魔王とわたりあう。八戒及ばずながら助太刀する。牛魔王敵しかねて身を変じて鷹となって天空高くのぼる。悟空鳳凰に化けて一声高く啼くと鷹は鳥の王なる鳳凰の威におされ、地にとびおりて一匹の香獐となって崖の下で草を食べている。悟空猛虎になっておどりかかる、魔王あわてて大豹と化して虎に立ち向かう、悟空獅子に、魔王熊になって一上一下虚々実々死力をつくして戦う。敵しかねてついに正体をあらわしたのを見ると一匹の大白牛である。牛魔王女房羅刹女、一人息子紅孩児、へっぽこ妖怪に虎力大仙、鹿力大仙などネーミングからしていい。ぞくぞくする。人参果という不老長寿の果物はみな人間の赤子の形をしてついにそれを食べるというのも無気味である。」
「発端ならまる暗記している。
――天地開闢のむかし世界は混沌として卵のような形をしていた。それが四つに分れ、その一つ、東勝神州は傲来国、傲来国は花果山という山の頂きに一座の岩があった。ある日その岩がほとばしるように裂けたかと思うと、なかから一匹の石の猿がおどり出た。この猿目から金色の光を放ち、その光は天にとどいたから並の猿たちはひれ伏して家来になった。これなんのちの斉天大聖孫悟空である。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)
「私の西遊記は冨山房版中島孤島訳、有朋堂文庫版絵本西遊記仕込みである。そのころすでに出回っていた児童向きのニセ西遊記ではない。八戒もとより女好きなればと書いてある。子供向きのには書いてない。八百里にわたって猛火が燃えている火焔山、その火はむかし悟空が天上で狼藉を働いて、火爐をひっくり返したのが落ちて下界でいまだに燃えている火である。それは牛魔王秘蔵の芭蕉扇でなければ消せない。悟空は芭蕉扇を奪おうと牛魔王とわたりあう。八戒及ばずながら助太刀する。牛魔王敵しかねて身を変じて鷹となって天空高くのぼる。悟空鳳凰に化けて一声高く啼くと鷹は鳥の王なる鳳凰の威におされ、地にとびおりて一匹の香獐となって崖の下で草を食べている。悟空猛虎になっておどりかかる、魔王あわてて大豹と化して虎に立ち向かう、悟空獅子に、魔王熊になって一上一下虚々実々死力をつくして戦う。敵しかねてついに正体をあらわしたのを見ると一匹の大白牛である。牛魔王女房羅刹女、一人息子紅孩児、へっぽこ妖怪に虎力大仙、鹿力大仙などネーミングからしていい。ぞくぞくする。人参果という不老長寿の果物はみな人間の赤子の形をしてついにそれを食べるというのも無気味である。」
「発端ならまる暗記している。
――天地開闢のむかし世界は混沌として卵のような形をしていた。それが四つに分れ、その一つ、東勝神州は傲来国、傲来国は花果山という山の頂きに一座の岩があった。ある日その岩がほとばしるように裂けたかと思うと、なかから一匹の石の猿がおどり出た。この猿目から金色の光を放ち、その光は天にとどいたから並の猿たちはひれ伏して家来になった。これなんのちの斉天大聖孫悟空である。」
(山本夏彦著「無想庵物語」文藝春秋社刊 所収)