「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

阿修羅 Long Good-bye 2023・08・18

2023-08-18 05:11:00 | Weblog

 

    今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さん

   ( 1923年〈 大正12年 〉8月7日 - 1996年〈 平成8年〉2月12日 )

   の 「 街道をゆく 」から「 阿修羅 」の一節 。

   備忘の為 、抜き書き 。

    引用はじめ 。

  「  私は 、奈良の仏たちのなかでは 、興福寺の阿修羅と 、

   東大寺戒壇院の広目天が 、つねに懐しい 。

    阿修羅はもとは古代ペルシアの神だったといわれるが 、

   インドに入り 、時がたつにつれて次第に悪神 ( 非天 )

   になった 。中村元博士の『 仏教語大辞典 』によると 、

    闘争してやまぬ者 。争う生存者 、仏教では六道の

    一つ 、八部衆の一つとされ 、一種の鬼神とみられ 、

    須弥山下の大海底にその住居があるとされる 。

   とある 。

    しかしながら興福寺の阿修羅には 、むしろ愛がたたえ

   られている 。少女とも少年ともみえる清らかな顔に 、

   無垢の困惑ともいうべき神秘的な表情がうかべられている 。

   無垢の困惑というのは 、いま勝手におもいついたことば

   だが 、多量の愛がなければ困惑は起こらない 。しかし

   その愛は 、それを容れている心の器が幼すぎるために 、

   慈悲にまでは昇華しない 。かつかれは大きすぎる自我を

   もっている 。このために 、自我がのたうちまわっている 。

   大きな自我こそ仏への道なのだが 、その道ははるかに遠

   い 。法相・唯識は 、人間への絶望から出ているために 、

   成仏するための修行は天文学的な時間が要るとされる 。

   このために 、私どものような儚い自我ならともかく 、阿

   修羅のように多量の自我を持ってうまれた者は 、困惑は

   闘争してやまず 、困惑しぬかざるをえない 。

   ・・・ 」

   引用おわり 。

 

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