今日の「 お気に入り 」 。
最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 - ) の随筆「 村上朝日堂は
いかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )の中に 「 空中浮遊
はすごく楽しい 」というタイトルの小文がある 。
その冒頭に こんな一節がある 。
「 夢というものを普段あまり見ない 。とはいっ
ても 、学者の説によれば世の中に夢を見ない
人は一人もいないそうだから 、実際には僕だ
って人並みに夢を見ているのだろう 。でも朝
起きたときの僕の頭には夢の記憶がほとんど留
まっていない 。自慢じゃないけれど僕はもの
すごく寝つきが良くて 、REM睡眠の泥沼で
鰻みたいにそのまま朝までこんこんと眠ってし
まうので 、たとえ夢を見たとしても 、その記
憶はあたかも砂漠に柄杓で水を撒くようにする
すると虚無の中に吸い込まれていってしまうら
しい 。夢としてもせっかく苦労して手を替え
品を替えカラフルな面白い話を繰り広げている
のに 、『 朝になったらまったくなんにも覚え
ていないです 』じゃ立つ瀬がないだろうなと
いう気がする 。僕だって小説家の端くれだか
ら 、その気持ちはよくわかる 。申し訳ないと
も思う 。でも覚えられないものは覚えられな
いんだからこれはしかたないですよね 。」
さらに引用を続けると 、
「 でも空中浮遊の夢だけは例外である 。僕は
昔からよく空中浮遊の夢を見るし 、この夢だ
けはどれも不思議なくらい鮮明に覚えている 。
夢の中では 、空中に浮かぶことはとくに難し
いことではない 。ぴょんと跳ねてそのまま空
中に留まっていればいいのだ 。特別な筋肉を
使うわけでもないし 、精神を集中させるわけ
でもない 。だからちっとも疲れないし 、い
つまででも浮かんでいられる 。」
「 空中に浮かぶといっても 、そんなに上には
あがらない 。高くあがってせいぜい地上一メ
ートルくらいである 。理由はわからないが 、
高いところに上がりたいという気持ちがわい
てこないのだ 。地上五十センチくらいのとこ
ろに 、欲も得もなくふわふわと浮いているの
が 、いちばん妥当な空中浮遊のあり方である
ように僕は感じる 。」
筆者もこのパターンの夢を子供のころからよく見ていた記憶
がある 。ドローンがそこかしこを飛ぶようになってから 、こ
の十年くらいは見ないが 、以前は定期的に見ていたような気
がする 。村上さんの空中浮遊と違って 、筆者のは 、両の手を
目いっぱい左右に広げ 、空高く飛翔する 。鳥のように翼をバ
タバタと羽ばたかせるわけでもなく 、疲れることもなく 、ス
ーパーマンのように 、ただ飛ぶのである 。「 地上五十センチ
くらいのところで 、欲も得もなくふわふわと浮いている」だけ
で 夢見心地 の 村上さんの空中浮遊 と異なり 、筆者のは 、ひ
としきり飛んだ後 、自宅(らしきところ)の ベランダ(らし
きところ)に戻って来るのが 、昔よく見た夢のパターンであ
る 。
( ´_ゝ`)
「 だから何なんだ? 」って話なんですけれど。
( ´_ゝ`)
夢の権威は 「 バーッと上がる夢を見るのは 、子供なんです
わ 。大人はまず見ません 。 」とおっしゃられているそうだ 。
してみると 、六十歳になっても 空高く飛ぶ夢をみていた筆者
は 、アダルトチルドレン ? こんな言葉を流行らせた人 、昔
いらっしゃいましたっけ 。