今日の「 お気に入り 」。
最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 - ) の随筆「 村上
朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )
の中に 「 砂浜の中のキー 」というタイトルの小文
がある 。
その冒頭に こんな一節がある 。
「 中原中也の詩に『 月夜の晩に 、ボタンが一つ
/波打ち際に 、落ちてゐた 』というのがある 。
『 それを拾つて 、役立てようと/僕は思つた
わけでもないが 』と続く 。まあそれほどかっ
こよくはないけれど 、僕は以前 、藤沢鵠沼の
海岸で 、砂の中に自動車のキーをみつけたこと
がある 。
九月のある日曜日の夕方にひとりで海岸沿いを
散歩して 、ぼんやり砂浜に座って夕日を眺めて
いたら 、手に触れる何か固いものがあるので 、
ふと見たらそれはなんと前世紀のホノルルでカ
メハメハ大王が愛用していたというあの伝説の
プラチナ製の靴べら ・・・ じゃなくて『 スバ
ル 』のマークのついたごく当たり前のキーホル
ダーだった 。おそらく誰かのズボンのポケット
からぽろっとこぼれ落ちて 、見つけられないま
ま 、そこにずっと落ちていたのだろう 。
せっかくの週末にどこか遠くからわざわざ海に
遊びに来て 、そのあげく車のキーをなくしてし
まうなんて 、考えてみたら気の毒な話である 。」
( ´_ゝ`)
小説家は 、このエピソードを種に 、もし自分がその人
の立場だったらという『 仮説の靴 』をはいて 、想像の
限りを尽くして 話を膨らませてゆく 。
「 仮説の靴 」を けっこう沢山自分のうちの下駄箱に
しまい込んでいることが 、作家になる必須アイテムら
しい 。
この小文の最後は 、次のような一節で締めくくられて
いる 。
「〈 そういうことは起こるものなのだ 〉と僕は
ふとそのときに思った 。かたちのあるものは 、
どれだけ努力したところで 、いつかどこかに
ふっと消えてなくなってしまうものなのだと 。
それが人間であれ 、ものであれ 。」
小噺の落ち 。
( ´_ゝ`)
「 ショート・ショート 」は 、概してもの足りない
思いがして不満が残ることが多いんで 、避けてきた
のだが 、村上春樹さんの「 村上朝日堂 超短篇小説
『 夜のくもざる 』( 新潮文庫 )」を読み 、印象
が変った 。その中の「 牛乳 」なんて一篇は結構好
きかも 。