今日の「 お気に入り 」は 、また 内田百閒さん
( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公
文庫 )の中から「 おからでシヤムパン 」と題
した小文 の一節 。シヤムパン は 、シャンパン
のこと 。かつては シャンペン と呼ばれていた
ような気もする 。漢字表記だと 三鞭酒 だとか 。
引用はじめ 。
「 お膳の上に 、小鉢に盛つたおからとシヤム
パンが出てゐる 。
シヤムパンはもう栓が抜いてある 。抜く時
は例のピストルの様な音がして 、抜けた途
端にキルクの胴がふくれるから 、もう一度
壜の口へ差し込む事は出来ない 。だからあ
らかじめ代りの栓を用意して 、杯と杯の間
はその栓で気が抜けない様にする 。さう一
どきに 、立て続けに飲んでしまふわけには
行かない 。
お勝手で家の者がごとごと何かやつてゐる
が 、お膳の前は私一人である 。だれも相手
はゐない 。猫もゐない 。尤も猫がゐたとし
ても 、お膳の上がおからでは興味がないか
ら 、どこかへ行つてしまふだらう 。
相手がゐなくても 、酒興に事は欠かない 。
コツプを二三度取り上げる内に 、すつかり
面白くなつて来るから面白い 。頭の中がひ
どく饒舌で 、次から次へといろんな事がつ
ながつたり 、走つたり 、不意に今までの
筋からそれたり 、それたなり元へ戻らなか
つたり 、そこから又別の方へ辷つたり 、
実に応接にいとま無しと云ふ情態になる 。
傍にだれもゐない方が面白い 。
シヤムパンの肴におからを食べる 。
おからは豚の飼料である 。豚の上前をは
ねてお膳の御馳走にするのだから 、いつ
でも食べたい時に買ひに行けばあると云ふ
物ではない 。少し遅くなると 、もうみん
な豚の所へ持つて行つてしまつて 、豆腐
屋の店にはなくなつてゐる 。その以前に
馳けつけて 、少少お裾分けを願ふ 。
おからは安い 。十円買ふと多過ぎて 、
小人数の私の所では食べ切れないので 、
この頃は五円づつ買つて来る 。
五円のおからでも 、食べ切るには三晩か
四晩かかる 。
冷蔵庫から取り出したのを暖めなほした
のよりは 、矢張り作り立ての方がうまい 。」
「 盛つた小鉢から手許の小皿に取り分け 、
匙の背中でぐいぐい押して押さへて 、固
い小山に盛り上げる 。おからをこぼすと
長者になれぬと云ふから 、気をつけてし
やくるのだが 、どうしても少しはこぼれ
る 。その所為か 、いまだにいろいろとお
金に困る 。
小皿のおからの山の上から 、レモンを搾
てその汁を沁ませる 。おからは安いが 、
レモンは高い 。この節は一つ九十円もす
る 。尤も一どきに一顆まるごと搾つてし
まふわけではない 。
酢をかける所をレモンで贅沢する 。それ
でおからの味は調つてゐるが 、醤油は初
めから全く用ゐない 。だからおからの色
は真白で 、見た目がすがすがしく 、美し
い 。
私は食べてよろこんで賞味する方の係で 、
作る側の手間 、手順 、面倒は関知する所
でないが 、大分骨が折れる様である 。」
「 お膳の上のおからに戻り 、箸の先で山を
崩して口に運ぶ 。山は固く押さへてある
から 、箸の先に纏まつた侭で 、ぼろぼろ
こぼれたりはしない 。又レモンの汁が沁
みてゐるので 、おからの口ざはりもぱさ
ぱさではないが 、その後をシヤムパンが
追つ掛けて咽へ流れる具合は大変よろしい 。
そろそろ頭の中が忙しくなるにつれ 、そ
もそも豚は人の余り物を食ふ立ち場にゐる
筈なのに 、今はかうしてそのお初穂を私
のお膳に割愛してくれた 、と考へた 。更
に溯れば 、おからは人間が食ふ豆腐のかす
の余り物かも知れないが 、豚は豆腐とおか
らとどつちを選ぶだらう 。私が豚だつたら 、
おからの方をいただく 。さうだらう 、豚
諸君 、おからの方がうまいね 。おからの
成分は豆の皮であり 、何物によらず皮の
すぐ裏側はうまいにきまつてゐる 。」
「 郷里の町外れの土手道に 、五右衛門をゆ
でる様な大きな釜を据ゑ 、しじみを一ぱ
い入れてぐらぐら煮立てた 。
いいにほひがするので起ち止まつて見て
ゐると 、その内に釜の中へ棒を突つ込み 、
煮上がつた蜆を引つ搔き廻して 、貝と中
身を別別に離した 。
同じ事を何度も繰り返してゐるのだらう 。
すでに身と貝殻とを別別にしたのが道ばた
に積んである 。
それでどうするのかと思ふと 、うまさう
な剥き身を空俵に詰め込み 、豚の飼料に
するのだと云ふ 。
勿体ないと思つたが 、中身は余り物であ
つて 、いらないから豚にやる 。いるのは
殻の方で 、近くに出来たセメント工場に
殻を売るのが目的であつた 。豚のおから
の上前をはねる様に 、しじみの剥き身の
上前を失敬して来ればよかつたが 、昔の
話で残念ながら間に合はない 。 」
引用おわり 。
セメントに蜆の貝殻を混ぜて 、石灰の嵩を増したんだろうか 。
初耳だ 。
昨晩は 、七夕の夕べ 。大河ドラマも中休みで 、テレビは開票
速報などやっている 。人は やらなくてもいいことばかりやって 、
やらなくちゃいけないことを 、どうしておろそかにするんだろ 。
毎日通ってる高齢者施設の共有スペースの小さいセンター・テー
ブルの上に 、小さなプラスティック水槽が置いてある 。その中に
「 ツノガエル 」が鎮座ましましている 。めったなことでは び
くとも動かない 不思議な小動物 。水とわずかな食べ物だけで 、
じっと 静かに 忍耐強く 生きている 。見習いたいものだ 。
「 ベルツノガエル 」という種類の 南米にルーツを持つ両生類で
あるらしい 。たまに動き 、啼き声もあげるとか 。長く生きる
と不思議なものを見ることができる 。二十分ばかり見つめてい
たら 、何かの拍子に 一瞬 びくっと動いた 。施設の職員は啼き声
を聞いたこともあるという 。なぜか「 エリザベス 」と名付けら
れた この ツノガエル 、啼いたからには オス に違いない 。
深夜の高齢者施設に響くメスを呼ぶオス蛙の啼き声 、思うだに
孤独で シュールな風景 。夜勤の職員は さぞや 肝を潰したこと
だろう 。
南米 ベネズエラ の 首都カラカス の 夏の夕べ 、小鳥のように
涼やかに「 ピー 、ピー 」と啼く カエル の声を思い出した 。
30年以上前の 音 の記憶 。 日本の河鹿蛙🐸とは違う 、もっ
と高い 、澄んだ声だった 。
( ´_ゝ`)
( ついでながらの
筆者註:「 ベルツノガエル( Ceratophrys ornata )は 、
両生綱無尾目 Ceratophryidae科 ツノガエル属
に分類されるカエル 。 」
「 エリサベト(ヘブライ語 : אֱלִישֶׁבַע / אֱלִישָׁבַע /ギリシ
ア語 : Ἐλισάβετ / ラテン語: Elisabeth / 英語 : Elizabeth ,
Elisabeth /ドイツ語 : Elisabet, Elisabeth /ロシア語 :
Елисавета)は 、新約聖書の登場人物で 、洗礼者ヨハネ
の母 。名前は ヘブライ語名 エリシェバ (Elišéva)が
ギリシア語に転訛したもので 、エリザベス(英語)、
エリザベート、エリーザベト( 教会ラテン語 、フランス
語 、ドイツ語など )といったキリスト教圏でポピュラー
な女性名の由来である 。エリシェバのエリはヘブライ語
で『 わが神 』、シェバ は『 誓い 』『 維持 』を意味し 、
エリシェバとは『 わが神はわが誓い 』『 わが神はわが
支え 』という意味になる 。」
以上ウィキ情報 。)